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リアクション
4.アンゴルの店
犯行予告と放火未遂。
絵本図書館を脅かしている犯人は一体誰なのか……。
その手がかりが残っていないかと、ミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)はサリチェから植え込みで発見された焦げた布を借りた。自分よりも詳しいだろうからと、パートナーのシェイド・クレイン(しぇいど・くれいん)にその布を見てもらう。
「シェイド、何か分かりそう?」
「数枚の薄い布を丸めたものですね……無地……チェックのものも交じってます。それにこの端の焼け残り。直角に縫ってあって……ハンカチ、でしょうか」
臙脂やモスグリーン等、濃い色のハンカチや元はシャツだったらしき端切れを丸めたものを燃やしたもののようだ。
「他には? 何か手がかりはないの?」
「そう言われても……あ、少し不思議なのはこの燃えかす、水をかけられた形跡がないんです。踏み消されてもいないですし……自然に火が消えたもののように見えるんですが」
自然に消えるまで植え込みに置いてあったのなら、下草が焦げていないのはおかしい、とシェイドは首を傾げた。
布を調べ終えると今度は植え込みだ。
サリチェが言っていた通り、植え込みに焦げ跡はない。
他に手がかりはないかとミレイユとシェイドが付近で残留品を探す間、デューイ・ホプキンス(でゅーい・ほぷきんす)は光学迷彩で姿を隠し、警戒にあたった。
春になれば白い花を咲かせるという植え込みには、今は小さく縮こまった蕾があるだけだ。寒さに耐える蕾が花開く頃には、ミルムにも笑顔が咲いているだろうか。その為にも事件は早急に解決しなければとデューイは心を引き締めた。
それからしばらく2人がかりで探してみたが、犯人の手がかりになりそうなものは見つからなかった。けれどミレイユはへこたれない。
「さあ、次は聞き込みね。不審人物と……アンゴルさんのこと、何か知ってる人がいるといいんだけど」
膝についた土汚れを払い落とすと、ミレイユは今度は聞き込みへと繰り出した。
「アンゴルの本屋ってどの辺りにあるの?」
ヴェルチェ・クライウォルフ(う゛ぇるちぇ・くらいうぉるふ)はサリチェに、アンゴルの営んでいる本屋のこと……場所や店の様子等を詳しく尋ねた。
「ミルムの大通りの端の方にあるわ。えっと、これが大通りでミルムがここだとすると、本屋さんはこの辺り……」
サリチェはテーブルに指で大通りとアンゴルの店の位置を示してみせる。
「お店は少しいかめしくて入りにくい雰囲気があるけど、品揃えが良くって本も丁寧に管理されてて、良い本屋さんだと思うわ。絵本は少なめだけど児童書があるから、親子連れのお客さんもよく見かけるわ」
サリチェは問われるまま、アンゴルの店のことをヴェルチェに教えた。
「すまないが、脅迫状を撮らせてもらえるだろうか」
黒崎 天音(くろさき・あまね)はミルムに送られてきた脅迫文を携帯で撮影した。大きさの揃った、筆圧の高そうなきっちりと並んだ文字……掲示板にあったものとも比べてみたが筆跡は同じのようだ。
サリチェは携帯電話での撮影を物珍しそうに見ていたが、興味が湧いたらしく、それどうするの、と天音に尋ねた。
「いや、少し考えていることがあってね」
天音はありがとうと言ってサリチェからの疑問を受け流し、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)と共にミルムを出た。
「アンゴルとやらの本屋に行くのか?」
大通りへと歩いていく天音にブルーズが問う。
「ああ。僕にはどうも彼が犯人とは思えなくてね」
「その理由は何だ? 状況としては疑わしい話だと思うが」
本屋という立場、目撃情報、どれをとっても犯人がアンゴルだと指し示しているように見えるのだが、と訝るブルーズに天音は軽く笑う。
「見た事も話した事もない相手を疑う理由がないからだよ。勿論信じる理由もないけれどね」
「では、真犯人を見つけたらどうするつもりなのだ?」
「そうだね……ラテルの街のことを二度と思い出したくないという目に遭わせるのも良いんじゃない?」
「…………」
ブルーズは黙り込んで考えた。
天音の笑顔は変わらない。なのに、この背筋をぴりぴりと何かが走る感覚は何なのだろう、と。
ラテルの街が誇る煉瓦通り。
その石畳の上を進む白馬が1頭。
馬に乗っているのは、薔薇の学舎の制服を身につけ、銀色の髪をなびかせた変熊 仮面(へんくま・かめん)。服を着ていて仮面もつけていないから気分が落ち着かないが、これもサリチェの為と、変熊は優雅な態度でゆっくりと馬を進め、アンゴルの店に向かった。
