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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

リアクション


第4章 誘惑


「今日は、もう歌のレッスンは終わりかい?」
 薔薇の学舎生徒クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)が学舎の喫茶室でコーヒーを楽しんでいると、背後からヘルが現れ、聞いた。言いながらクリストファーの金髪の毛先に褐色の指をからめ、もてあそぶ。
 クリストファーは残念そうに言う。
「ああ、本当はもっとやりたかったんだが、ノドはいたわれって言われてな」
「そりゃ残念。たまには美術鑑賞じゃなく音楽鑑賞でもしようと思ったのにな」
 ヘルは当然のように、クリストファーの横の席に座る。クリストファーは内心ドキリとしながらも、平静を装って話す。
「だったら今度、聞きにくるといい。いつも音楽室や講堂で練習してるから。……でも天使像はいいのか? あんなに熱心に通いつめてたじゃないか」
「うーん、たまには距離を置くのも必要なんだよ」
 ヘルの答えは冗談なのか本気なのか、よく分からない。
 ウェイターが来て、優雅な動作でヘルの頼んだコナコーヒーを置いていった。
 しばらく二人は、クリストファーの声楽の話や、個性的な研修生について話した。
 ふとクリストファーが、ヘルのコーヒーカップに目を止める。そして腕を伸ばすと、カップのフチを指でなでた。
 ヘルが不思議そうに問う。
「何してるんだい?」
「……ヘルくんってさ、天使像のルビーを舐めてたじゃない。この前、俺も舐めてみたけど、別に味とかなかったぞ?」
 ヘルは噴き出した。
「面白いことするね、君」
 クリストファーは笑われて、ちょっとムクれた様子で言う。
「ヘルくんがやってるからだろ。唾液がついて、宝石はどうかなるのかな、とか気になったんだ。……それとも、この唾液は特別なのかな」
 クリストファーはヘルのカップのフチから指を離すと、その指先を口に含んだ。
「……よく分かんないな」
 残念そうにつぶやくクリストファーに、ヘルが身を寄せる。
「じゃあ、直接、味見してみなよ」
 二人の唇があわさり、長く深く舌をからめあう。
 ようやく離れた時、クリストファーが残念そうに言った。
「コーヒーの味だ……」
 ヘルが苦笑して言った。
「そりゃ二人ともコーヒー飲んでたからねえ。次は何も飲んでない時に、たっぷりしようか」
「ノド乾いた吸血鬼に、血を吸われそうだな。まあ、それでもいいけど」
「じゃあ、僕の予約ってことで♪」
 ヘルは嬉しそうに、クリストファーの首筋に口付ける。一瞬、チリッと痛みを感じ、クリストファーの指先がぴくりとはねる。彼の首に、ごく小さな薔薇の花のようなアザが浮かんだ。

