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リアクション
●邂逅。別れ。
灰一色に染まった空から、雲の表面が落剥したかのようなものがゆっくりと舞い降りてきた。雪だ。
「寒いはずね」
ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は、海軍式に黒くアレンジした教導団制服を着ている。無意識的に、その合わせ目を押さえた。
本日、ローザマリアが空京大学を訪れたのは見学目的ではなかった。教導団から派遣され、鋼魔宮や緑の心臓、更にはクランジに関する教導団の公式見解と詳細なバトルレポートをアクリト・シーカーに手渡しに来たのだ。
「あれは白いけれど、雪じゃないみたい」
なんとはなしに口にした。
雪が舞うこの寒い中、校門からの道に、白いゴム状のものが姿を見せている。
「はわ……干していたお布団が風で落ちたみたいなの」
エリシュカ・ルツィア・ニーナ・ハシェコヴァ(えりしゅかるつぃあ・にーなはしぇこう゛ぁ)の喩えは言い得て妙だ。ただし、実際はそんな平穏なものではない。
「下郎が、レポートを奪いに来たか? 返り討ちにしてくれようぞ」
グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)はいち早く剣を抜いた。
「エリーは隠れておれ。ローザもジョーも雪見でもして休んでおるがいいぞ。この程度の敵――」
と、グロリアーナは旋回させた剣で、早速ゴムを真っ二つにしている。
「休むより、動いているほうが楽ね」
いち早くローザは、自身の黒い服が白ゴムの標的になっていることを見抜いていた。巧みに移動し、ゴムたちを一カ所に誘導する。そして、
「お構いなく。掃除くらい手伝います」
エシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)がエメラルド色の影を曳きながら、光条兵器を取り出し直線上の標的を一気に薙ぎ払ったのである。
「さて……」
ローザはエシクが倒した敵に目もくれなかった。彼女は、真の敵を察知していたからだ。
手を建物の一つにかけ、
「そこにいるんでしょう? わかっているわ」
と、落ち着いた声で呼びかけた。あらかじめ待ち合わせていた相手がそこにいるかのように。
「お見通しというわけか」
応じる声も落ち着いていた。
少女が姿を見せた。黒衣黒髪、やや雪の積もった帽子――オミクロンだ。
「うゅ……? 黒い、おにんぎょうさん、なの……?」
エリシュカはオミクロンに暫時見とれた。それは、余りに鋭い刃物を見たときに抱く感慨に似ていた。
ローザはその唇の端に薄い笑みを浮かべた。
「もってまわった探り合いはやめて単刀直入に聞くわ。あなたクランジね? 今まで三人、見て来たもの――見間違える筈もないわ。そもそもΞ(クシー)によく似ているし……」
「確かに、生き写しですね――服も髪型もまるで違うのに」
エシクが言い添えた。
オミクロンは帽子の雪を払い落とした。ローザを見つめたまま世間話のような口調で応える。
「ローザマリア・クライツァール、やはりお前は最も危険な人物の一人だな。実際に目にしておきたかった。会えて嬉しい」
オミクロンは名乗り、クシーが妹である旨も隠さず告げた。
はらはらと、降雪の勢いが増しはじめた。
綿雪が舞い散る中、ローザとオミクロンは向かい合う。まるで長年の友人同士のように。
「貴方たちは一度任務を受けたら、整備を受ける事は出来ないの?」
「回答(こた)える必要性を感じない」
「Φ(ファイ)もΥ(イプシロン)も、損傷を受けたまま私たちの前に立ち塞がったわ。もしかして――貴方たちの主は、貴方たちを消耗品としか見ていないのではないの?」
「やはり無意味な質問だ」
しかし、帽子の影になっているオミクロンの右眉が、かすかに跳ね上がるのをローザは確認していた。
相手の動揺を読み取ると、ローザは一気に行動に出た。
「それはそうと、貴方のコードネーム」
オミクロンの顔をまじまじと見つめる。
「Ο――気に入ったわ、善い名ね」
ローザは突然、言葉にキーワードを乗せた。この『気に入った』という語が発せられたと同時に、グロリアーナ、エシクが一斉に仕掛ける算段だったのだ。
「『ローザマリア・クライツァールに関する世間の評価は、優秀な兵士、あるいは百発百中のスナイパーといった個人としての評価に集中している。だがそれはカムフラージュにすぎない』……お前の真の能力は」
だがこれをオミクロンは読んでいた。地を蹴り垂直に飛び上がる。
「指揮官としての才だ。どこまで自覚しているが知らぬが、お前には将器がある。『ローザマリア・クライツァールを相手にするときは、むしろそのパートナーたちに警戒すべし』――面白い、まさしく情報の通りではないか」
オミクロンを捉えんとしたローザの腕は空を切っていた。
サイコキネシスをしかけるべく睨んだライザの視線が、標的を見失い泳いだ。
エシクも同じだ。瞬時に二刀の光条兵器に切り替えんとするも一歩――もしオミクロンがエシクを殺そうとしていたのなら致命傷になるほどの一歩――出遅れた。
「うゅ……!」
