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第十章 ヒラニプラ温泉<女湯> 2

「なんです。胸、胸って……でかけりゃいいってものじゃありませんよ?」
 自分もさんざん百合コールをしていたことは棚にあげ、何を思ったのか酔いが頂点に達した千代はその場に立ち上がった。片足を岩に乗せてポーズをとったため、いろいろと丸出しである。
「ち、千ぃ姉?」
 いくら女湯とはいえここまで全開にしてはダメだろうと、ローザマリアが慌てて手にした盆で大事な部分を隠してあげた。
「んーん、ローザさんも皆さんも、発育がよろしいようで!ふぅーん!」
 息がお酒臭い。明らかな酒乱にどうしたものかとローザマリアはグロリアーナと顔を見合わせた。
 千代はどちらかというとつつましやかな胸を張ると、何を思ったのか――おそらく何も思ってはおらず、酔いがさめれば忘れてしまうのだろうが――おっぱいについて熱く語り始めた。
「いま!世間では【巨乳シャンバラ】が流行っているのも、実にうなずけます!当然のことですとも。確かに巨乳は、いい!」
「ち、千ぃ姉、何言っちゃってるの」
「しかぁーっし!!否!そんな世界、だからこそ!私のような【貧乳シャンバラ】が立ち上がらねば!たちあがらねばならんとです!
 復唱せよ!慎ましい胸こそ、美徳!!」
 この狂態にドン引きする人が続出して、大事な千ぃ姉の人徳が下がったりしたらどうしよう。ローザマリアは心配してみんなの様子を伺った。信じられない事態になっていた。
「「慎ましい胸こそ美徳ーー!!」」
「ええ?!復唱するの?!」
「もう一度!慎ましい胸こそ、美徳ぅぅうう!!」
「「慎ましい胸こそ、美徳ーー!!」」
「何なのこのノリ!!」
 酔っぱらい集団です。酔っていない人も、楽しそうな様子だけは把握して空気を読んで合わせてくれているらしい。
 周りのノリのよさに気をよくしたのか、千代はますます上体をそらしてふんぞり返ると、舌っ足らずな言葉で宣言した。
「私はぁー!この場に、【貧乳シャンバラ】の建国を宣言します!はぁいっ!はくしゅ〜〜〜!!」
 巨乳も貧乳も関係なしに、賛辞の拍手が巻き起こる。誰一人として状況を理解してはいなかったが。
「「貧ー乳!貧ー乳!」」
「建国を祝して、御茶ノ水 千代、歌います!『ぺったんこは楽しい!』」
 そして、手拍子の中踊りだす。千代を肴に酒盛りが再開され、ステージ上のアイドルよろしく歓声や拍手が飛び交った。
 ローザマリアも盆では隠し切れなくなって、ついに諦めモードに入った。
 その時。
「うおおおおおお!!!」
 脱衣所の方向から、鴉と章と皐月が、外から塀をよじ登って健勝とショウが、女湯露天風呂へと飛び込んできた。

「……」
 風呂場は、一気に零下まで温度を下げた。

 宴会が盛り上がりすぎて、油断していた。
「おい!アスカにちょっかいかけるんじゃねえ糞悪魔!!」
「樹ちゃん!樹ちゃんどこー?」
「ついに……到達した」
「ついたぜ健勝!ちょろいもんだぜ!」
「俺たちが女湯に入ってどうするんだ馬鹿ショウ!!」
 そう。いたのだ。世の中には。特にこの場所には。
 のぞきという存在が。
「アスカ!大丈夫だったか?嫌なことされなかったか?」
「鴉……」
 鴉が自身の失態に気が付くまであと5秒。
「健勝さん……」
「いや違う!誤解なんだ」
 レジーナ・アラトリウス(れじーな・あらとりうす)の初めて拝む般若の形相に、健勝が土下座するまであと4秒。
「そんなに見たかったのなら、言えばよかったのに」
「見たいわけじゃない。ここまでの経路が浪漫なんだ。破廉恥なのはいけないんだぞ」
 その言葉に呆れ返り、翌桧 卯月(あすなろ・うづき)はため息をついた。それが本心という稀な神経の持ち主である皐月は、言葉通り、女湯に踏み込んでからは律儀にずっと目をつむって威張っている。
 皐月が急速に膨れ上がる殺気に気が付くまであと3秒。
「え?健勝ってのぞきしに来たわけじゃなかったのか?」
 ショウが健勝への誤解を理解するまであと2秒。
「こらっ。あきらぁ、ジーナに怒られても知らないぞ。あ、一緒に飲むか?」
 ほろ酔いでご機嫌な樹の、まばゆい裸体が一瞬だけ視界に映り、章の網膜に焼き付いた。
「わが生涯に一片の悔いなしっ!!!」
「「「じゃあ死ねっ!!!」」」
 のぞき犯5人が袋叩きの刑にあうまでは、1秒もかからなかった。

