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リアクション
第2章
時は午後。晴れ渡る青空はどこまでも高く、澄んでいる。
その空の下で、綺麗に装った少女は人待ち風に佇んでいた。
「キミを幸せにするとは誓わない。けれども面白い3日間にする事は約束しよう」
大きな体を揺すって現れたブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)の言葉に、フレイルは目を瞬かせ、照れたように微笑むと、はい、と答えた。
いろいろ見所があるだろうと、解体前の万博周辺を案内する。柵越しではあるが、各種パビリオンの凝った造りの建物やたいむちゃんタワーなどが見える。
「賑やかなお祭りだったようですね」
はしゃいだような声に、ブルタはそれに頷き返しながらも、先程の会話を思い出していた。
「そうかも知れませんわね」
恋は女性を強くするものだ。
心境の変化があれば、バリツ使いとして次の段階へ向かえるのではないか……そう思ったブルタが、後見人の如くにデートの出発を見守っていたイングリッドに、そう言った時の事である。
「ですが、わたくしは未だ恋いというものをした事はございませんし……。それに、恋というものはそう簡単に我が身に起こるような感情なのでしょうかしら?」
ブルタを見返すまっすぐな彼女の瞳には、いまだ甘いものは含まれていなかった。
(フレイルの思いは尊重しますが、とは言っていましたが……)
正直、彼はフレイル自身への興味はない。
今回のルーダス(遊技的な恋愛) に付き合う気になったのも、先のようなイングリッドの成長を促す為の、仕込みのようなものであった。
たった3日。短い間で出来る事など、ゲーム的な恋愛に過ぎないだろうというのが、ブルタの考えだった。特別軽んじようとも馬鹿にしようとも思わないが、協力出来るとしたら、せいぜいが楽しい思い出作りをしてやるぐらいの事だろう。
ふと、隣を見遣る。
柵越しに高い棟を見上げて目を細める少女の顔は明るい。
……ならば、己の役目は果たせたのだろうと、彼は思った。
それが錯覚の類であろうとも。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……それ、気になるんですか?」
露天に並べられたアクセサリーをちらちらと眺めているフレイルに、ふと長原 淳二(ながはら・じゅんじ)は声を掛ける。
「え、あ……済みません淳二さん。足を止めてしまって」
「いえ、いいですよ。のんびり回りましょう」
色々な場所を見せてあげたい。そう思った淳二がフレイルを連れてきた先は、賑やかな街の通りだ。敷物の上に自作のアクセサリーを並べて売っているのが、彼女には珍しく見えたらしい。
「一つ、買っていきましょう。フレイルは何が好きですか?」
「あ、あの……いいんですか?」
恐縮する少女に、淳二は優しく微笑み掛ける。
迷いながら細い指先が小花のブレスレットを摘む。
「店主、これを頂きますね」
「まいどー」
僅かな命を恋に掛ける少女。それを喜ばせる為なら。買ったばかりのブレスレットを手首に巻いてやりながら、自らの手に収まった小さな手の細さに、淳二は思う。
彼女が楽しめるように、がんばろうと。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その日も、クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)は、道行くお姉さん達に声を掛けていた。
(お、あれは……?)
儚いというか、今にも消えてしまいそうというか。
そんな雰囲気を感じる女の子を、クドは目線に捉えて……。
即ナンパを実行した。
「へい、そこのお嬢さん! パンツの色を教えて頂いてもよろしいでしょうか!」
びっくり眼で、見上げる少女にクドは期待のまなざしを向ける。
「あ、あの、こ、答えないといけないのでしょうか……」
恥ずかしげにおろおろと頬を押さえる可憐な少女……なんというか、イイ。
「いやいや確かに教えて頂けたらとっっっても嬉しいけど無理なら後でこっそりお願いします」
「え、ええと……」
フレイルの短い人生(蝶生?)、ここまであけっぴろげな変態に出会ったのは初めての事だったろう。彼女はただおろおろとクドの言葉に翻弄されていた。
「まあ、ここで会ったのも縁ということで、デートしましょうデート! あ、お時間あります?」
「は、はい……」
「なら行きましょう!」
明るく誘うクドに、半ば勢いで付き合う事となるフレイル。
この際腰を狙ってもいいじゃないかと思ったが、無難に手を取って賑やかな方へと向かう。
「ところでお名前は? お兄さんの名前はクドって言います」
「あ、そうですね……フレイルです。ところで、どこに行くんでしょうか?」
「まあ、適当に楽しく行きましょう」
ナンパなんていつもの事で、出会ったのもきっと偶然で。けれど何となく気になったのだからこれもまた縁なのだろう。
適当にいつものコースで、気取らないままにふらりと歩く間、少しずつ打ち解ける、そんな当たり前のデート。
「クドさんったら……冗談ですよね?」
「えー、本気で言ってるのに」
隣でくすくす笑う可愛い女の子。
……だからきっと、気のせいだ。この子が消えてしまいそうに思っただなんて。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あ、お帰りー。今日は楽しめたかな?」
一日目のデートを終えた帰り道。クレア・シュルツ(くれあ・しゅるつ)に呼び止められて、フレイルは喫茶店に立ち寄った。
そこには、フレイルの事を気にしていたのだろう仲間達が集っていた。
「皆さん、フレイルが来ましたよ。……フレイルは暖かい紅茶でいいかな?」
「はい、それでお願いします」
(フレイルは楽しんでる……かな?)