到着した本屋は、他の大通りの店と同じ煉瓦造りだった。
店の外観は本屋であることを示す旗を出しただけで、花1本の飾りもない。北向きの上に窓も少ない造りの為、店内は薄暗く見え、気軽に足を踏み入れがたい雰囲気だが、そんなことは気にせず変熊は店に入った。
地球にある書店ほど多くの本はない。何代も受け継がれてきたような古めかしい本は傷まぬように陳列台の上に寝かされ、書棚には比較的新しい本が並べられているようだ。ほとんどがシャンバラのものだが、変熊が慣れ親しんだ地球の文字で書かれた本も書棚の一角にまとめられていた。
店内の掃除は行き届き、本も大切に扱われているのが見て取れる。
アンゴルは挨拶だけして店の奥に引っ込んでいたが、変熊が視線を送るとすぐにやってきた。
「ご主人の本に対する思いは並みならぬものがありそうですね……。開店時にはさぞ苦労なさったでしょう?」
そう話しかけるとアンゴルは、照れたように視線を外した。
「いや……それほどのことでは」
「この品揃えでしたら、探している本も見つかるかも知れませんね。『年老いたトラ』という絵本を是非読みたいのですが、こちらに置いてありますか?」
変熊が尋ねると、アンゴルはすぐに申し訳なさそうに首を振った。
「うちにはありませんな」
「そうですか。良い本こそ手放す人は少なく、なかなか出回らないのでしょうね」
どこかの家に大切にしまわれ、他の人の目に触れることのない本がどれほどあることか、と変熊は言う。
「一度読み終えて大切にしまわれてしまう本もいいですが、扱いは手荒でも皆に見てもらえる第二の人生……というのも本にとってはいいのでは?」
「私は本を売る際、嫁に出すような気持ちでおります。その家で大切にされて生涯を終える。そんな幸せこそ本には相応しいのではありませんかな」
手荒な扱いなどとんでもない、とアンゴルは手を大きく振って否定した。
これほど本を大切に思っているアンゴルが、図書館に火をつけるなどと脅迫するとは思えない。アンゴルは誤解されているだけで、真犯人は別にいるのではないかと変熊は推測していたが、どう切り込めば良いのだろう。
考えあぐねている処に、こんにちはとヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)が元気に店に入ってきた。
「アンゴルおじいちゃんのお店はここですか? 教えて欲しいことがあって来たんですけど、いいですか?」
「教えて欲しいこと?」
「はい。街で絵本に強い想いを持っている人を教えて欲しいんです」
そう言われても解らない顔をしているアンゴルに、ヴァーナーはもう少し詳しく話した。
「アンゴルおじいちゃんは、絵本図書館ミルムに脅迫文が来たのは知ってますか?」
「……ああ」
「あの犯人はきっと本に強い想いを持ってて、みんなに絵本を読んでもらえる場所のミルムがイヤなんじゃないかなって思ったんです。だから、ラテルの人で本が好きだったり、事件で本を嫌いになった人を教えて下さい」
ヴァーナーの頼みに、アンゴルはぼそりと答えた。
「知らん」
「でも、本屋さんだから本好きな人は知ってますよね?」
まだラテルでは本は高価だ。それを買いに来る人の多くは本好きだろう。ヴァーナーはそう思って聞きに来たのに、アンゴルの返事はそっけない。
「聞いてどうするつもりだ」
「ボクはその人とお話ししたいんです」
元々、アンゴルにも聞いてもらおうと思っていたから、ヴァーナーはその話をした。
本は作者が、みんなに喜んでもらったり悲しんでもらったりすることによって、何が大切なのかを知って欲しくて作ったもの。だから、そんな想いのつまった本はみんなに読んでもらうのがいちばん幸せで、ミルムは本たちにとって大切な場所だ、と伝えたい。
ヴァーナーが訴えても、アンゴルは取り合ってはくれなかった。
「そんなことをされたらうちの顧客の迷惑になる。よしんば知っていたとしても教えるわけにはいかん」
聞く耳もたず、という様子でアンゴルは背を向ける。やや早口になっているアンゴルの様子を見て、変熊は彼は何かを知っているのだと確信した。彼自身が犯人なのか、それとも犯人を知っているのか……変熊としては後者だと思っているのだが確証はない。
しゅんと肩を落として店を出て行くヴァーナーを見送ると、変熊はこう申し出てみた。
「ご主人、何やら事情がある様子ですね……よろしければ微力ながら協力致しますが」
「いや別に……すみませんな、本を選ぶ邪魔が入ってしまって」
だがアンゴルはさらりと話題を変えてしまう。
ここは一端退くか……そう思いつつ本屋を見渡した変熊の目は、思わずむせそうになった。
(うおっ! こんな本屋に伝説のBL誌『薔薇様がみてる!』が無造作に!)
