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リアクション
葉月とミーナ・コーミア(みーな・こーみあ)がやってきたのは、素朴な家々が並ぶ裏通り。
道が入り組んでいて、番地もついていたりいなかったり、という状態だから、大通りと比べて家を探すのが大変だ。庭に囲まれた素朴な家が多く、数軒向こう、と聞いて行くと結構距離があったりもする。
道から家を眺めてみると、軒から干した果物がつり下がっていたり、鶏らしき鳴き声が聞こえてきたりと、気取らない暮らしぶりが窺えた。
「この中に読みたい絵本がありましたら、貸し出しも出来ますがいかがですか?」
「あらいいの? ジャック、こっちに来て絵本を選んでちょうだい」
前の家で返却された絵本を葉月が見せると、若い母親は奥に呼びかけた。それに答えて、小さな男の子が顔を出し、嬉しそうに絵本を選び始めた。
こうして次々に本を貸し出していけば、ミルムに持ち帰る本の冊数が減って有り難い。それに、ミルムに来られずにいる子供に別の絵本を読んでもらうことが出来るのも、何よりの効果だ。
ジャックが本を選んでいる間、葉月は母親とミルム図書館や絵本についての話をした。何か意見や感想はないかと問うと、母親は恥ずかしそうに答える。
「あたしは学が無いし、この子にも勉強なんてさせてやれなくて。絵本も絵を見て楽しむことしか出来ないの。何が書いてあるの、って聞かれても、あたしも分かんないし。せっかくの絵本なのに、こんな読み方しかできなくてごめんなさいね」
「お母さん、これ!」
「じゃあこれを貸してもらおうね」
選んだ絵本をぱらりとめくり、母親は寂しげに微笑んだ。内容が分からないのだろう、と推測した葉月は控えめに申し出た。
「良かったら、少し読みましょうか?」
「まあ、ありがとう。ジャック、あなたもここに座って。ほら」
「ジャックは絵本好きなの? いい子だね」
ミーナはポケットから飴を出して、皆には内緒だよ、ジャックにプレゼント。
それからしばしの間、4人は玄関先に座り、1冊の絵本を囲む時間を過ごしたのだった。
ミレーヌ・ハーバート(みれーぬ・はーばーと)とアルフレッド・テイラー(あるふれっど・ていらー)、アーサー・カーディフ(あーさー・かーでぃふ)もラテルの街を行ったり来たりしながら、絵本を回収していった。
挨拶はすべての基本だからしっかり丁寧に。渡されたリストと返却された本を照らし合わせて受け取れば、回収自体は終了だ。
けれど、ミレーヌたちもまた、移動図書館ならぬ移動図書人として、本の返却を終えた親子に別の絵本を薦める。
「これは先ほど返却されたばかりなんだが」
とアーサーは『バルトキングス』という題名の絵本を開いてみせた。そこには石造りの学校らしき建物と、制服を着た少年少女が描かれている。
「魔法学校が舞台の絵本だから、学校行事とかにも魔法が関わっていて面白いんだ」
「こっちの絵本も最高だぜ!」
アルフレッドが抱えてきた絵本は『勇者ヴァルキリーと七つの海』。表紙には舟の舳先に堂々と立つヴァルキリーが描かれている。それは海のお宝を探し求めつつ、世界を救う勇者の話。読んだらわくわくして眠れなくなってしまうような、心躍る冒険物だ。
「俺はこの絵本を読んで、世界を旅することに決めたのさ。世界にはまだまだ、勇者ヴァルキリーのようなHEROがいるんだ!」
その写真を集めて、いつか写真集や図鑑を作りたい。それがアルフレッドの夢だ。
「僕もそれ、読みたい! ねーねーお母さん、いいでしょ?」
「はいはい。この絵本、2冊とも貸してもらえるかしら」
2人の薦めに心動かされたのか、親子は返却本と引き替えに新たな2冊の絵本を借りた。
「おねーちゃん、おにーちゃん、ありがとう!」
「事件が落ち着いたら、また図書館に来てね」