クレアは店員に紅茶を注文すると、ちらりとフレイルの表情を見る。残り少ないからと生き急ぐように焦って行動してばかりでは疲れてしまうだろう。
だからこうして、ゆっくりと心を落ち着ける時間を提供してあげるのも、大事なのだと思う。
「さて、フレイル殿」
草薙 武尊(くさなぎ・たける)の声に、フレイルは届いたばかりの紅茶のカップに手を置いて、顔を上げた。
「ああ良い、まずはお茶を飲んでゆっくりなされ」
自らが恋愛沙汰とは無縁の武辺者と自認する故に、武尊自身は彼女の願いを直接的に叶える役には立たぬだろうと思う。
だが……。
「フレイル、ケーキ頼む?」
「遠慮しておきます。お昼頃に頂いてしまったので……」
「1日に何個もは太っちゃうか。じゃあ、私が頼むから、一口だけ食べる?」
クレアとの他愛ない会話を耳にしながら、武尊は考えるのだ。
(これでよい)
僅かなりと、心を落ち着けて過ごす時間が彼女には必要だ。
「本当に最後の瞬間までは希望と絶望は常にあり、其れを希求し続ける事こそが「良く生きる」 と言う事なのだと我は思う」
そして、最後まで希望を捨てぬ事をと、言葉を送る事。それが武尊の励ましであった。
「そうですね……」
フレイルは目を瞬かせ、言葉を噛み締めるよう胸元を押さえる。
……僅かに、沈黙が漂った。
「女の子はね、かわいくてちっちゃくてやわらかくてあったかくていいにおいがしてやさしくて……。えーと、あとなんだろう? とにかく、一緒に過ごすなら絶対にオススメなんだよ!」
シリアスな空気を破るように、強烈プッシュを仕掛けるのは筑摩 彩(ちくま・いろどり)。その勢いに、凍っていた空気が色々な意味で暖まった。
「というわけで、今言った条件をだいたい満たせるあたしと一緒に過ごさない?」
蝶の時の模様の絵とか刺しゅうとか作ろうよ! と、何気にかわいらしいお誘いをするのだが、女の子相手を薦めるあたり、当人の趣味が色々と漏れている。
「あ、あの……」
勢いに圧されて言葉を無くす、フレイルである。
「あー、でも、最初に確認ね」
だが、続く言葉は意外にもシリアスだった。
「フレイルちゃんって、卵ってどうするのかな?」
えっちい話になっちゃうけれど、と、彩はフレイルに聞く。
「…………」
フレイルは答えず、曖昧な笑みを浮かべた。
「……フレイルちゃん? だから、もし卵を残したいなら、残念だけど女の子同士でラブラブはオススメできないかなって話なんだけど」
どっち? と、彩は首を傾げる。困ったように眉を下げ、沈黙したままのフレイルの真意は表情ばかりでは伺えない。
「……フレイルくを一番思ってくれそうな人を直感で選んでみたら?」
そこで、空気を換えるように、桐生 円(きりゅう・まどか)が言葉を挟む。
円としては、恋に3日という期間は短いと感じる。時間を掛けて付き合わねば相手の事を理解出来ると思うが……そもそも、彼女の生は短い。それもあって、もっと濃密な感じ方をしているのかも知れない。
恋に恋しているんじゃないかという心配はあるが、応援したい気持ちは確かだ。
だから、アドバイスを言う。
「時間がないからって失敗を恐れないで、なんでも試してみるべきだと思う。失敗も立派な恋だよ。そのほうが、後悔は少ないだろうし」
フレイルは真剣な様子で円の言葉を聞いている。
「選ぶ時は自分の気持ちが一番大事。その人を幸せにしたいとか、一緒に居たいと思える事が大事」
「はい」
「そして、その人が一番だと思える事が大事」
円はアドバイスを伝えながらも、自ら行ったパラミタコハクチョウの生態調査結果を脳裏に浮かべた。
その説明には、こんな風に載っていた。
