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狙われた少年

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狙われた少年

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   六

 葦原藩士会は、文字通り葦原藩に仕える者たちの集まりだ。定期的に会合を開いているが、毎回集まるのは跡目を譲って隠居した老人がほとんどで、若者の姿を見ることはまずない。
「何でだ?」
 天真 ヒロユキ(あまざね・ひろゆき)は、丹羽 匡壱(にわ・きょういち)に尋ねた。【Tutelary In Forest】の仕事でたまたま明倫館に来ていた彼は、単純な好奇心と気まぐれから、ちょうど出かけるところだった匡壱に同行してきた。
「そりゃあ、おまえ」
「おお、丹羽の小倅じゃあないか」
「どうしたことだ珍しい」
「大きくなったなあ」
「ついこの前まで寝小便を……」
「そうそう、覚えておるか。うちの柿の木を悪戯して、それが渋柿でなあ」
 たちまち老人たちに囲まれ揉みくちゃにされかかった匡壱は、どうにかそこを抜け出し、ぐしゃぐしゃになった髪を手で撫で付けながら答えた。
「――こうなるからだ」
「納得した」
 ヒロユキが頷くと、そこにまた声がかかった。
「あれ、珍しいですね」
 またかとうんざりしかけた匡壱だったが、声の主は紫月 睡蓮(しづき・すいれん)だった。彼女は例外中の例外。女の子で若く、おまけに可愛くて優しくて素直となれば、老人たちに可愛がれないはずもなく、お茶汲みとして毎回参加していた。
「ああ、ちょっと調べたいことがあってな」
「匡壱さんも?」
「というと?」
「兄さんからさっき電話があって、何でも諏訪家と甲斐家の事情を知っている方がいたら、ぜひ話を聞いて知らせてくれと」
 兄さんというのは、睡蓮のパートナー、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)だ。
「唯斗は何をしてるんだ?」
「さあ?」
と、睡蓮は首を傾げた。
「まあ、あいつのことだから心配はないだろうが……」
「それで、何か分かったのか?」
とヒロユキ。
「すみません、まだです。私も今さっき来たばかりで」
「お前さん方、諏訪と甲斐の話を聞きたいのか?」
 三人の会話に口を挟んだのは、焙烙頭巾を被った老人だ。「三ノ輪のご隠居様」と、睡蓮は呼んだ。
「何かご存知なんですか?」
 三ノ輪のご隠居はどっこいしょと椅子に座ると、匡壱を睨んだ。
「お前さんだって、ちっとは知っとるじゃろう。あそこの奥方のことを」
「諏訪家の出でしょう」
「あれは昔から美貌の主として有名じゃった。じゃから早くから縁談が次から次へ舞い込んだが、選んだのは甲斐主膳じゃった。あれも昔はなかなかいい男でな。イケメンというのか?」
 覚えたてらしい言葉を、三ノ輪のご隠居は得意げに口にした。
「その上、じゃ。あれほど悋気の強い女子は滅多にない。主膳はようも我慢したものよ」
「諏訪家ってのは、どんな家なんです?」
 ヒロユキが尋ねた。
「言うなれば、悪意のない悪党、かのう」
 ヒロユキは眉を寄せた。意味が分からない。
「あれは自分が正しいと思ったことを他人に押し付ける。諏訪の人間は、大概そうよ。悪意がある人間は、まあ一人かのう」
「それは?」
 睡蓮の問いに、分かっているだろうと言わんばかりにご隠居は答えた。
「帯刀の妹――つまり主膳の妻・那美江よ」


「――つまりこちらに正義があると、思わせるわけか」
 九十九 雷火(つくも・らいか)の問いに、武崎 幸祐(たけざき・ゆきひろ)は頷いた。
「葦原藩の政変に偶然当麻が巻き込まれた形を維持し、警邏に当たっていた諏訪家侍たちが当麻を保護しようとしてテロリスト――これがつまり、明倫館の忍者どもだな――に攫われた、というストーリーだ」
 雷火は三白眼を細めた。「面白いな」
「母親のほうも、捜査協力と関係者強制保護を名目に同行して貰う。こちらの正当性を正面から主張すれば、明倫館の連中も手出し出来ないはずだ。これで、無駄な時間と死傷者を出さずに目的を果たせる」
「お主、なかなか策士だな」
「あんたたちが無策すぎるんだ」
 幸祐は、錬金術の材料採取のために、ここ、葦原島を訪れた。たまたま負傷した侍たち――ゲイル・フォード(げいる・ふぉーど)と遣り合った者ら――と会い、彼らの治療を手伝った。その腕を雷火に買われたのであるが、彼らの戦略性の無さと解決法の矛盾に呆れ、作戦を一つ申し出た。雷火はそれも気に入ったようだった。
「一緒に来てくれ。その、次の手を打つためにな」
「分かった」
 幸祐と雷火が部屋を出ると、反対側の廊下を蒼灯 鴉(そうひ・からす)と共に歩いていく師王 アスカ(しおう・あすか)の後ろ姿を見かけた。
「あれは?」
「絵描きとその護衛だそうだ」
「絵描き?」
「奥方様を描かれるんだそうだ」
「いつから?」
「今日」
「馬鹿な。このタイミングで――明倫館の連中かもしれないぞ。護衛がつく絵描きなんて、おかしいだろう!」
「俺もそう思うが」
と、雷火は笑った。「心配するな。奥方様は、それほど阿呆ではない」
 そういえばこの屋敷で奥方の話をする者がいなかったことに幸祐は気づいた。まるで、那美江という奥方の存在を口にするのが、タブーであるかのように――。