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らばーず・いん・きゃんぱす

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リアクション


●凍える口づけ

 同じ頃、白ゴム捕獲に一人、奮闘する湯島 茜(ゆしま・あかね)の姿もあった。学長の応召に従って、服は黒いパンツスーツに着替えている。多少時間がかかったのはスーツの選択だった。帝王学を叩き込まれ育った彼女だけに、スーツで人前に出るときはきっちりしたものを着なくてはならない、という使命感に駆られ、あれでもないこれでもないと迷ったためである。
「あとは見学者を脅かさないように人通りのないところに誘い込め……っていうことだよね」
 黒の上下を見せびらかすように胸を張って歩き、体育館裏の暗い場所に向かう。
(「……来てる」)
 背後から視線を感じる。それも、複数。いきなり飛びかかってこないのは、こちらにも用心があるのを見抜かれているからだろうか。
「よしっ!」
 頃合いを見計らい、茜は振り返った。
「ほら、あたしは黒服だよ! かかってこーい!」
 両腕を振り挑発的に声を上げた。
 すると面白いくらいに、わさわさと大量の白ゴムが湧いてきた。体をひろげ飛びかかってきた。
「ここで第二段階!」
 敵が到達するより先に、茜は一気に黒服を脱ぎ捨てた。
 そこに現れたのは、黄金色のスーツであった。これを下に着込んでいたのだ。
 これでやる気をなくし弱体化した白ゴムを一気に殲滅する作戦……だったのだが、
「あれっ!?」
 茜が脱ぎ捨てた黒服を空中でキャッチするや、怪ゴムたちは潮が引くように撤収してしまったのである。
「おーい」
 そこにはポツンと、茜一人が残された。
 ……なんだか寂しいのである。

