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お見舞いに行こう! せかんど。

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第七章 人形師さんといっしょ。そのに。


 病院の廊下を歩く音が、響く。
 本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)は怒っていた。
 対象は、リンス・レイス
 倒れたと聞いて、原因が栄養失調だ貧血だ、とあって、怒りがきて。
 きっと、今の彼が一番会いたくない人物筆頭だろうね、私は。
 そう思いながらも、ナースステーションで聞いたリンスの病室まで、歩く。
 ネームプレートが全て埋まった、一番奥の角部屋。八人の大部屋にリンスは入院していると言う。
 コンコン、と控えめにノックをしてから入っていく。歩いている途中で、ベッドに身を起こしたリンスを見つけて目が合った。「げっ」と短く声を上げて、目を逸らし布団をかぶろうとするから。
 足早に近づいて行って、布団をがばり、めくる。
「……や、本郷。久し振り」
「別に久しくないけどね。一週間前食事を差し入れに行って会っているはずだよ」
 バツの悪そうな顔をするリンスに言って、ベッドの傍らにパイプ椅子を広げ、座った。
「……あー。怒ってる? よね?」
 聞くな、と思う。だって、怒っていることが、怒ることが、わかっているなら。最初から気をつけていてほしい。ため息。
「全く……栄養失調に貧血だ? 私は常々忙しくても食事はちゃんと摂るように口を酸っぱくして言ってるよね」
「や、あの、」
「そりゃ、最近は色々あったから。ご機嫌伺いの時に気付けなかった私にも責任があるかもしれないけどさ」
 何か言いかけたリンスの声に、かぶせるように言葉を発して言い訳無用と言外通告。
 じろり。視線を向けると、しゅん、としていたので、ちょっと言い過ぎたかなという気持ちになってしまった。ほだされてはいけないというのに。
「……まあ、なったものは仕方ないか」
 フォローなんかしちゃって。
「とりあえず、今後は週一回だった食事の差し入れを週二回に増やすからそのつもりで」
「それってかなり負担になるでしょ……」
 俺より本郷が倒れちゃうよ、と心配そうに言ってくるし。
 今は私の心配をしている場合じゃないでしょう? と人差し指を突き付ける。
「いい? 私は、医者の卵だよ」
「うん、知ってる」
「放っておいたらまたこうなってしまいそうなきみを放っておくことは、医療従事者側からしてもできないし。
 それから――いや、それよりも先に、私はきみの友人だ」
 倒れたと聞いて、一体どれほど心配したか。
 詳しいことが解るまで、どれだけ気をもんだか。
「……大事なくて、よかった」
 あんな思いをするくらいなら、負担が少し増えることが何だって言うんだ。
「なんだか私、お節介な恋人みたいだな。これでどちらかが女性だったら恋人の会話なんだけど。ああもちろん私の恋愛観は普通なので誤解の無い様に」
「ふつう?」
「異性愛者だよ」
「ああ俺、両性愛者」
「そんな唐突に暴露されてもねぇ……」
「本郷のこと好きだし」
「友達として、だろ?」
「うん」
 なんだ。軽口が叩けるほどに回復しているじゃないか。
 本当によかったと、思う。
「さて、お説教はここまでだ。お見舞いの品だよ」
 言って、箱からアップルパイを取り出した。
「林檎は昔から医者いらずと言われるくらい、身体にいいものなんだよ。それに冷めても美味しいからね」
 切り分けながら、林檎を選んだ説明もして。
 へぇー、という感嘆の声を聞きながら、エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)に目くばせする。
 エイボンは頷いて、「準備万端ですわ、兄さま」と微笑んだ。
 お説教の最中、エイボンはお茶の用意をしていた。涼介が作ってきたアップルパイに合うようにと、淹れてきたアップルティー。作り方も簡単だ。抽出したニルギリ紅茶に、薄くスライスした紅玉林檎の入ったポットに入れて30分置くだけ。
 たったそれだけで、林檎の甘みや香り、酸味が抽出された美味しいアップルティーが出来上がる。
 準備はお茶だけでなく、持ってきた紙皿に切り分けたアップルパイを載せ、「どうぞ」同室の患者にも振る舞って歩く。
 涼介も、エイボンも。みんな早く治ってくれればいいと思ってる。
 だから、
「とりあえず、早く元気になるように」
「皆様、これを食べて元気になってくださいね」
 共々心からそう思う。


