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●コンマスとクリストファーの奇想曲

「だから、第一バイオリンは僕がやるべきなんだ!」
「ふざけんな、俺だって言ってるじゃん!」
 クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が音楽室に入ると、バイオリン奏者の張り上げた声が耳に届いた。
 どうやら奏者同士がケンカしているようだ。
「一体、なにがあったの?」
 クリスティーが理由を聞くと、二人はそっぽを向いた。
「コンマスを誰がやるかでケンカしてるのさ」
 チューバ奏者の少年が言った。
 コンマスとは、コンサートマスターの略で、別名、コンサートミストレスともいう。
 大抵が第一バイオリンの首席奏者で、指揮者の協力者であり、オーケストラ演奏の取りまとめをする。いわゆる、オケの支配者とも言えた。
 バイオリン奏者が席の取り合いをするのは、ある意味当然のことかもしれなかった。
「え? そんなの決まってるんじゃないのか?」
 クリストファーは呆れた表情で相手を見やる。
「この間のコンテストで、第二バイオリンの子が優勝しちゃったんだよ。だから、コンマスが機嫌悪くなって…」
「機嫌が悪いってさぁ」
「うーん…コンマスが準優勝だったもんで…第二バイオリンがさ、目立ちたくなっちゃったんだと思う。
 今回のこけら落とし公演で自分がやるのがいいって言い出したんだ…」
 困ったように眉を顰め、クリスティーを見る。
「ねぇ、クリスティー…何か言ってやってよ。こんなの…無意味だよ」
「そうだね…」
「助けてよ…クリスティー」
 チューバ奏者の少年は泣きそうになっている。
 クリスティーが何か言おうと口を開きかけた瞬間、コンマスが怒鳴った。
「だから、さっきのはこっちのやり方の方が!」
「解釈はこっちだよ! それじゃ、ただ単にうるさいだけの音に…」
「何だってぇ!?」
「いい加減にしろよ。もう練習に入らないといけないのに、ケンカしてる場合じゃないだろ!?」
 クリストファーは強く言った。
 いつもはこんな状況でも冷静なクリストファーだが、相手の主張が子供過ぎてキレかかる。
「そんなの、ちゃんとやってくれるんだったら、俺は誰だっていいよ」
「これはプライドの問題なんだっ!」
 コンマスは叫んだ。
「あのねぇ…プライドってさ、実力あっての問題じゃないの?」
「う…」
「実力のある方がやればいよ。そういうことだと思うけど」
 クリストファーは努めて冷静に言おうと声のトーンを落とす。
 これはケンカする程の問題じゃない。小さなことなんだと自分に言い聞かせる。
 だが、コンマスの一言に、その努力は消し飛んだ。

「これじゃ練習にならない! 絶対に決着がつくまで議論してやる!!」

「ばっ…バッカじゃない!? 優先順位を考えろーーーー!!!」
 クリストファーは怒鳴った。
 その怒りの声は音楽室を突き抜けて廊下にまで響き渡る。
 この騒動はステージマネージャーがいない所為で起きているのだった。クリストファーもクリスティーもその事に気が付いている。
 ステージマネジャーを誰にするかの議論なら、理解できた。でも、自分の持ち場の話となると訳が違う。
 正規の交響楽団でも無い音楽科の状態なら、ステージマネージャー役が誰になるかを議論するのは有効だとは思うが、意識がそちらに向かわない人間の相手などできない。
 とにかく、これ以上時間を潰されるのがクリストファーには我慢がならなかった。
「インスペクターでも、ステージマネージャーでも何でもいいよ! 誰がやるんだよ!」
「それって、指揮者にやってもらってよ」
「ふざけんな! オペラハウスまで建ててもらって、ガキの戯言をいうんじゃない。行こう、クリスティー!」
 クリストファーはくるりと振り向くと、クリスティーの腕を掴んで音楽室から飛び出した。
 たしかに、音楽科全員での活動で右も左もわからないのは理解できる。けれど、理解できるのと了承するのは別の話だ。
 胸がムカムカする。
 怒りで浅くなった呼吸を元に戻そうと、クリストファーは深呼吸をした。
 そして、廊下を突っ切って、あの部屋の方へと歩き出す。
 行く先は、メサイアの執務室。
 好きなだけ言いまくってやりたい気分を抑えつつ、その部屋まで歩いていく。クリスティーがクリストファーを止めようと、口を開きかけたのを振り切るようにドアを思い切りよく開けた。
「邪魔するよっ」
 クリストファーは言った。
「おや、君は…クリストファーさんじゃないですか」
 彼の強い口調に驚き、メサイアはドアの方を向いた。
 を伴って資材の発注やら、招待状の用意をしていたところ、クリストファーが飛び込んで来たのである。
 メサイアは何の用事かと訊ねた。
「マネージャーがいないんだよ!」
「え?」
 言われて、メサイアは目を瞬いた。
 噛み付かんばかりの勢いで、クリストファーは相手を見る。
 後ろの方で困った顔をしているクリスティーの様子を見て、メサイアは何が起きたのかをなんとなく理解した。
「で、クリストファーさん…何があったんですか?」
「マネージャーがいないんだよ。ステージマネージャーがね! インスペクターでも良いんだけどさ」
「あぁ、そういうことですか」
「そういうことじゃないよ…いなきゃ話にならない」
「何を仰いますか、クリストファーさん。いるじゃないですか」
「え? まさか…クリスティー?」
「どちらでも良いとは思いますが…ちゃんとマネージャーはいらっしゃいますよ」
「え? え??」
「マネージャーは――貴方ですよ」
 メサイアは優しい微笑でもって、クリストファーを撃沈せしめた。
「はあ?」
 確かに、メサイアは会議の時にクリストファーに「舞台の方を頼みます」と言った。
 先日言われたことを思い出し、クリストファーは頭の中が真っ白になっていく。

(そうだ…あの時、そんなことを言ってたっけ……)

 完全に燃え尽き、クリストファーの脚は力が抜けそうになりつつも、やっとその場に立っていた。
 クリストファーはメサイアの方を見た。
 メサイアは信頼しているといった目で見つめ、クリストファーとクリスティーに微笑みかける。
「お願いしますね」
 その一言でクリストファーが正気に戻る。
「わかったよっ!」
 クリストファーはメサイアに背を向けた。
 こんなことはしてはいられない。あのガキんちょなオケをまとめるため、キリキリと締め上げるため、クリストファーは闘志を燃やして音楽室へと走っていった。