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酷薄たる陥穽―蒼空学園編―(第1回/全2回)

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酷薄たる陥穽―蒼空学園編―(第1回/全2回)

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第1章 蒼空学園襲撃

 それは何の変哲もない、いつもの1日だった。

 ウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)ファティ・クラーヴィス(ふぁてぃ・くらーう゛ぃす)とともに魔法剣術部の後輩たちを相手に鍛錬をしていたし、椎名 真(しいな・まこと)原田 左之助(はらだ・さのすけ)から、気合の一撃の指南を受けていた。
 岬 蓮(みさき・れん)アイン・ディアフレッド(あいん・でぃあふれっど)と一緒に食べようと、両手いっぱいにタイヤキの入った袋を抱えて教室に戻っているところだった。
 月谷 要(つきたに・かなめ)は秋期限定メニューとして今日から始まった蒼学Aセット・特盛を前に、霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)と味の批評で盛り上がっていた。
 校舎裏では矢野 佑一(やの・ゆういち)ミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)の提案で臨時夜間管理人の元を訪れ、蒼空学園のノラ猫たちとたわむれていたし、玄関口ではメイ・アドネラ(めい・あどねら)ジャンヌ・ダルク(じゃんぬ・だるく)を相手にちょっとした悩みを吐露していた。
 校庭では、人目もはばからず蒼灯 鴉(そうひ・からす)オルベール・ルシフェリア(おるべーる・るしふぇりあ)師王 アスカ(しおう・あすか)を挟んで憎まれ口の応酬を繰り広げ、ルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)がなんとかして間をとりもとうと腐心している。
 その横をすり抜け、校内へ入っていく如月 正悟(きさらぎ・しょうご)。校長室に通じる廊下の窓からは、坂上 来栖(さかがみ・くるす)ナナ・シエルス(なな・しえるす)ジーフリト・ネーデルラント(じーふりと・ねーでるらんと)の姿が伺える。
 
 「おはよう」と教室に入って、授業が終われば「またあした」と手を振りあって笑顔で別れる。
 たわいのない1日になるはずだった。
 そこに、かの災いが来襲するまでは。

 流星のように降りそそいだ災いの種をその身に受け、次々と昏倒していくパートナーたち。
 狂ったようにその名を呼ぶ声と、パニックを起こした者たちの上げる悲鳴が学園中でわき起こる中、吹き荒れた強風が校庭にいる人々をなぎ倒していく。
 校庭を走り抜ける赤い炎。

「人間! 仲間の命が惜しければ俺に従え!」

 圧倒的なパワーを持った巨大な存在が上空より飛来し、その威容を人々の眼前にさらしたとき。
 蒼空学園の平穏な日常は終わりを告げたのだった。



 ファティはディテクトエビルで接近する何かを感知して動きを止めた。
「ウィング、何かが――」
 きます、そう告げようとして、言葉を止める。ウィングは既に気づいて、窓の外を見据えていたからだ。
 窓ガラスを突き破り、ファティに向かってきたそれを光条兵器で粉砕する。間髪いれず、次々と飛来するそれらを全て破砕したウィングは、そのまま正面玄関に向けて走り出した。
 窓ガラスが割れ、飛び散った廊下には、生徒たちが倒れていた。すっかり意識を失っているらしく、ぐったりとした彼らを、無事だった何人かが揺すったり、比較的安全な教室の中へと引っ張り込もうとしている。
「なにやら物騒なことになっておるようじゃの。一体何事かの?」
 ウィングの身を包んだ魔鎧・ルータリア・エランドクレイブ(るーたりあ・えらんどくれいぶ)が呟く。
「さあ。ですが、先ほどからのこの殺気は、桁違いです」
 混乱しきった廊下を走り抜け、近道とばかりに正面の割れた窓から校庭へ飛び出す。
 そこには、巨大な……今まで見たこともないほど大きな赤い龍が、鎌首をもたげていた。

「これは…」
 あまりの異様さに、一瞬、息が止まる。
 その赤龍は、どう見ても生きてはいなかった。
 顔面の左半分が骨と化している。
 赤い光がチラチラと眼窩で燃えていたが、その奥に眼球はなかった。 
 四肢も、長い胴体も、薄汚れた骨が露出していて、内臓は半ば腐り落ちてしまっているようだ。
 吐き気をもよおすほどに甘い、肉のくさったにおいが充満し、青い燐の炎が火の玉のように浮かんで漂っている。
 右の鉤爪に握られた龍珠だけが清浄な白い輝きを発しており、内部の光が活発に流動しているのが見えた。
「――死龍ですか」
 そう遠くない過去、死闘を繰り広げたことのあるウィングは、苦々しい思いで呟いた。


