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第4章 カノン、お風呂に入る

「ああ、真琴。協議、終わったの? これ、資料ね、ありがとう。あっ! やったじゃない。真琴の提案、通ったのね。柊真司(ひいらぎ・しんじ)さんが実行役? まあコリマ校長が決めたんだから安心じゃない?」
 天御柱学院のイコン格納庫でイコンの整備に明け暮れていたクリスチーナ・アーヴィン(くりすちーな・あーう゛ぃん)は、校長との協議を終えて戻ってきた長谷川真琴(はせがわ・まこと)に資料を渡されて、胸を小躍りさせていた。
「別に、自分の案が通るかどうかにはこだわっていませんよ。他にもっといい案があれば、そっちを通して構いませんでしたし」
 長谷川は、クリスチーナの興奮をよそに、その日のスケジュールで決められていたとおり、整備予定のイコンに近づいて、最初に整備する予定だったパーツに手をかけていた。
「うん? まあ、それはそうだけど。要は、パイロットがちゃんと生きて帰ってこられるような作戦ができればいいわけだしね。でも、整備の女神がデータを詳細に検討して出した案を越える案なんて、まずないんじゃないの? まっ、何にせよ、カノンの狂った特攻案よりはよっぽどいい案が決まったと。じゃ、この結果を受けて、あたいたちもさっそく整備を始めるよ。作戦に使うスナイパーライフル、校長の手配ですぐにこっちにくるんだよね?」
 クリスチーナは、他の整備士のために資料をコピーしながら、長谷川に問いかける。
 が、長谷川は、思いつめたような目で、黙々と整備に打ち込んでいて、ただ軽くうなずいただけだった。
「ああ、第一部隊、壊滅しちゃったもんね。あのときも、イコンの整備をやったのはあたいたちだもん、身を引き裂かれるような思いだった。真琴、だから、今度は、絶対に誰も死なない整備をしたいと、そんなの不可能かもしれないけど、そう思ってるんだよね」
 ひたすらしゃべるクリスチーナに、長谷川は今度も軽くうなずく。
「わかるよ。うん。あたいたちみんなで、がんばろう!」
「そうですね。その気持ちには全く同感です。で、申し訳ないんですが、スーパースパナ、使ってもいいですか?」
 長谷川は、クリスチーナの工具箱に入っている特殊工具を指していった。
「うん? ああ、いいよ」
 クリスチーナが工具に手を伸ばしたとき。

「カノンのイコンはどれだー?」
 どこか渋い表情の佐野誠一(さの・せいいち)が、格納庫に無造作に歩み入ってきた。
「あれ? あんた、いつもべったりのパートナーはどうしたんだい?」
 クリスチーナが尋ねる。
「いや、それが、カーマからこんなメールがきちゃって」
 佐野がクリスチーナにみせた携帯のメールには、カーマ スートラ(かーま・すーとら)からのこんなメッセージが記されていた。
「私と真奈美さんとでカノンさんとお風呂にはいってきますから、誠一さんだけでカ
ノンさんのイコンの整備お願いします。サボらないでくださいね!
「はー、お風呂に? そういえば、あたいら、整備担当で、出撃する隊員じゃないから、お風呂に呼ばれなかったわね。まっ、呼ばれても、真琴が『整備に専念したいからいいです』って、断りそうだけど。ね? 真琴?」
 クリスチーナの振りに、長谷川はイコンに顔を向けたまま、黙ってうなずいた。
「いや、カーマは怖くないんだけどさ、もしサボったらカノンが何するか、わかったもんじゃないから! よりによって、今回カノンの機体の整備担当になったんだもんな。あー」
 佐野は、頭をかきながら、カノンのイコンを探し当てて、整備をしに向かっていく。
 すると。
「佐野さん」
 長谷川が、佐野に声をかけた。
「うん? 何だい?」
「カノンさんの機体、佐野さんの整備が終わった後で、念のため、私もみておきたいんです。今回、一番危険な目にあいそうな機体ですから、二重三重のチェックでいきたいんですけど、いいでしょうか?」
 長谷川が、真剣な瞳で佐野をみつめていった。
「ああ? いいぜ。そっちの方が俺も安心だしな。特に、この、カノン印の大鉈ってのが、わけわかんなくて、どう整備したらいいか悩みの種だったんだ。できれば、この大鉈は真琴に丸投げしたいんだけど、いいかな?」
「はい。確かに、このように巨大な鉈をイコンが武器として使用することにどんな意義があるか、理解に苦しみますが、カノンさん以外の生徒も使用するものですから、みなさんの鉈を念入りにチェックして、不慮の事故がないようにしたいと思います」
 そういって、長谷川は佐野にぺこりと頭を下げた。
「ちょっと、あんた、真琴のこと、馴れ馴れしく呼び捨てにしないでよ」
 クリスチーナが、頬を膨らませる。
「えっ? 真琴って呼ぶのダメ? じゃ、『整備の女神ちゃん』でいいかな? 女神ちゃん、ありがとうね。いつも黙々と整備してて、疲れないの? あまり無理しない方がいいぜ」