『パラミタコハクチョウが現在珍種と呼ばれている訳は、過去の乱獲によるものだと言われている。一定期間とはいえ、少女の姿を取る事が出来る魔法の蝶となれば、高値で取引されると考える人間が出てもおかしくはない。そして、事実において過去にそう考えた者達がいた……』
(好事家による魔法の蝶の乱獲、か。余り、気持ちのいいものじゃないよね……)
おいそれとは口にも出せず、笑顔の下に思いを隠して、円は語る。
幻の蝶。それゆえに、恋は難しいのだろうか……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一方その頃。
茅野 菫(ちの・すみれ)、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)の二人は、フレイルの現れたというベンチの周辺を探し歩いていた。
二人の目的は共通している。
パラミタコハクチョウのオスを探し、フレイルにまっとうな恋をさせようというのだ。
「一夏しか生きられないんでしょ? それなら普通の恋だけじゃ駄目よねっ、あたしに任せて!」
そう言って、探しにきてみたのはいいが。
「ふう……」
捜索に浮かんだ汗を吹き払うように、秋の涼しい風が頬を撫でる。
心地のよい日和だ。捜し物が無ければ、ベンチにでも座ってのんびりと、緑の青い匂いを吸って過ごしたいような、そんなうららかな秋の日。
青い芝生の上に立ち、緑の梢を見上げて、菫は思案する。
(珍しい蝶とは聞いていたけれど……これ程とは、ね)
美緒から事情を聞いた時に、一夏で生を終える者同士なら、探してくれば恋に燃えるのではないかと考えたのだが……。
思考のすきまに足音が聞こえて、そちらを振り向くと、捕虫網を持った泰輔が、休憩の為か、木々の合間から抜け出して来るところであった。
「そっちはどう?」
「あかんわ、他の蝶ならようさん採れるんやけどなぁ。好物はハチミツと違うんやろか。仕掛けにも別のが掛かっとるし。幻、ちゅう噂も本当かも知れんわ」
虫捕り用の道具を抱えた泰輔は、やれやれと首を振る。
(フレイルに性格のいいチョウ仲間、紹介してやろと思ったんやけど……)
一夏しか生きられないからこそ、蝶の第一任務は子孫を残す事だと思うのだ。それが、蝶の、生き物の生まれてきた意味と思うから。
無論、女の子らしくかわいらしい恋をする事も応援するが、人間では子孫を残す事は望めないだろう。だからこそ、つがいの相手を探す。それが泰輔の目的であった。
泰輔は自らの作ったパラミタコハクチョウの出没リストを確認する。
赤く描き込んだ場所は……1つだけ。
(見事に、フレイルの出没場所しか確認されとらん)
だが、それは絶対に見つからないという事ではないだろう。現に、フレイルは自分達の前に現れたのだ。
「さって、もう一回別の所探そか」
「そうね」
休憩を切り上げて、二人は再び捜索に戻ろうとした。
そこに、少女の声が掛かる。
「……あの、菫さんと、泰輔さん、ですか?」
「お、フレイル?」
「お二人が、こちらにいらっしゃると聞いたので……」
「何、わざわざ応援しに来たの?」
笑みを浮かべたフレイルは、二人をじっと見つめて、それから小さく、いいんです、と首を振った。
「……お二人の気持ちが、とても嬉しいです。こんなにも心配して頂けて、本当に申し訳ないぐらいに感謝しています。でも……」
言葉を途切らせて、儚い笑みと共に、感謝の言葉を告げた。
「本当に、ありがとうございます」
もう、いいのです……と、そう言われたような気がした。
絶滅危惧種。あるいは、幻の蝶。
目の前の少女はそれを知っているのだと、二人は悟らざる得ない。