「一体何事だ!?」
 それぞれ思い思いの武器を手に、校庭に人が集まりだしたとき。
「ちくしょお! みんなを元に戻しやがれ!!」
 左手の方から、怒りに震える声がした。
 剣を抜いた蒼学生が、上空を見据えて叫んでいる。
 赤龍で隠れて見えなかったが、向こう側にもう1頭死龍がいて、それに向かって少年は叫んでいるらしかった。
「突然やってきて、みんなを意識不明にして、校庭黒こげにして、石を渡せだって!?
 一体何様のつもりだ! きさま!」
「人間。おまえの意見など聞いていない。
 渡すか、死ぬかだ」
 返す声を聞いて、初めて、そこに死龍以外の何者かがいることに気づいて、全員の注目が集まる。
 油断なく赤龍を伺いつつ迂回し、姿の見える位置まで移動したとき、そこには、完全に骨と化した1頭の死龍と、その頭部に片膝を抱えて座わる少年の姿があった。


 夕日に染まった白銀の髪、赤い瞳。特に背が高くもなく、低くもなく、筋骨隆々ということでもない。整った面をしていたが、整いすぎているわけでもない。
 たとえ道ですれ違ったとしてもどこも人目をひくところはなさそうな、ただの痩せっぽちの少年にしか見えなかったが、2頭の死龍を従えたその姿が、ただの人間であるはずがなかった。


 少年は、タケシの後ろにパラパラと集まってきた者たちを見渡して、彼らがいまだ現状を把握しきれないでいることを見抜き、面白そうに口端を上げた。
「よく聞け。おまえたちが石を持っているのは知っている。
 あれは俺の物だ。返してもらうぞ」
「はぁ? 石? 何言ってんだ、きさま!」
 襲撃にいち早く気づいたオルベールの機転によって校外へ吹っ飛ばされ、駆け戻ってきた鴉が人を掻き分けて前に出る。
「石だ」
「そんな物知るか!」
「そうか? 後ろの女には思い当たる節があるようだぞ」
 その言葉に、鴉は振り返った。
 そこにはアスカがいて、何かを考え込んでいるように瞳は暗く陰っている。
「――アスカ?」
「あれは今、私たちには手の届かない場所に封印されています。いきなり渡せと言われても、私たちにはどうしようもありませんわぁ」
「そんなこと、俺は知らない」
 少年は、彼の言葉を正確に理解しているアスカに、視線を固定する。
「俺は、渡せと言っているんだ。方法まで俺に指図されないと手を動かすこともできないのか? 人間」
 小ばかにするような物言いに、苛立たしげに目を眇めるアスカを見て、少年はくつくつと笑った。


「これは……あいつの…?」
 正悟は人の頭ごしに少年の横顔を伺いながら、そっとジャケットのポケットに突っ込んできた箱に触れた。
(帰神祭で神美根神社の神主さんからいただいたこの石……これのことか?)
 10年前に海辺の村が襲撃された際、シラギが用いて敵を撃退したという謎の石。これが、蒼空学園が保管している不思議な石と同一の物か確認するために、彼は今日蒼空学園を訪れたのだ。
 ちらちらと様子を伺うが、少年が間近にあるこの石の存在に気づいている様子はない。
 力を失ったとはいえ、何を拍子に吹き返すか知れたものではないと、密封処理してきたためだろうか?
 ともあれ、石持ちの身でこの場にいるのは得策ではないように思えて、正悟は人の背に隠れるようにして、そっと校舎に向かった。


 正悟がエントランスルームの影に消えた、そのときだった。


「み、ミリオン、ミリオン! 蒼空学園の方が門の所で寝てます! ああっ、あそこにも! 皆さんでお昼寝でしょうかっ!?」
 正門の向こうから、あわてふためく少女の声がした。
 パタパタと走ってくる音がして、オルフェリア・クインレイナー(おるふぇりあ・くいんれいなー)が駆け込んでくる。
 彼女はまず、門の近くに倒れている少年に触れ、意識がないことを確かめると、ついでその先に倒れている少女に駆け寄り、やはり意識がないことを確かめて、あたふた周囲を見回した。
 校庭の一角に集まっている人だかりを見て、ぐるぐる腕を回して知らせる。
「皆さん大変なのですー! ヒールをかけても目を覚まされませんっ! オルフェがお医者さんを呼んできますから、皆さんは校医さんにお知らせしてくださーい!」
 そう叫び、きびすを返したオルフェリアだったが。
「危ない! オルフェリア様!」
 ミリオン・アインカノック(みりおん・あいんかのっく)が背中にタックルをかけ、そのまま自分の下に庇い込んだ。
「きゃっ…!!」
 ごうと熱波が走り、オルフェリアの髪先を焦がす。
 赤龍の放った火の弾はそのまま正門を抜けた先の壁にぶつかり、粉々に破砕した。
 まともに当たっていたなら、オルフェリアなどひとたまりもなかったに違いない。
「ミリオン……ミリオンっ!」
 ぱたぱた、くすぶる肩口を叩いて消火する。