変熊の視線に気づいたアンゴルは、ああ、と肯く。
「これらの本は地球産のものでしてな。私には読めないので、内容を読める人に確かめてから店頭に……あ、お客さん?」
説明を背に変熊は外に駆けだした。アンゴルが内容を確かめたら、きっとあの本は店頭には並ばない。ならば……。
変熊は路地までくると服を脱ぎ捨てマスクをつけ、砂埃を挙げて本屋に舞い戻る。
「はぁ! はぁ! 親父、その本をくれ!」
「…………!?」
――次の瞬間。
本屋の中に、アンゴルの断末魔のような悲鳴が響いた…………のだった。
「図書館を閉めろとか火の海になるとか、ひどい!」
「まだ彼が犯人だと決まった訳ではないですから」
アンゴルの本屋に向かう道すがら漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)はずっと怒っていて、樹月 刀真(きづき・とうま)に宥められてた。けれど、本屋に入った途端、そんなことは脳裏から消え去り、月夜は本に夢中になる。
「すごい……すごいすごい!」
書棚の前を行ったり来たり、目を輝かせて本を見上げ。
「おじさん、この本触ってもいい?」
物怖じせずに月夜が尋ねると、アンゴルは高い棚にある本を下ろしたり、問われるままに内容を教えたりと、案外面倒見良い。
「12歳くらいのお友だちにプレゼントするにはどんな本が良い? 傷つけちゃうから駄目?」
「それくらいの歳になれば分別も付いて良い頃だ。本の大切さを説いて分かるようだったら傷つけはせんだろう。その友だちが好きそうな本か、お嬢ちゃんが好きな本か、どちらを贈るか決めてから探すのがよかろう」
月夜にきちんと答えているアンゴルを見、刀真は彼は犯人ではないだろうと推定した。本の扱いに対する考え方の違いはあっても、本に愛情を抱いているのは間違いない。その彼があんな脅迫文を送ってくるとは思えない。
しかし、目撃情報からするとアンゴルは何かを知っているのも確か。だとすれば……と刀真は考えを巡らせた。そこに、大きな包みを抱えた月夜が戻ってくる。
「あれ、月夜、本買ったの? お金は?」
「うん。翡翠とリースとヴァーナーの分。お金? はい」
屈託ない笑顔で月夜が差し出したのは。
「俺の財布……」
ガツン。無言で振り下ろされた刀真のチョップに、月夜は頭を押さえた。
「あぅ、痛い」
「俺は懐が痛いですよ」
ラテルで売られている本は皆高価だ。3冊の出費は実に財布に優しくない。予定外の出費に打ちのめされつつも、刀真は当初の予定だったアンゴルへの問いかけにかかる。
自分がミルム図書館の件で来たことを話し、そして言う。
「貴方が月夜と話している時の態度は、本好きのそれでした。その貴方がたとえ脅しだとしても『本を燃やす』という類の言葉を使うとは思えません」
だから、と刀真は続ける。
「俺は貴方が燃えている布の火を消してくれたのでは? と思っているんですよ。ただその布を持っていたら自分が疑われるので、植え込みに隠して慌ててその場を離れた……と。当たってます?」
「いいや、そんなことは知らん」
アンゴルはとりつく島もなく即答した。その後刀真が犯人捜しへの協力を願い出ても、アンゴルは頑なにそれを拒否し、出て行ってくれと2人を店から押し出したのだった。
店の中に1人になると、アンゴルは深い溜息をついて椅子に座り込んだ。
頭を抱えて考え込もうとした時に、再び客が店に入ってくるのが見え、アンゴルは鬱屈を押し隠して立ち上がった。
入ってきたのは、本を買えるほど豊かそうには見えない母娘連れ……に装ったヴェルチェとクレオパトラ・フィロパトル(くれおぱとら・ふぃろぱとる)だった。クレオパトラにとって本は宝に等しい。それを燃やしてしまおうなぞという不届き者は焚刑にでもしてくれる、と怒り心頭のクレオパトラをヴェルチェが宥め、一芝居うって自白を引き出そうとやってきたのだ。