 ふと視線と気配を感じて、クリストファーとヘルはそちらを見る。
 視線の先では、薔薇の学舎生徒ココ・ファースト(ここ・ふぁーすと)が真っ赤になって立ちつくしていた。
「あ、あの……えーと、ヘル君を探しに美術展示室に言ったら、喫茶室にいるって言われて……えっと、お願いしたい事がー」
 ココはあせって、意味も無く手をぱたぱたさせて説明する。
 クリストファーは立ち上がる。
「俺はお邪魔かな?」
「え?! そんな事ないですー」
 困った様子のココに、クリストファーは笑う。
「冗談だ。ほら、バトンタッチ。人のお願いとか聞く趣味ないしな」
 クリストファーは自分の座っていた席にココを座らせると、喫茶室を後にした。
 ウェイターが注文を取りに来る。ココはメニューを見ようとするが、ヘルが勝手に「ミルク」と注文してしまう。
「えっ、今から決めようとしてたんですけど……」
「お子様はミルクが相場なんだよ」
「そうなんですか」
 ココは素直に納得してしまった。クリストファーといちゃつくのを邪魔された形で多少イラついていたヘルも、勢いをそがれたようだ。
「で? ココが僕にお願いって何?」
 ココは彼なりに表情をひきしめて話しはじめる。
「キミの事を好きな人が砕音先生に嫌がらせをしようとしているらしいんです。それをキミの方から止めてもらえないでしょうか」
 ココは、シモンが嫌われたりしないように彼の名前は伏せて話した。
 しかしヘルは、不真面目にニヤニヤ笑いながら返す。
「いやー、僕ってイケメンだからモテすぎちゃって、嫉妬とか起こるのはしょうがないんじゃない?」
「ええぇ。でもキミが『イジメは良くない』って言うだけでも、抑止力になると思いますよ」
「ははは、そこは砕音本人がどうにかするところだよ。仮にも教育者なんだから、ぺしっと言ってやればいいんだ」
 ココは、ヘルが何人もの生徒から好かれてるということは、それだけ魅力がある良い人なのだろうと思って話しに来た。だが、彼はあまり良い人ではないようだ。
 ココはちょっと話を変える。
「キミはなんで砕音先生にこだわるんですか? パラミタの吸血鬼と蒼空学園の教師って、あまり接点が無さそうですけど……」
「やっぱりお得感かなー」
「お得感???」
 ヘルの言葉に、ココはきょとんとする。ヘルはかまわず話す。
「砕音が僕にメロメロになってくれれば、いろーんな物が手に入るからね。リッチでウハウハになった僕は、さらにモテモテになるって訳さ」
 擬音だらけで、よく分からない話だ。
「ええと……キミは砕音先生が好きなんでしょうか……?」
 ココは少しでも理解しようと聞いてみた。ヘルは息をつき、少し表情を曇らせて言う。
「好きだって伝えても、彼は『そんなの金と権力目当てだろ』みたいに言うからねえ。お金持ちや権力者だって、それがいいって人にモテまくってるっていうのに、何がいけないんだか……。あ、そもそも砕音って、金持ちや権力者、嫌いだっけ。若いねえ」
「じゃあ、お二人は知り合いだったんですね」
 ココが言うと、ヘルは首を振った。
「いや、まだ会ってもいない」
「?????」
 訳が分からないという顔のココに、ヘルはニヤリと笑う。
「僕の前世が砕音と知り合いって感じだね。一応、カラダの関係もあるんだよ? でも、もっと前の前世なんか、あいつに壮絶にブチ殺されてるけどね」
「前世……」
 あまりに話が広がって、ココは途方にくれた。ヘルが人の悪い笑みを浮かべて、彼に言う。
「とか言って、ここまでの話、ぜーんぶウソって言ったら怒るぅ?」
 ぱた。
 ココは喫茶室のテーブルにつっぷしてしまった。頭から、ぷしゅう、と煙が出ていそうだ。
 ヘルはさすがに少々、申し訳なさそうな声で言う。
「おーい、ココ? チョコケーキ驕るから元気を出しなよ。チーズケーキでもいいよ」
(もしかしたら、ほんの少しだけは良い人なのかも……)
 ココは期待を持って、そう思うことにした。


「うわっ?!」
 喫茶室を出たところで、薔薇の学舎生徒の熱血バトラー四之宮雅國(しのみや・まさくに)は追いかけようとしたヘルと鉢合わせてしまう。
「やあ、ヘルッ。こんな所で会うなんて、奇遇だなあ!」
 雅國は偶然そこにいたように装おうとしたが、自分でもびっくりするほどウソくさくなってしまった。
 ヘルが出入口の前でサイフの中身を確認していたところ、後から急いで出てきた雅國がその背中にぶつかったのだ。
 雅國は好物のチョコレートパフェを最後の一口まで流し込んでから喫茶室を飛び出したので、注意がおろそかになったようだ。
 ヘルが言う。
「なんか君、喫茶室にいる間ずっと僕に熱視線を送ってない? ストーカーするほど、僕に惚れちゃった?」
「それはない!」
 雅國の即答ぶりに、ヘルはちょっとしょげる。
 監視がバレてしまったので、雅國は包み隠さずにヘルと話すことにした。
 とりあえず、喫茶室の出入口の前から離れ、通行の邪魔にならない所に移動する。
 雅國は疑問に思っていたことをヘルに聞く。
「砕音先生の授業に出なくていいのか? てっきり講義の邪魔でもするのかと思って、こうして見張ってたんだけど、他の奴らとヘラヘラ遊んでばっかりで、別に嫌がらせに加わりもしないし……。正直、ほっとしたような不気味なような、妙な気持ちだぜ」
「だって僕、こそこそ嫌がらせトラップ作るより、美少年といちゃいちゃする方がずっと好きだしー」
「……」
 しれっと答えるヘルに、雅國は黙りこむ。
(こいつが何を考えてるのか、まったく分からねえな)
「これからも砕音先生にちょっかい出すなよな」
 雅國は念を押す。どうにもヘルは信用できない気がした。