「なんてことを…! 彼女が何をしたっていうの!」
 叫んだのは火村 加夜(ひむら・かや)だった。携帯を握り締めていることから、山葉 涼司(やまは・りょうじ)と連絡をとろうとしていたのだろう。だが携帯からは不通を示す機械音声が流れているだけだった。
「行かせてあげたからって、どうということはないでしょう!」
 怒りに震える加夜の姿に、少年は肩を竦めて見せる。
「ここの赤龍には前もって、ここからだれも出すなと命じてある。石をどこかへ持ち逃げされては困るからな。
 渡すか、死ぬかだ。それ以外はないと思え」
「おいおい。剣呑だな。何もそう攻撃的になることもないだろう」
 ヘタに刺激しないようにとの探りを入れているのか、閃崎 静麻(せんざき・しずま)が、どこかこの緊迫した場には不似合いにも思える口調で呼びかけた。
「要望に従わないと言っているわけじゃない。こちらは何も仕掛けていないんだし、そんなにとがる必要はないと思わないか? そもそも俺たちは名乗りあってもいないんだ。
 大体、石、石と言うが、さっきのこいつのように、石と言われてもどんな物か分からない奴も多いはずだ。そして彼女の言う通り、俺たちの手の届かないどこかに封印されているんだったら、手に入れようにも時間がかかる。知っているか知らないか分からないが、人間のシステムというのは手続きが面倒なんだ。
 ――おっと、できないと言ってるんじゃない。早まるな」
 ゆらりと少年が立ち上がったことに不穏を感じ、あわてて言った。
「時間が必要だと言ってるんだ。今すぐなんて無理だ。ここの責任者で、山葉というやつがいる。出てこないところをみると不在らしい。あいつに連絡をつけないと、俺たちにはどうしようもない。
 大体、その石というのは何だ? どんな物で、なぜ自分の物だと言い切れるのか、それを教えてもらえれば手続きもはかどるんだが」
「笑わせるな、人間。価値を知らない者が、どうして他者の手の届かない場所へ封じる?
 いいや、おまえたちはあれが何か知っている。あれに何ができるかを」
 パチンと少年が指を鳴らすのを合図に、ふわりと2頭の死龍が浮き上がった。
「――ちッ。
 待て! 貴様どこへ行く!?」
「人間はいつもそうだ。そうやって、おまえが本当は何を知りたがっているか、俺に分からないとでも思うのか?
 いいことを教えてやろう、人間。前提条件がゼロの段階で何を聞こうと、それは信じるに値しない言葉の羅列でしかない。俺が、仲間は100人いると言う。あるいは、俺1人と言う。おまえは、まさかそれを鵜呑みにするほど愚かではないだろう?」
 少年は、うるさい羽虫を追い払うように、手を振って反ばくを退けた。
「こんなことをしていても意味はない。結局は俺の言う通り、おまえたちは石を差し出すことになるんだから。
 俺は急いでいる。おまえたちばかりにかまっている暇はないんだ。だから、おまえの誘いに乗ってやろう。期限をやる。俺が再び戻ってくる前に、石を用意しておけ。
 だが、1つ忠告だ。おまえたちの足元に転がっているやつらには、俺の石を撃ち込んだ。おまえたちの知っている石と違い、あの石は俺の支配下にある。抵抗力によって多少の差は出るだろうが、2日ともったやつはいない。解除できるのは俺だけで、ヘタに取り除こうとすれば死ぬだけだ。もっとも、俺が戻ってくるまでそいつらの体力がもつかは俺にも保証できないがな。
 彼らが大事なら、1秒でも早く石を手に入れることだ」
 その言葉を潮に、死龍が大きく東に向けて旋回したとき。

「ほかにも方法はあるさ!」

 そんな言葉が上空で起きた。


「てめぇが今すぐ死ねばいいんだよ。簡単だろ?」
 屋上の金網を乗り越え、端に足をかけた七枷 陣(ななかせ・じん)が、見下ろしていた。
 その握り締められた両手では、青白い光がパチパチ音を立てて弾けている。
「みんな、避けろや」
 大きく振り下ろされた右手から、サンダーブラストが放たれた。
 巻き込まれることを警戒し、パッと全員が距離を取る中、まっすぐ自分めがけて落ちてくる雷に、少年は右手を掲げる。
 受け止めるように開いた少年の掌の少し上の空間で、雷は何かにぶつかったように不自然に折れた。
 少年を避けて空間を流れ、死龍の背に当たって散った光は、少年の周囲に不可視のバリアが張られていることを物語っている。
「どこまで愚かなのか。この程度も退けられない者と見くびられたことを、俺は笑うべきなのか?」
「これをくらっても笑えるなら笑えや!」
 雨の如く次々とサンダーブラストが降りそそぐ。
 白光のただなかで、少年は静麻と視線を合わせた。

「おまえの質問に1つだけ答えてやろう。
 俺の名はドゥルジ。禍の神の名を持つ者だ」

 かざされた手から放たれたエネルギー弾が、陣の立つ屋上を砕いた。