「うんっ。早くまた行きたいなー」
嬉しそうな子供に手を振って、ミレーヌたちは返却された本を手に、次の家を訪問する。
「こんにちは。絵本の回収に来ました」
ミレーヌの良く響く声での呼びかけに、少女が面倒そうに顔を出す。
「あら、そう……そこにあるから持っていって」
「はい……ってこれ……」
床に放置されている絵本の表紙には輪染みがついている。そっと中を確かめれば、中にはパン屑が挟まっていた。
本を宝物のように抱える子もいれば、ぞんざいに読み捨てる子もいる。館内でなら目も届くけれど、貸し出されている本はそうもいかない。
「本は大切に扱って下さいね」
そう注意して、ミレーヌは物悲しい気分でパン屑を払った。
貸し出された絵本の回収をすると聞き、カレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)は居ても立ってもいられずに引き受けた。貸し出された絵本がどのように扱われているのか、それを読む子供たち、読んで聞かせる親たちがどんな思いを抱いているのかを知りたくて。
「こんにちはっ。ミルムから絵本の回収に来ました」
元気よくフレンドリーに挨拶して、借りていた本を回収する。事件についても、
「今、各学校の有志が集まって、警備や調査をしてるんだよ。みんなミルムを大切に思って、絶対に守らないと、って動いていてくれるから大丈夫。事件なんてすぐに解決しちゃうから安心して待っててね」
ミルムが多くの人たちに愛されていることをアピールして、利用者の不安を吹き飛ばす。どんよりしていると噂はどんどん悪い方に転がっていってしまうから。
「それから、これ」
読んでね、とカレンはコピーで作ってきた簡単なチラシを手渡した。
チラシの一番上には大きな文字で、『えほんはともだち』と書いてある。その下にはイラストが幾つか描かれ、短い文章が添えられていた。
イラストに描かれているのは、手荒に扱われたり、汚されたり、放置されて忘れられたり……という本が泣いている様子。そして、子供と仲良く笑っている絵本の様子。上手とはいえないイラストだったけれど、文章を読まずとも内容は分かる。
絵本は子供が読む最初の『本』。だからこそ、とても大事な物だということをしっかりと伝えたい。そんな気持ちをこめてカレンはチラシを作ったのだった。1枚の紙にコピーしただけれど、このチラシもカレンにとっては立派な『絵本』だ。
カレンがそうしている間、八坂 トメ(やさか・とめ)は返却された絵本を開いて読んでいた。勇気ある野ネズミが必死に走る姿に、子供のように泣きじゃくる。
「ひっく……偉いね、このネズミさん……こんなにがんばって……ふぇ、っ……」
「お姉ちゃん、泣かないでー」
子供の方がトメを慰めて、よしよしと頭を撫でている。
それを見ながら、カレンは子供の頃の話をした。小さい頃、両親に絵本を読んでもらっていたために本が好きになって。読んだ本が育んだ好奇心が、今のカレンを形作る大切な要素になっている。
「野ネズミさんのお話のシリーズ、他のも見たい〜、ね、今度一緒に借りに行こう!」
「うん! 一緒に読もうね」
約束しているトメと子供の目は、事件にも曇らず純粋だ。それを目で示しながらカレンは、またぜひ絵本図書館に来てくれるようにと頼むのだった。
「さあ、次のお宅に行きましょう」
エルシー・フロウ(えるしー・ふろう)は返却された本を抱え、路地の角を曲がった。今度の家は図書館からは少し離れていて、周囲には畑が広がっている。ラテルの街は一本奥に入るたび、家の造りは質素に、敷地は大きく、草木の緑の割合は多くなってゆくようだ。
「エルシー様、返却された本はわたくしが持ちますからこちらへ」
ルミ・クッカ(るみ・くっか)はエルシーの手から絵本を受け取り、代わりに持った。ミルムの絵本は大ぶりなものが多く、冊数が増えてくると結構重い。