*...***...*


 閉まっていた隣のベッドのカーテンが、開いた。
「こんにちは」
 ベッドの上、身体を起こしてそう挨拶してきたのは、中学生くらいの女の子。
「こんにちは」
 挨拶された以上、見知らぬ他人でも挨拶は返すべきかな、と判断して、リンスはそう答える。
 ベッドから出ようとした彼女が、立ちくらみを起こしたのを見て「……寝てれば?」と声をかけると、彼女はにこりと微笑んだ。
「お兄さん、リンス・レイスさんだよね?」
 そう、言った。
 はて、俺とこの子はどこかで会ったのだろうか。
 客商売だから、会っていてもおかしくはない。が、リンスの記憶力はいいほうだから、そんなすぐに忘れるとも思えないし。
 疑問符を浮かべていると、少女は楽しそうに笑った。くすくす。くすくす。
「どーして知ってるの? って顔してるね。それは――」
 と、種明かしのようなことを、言いかけた時。
「朱里、起きてるー?」
 茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)が病室に入って来て。
「あれ? 二人とも知り合いだったっけ?」
 朱里と呼んだ少女とリンスに、問いかけた。

「えーと、つまり彼女は茅野瀬の妹なんだね?」
「うん。そんな感じだよ。改めてよろしくね、リンス」
 茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)が、そう挨拶するのを見届けてから。
 衿栖はリンスに冷たい目を向ける。
「何、茅野瀬。怖い」
「怖い、じゃないわよ。しばらく病院食食べて反省しなさい!」
 それからお説教モード。耳を塞ぎたそうにしているリンスの耳を掴んで、「リンスはねぇ、」とお説教続行。
 続行しながら思い出す。あの日の朝のこと。
 十五夜の後から、手伝いで訪れているリンスの工房。その日もいつも通り、手伝いに行ったら。
 クロエが泣きそうな顔で工房を飛び出して来て、「えりすおねぇちゃん〜……、リンスが、どうしよう!?」と言ってきて。
 何事、と思えば工房内でリンスが倒れているし。
 医師から理由を訊けば、栄養失調だとか貧血だとか、
「プロなんだし、自己管理はきっちりしないと!」
「あー、茅野瀬が病院に連絡してくれたんだ。ありがとね」
 なんで今の、今までの会話の流れでお礼になるのか。肩が落ちる。
「ああ、あとお見舞い。ありがと」
「お見舞い? 勘違いしないでよね、リンスのお見舞いなんて、朱里のついでなんだから」
 ついっ、とそっぽを向いて、そう言って。
 朱里と目が合って、くすり、笑われた。
「で、も。まぁ、退院してからなら、手伝いに行くついでにお弁当を作って行ってあげなくも……ない」
「あ、それ知ってる。ツンデレって言うんでしょ」
「どこで覚えてくるのよそんな言葉!? ツンデレじゃないっ、デレてない! リンスが倒れたら困るから言ってるだけだし、お見舞いだってあくまで朱里のついでで! 〜〜っ、勘違いしないでよね!?」
「茅野瀬、ここ、病室」
 冷静なツッコミで、我に返った。寄せられる視線。すみません、と頭を下げて、リンスを睨む。涼しい顔をしていた。掴みどころのない、無表情に近いいつもの顔。
 何なのよ、と思う。煽っておいて、当の自分は涼しい顔で。ずるい。
「もういい。本来の目的を達成するわ。お・だ・い・じ・に!」
 ぴしゃりと言って、朱里のベッド脇へ移動。カーテンを閉めて、外の世界を断絶。
「まいったわ」
「あはは。楽しそうだったね」
「……まぁ、うん。嫌じゃ、ないけど」
 けど、に続く言葉を探しあぐねて、結局不自然に言葉を切った。
「体調、大丈夫?」
「うん。あ、でもさっきふらっとしちゃって、リンスに心配されたよ。寝てれば? って」
「あ……来るの、遅くなっちゃったかな」
「ううん、大丈夫だから……ちょうだい?」
「……ん」
 衿栖は持ってきていた鞄の中から、ペンケースを取り出して。
 そこから、赤い柄のカッターナイフを出す。
 チキ、とほんの少しだけ刃を押し出し、それを自らの親指に当てた。
 ぴっ、
 とナイフを横に引く。赤い線が親指に現れた。
 ぴりぴりした痛み。伴って、線から赤い珠。
 朱里へと指を差し出すと、そこに朱里は口付けた。
「ん、」
 傷口を舐められる感覚は、いつも慣れない。声が漏れる。
 口を抑えて声を出さないようにしながら、大部屋の病室で行われている、目の前の一種背徳的光景を、衿栖はただぼんやりと、見ていた。


*...***...*


 検査入院で、ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)は入院していた。
 戦うことによって、護ことによって生じた怪我。傷。
 それが原因で身体に異常が起きてないか、調べるために。
 ……とはいえ、ただじっとベッドに横たわっていても悪い考えが浮かんでくるので、病院内をうろついて。
 その際、知ったこと。
 友人であるリンス・レイスが入院している。
 じゃあ、お見舞いに行こうかな。
 そう思って大部屋を訪れた。