「混浴もあるんだからいいじゃないかって?いや君わかってないね。違う んだよ。もうそういう考え方はなにもかも間違っているんだ。何も努力せずとも得られるものと、必死で歯を食いしばって得たものの価値は等価ではない。のぞきとはこれすなわち、美の対象を最高に輝いて見せる演出!見られることこそ誇りと思え。女湯がなぜ存在するのか知っているかい?
 ……覗くためだ!!」
 げし!
 高らかに歌った名もなき男たちは、ハンターたちの手によって散って行った。しかし、その表情には微塵も後悔がなかったという。



「やはり風呂上りはアイスだな……」
 しっとりと濡れた髪をかき上げると浴衣に身を包んだ冴弥 永夜(さえわたり・とおや)は用意された椅子に腰かけ、星空を見上げた。本当は、立派な室内休憩場になる予定なのだが、このまま夜空の下にあるのもいいかもしれない。
「風呂上りって、コーヒー牛乳じゃねーの?」
 自分で飲みながら司狼・ラザワール(しろう・らざわーる)が首をひねる。永夜は断固として譲らなかった。
「アイスだ。なんなら一口食ってみろ」
 ん!と突き出されるスプーンに、ぱくっとかぶりつく。口の中で溶けていく甘く冷たい触感は確かに悪いものではなかった。
「アイスどうだった?おいしい?」
 食堂からミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)琳 鳳明(りん・ほうめい)が顔を出した。どうしても譲れないという永夜の願いで、急きょ持ってきていた牛乳と軽食用の材料を組みあわせ、氷術を使って冷やした即席メニューだった。
「うまいぞ。このままここの定番にしてもよいくらいだ」
 その返事に二人は満足そうに笑った。
「ご注文の品、あがりましたよ!」
 持ち寄りの器材で晩御飯を提供するのはなかなか至難の業だった。セラフィーナ・メルファ(せらふぃーな・めるふぁ)は温泉の蒸気熱で蒸したサンドイッチを並べると、棚に並べた。
「あ!ごめん。セラさんありがと!……それじゃあたしたちも食事係りに戻るね!」
「ああ」
 永夜がうなずくと、二人の姿は仮調理場へと消えていった。
「やっぱりキッチンは早めにほしいよね」
「ほんとに。でも、ある程度食べ物用意してきてよかったね。みんなすごい飢えてるんだもん。たくさん出してあげれなくて申し訳ないや」
「それじゃ、こちらお出ししてきますわね」
 話しつつ調理を再開する三人の間を抜けて、和泉 真奈(いずみ・まな)はできたてのサンドイッチとコーヒーを乗せたトレイを片手にある場所へと向かった。
 そこでは、机をはさんでガートルード・ハーレック(がーとるーど・はーれっく)とレオン・ダンドリオンが話しあっていた。
「今日はありがとうございました。ピンチを切り抜けられたのはあなた方のお力添えのおかげです」
「お役に立てて何よりです」
 二人は古くからの仲間のように笑い合うと、書面を取り出してお互いにペンを手に取った。
「(契約書……)」
 真奈は邪魔をしないようタイミングを見計らいながら、ちらりとその文字を確認した。
 双方サインをし終わると、二人はそれぞれの書面を交換し確認しあったのちに固く握手を交わした。
「それでは改めて。頑張ってくれたみんなのためにも、一緒にいい湯治場に仕上げましょう」
「ええ」
 教導団の新人と、他校の企業の代表者が手を取り合って意志をひとつにしている。
 ――なんだかいい光景だな。
 真奈はたっぷり十秒以上数えてから、
「サンドイッチお待たせいたしました〜」
 と、二人の方へ歩き始めた。