唯一、エリシュカ一人がほとんど本能的な反射によって首を上に向け、サイコキネシスをオミクロンに放つも、一人の力で止められるほど非力な相手ではない。振り払われる。
「待って!」
ローザは雪を蹴立てて追いすがろうとした。すでに着地したオミクロンは、再度の飛翔に備え足を屈めていた。彼女の手が届くより先に、オミクロンは姿をくらましてしまうだろう。
後からローザはこの瞬間のことを思い返した。
ローザがもし、オミクロンの立場なら、言葉を返して時間を無駄にするという愚を犯さず、即座に撤退したことだろう。それくらい、オミクロンとて十分に認識していたはずだ。それなのに彼女が足を止め、言葉を返したのは、どうしてもこの言葉を伝えたかったからではないか。この言葉には言外の意味があったのではないか。
オミクロンはこう言い残したのである。
「消耗品にされたくないから、私は任務を果たす」
この日、グレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)は黒を基調としたその服装のせいもあり、何度か白ゴムの襲撃を受けつつもこれを退けていた。途上でどんな目に遭おうと、目的とする見学を一通り行ったのはさすがである。
雪が勢いを増しはじめたそのとき、彼は眩い一条の光を目にした。
「光条兵器か……あれは?」
「あそこで何かが起こったようですね。行ってみましょうか」
パートナーのソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)が問うもグレンは首を振った。
「いや、その『起こった』ではないな。まだ『起こっている』しかも、その『何か』が接近している……!」
言うやいなや駆ける。黒いコートを怪鳥のごとく拡げ、直感的に、光条兵器の光(エシクの放ったものだ)とは反対方向に向かった。
「………見ていたぞ。流石だな……クランジ……」
間合いを見て声をかける。視界を横切った黒いものが人だとして、それが聞こえるか聞こえないかの距離だった。
グレンにとってこれは賭だ。ただ、彼の勘は、この賭けが大いに分のあるものだと告げていた。
「何っ」
さすがにこれは驚いたのだろう。クランジΟは身を強張らせ、着地した。黒衣に黒帽、透き通るほどに肌の白い少女である。
「グレン・アディール、『資質と経験を兼え備えた手練れの傭兵、普段は慎重だが、ときに大胆な行動に出る』――か。とすれば今のは、十中八九ブラフだな」
一瞬、その瞳に無数の文字列が浮かんで消えた。
「『だがその大胆さはしばしば真理をつく』ともある……ここは素直に、その正しさを認めよう。その通り。私は『オミクロン』だ」
傾いた帽子から片眼で見つめてくる彼女に、ソニアは底知れぬ畏怖を感じた。強い、と思う。少なくとも、同じクランジでもΦやΥより数段上手だ。
「俺のことを知っているようだな、オミクロン。なら、俺たちに戦う気がないのも判るだろう。捕らえるつもりもなければ、説得して投降させる気もない。少なくとも今日はな」
「雪の中立ち話というのも無粋でしょう。途上で、またあの白い怪有機体が出てきても困ります。貴女が出て行くつもりなのでしたら、せめて、空京大学の敷地外までお送りさせてください」
と言って、グレンとソニアは歩き出したのだった。
「不思議な連中だな。今日出逢った者たちはいずれも個性的だったが、お前たちは群を抜いている」
勢い、オミクロンも並んで歩くことになる。
しんしんと降る雪が、三人の肩や頭に積もっていった。身を白く覆う結果となり、ゆえにか白い怪ゴムも近寄ってこなくなる。
ソニアが告げた。
「貴女達をこれ以上、死なせたくないと私たちは思っています」
これに、グレンが言葉を加える。
「勘違いしているようだから言っておく……俺とソニアは……お前たちクランジを『敵側の存在』と認識はしているが……『敵』だとは一度も思った事はない……」
オミクロンは淡々と告げた。
「私も、今日はお前たちを殺しに来たわけではない。空大からお前たち要注意人物に関するデータを採取することと、実際に合うことによる確認に来ただけだ」
するとグレンが軽く声を上げて笑った。かつてと異なり、このところ彼は時折笑う。
「俺を変わり者だとお前は言ったが……そう簡単に任務を明かすお前も、クランジとしては相当変わり者だぞ」
「どうせすぐに露呈することだ。コンピュータへの進入形跡は消えまい」
道は雪に埋もれつつあった。
宣言通り、裏門まで彼女を送り届けると、グレンとソニアは足を止めた。
「ここでお別れですね。最後に聞いて下さい……私たちは、貴女たちに気付いてもらいたいと思っています。貴女たちはただの機械ではなく、自分の意思で行動して、感情という心を持つ事の出来る……一つの『命』である事を……」
「事情も知らぬ身で勝手な決めつけをするな!」
生の感情が爆発したかのような鋭い口調だった。クランジは……オミクロンは、泣いていた。
「我らタイプIIには意志も感情もある。あるからこそ苦しい。瀕死の我が妹、Ξ(クシー)の命を助けるためには、今日の任務は失敗できなかった」
帽子の鍔を引き下げ、オミクロンは顔を隠した。
「次、お前たちの殺害が任務となれば、躊躇はしない」
グレンは、とっさにかける言葉を見いだせなかった。ソニアも同様だ。
ゆえに二人は、去りゆくオミクロンの背を引き留めることもできなかった。