ヴェルチェはアンゴルからは見えそうで見えない、けれど声は届く場所に位置を決め、店に並ぶ本の値段を確かめては、項垂れて棚に戻すことを繰り返した。
「結構高いわねぇ……」
実際、ヴァイシャリーか他の七都市で仕入れてきたと思われる新しい本はそれほどでもないが、地球産の本や年代を経ていそうな本は結構どころかとても高い。この金額を本の為に払う人がいるのかと思うと、本当に深い溜息が出てしまう。
「わらわは本が読みたいのじゃ。あの図書館に行けぬというならば、本を買うて欲しいのじゃ」
「そうねぇ……でも生活をいくら切りつめてもこれじゃあ……」
哀しげに目を伏せるヴェルチェに、クレオパトラはなおもだだをこね続ける。
「買ぅてはくれぬのか? そなた、わらわの楽しみを奪おうというのかえ?」
ヴェルチェの纏う質素な服の裾を揺すり、訴える目つきで見上げるクレオパトラに、ヴェルチェもますます沈痛な顔つきになる。
「……ごめんなさい」
ほろりとヴェルチェの頬を、隠し持った目薬が伝う。
「イヤじゃイヤじゃ。わらわは本を読みたいのじゃ」
だだをこねた挙げ句、クレオパトラは高価な値のついた本を抱えてアンゴルの元へと走った。
「すまぬが、この本を貸してはもらえまいか。1日だけで良いのじゃ」
「クレオ! そんな失礼を言ってはいけないわ。本当にこのコは……すみません」
ヴェルチェはクレオパトラを諫め、アンゴルに失礼を謝って本を返した。アンゴルはひどく眉を寄せた仏頂面でその謝罪を受ける。
「図書館への脅迫がただの悪戯なら、このコにもいっぱい本を読ませてあげられるんですけど……」
ヴェルチェの言葉にアンゴルは首を振った。
「本の価値は多くを読むことではありませんぞ。今は手が届かなくとも、いつか娘さんにも大切な本との出逢いがあるやも知れん。その方がずっと価値あるものとなるに違いない」
「でもこんなに読みたがっているのは不憫で……あの、丁寧に扱って必ず返しますので1冊だけでも……ああ、いけないわね。私までこんな失礼を言っては」
アンゴルの言葉に負けずヴェルチェはもう一押ししてみたが、貸してもらえる気配はない。ヴェルチェは頭を下げると、クレオパトラを抱えるようにして立ち去ろうとした。
そこに、無愛想に本が押しつけられる。先ほどクレオパトラが貸して欲しいと言った本だ。
「貸していただけるのですか?」
感謝の眼差しを向けたヴェルチェに、アンゴルはいいやとそれを否定する。
「……間違えて仕入れた本だ。今日にも捨てようと思っていたから、持っていってもらえれば手間が省ける」
「そんな……頂けません」
こんな高価なものを、とひるむヴェルチェにアンゴルはさっさと背を向けた。
「客でないなら早く店から出て行ってくれ」
それきり、2人には目も向けずアンゴルは店の奥に置いてある椅子に戻っていった。
これでやっと静かになった、と思いきや、アンゴルが落ち着く間もなくまた次の客がやってきた。
風邪用のマスクをした客に、アンゴルはまた厄介な客でも来たのかと身構えたが、店に入ってきた風森 巽(かぜもり・たつみ)は至極普通な様子で、民俗学の本が無いかと尋ねた。
「民俗学ならこの辺りに何冊かあるが、どの地方のものをお探しかな」
「そうですね……出来ればシャンバラ全体が広く分かるものと、ヴァイシャリー付近の詳しいものと……」
本を見繕いながら、巽は当たり障りのない世間話を始めた。アンゴルは愛想は良くないが、普通に会話している限りはただの普通の本屋の店主、というだけだ。