「こんなことしなくても、来たい人は来ればいいし、来たくない人は来なければ良いんじゃないかな」
2人のやりとりを見ていたラビ・ラビ(らび・らび)はそう言ったけれど、回収の手伝いはちゃんとしている。利用者はともかく、がんばってるエルシーのことは応援してあげたい。それに、家で留守番していたらエルシーといっしょにはいられない。
「ラビちゃん、きっと皆さんはミルム図書館に行きたいんだと思います。絵本が好きだからこそ、こうして借りてるんでしょうから。ただ……今は嫌がらせに巻き込まれるのが怖くて行けないだけなんです」
優しくエルシーに諭され、ラビは思う。
図書館に嫌がらせをして、エルシーに迷惑をかけるような悪い人には絶対いつかバチが当たるに違いない、と。
希望者の家につくと、3人は図書館から来たことを告げて本を回収した。それで頼まれた仕事は終わり。けれど、ただ回収して帰ってしまえば利用者と図書館を結んでいたものが切れてしまいそうで、エルシーはイラストつきのしおりを取り出した。
「絵本図書館にはまだこういう本もあるんですよ〜」
しおりには、回収する本と似たジャンルの絵本の簡単な説明が書いてある。エルシーが返却される本にあわせてリストアップしたものだ。
動物の絵本を借りていた子には動物の絵本を。魔法の絵本を借りていた人には魔法の絵本を。
その人がどんなものを好むのかは、借りた本のリストが教えてくれる。エルシーはそれにあわせて、興味を持ちそうな本を選び、1人1人にあわせたしおりを作ってきたのだ。
文字の読めない子には、しおりのイラストを指して分かりやすく説明を読み聞かせる。絵本への興味をつなぐことが出来れば、ミルムとの縁も切れずに続いてくれるだろう。
「私のお薦めの絵本も持ってきたんですよ。短い絵本ですから、よろしければ読みましょうか?」
「うん、聞かせて!」
子供が目を輝かせてエルシーの語る話に耳を傾けている間、ルミはそれを見守る母親と話をした。
「脅迫がご心配なのは分かります。ですが、今は警戒に協力されている方もいらっしゃいますし、わたくしも見回りのお手伝いをさせて頂くつもりでございますので……」
普段は誤解されることもある強面な顔も、こんな時には頼もしく見える利点となる。ルミは誠意と落ち着きをこめて、図書館を守ろうと警備面で尽力している学生がいることをアピールした。
ラビとは言えば、ミルムで借りたお気に入りのお菓子の家が出てくる絵本を、
「ラビもねー、好きな絵本できたんだよ」
と子供に見せびらかす。
まだ読んだことのない絵本……見知らぬ世界、心躍る物語がミルムにはある。そう分かってもらえれば、街の人はきっとまた絵本図書館に行きたくなる。
事件があったことにより、一層絵本を読みたいという気持ちが強められたなら、脅迫なんて哀しい出来事も、良き明日へと続いてくれることだろう。
寒さも気にせず遊んでいる子供たちが、笑いながら街路を走ってゆく。
そんな光景に目をやると、珠輝は寂しげに首を振った。
「こんな穏やかな街に……不穏な影は似合いません」
その様子はいかにも礼儀正しい好青年風で、いつもの妖しげなオーラは微塵も感じられない。
「珍しく真剣だな……」
つい呟いたリア・ヴェリー(りあ・べりー)の言葉を耳にして、珠輝は心外そうに目をみはる。
「リアさん何をおっしゃるのです。私は常に真剣そのものではありませんか」
「……本当にいつもそうあって欲しいものだ」
いつもの珠輝の言動を思うと、はふ、とリアの口から溜息が漏れる。
だが、回収にあたる珠輝はリアの心配をよそに、完璧に爽やかな青年を保っていた。
「絵本図書館ミルムより、絵本の回収に伺いました」
礼儀正しく挨拶をし、絵本を持った子供を連れてきた母親を見つめる。
ポポガ・バビ(ぽぽが・ばび)は子供の持っている本を受け取り、嬉しそうな声を挙げた。