「こんにちは、不摂生は駄目ですよ」
 病室に顔を出したロザリンドだって、
「そっちだって患者じゃん」
 パジャマ姿の患者さんだろ、とつっかかってみる。連続お説教で、それ系の話はいらないぞ。という思いも入っていた。
 けれどロザリンドは苦笑して、
「私は検査入院ですので」
「はいはい。どうせ俺は自己管理のなってないプロ意識欠如者ですよ」
「……リンスさん、何か拗ねてます?」
「拗ねてません。
 で、どしたのセリナ」
 入院患者なら大人しく病室に居た方がいいんじゃないの、とは思っても言わない。そんなこと彼女も承知しているだろうし、わかっていることを言われても困るだけだとも思うから。
 ロザリンドは椅子を引いて、そこに座って。
「一人で病室に居てもあまりいいことはないので。話相手になってくれませんか?」
 そう、問いかけてきた。
 どうぞ、と頷くと、にこり。儚げな印象を与える笑みを浮かべて。
「検査入院で来たって言ったじゃないですか。戦いで負った傷について来たんですけど。特に問題は無かったみたいです」
 まずそう切り出してきた。
 それは良いことだ、と頷く。
「今では医療だけでなく魔法もありますから、簡単な怪我なら傷跡すら残らないですね」
 それも、いいことだ。女の子の身体に傷が残ったら、ちょっと悲しい。
「でも、いつか取り返しの付かない怪我を負った時にどうなるのかなー、と」
 寂しげでも悲しげでもなく、言葉に何の色も付けずにロザリンドは、言う。
「私の怪我のほとんどは戦いで負ったもの。それは、誰かを、何かを護るためのに受けたもの。
 そしてそれは名誉と勲章でもあるはずなのですが。
 そんな怪我をした自分の姿を、好きな人の前に晒す事ができるのか……」
 淡々と、滔々と。
 紡がれる言葉に、安易な言葉は返せない。
「そもそも、自分と他人の血で塗れている私が触れたり触れられたりしていいのか。
 他の人はそんな怖さを克服しているのか。
 私の心が弱いだけなのか」
 独り言めいた、彼女の心情。
「セリナは、怖い?」
「はい。怖いですよ、いろいろと。
 でも、だけれど。
 それでも誰かを護る事ができるのなら、何も考えずに飛び出すんだろうな、と思います」
 それは強いことだと思う。
 自分の事を顧みずに戦って、人を護る。
 とても、強い。
 けど。
「俺は悲しい」
「え?」
「もしもね? もしも、俺がセリナに守られて。セリナが大怪我を負うようなことがあったら、俺はすごく悲しい」
「なぜ? 私は、騎士です。大切な人を護るための傷なら――」
「不甲斐なく思うんだ。自分のことを」
 いや、だったら護らせるなよ、とも思うけど。
 ロザリンドは、騎士だから。考えるより先に身体が動くであろうから。護ってしまうだろうから。
 だけど、それが自分のせいなら。
「うん、やっぱり、悲しい」
「……じゃあ、どうすればいいんですか?」
 言葉に、うーんと唸って考える。
 護るななんて言えないし、言うつもりもないし。
 じゃあ、一つだろう。
「護っても、怪我を負わないくらい強くなっちゃえ」
「なんだか……すごい無茶振りされてる気分ですよ?」
「俺もしてるとは思ってるけど、『護るな、自分を大切にしろ』って言われるより、よくない? セリナならさ」
「うーん。……うん。そうかもしれないですね」
「でしょ」
 自分に合っているやり方を、選べばいいと思うのだ。
 話が一段落したところで、『ロザリンド・セリナさん。検査が――』と、呼び出しの声。
「では、そろそろ行きますね。なんだかよくわからない話をしてしまって、ごめんなさい」
 ぺこり、頭を下げて。
 ロザリンドが病室を出て行く。
「あ、そうだ」
 そんな背姿に、声一つ。
 立ち止まってくれた彼女に、ベッドから降りて近づいて。
 握手するように右手を差し出す。彼女も手を差し出して、握手。
「??」
「肌。綺麗だよね、セリナって」
「な、なんですか突然?」
「触りたいなーって思ったから」
 他人の血で汚れた自分が、触ったり触られたりしてもいいのか、なんて。
 そんなの知らない。
「セリナはセリナだと思うよ」
 脈絡もなにもない言葉に、ロザリンドがこくんと頷いたのを見て、手を離した。
「またね」
 それから手を振って、バイバイ。
「はい、また」
 最後に彼女がそう笑ってくれたから、聞き手としては合格点だったかなー、と思いつつ。
 ベッドに戻った。