(やっぱりジェイダス校長が美にこだわるだけあって、美術品はすごいな)
 イルミンスール魔法学校の緋桜ケイ(ひおう・けい)は、学舎の中を散策していた。
 なかなか授業らしい授業の無い薔薇の学舎でも、美術の授業だけは必修である。そのため校舎の内部には、生徒たちによる様々な様式の絵画や彫刻の数々が飾られていた。
 ケイはそれらに目を楽しませながら、歩を進める。
 他校の生徒は今回のような機会がなければ、なかなか薔薇の学舎の中に入ることはできない。ケイは研修生として授業は真面目に受けつつ、その合間には折角なので薔薇の学舎内を見てまわっていた。
 見た目はかわいい女の子のケイに、女生徒が忍び込んできたのかと、思わず二度見をする学舎生徒が続出していた。
 もっともケイ本人は美術品に注意を向けていたので、あまり気づいていなかったが。
 さすがに「潜入した女子生徒」をイエニチェリに差し出そうと、学舎生徒が腕をつかもうとしてきた時には、ケイも
「俺は男だ!」
 と一喝している。
 壁の絵画を見ているうちに、ケイは美術展示室にたどり着いていた。
(ここにも絵が飾られているのかな?)
 ケイはそっと部屋の中に入ってみた。
 そこにはパラミタの美術家たちの作品が展示されていた。描かれた風景も、それを描いた技法も、地球とは異なるものだ。
 ケイがそれらに目を奪われていると、部屋の奥から声が言った。
「研修生かい? 絵が好きなのかな」
 ケイがそちらを見ると、精巧な天使像の横に褐色の肌の青年が立っている。ヘルだ。その紫の瞳に、ケイはなぜか胸苦しさを覚えた。
「あ……勝手に入って、すまない。校内の絵を見ているうちに、つい入ってしまった」
 ヘルは微笑んだ。その唇から吸血鬼の牙がのぞく。
「いや、いいんだよ。展示室は生徒なら誰でも入れるからね。今は研修生にも開放されている」
 ヘルに手招きされ、ケイは天使像の前に行った。
 近くで見ても、等身大の像は今にも動き出しそうなリアルな作りだ。像は美しい青年天使で、何かを迎えるように、軽く腕を広げている。その表情は、悲しげにも、何かを悟っているようにも見える。
「この像も、パラミタの芸術家が作ったのか?」
 ケイは像を見上げ、脇に立つヘルに聞いた。
「記録は何も残されてないんだ。ジェイダス校長にほれ込んだタシガン貴族が、学舎に寄付した美術品のひとつだとしか分かってない。その貴族も、相続した屋敷の蔵の奥から見つけただけで、おそらくは先祖の誰かが手に入れてしまっておいたんだろう、としか言ってないね。
 シャンバラ地域は長いこと混乱した無政府状態だったから、美術品や美術家の記録が残ってないのも、無理も無いのかもしれない」
「……それは寂しいな」
 ケイはぽつりと言う。そして像にそっと手を触れ、せめてウィザードの自分に何か感じとれる事がないか意識を集中させる。
 突然、ケイの脳裏にイメージが広がった。

 荒れ果てた荒野。
 遠くに見える大きな火山は、アトラスの傷跡のようだ。そこから察するに、荒野はおそらくはシャンバラ大荒野だろう。
 遥か北の空から、黒っぽい塊がゆっくりと飛んでくる。塊は、丘のように巨大なイソギンチャクとワームを大量に集めて結合させたような怪物だ。
 翼など無いのに怪物は空を進み、小さな町の上に現れた。家々の造りは、現在のシャンバラ地域の家屋に比べると、数百年は古そうだ。
 怪物はいくつもある口のような穴から、黒い霧を吐いた。毒霧だ。町民たちは黒い霧に巻かれて、なすすべもなく倒れていく。
 毒霧にやられた遺体はみるみる分解して、それ自体も黒い粉のようになる。遺体の破片で量を増した霧は意思あるように動き、ふたたび怪物の体内へと戻っていく。
 空に守護天使の一団が現れる。
 天使たちは怪物と激しい戦いを始めた。