本について尋ねると即座に答えが返ってくるあたり、自分でも本を読み込んでいるのだろうと思われる。本を扱う手つきも、商品であるという以上に丁寧だ。そんなアンゴルと会話しつつ、巽の心にあるのは『何故』という疑問だった。
実家の絵本を寄贈しにきてサリチェから聞いた話では、植え込みにあったのは焼け焦げたボロ布。だが植え込みもその下の草1本として焦げていなかった、と言う。その場で燃やしたのなら、その下の草が焦げていないのはおかしい。だとすればその布は、別の場所で燃やされ、火が消えてから植え込みに置かれたのだと考えるべきだろう。
しかしそれでは『図書館は火の海になるだろう』という文言にそぐわない。図書館が燃えて無くなることが目的であれば、それこそ小火騒ぎでも起こした方が効果的だ。ならば何故犯人は、火の消えた布など置いたのか。
その答えを自分なりに導いた結果、巽はアンゴルの店にやってきて、その人となりを知ろうと考えたのだった。
「そういえば、絵本図書館で事件があったみたいですね」
世間話に紛らわせて言ってみると、アンゴルの表情は硬くなった。
「そうらしいな」
「犯人は、きっと本好きな人なんじゃないかと我は思うんですよ」
図書館は閉めさせたかった。けれど、本には危害を加えたくなかった。だからこそ、燃える心配のない焦げた布を置いたのではないだろうか。
そんな推測を巽が語ると、アンゴルの頬がぴくりと動いた。ああやはり、と巽は思う。
けれど巽にはアンゴルを告発しようという気はなかった。
「本が好きだから大切にしたい人。本が好きだから多くの人に魅力を伝えたい人。どちらも間違ってはいませんし、どちらも本が好きだという気持ちは同じです。この事件の元は、ちょっとしたすれ違いなんじゃないかと思うんです」
そんな相手を追いつめたくはなくて、巽は何気ないそぶりでアンゴルに視線を向けた。
「それよりも、お薦めの本とかあります?」
「あ、ああ……」
本を取り落としそうになるほど動揺を見せてはいたが、自身では平静を保っているつもりのアンゴルは、仕入れたばかりだというお薦めの本を巽に紹介したのだった。
巽が帰っていくと、アンゴルは疲れた様子で目頭を揉んだ。どうも店が慌ただしくてならない。少し落ち着いて考えたいこともある。
「……今日は早じまいとするか」
けれど、その呟きが叶えられる前に天音がお邪魔するよと店に入ってきた。
「ふむ。この店の本は我の好みにあいそうだな」
文字の少ない絵本には興味を示さなかったブルーズだが、アンゴルの本屋に並ぶ本は気に入ったらしい。アンゴルの喜びそうな専門書を探しつつ、天音は本の作りに感嘆を漏らした。
「僕は子供の頃から、地球の印刷技術で作られた本しか読んだことがなかったけれど……シャンバラの本はちょっとした芸術品だね」
読む為の書物でありながら、鑑賞にも堪えうる芸術品でもある本を褒める天音の言葉に嘘はない。
本を褒められ、少し気を取り直した様子のアンゴルだったが……そこにこの日最後の来客たちが入ってきた。
本を買いに来たのではないその様子にアンゴルは身構える。
「こんにちは。プレナ・アップルトン(ぷれな・あっぷるとん)です。プレナたちは絵本図書館のお手伝いをしてるんですよ」
百合園の仲良し組である七瀬 歩(ななせ・あゆむ)、遠鳴 真希(とおなり・まき)、幻時 想(げんじ・そう)と共にやってきたプレナは、丁寧に挨拶をした。
「何用だ」
その問いに答えたのは、ここにくる途中、プレナたちと行き会って一緒にやってきた如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)だった。
「僕たちは今、絵本図書館の事件について調べているんです。事件の詳しいことはご存知ですか?」
「いや、知らん」
「ではそこから説明させてもらいますね」