「ポポガ、この本、凄く好き! 心、あったかくなった」
「ぼくも好き!」
自分の好きな本を褒められるのは嬉しい。子供は自分が褒められたような得意げな笑顔になった。
「今回の件でだいぶ図書館を不安に思われたかと思います。しかし今回の件により、より一層警備や安全に対し力を入れる機会となりました。どうかまた遊びに来ていただければ幸せです」
紳士的な微笑みを絶やさず説明する珠輝に、最初は険のある目つきだった母親も態度を軟化させる。
「ミルムさんも大変ね」
そんな一言を聞き逃す、珠輝はありがとうございます、ととびきりの微笑で答えた。
「今回のことを教訓により良い図書館を目指します。これまでのご利用で何か不便な点などございませんでしたか? もしございましたらぜひご意見を取り入れ、再度お越しいただけるよう精進致しますので」
「そうねぇ……うちの子は図書館に行きたがるんだけど、うちには病人がいるものだから私もなかなか時間が取れなくて。行けるときにも急かして選ばせて帰ってくるしかないの。子供が本を選んでる間面倒を見てもらえたら、送り迎えだけして後は家で用事が出来るのに、って思うけど……そんな個人的なこと言われても図書館の人も困るわね」
気にしないで、と母親は言ったが、珠輝はいいえと首を振る。
「可能だとはお約束できませんが、貴重なご意見は必ず申し伝えます。ですから、どうかまた遊びに来ていただければ幸せです」
母親の態度が軟化したのを見計らい、リアも言葉を添えた。
「図書館という場は子供たちにとっても良い影響がたくさんあると思います。以前のように子供たちが安心して集まれる場所にしてみせますので、どうかまたご利用ください」
にっこりと気品溢れるリアの笑みに、母親もつられて笑顔になる。
「ええ。また」
上々の成果でその家を辞した3人だったが、その帰路、掲示板にまた犯行声明が貼り付けられているのを見つけた。
「怖いこと、書く、だめ」
急いでポポガが剥がした紙を、そこに通りかかった今井 卓也(いまい・たくや)が
「その紙、僕が預からせてもらってもいいですか」
と受け取った。
「これまでと同じ手跡ですね……」
懐にでも忍ばせてきたのか、紙には折り線がついている。卓也は念のため、付近でビラを貼った人を見なかったか聞いてみたが、目撃者はいなかった。人通りが途絶えた瞬間を狙い、貼り付けていったのだろう。
掲示板付近での聞き込みを終えると、卓也は本の回収作業へと戻った。挨拶は丁寧に、本の扱いは慎重に。的確に回収を行う傍ら、自分も事件の調査をしているのだと利用者に伝え、情報提供を願う。
「図書館の傍で怪しい人を見かけませんでしたか? それと、このビラに心当たりはありませんか?」
返却を希望するのだから、この家の人はミルム図書館を訪れたことがあるはずだ。わざわざ図書館側に言わなかっただけで、何かを見ている可能性はある。
大半の家からは、何も気になることはなかった、という返事が返ってきた。一部、怪しい言動の人を見たという情報もあったが、内容を聞くからに手伝いの学生ではないかと思われた。ラテルは近代化とは縁のない街だから、携帯電話をしている様子さえ、見慣れぬ言動として住人の目に映っているようだ。
「当分はこの辺りを巡回しているので、思いだしたことがあれば声をかけてください」
そう頼んで帰ろうとした卓也のマフラーを、子供がつんと引っ張った。
「……本のおうち、もういけないの?」
不安に見上げるその瞳に、卓也は大丈夫ですよ、と優しく答える。
「事件はきっとすぐ名犬探偵が解決してくれます」
そう。そんな物語を絵本図書館で読める日はきっとすぐにやってくる。
事件解決に力を尽くす皆の力がある限り。
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