 イメージが途切れる。ケイは、背後のヘルの胸に崩れこんだ。
 ヘルはくすくす笑った。
「どうしたんだい?」
「……怪物が、見えた。それが天使と戦って……」
 つぶやくケイに、ヘルは言い聞かせるように言った。
「きっと怖い白昼夢を見たんだね。可哀想に」
「夢……?」
 ケイはヘルを見上げた。いつもは何事にも強気に振舞っているのに、なぜかヘルの言葉が頭にこだまして、力が出ない。
 ケイの長い睫毛が震える。それを満足そうに眺めながら、ヘルはささやいた。
「この像は、良くない奴らも狙っているようだからね。そういう怨念めいた想いが、この像のまわりに溜まって、そんな怖い白昼夢を見せたのかもしれない。……大丈夫、僕がついているよ」
 ヘルは、小さく震えるケイの唇に口づけた。ヘルの力強いリードに、ケイは翻弄されていく。


「あれ? ヘルかと思ったらエメじゃないか? 何してるんだ?」
 パートナーと共に美術展示室を訪れた蒼空学園の西條知哉(さいじょう・ともや)は、天使像にはべっている学友の姿を見つけ、意外そうに聞いた。
 像に身を寄せているのは蒼空学園のエメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)だった。
「私はヘルから、この愛しの君を略奪する事にしたのですよ」
「……はあ? まさか、この像、人を魅了する魔法でもかかってるのかな?」
 知哉はパートナーの剣の花嫁ネヴィル・スペンサー(ねゔぃる・すぺんさー)を見た。ネヴィルは像とエメを見比べながら答える。
「魔法があるかは分かりませんが、エメさんには正気づける術は必要なさそうですよ」
 エメは苦笑する。
「君たち、私はいつも通り、極めて正常ですよ。ただ有機物無機物、生物無生物を超えた美しさに開眼しただけです」
(それがヤバそうなんだけど……)
 知哉は心の中だけで、つっこんだ。口では別の事をエメに聞く。
「この天使って、パートナーにもなるパラミタの守護天使と関連性はないのか?」
 エメは「よくぞ聞いてくれた」というように微笑む。
「彼(天使像のことらしい)は、まさにパラミタに住む守護天使の姿をしています。このような姿が後世に残されるということは、美しさや何がしかの勲功が評価されてのものに違いありません。……私の考えでは、ですが」
 エメが説明していると、急にヘルの声が言った。
「ふうん。恋敵が現れたかな?」
「うわっ?!」
 何の気配もなくヘルが現れたので、知哉は驚いて声の方を見た。
 出現したヘルは、馴れ馴れしくネヴィルの肩を抱いて言う。
「ところで君の名前はなんていうのかな? 研修生だよね」
「……はい?」
 ネヴィルは、もしヘルが知哉に近づいたらすぐに守ろうと、身構えつつ美術展示室に来たのだが。自分が口説かれる展開は予想外だった。
 もっとも美少年美青年好きのヘルにしてみれば、見た目がごく普通の知哉より美形のネヴィルを選んだのは当然だろう。
「行くぞ、ネヴィル!」
 少々ムッときた知哉はパートナーの腕を取り、強引にヘルから引きはがして美術展示室を後にした。
 一方、エメは彼らにかまわず、天使像を口説きはじめている。
「ああ愛しの君よ、その誰も映さぬ瞳で、こちらを見ておくれ。この哀れなしもべに声を聞かせておくれ」
 エメは、聞いてる方が恥ずかしいような口説き文句を次々と天使像にかける。
 ヘルは少々、イラッとした調子でエメに言う。
「今さら君ごときが話しかけたって無駄だと思うよ」
 エメはニマッと笑う。
「ほほう、嫉妬ですか。醜いですよ」
 ヘルは肩をすくめる。
「そんなんじゃないさ。君とは年季が違うからね」
「年季、ですか? では君は、彼の名前をご存知だとでも? 私も愛しの君の事を知りたくて、散々調査をしたのですが、ついに見つけることはできませんでしたが」
 ヘルは少し考え、ブツブツ言う。
「……ナグルファル、は違うからなぁ。……こいつの方は……知らないな」
「何を言ってるんです?」
 エメが不審そうにヘルを見ると、彼は言った。
「ちょっと思い出した事があるから、僕は行くよ。そちらはごゆっくり」
 ヘルはつかつかと美術展示室を出ていく。
 エメはヘルの態度に不審を抱くが、また像に向き直る。彼には、天使像がいつになく不安な顔をしているように見えた。
 ヘルに対抗して像を口説く演技をするうちに、なんだか本当に惚れてしまったような気がしてくるエメだった。