アンゴルは怪しいけれど最初から犯人扱いするのも問題だ。佑也はアンゴルが事件を知らないものとして詳細を説明した。その上で、植え込みで焦げた布が発見された時、アンゴルが目撃されていることを告げる。
「その時間に植え込みにいたのなら、犯人の姿を見かけませんでしたか?」
「ただの見間違いだろう。わしはそんな処に行った憶えはない」
「でもアンゴルさん、目撃してるのは子供だけじゃないの。聞き込みをしたら、あの日、ミルムの近くでアンゴルさんを見た人が他にもいたよ。ちょうど、ミルムとこの本屋さんをつなぐ道すじに点々と」
ミレイユが追及するとアンゴルは一瞬狼狽え、言い直す。
「記憶にはないが……近くまでは行ったかも知れん」
「近くまで来たのなら、何か気づいたことはなかったですか」
「さ、さあ……何も気づかなかったが」
知らぬ存ぜぬで通すつもりらしいアンゴルに、佑也はその真意を見通そうという視線をあてて尋ねる。
「どんなことでもいいんです。思いだしてもらえませんか。あなたも本好きなら、本を盾に取るような犯人のことは、許せないでしょう?」
佑也の言葉にアンゴルの瞳が揺れた。けれど、やはり何も話そうとはしない。
そんな態度に、ミネッティ・パーウェイス(みねってぃ・ぱーうぇいす)はまっすぐに切り込んだ。
「あのね、アンゴルさん。キミ疑われてるんだよ。あ、あたしは別にアンゴルさんを犯人だとしてるわけじゃないよ。だって絵本図書館1つできたくらいで、本屋ってそこまで困るものじゃないだろうから。でも、アンゴルさんがなんで絵本図書館の植え込みにいて慌てて出てきたのか、その理由を聞かせてくれないと疑いをはらすことなんて出来ないと思うんだ。疑われてるのはアンゴルさんだって厭でしょ?」
ずばりと尋ねるミネッティにアンゴルがどう答えるかと、想は見守った。無実を主張するか、それとも焦った受け答えになるか……。そこからアンゴルが犯人かどうか見極められるのではないか、そう思って。
犯人であるとは決めつけたくない。だがもし犯人であれば言い逃れを許す訳にはいかない。
「疑うというならそうするがよかろう」
アンゴルは開き直りともみえる態度で答えた。
どうあっても協力はしてもらえないようだと悟ったミネッティは、尋問は他の学生に任せ、こっそりと本屋の中を捜索し始めた。どこかに脅迫文でも隠していないかと、店の引き出し等を漁ってみたが、さすがにそんなものはないようだ。
「脅迫文をつきつけられたら一発なのにな。やっぱりそんな証拠はないかー」
残念がるミネッティに天音は、そうでもありませんよとアンゴル直筆の書き付けを手に取った。そして書き付けを手にアンゴルの元へと戻ると、携帯電話で撮っておいた脅迫状の画像と並べて出して見せた。
「犯人でないと言うなら、どうしてこの脅迫文と君の筆跡が同一なのか説明してくれるかい?」
「それは……」
「それは?」
「…………」
がっくりと肩を落としたアンゴルに、反論の言葉はなかった。
言い逃れできない証拠をつきつけられたアンゴルは抵抗をやめ、事件の犯人が自分であることを認めた。
「限りなく黒に近い立場だとは思っていたけれど……」
そうでない可能性も考えていた想だったけれど、証拠もあり本人も認めたのなら黒に間違いなかった、ということのようだ。
「どうしてこんなことをしちゃったの? アンゴルさんのところの本たち、すっごくやさしくしてもらえてて幸せそうなのに。そんなに本のこと、大切にしてるのにどうして?」
責めるのではなく純粋に疑問として真希が尋ねると、大切だからだ、とアンゴルは答えた。
「だからこそ許せなかったのだ。本は価値も分からぬ子供のおもちゃにして良いものではない」
「勿論本は大切だけど、大切にされすぎて、伝えたいことを伝えられなくなっちゃうのは、もったいないと思うけど……」