 佐野の言葉に、イコンに顔を戻していた長谷川は、くるっと振り向いた。
「いいえ。大丈夫ですよ。お気遣い、ありがとうございます。佐野さんこそ、無理しないで下さいね」
 そういって、長谷川は優しそうな笑みを佐野に向けた。
「おお、いいね。女神ちゃん! うーん、地味だけど、いいかも」
 佐野は爽やかな感動を覚えた。
「ちょっと、手を出したら、真奈美ちゃんにいっちゃうからね。それに、地味だけど、は余計だよ」
 クリスチーナが佐野を睨む。
「ああ、大丈夫だって。悪い、悪い! あー、でも、俺も、お風呂で女の子ときゃっきゃうふふしたかったなー、くっそー!」
 佐野は、悔しさに頭をかきむしりながら、カノンのイコンの整備を始めた。
「あんた、何いってるんだい? 男だから、一緒に風呂には入れないだろ? それこそ、カノンに殺されるよ。まったく」
 クリスチーナは、呆れたといったようにため息をついた。

「ねえ。整備が終わったら、みんなが帰ってきたときのために、おいしいご飯をつくっておかない?」
 カーリン・リンドホルム(かーりん・りんどほるむ)が、周囲に提案した。
「あっ、いいね、それ。あたいらも、待ってるだけじゃ退屈だからね」
 クリスチーナが賛同する。
「みんな、とっても疲れていると思うから、おいしいものを食べて、生きているって実感してくれると嬉しいのよね。何がいいかしら? 温かいスープに焼きたてのパンで作ったハムとチーズのサンドイッチや、炊きたてのご飯のおにぎり。おにぎりだとお味噌汁の方がいいかしら?」
 カーリンは、帰還したパイロットたちをもてなす自分を想定して、うっとりとした。
「うーん、じゃ、食材が要るわね。あたいが買い出しに行ってこようかしら。真琴も、行く?」
「あー。私は、そういうのは、苦手なのでー」
 カーリンの問いに、長谷川はイコンの整備をしながら、しどろもどろに答えた。
「苦手でもいいよ。一緒に行って楽しく買い物しましょう。ね、カーリン?」
「そうね。整備士の女同士でね」
 カーリンは微笑んだ。
 そのとき。
「盛り上がっているところ、すまないが、長谷川殿。イコンの防水対策について話し合いたいのだが?」
 レオナルド・ダヴィンチ(れおなるど・だう゛ぃんち)が長谷川に話しかけた。
「防水対策、ですか?」
 長谷川が、顔をあげる。
「ああ、もちろん、貴殿の代替案のことは知っているが、結局は、カノンでなくても、何名かは特攻することになるように思うのだ。特攻がないにしても、海中戦が起きる可能性は想定しておかなければならない。万全の態勢のため、是非とも防水対策を施しておきたいのだよ。整備の女神と呼ばれる君の協力も得て、ね」
 レオナルドは、長谷川をみつめていった。
「いいアイデアだけど、真琴は全機の鉈のチェックもやることになったのよ。そう何もかもは……」
 クリスチーナは意見しようとした。
 だが。
「構いませんよ。確かに、私一人では限界がありますが、それでも、レオナルドさんと連携して、防水対策についてもできる限りの処理をしておきたいと思います。特に、カノンさんの機体は、やはり特攻する可能性が高いので、入念に防水対策を行った方がいいですね」
 長谷川が、真剣な口調でいった。
「全く、そのとおりだ。そもそも、イーグリットにしてもコームラントにしても、水中戦を想定した設計ではないのだから、それで特攻を推奨するというのもおかしな話だと思っていたのだ。だが、海上都市に配備されたイコンとして考えるなら、水中戦に全く対応しないというのもナンセンスだし、防水対策の仕様をある程度考えておくことは、今後のためにも有意義だと考える」
 長谷川は、レオナルドの言葉の全てに丁寧に耳を傾け、深くうなずいた。
「同感です。もっとも、すぐに新技術を開発するのは無理な話ですから、既存の技術、装備を利用して対処したく思います」
「無論、今回はそうすべきだ。何しろ、時間的な制約がきついからな。そこで、パーツとパーツの継ぎ目に注目して、防水の応急処置を考えると……」
 レオナルドと長谷川は、防水対策について真剣な協議を始めた。
「ああ、もう。整備の話になると、夢中になるんだから。整備の女神だろうが女王だろうが、そう何もかも真琴一人でやれるわけないし、結局、あたいたちも手伝ってあげないといけないのよね」
 クリスチーナは腕組みして、ため息をつく。
 カノンの部隊は、ゴーストイコンがより活性化し、数を増す前に、センゴク島に速やかに出撃して、殲滅を行わなければならない。
 いまや、出撃は秒読みともいえる。
 整備士たちの時間的な制約は、確かにきついといえた。
 無論、真琴は、必要なら食事も休息もとらずに整備に専念するつもりなのだろう。
 そして、無論、クリスチーナたちもそれにつきあうのである。

「さーて、みんな! 明日、早朝に出撃だから、いまのうちにお風呂で汗を流してくつろぎましょう! 女の子同士、キャッキャウフフするのもいいですよね。ウフフフフフ!