 ゴム騒動の喧噪に、現時点まで奇跡的に巻き込まれぬまま榊 朝斗(さかき・あさと)一行は学内を歩んでいた。
 このあたりは散策路らしく、広葉樹が点在している。
「天御柱の設備とはまた違った物があるし、興味は尽きないよ。けれど」
 朝斗は首をかしげた。
「意外と人、いないよね……」
 寂とした光景だった。冬空はうす暗く、吹く風は冷たい。人の姿はなく、まるで声も聞こえないのだ。耳を澄ませても聞こえるのは、枯れ葉が風に舞い、コンクリートをちりちりと撫でる音くらいだった。これは単に、騒動で多くの人が出払っているだけのことなのだが、朝斗にそれを知る術はなかった。
「寒くない?」
 朝斗の腕に、ルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)が腕を回した。
「え? うん、少し」
 ルシェンのぬくもりが、腕を通してじわりと感じられた。やわらかな胸の感触も少し、伝わってくる。
 けれど朝斗はそれをごく自然に受け入れている。恋人だとかそういった特殊なものではなく、母親に守られている幼子のように、当たり前のもののようにとらえていた。ルシェンとは、朝斗が八つの頃からの付き合いだ。家族と呼ぶのに近かった。
「つけてきてくれたんだ」
 朝斗はルシェンを見上げて彼女の耳に手を伸ばし、蒼い髪をかきわけた。そこには月雫石のイヤリングが光っていた。
「ええ、このところ、お出かけのたびに付けているのですよ。気づきませんでした?」
 ルシェンは朝斗の手を取って、イヤリングがよく見えるようにしてくれた。
「気がつかなくてごめん。身につけてくれて嬉しいよ」
「大切にしているんです……朝斗が、プレゼントしてくれたものですから」
 彼女は、彼と組んだ腕に、そっと力を込めた。
 カツ、カツ、と冷たい金属音が一定のリズムで刻まれている。
「アイビス、寒くない?」
 朝斗は振り返って、同行のアイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)を見た。
「……制御に不整合を引き起こすほどの体温低下はありません。任務『空京大学の散策および榊朝斗の護衛』実行中です」
 書かれたものをただ読んでいるような、まるで抑揚のない声でアイビスは言葉を返した。
「そ、そう……調子いいみたいで良かったよ」
 朝斗は居心地悪げな笑みを浮かべて向き直った。
 どう接したらいいのかわからない――これが、目下、朝斗がアイビスに感じていることだった。アイビスは機晶姫、強力な戦士であり精密作業も得意とする頼れるパートナーだがあまりに機械的すぎた。一つの命令を与えれば死んでもそれを守り、命じなければ動くこともない。ほとんど部屋の電化製品みたいなものだ。ややもするとその存在を忘れることもある。アイビスにはもう少し人間的な自我を身につけてほしいと彼は思うのだが、どうすればいいのかは皆目見当もつかなかった。
 しばし、言葉もなく一行は歩む。
 寂とした光景だが良い雰囲気ではあった。朝斗は今、触れあっているルシェンの温かさだけを感じていた。ルシェンも同じだろう。アイビスは無表情でついてくるだけであり、そのアイビスを毛嫌いしているウィーダー・ヴァレンシア(うぃーだー・う゛ぁれんしあ)も今日は留守番である。
 ルシェンがなんとなく、朝斗の腕にもたれかかったとき、忽然と、それこそ、テレビのスイッチを入れて画像が映し出されたかのように出し抜けに、黒ずくめの少女が一行の前15メートルほどの距離に姿を現した。服は黒、瞳と髪もすべて黒、魔法使いのような鍔広のとんがり帽子を被っている。
 最初に気づいたのはアイビスである。
「危険人物、出現」
 と声を上げて朝斗とルシェンの前に飛びだし、身構えた。
「アイビス、どうしたの? ……あれ、あの人たしか説明会でもいた人だ」
「人じゃ、ないようですよ」
 ルシェンは朝斗と腕を絡めたまま告げる。
「人じゃない……? そうだね、あれは……機晶姫?」
 人形のように美しい少女であったが、その声は思ったより低い。
「ただの機晶姫ではない。私はクランジ・タイプII、個体名『Ο(オミクロン)』だ」
 衒いもなく告げてブーツの靴音高く、アイビスの真正面に立った。 
「データベースにお前の情報があった。『アサノファクトリー』回収の例の機晶姫か」
 すっと手を伸ばし、アイビスの顎に指をかける。
「アイビス!?」
 何より朝斗が驚いたのは、アイビスが無抵抗で、触れられた手をどけようともしないことだった。
「……それは事実に反します」
 アイビスは感情のない声で応えた。
「私は『例の機晶姫』という名称ではありません。個体名は『IBIS(アイビス)』」
 言うが早いか、右手の光銃を抜きはなった。通常の人間なら、これで額を撃ち抜かれ絶命したことだろう。だがオミクロンは普通の人間ではなかった。弾道を読んで身を翻し、最低限の動きで回避する。落ちかけた帽子を右手で押さえて、
「アイビス、お前の記憶には鍵(ロック)がかけられている。お前は過去のデータことごとくを消されたと思っているだけだろうが……。そういう機晶姫が、この世には何体かあるようだな」
 蛇のような笑みを浮かべると、息つく間もなくオミクロンはアイビスの脇をすり抜けてルシェンの真横に立った。
「それからな、女、そんなまどろっこしいやりかたではやつらは寄ってこない」
「えっ……?」
 戸惑うルシェンを嘲笑うように、オミクロンは両手で朝斗の首を抱き、頬に口づけた。
「これくらいやれ」
 朝斗も、ルシェンも、その行動の意味を理解する時間はなかった。理解するより早く、
「リアジュウシネ−!!」
 突如四方八方から、桃色のアメーバ状怪物が襲いかかってきたからである。
「あとはそいつらに相手してもらうがいい」
 オミクロンは哄笑を上げて身を翻した。
「待って!」
 朝斗は手を伸ばすも届かない。駆けるオミクロンとの間にも、次々と桃ゴムが割り込んでくる。
 キスされた頬に冷たい感触を覚えながら、朝斗はアウタナの戦輪を取り出した。
 まずはここを切り抜けよう、頭を整理するのはその後だ。