アンゴルの言葉にミレイユが反論し、歩もミレイユに同意する。
「確かに作者の気持ち考えたら、本を粗末にすることはダメです。でも、それで皆に読んでもらいたいって思って描かれた本をしまっちゃうのは、本末転倒だと思います!」
シャンバラでの本は芸術品としての面も持っているけれど、本質は誰かに読まれることを目的とした本であるはず。大切にすることとしまい込むことは違う。
そんな意見にプレナは大きく肯いた。説得の言葉は出て来ないけど、プレナは友人の説得に耳を傾け、アンゴルの言葉にどんな感情があるかを必死に考えていた。
こんな騒動を起こしたアンゴルに対しては、まだ怒っている。けれど、自分がアンゴルの立場だったらどうしただろうと考えると、何が正しくて何が正しくないのか、プレナには判断できない。でも、本を愛する心が同じなのだということだけは分かる。
「人だってそうだけど、本にもいろんな性格があるんじゃないかな」
どう言えばアンゴルに自分たちの考えを伝えられるだろう。真希は考え考え言葉を紡ぐ。
「アンゴルさんみたいな人にきちんとしてもらうのが幸せな本もいると思うけど、絵本なんかはやっぱり、子供たちに読んでもらって……その子たちひとりひとりの心に何かが残って……それで、ずっと時間がたってちょっとしたときに、その何かがあたたかい言葉とかやさしい気持ちとかのきっかけになったら、すっごい幸せだと思うな!」
力をこめて言った真希は、生意気なこと言ってごめんなさい、とアンゴルに詫びた。
「いや。そうなれば良いとはわしも思う。だが」
アンゴルは顔を歪めた。
「わしはあの図書館に行ってみた。本を借りている家で話も聞いてみた。だが結果は酷いものだった。子供は遊び場も読書の場も区別がついておらん。大切さも分からぬ親子供に貸し与えられた本は傷つき、もう二度とは元の姿に戻らん。無体な扱いを受ける本も本の貴重さも知らずに育てられる子もどちらも不幸。そんなものしか生み出さぬ場所ならば、いっそ無い方が良い」
「図書館はそんな場所じゃないよー。みんなで物語をお話しして、広めて、ずっと未来に語り継いでいく場所なんだよぉ。それに……」
アンゴルの痛烈な批判に、プレナはポケットからチラシを取り出した。一番上には『えほんはともだち』と書かれている。カレンが本の回収の時に配っていたチラシだ。
「本は大切だって教えてあげてる人もちゃんといるんだよー」
「これは……」
チラシに目を通したアンゴルは唸った。
「本の扱い方を知らないって思うなら、教えてあげればいいんです!」
歩はにこにこしながらアンゴルの手を取る。
「だからアンゴルさん、サリチェさんの図書館で本の扱い方について教えてもらえませんか? そしたら、大切に扱われる本も本が大事だって知ることができる子も、どっちも幸せになりますよ」
ねっ、とにっこりする歩に想も肯いた。
「そうだね。僕たちは皆の理解を得られる良い図書館にしていきたいと思ってる。悪い点を知っているのなら尚更協力してもらいたいな」
「一緒にミルム図書館をもっと良くしていきましょう。そしたらアンゴルさんみたいに本が大好きな人が、いっぱいになります。アンゴルさんなら本のことたくさん知ってるから、たくさん良いことを教えられると思うんです」
そう勧める歩の笑顔、そして本を大切にしようと呼びかけるチラシを交互に見た後、アンゴルは頭を垂れた。
「わしはまだ、図書館という場所を認めた訳ではないぞ。だが……もう少しの間、先を見守ってもよいかとも思う。……独り合点で脅迫騒ぎを起こしたこと、申し訳なかった」
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