 夜ふけ。薔薇の学舎に防犯ベルの音が鳴り響く。
「あれは……美術展示室のある方だ!」
 有志の生徒たちが展示室へと走る。エメも、まるで想い人の家に一大事でもあったかのような勢いで現場に急いだ。
「いったい何事ですか?! あの防犯ベルは……」
 なぜか校舎の電気がつかないので、非常用に備えつけの懐中電灯を使い生徒たちは進む。と、彼らが進む階段の上に、一人の派手な人物が現れた。
 薔薇をふんだんに縫い付けたマントに、長い金髪、つばの広い帽子には一本の長い鳥の羽根。顔は仮面で隠されている。イエニチェリの服装に似てもいる。
 その人物は尊大な調子で言った。
「私は怪盗133。天使のまやかしの美しさを頂きにあがりました」
 それだけ言うと、怪盗を自称する人物は身を翻して階段を上っていく。
「待て!」
 生徒たちが追おうとするが、先頭の者が足元に張ってあったロープに足を取られて転倒する。後から来た者が、彼につまづいて将棋倒しとなった。
 生徒たちがようやく美術展示室につくと、すでに到着していた怪盗133が天使像に何かの液体をかけている。
「何をするつもりだ?!」
 エメは怒りに言葉を荒げ、怪盗に怒鳴る。
「言ったでしょう? まやかしの美しさを頂くと」
 怪盗は言うなり、天使像に火を放った。像にかけられた液体は油だったようだ。さらに怪盗133は像に結びつけたロープを引き、天使像を引き倒す。像を倒して破壊しようというのだ。
「危ない!」
 エメはとっさに天使像と床の間にすべりこんだ。油で火がついた重い像が、彼の上に落ちる。
「エ、エメッ?!」
 生徒たちが彼を助けに走りよる。
 怪盗はエメの行動に驚いたようだったが、すぐに我に返って、そこを走り去る。それを追いかける生徒もいる。
 怪盗は非常口を飛び出し、非常階段を駆け下りる。追跡する生徒たちも次々と非常階段を降りていく。が、生徒たちは急にめまいを感じた。だが、それも一瞬だ。
「なんだ? しまった! 怪盗133は?!」
 めまいを感じた一瞬の間に、怪盗の姿は消えていた。

 一方、美術展示室では、どうにか消火器で像の火は消されて、延焼は防がれた。
「彼は……天使像は無事ですか?!」
 像の下から引きずりだされたエメが、悲痛な声で聞く。
 天使像の表面はすすだらけになったが、像自体はエメがクッションになったことで、割れたり、ヒビが入る被害には至らなかった。
「そうですか……とりあえずは無事なようで……よかった……」
 エメは安心した様子で気を失った。急いでプリーストが呼ばれる。
 ただ像の胸にはめられていた宝石は、無残にも焼け焦げて原型が残っていなかった。
 それが偽物だと知らない生徒たちは、エンジェル・ブラッドが焼け溶けてしまったことにショックを受ける。
 それまで、あえて盗みの阻止に加わらず様子を見ていたドラゴニュートのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が天使像に近寄る。彼はそれまでも天使像について調べていた。砕音について調べる、パートナーの黒崎 天音(くろさき あまね)とは別行動である。
 天使像は火を放たれたせいで分かりづらくはあったが、表面が多少コゲた以外に変化はないようだ。
(あの教師とは何の関係も見当たらないし……この天使像はいったい何なんだ?)
 ブルーズの胸には疑問が渦巻いていた。

 翌日、怪盗133を名乗る人物が天使像に火を放ち、エンジェル・ブラッドが焼けてしまった話で、薔薇の学舎は持ちきりになった。