 学院の大浴場では、作戦会議を終えた設楽カノンが、女性の隊員たちを連れて、一緒に入浴しようと大はしゃぎしていた。
「キャッキャ、キャッキャ! ウッフッフ! キャー!」
 脱衣所に入ったカノンは、意味不明な奇声をあげながら、光の速さで衣服を脱ぎ捨て、自ら率先して全裸になると、浴場の引き戸を開けて、もうもうたる湯煙の中に踏み込んでいった。
 他の女子生徒たちは、衣服を脱ぐ手を止め、ぽかんとしてカノンの様子をみつめていた。
 カノンの身体は傷ひとつないきれいなものだったが、ひどくやせこけていて、やや精神が不安定である彼女に、拒食症的な症状も出ているのではないかと思わせた。
「あっ、熱ーい! もしかして、私が一番風呂かな? みんな、早く入ってきてー! 仲良くしましょ。アハハハハハハハ!」
 ざぶんと湯槽に飛び込んだカノンが、お湯を掌で打ちながら、脱衣所の女子をしきりと招く。
「じゃ、リョージュくん。お風呂、入ってきますね。変な気を起こさないで、見張っていて下さいね」
 脱衣所の入口で、白石忍(しろいし・しのぶ)は、覗きが来ないように見張るというリョージュ・ムテン(りょーじゅ・むてん)に声をかけた。
「ああ、カノンは一度怒らせるとヤバそうだしな。本当はオレが覗きたいんだけど……って、いや、何でもない……変な奴らが何かしないように、よく見張ってるぜ! 後でカノンのボディのこと、よく聞かせてくれよ」
 リョージュは白石に手を振って、片目をつむってみせる。
「また、いやらしいことをいって! カノンさんの側に行けるかどうかわからないけど、ゆっくり浸かって、和んできますね」
 白石は頬を膨らませてリョージュを睨むと、静かな足取りで脱衣所に入っていった。
「行ってらっしゃーい! はあ、まったく、背中の流しっこでもすればいいのになあ! 忍は引っ込み思案だからな。これじゃ、オレの妄想が広がらないぜ!」
 リョージュは頭を抱えて、どうしようもないといった表情でシャウトする。
「何をしてるんですか? 脱衣所の前で、変なことしないで下さいね」
 神裂刹那(かんざき・せつな)が、脱衣所の入口で何事か仕掛けを施しながら、リョージュに目を止めていう。
「うん? 違うよ、見張りだよ。そっちこそ、何してるんだい?」
「脱衣所とお風呂場両方に、侵入者探知用の罠を仕掛けてるんです。カノンさんがセクハラされて、トラウマを刺激されたら大変ですからね」
 神裂の答えに、リョージュはぎょっとした。
「マジかよ!? じゃ、オレも探知されちゃうじゃんか!」
「やっぱり、自分も覗くつもりだったんですか?」
 神裂がリョージュを睨む。
「い、いや、違うけどさ」
 慌てて否定するリョージュ。
「刹那。いまのところ、脱衣所にもお風呂場にも、隠しカメラは仕掛けられてないわ」
 魔鎧として神裂に装着されているノエル・ノワール(のえる・のわーる)が、周辺を探知した結果を神裂に囁いてくる。
「ありがとう。じゃ、とりあえず、気をつけるのはこの人だけですね」
 神裂がリョージュをみすえて、いった。
「な、何だよ。だから、オレは、見張りをやるんだって! カノンは怖いし、覗くつもりなんかないよ」
「もし変なことをしようとしたら、私がすぐに出てきますからね」
 神裂は真面目な口調でそういうと、脱衣所に入っていった。
「いやはや。冗談が通じないタイプだな。でも、すぐに出てくるって、まさか裸で武器を構えてやってくるとか? うひゃー、それはそれでみたいかも。ああ、やべー!」
 リョージュは、危ない妄想を抱いて奇声をあげ、ニヤニヤと笑い始める。
 確かに不審人物といえた。