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早咲きの桜と、蝶の花

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早咲きの桜と、蝶の花

リアクション

■第二章

「蝶、いなくなってしまいましたねぇ」
「この様子なら、すぐに戻ってくるだろう」
 ステージのすぐ傍に並んで腰を下ろしたヴラドとシェディは、ほのぼのと言葉を交わしていた。ヴラドの手には、桜餅。もくもくと食べ進めているそれは、屋台が開くや否や買いに走ったものだ。
「……紙吹雪はもういいのか?」
 ずぞぞ、と抹茶を啜ったシェディが、ヴラドの足元に置かれた袋に残る大量の紙吹雪を指す。肩を竦めたヴラドは、「後片付けの必要性に気付きました」と溜息交じりに零した。
「手伝って下さった彼女には感謝していますよ、勿論」


「ごみは持ち帰る、これ花見の鉄則なんだよ」
 彼らから少し離れた所、紙吹雪の余韻の残る一角では。
 ヴラドと共に紙吹雪を撒き散らしたレキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)が、せっせと紙を片付けていた。彼女の周りには、ひらひらと舞う数匹の蝶。紙吹雪の効果はあったようで、何匹かの蝶が彼女に興味を持ったようにその周囲を飛び回っている。
「ふうむ、イエニチェリが屋台を出しているとは興味深いものじゃったのう……」
 幼子のような姿をしたミア・マハ(みあ・まは)チムチム・リー(ちむちむ・りー)に持たせた桜餅の包みを眺めながら呟いた。チムチムに不満はないようだが、お盆に乗せた抹茶を零さないように運ぶので精一杯のようだ。
「しかし蝶を桜に見立てての花見というのは他にないと思います。意外とジェイダス校長の耳に入れば、感性を評価されて入学できるかもしれませんよ」
 キッチンに立ち寄って弥十郎たちの料理を少し拝借してきたカムイ・マギ(かむい・まぎ)は、ヴラド達の傍を通り掛かった際に、そう声を掛けた。ぱっと目を輝かせる彼に「ですから今日は楽しみましょうね」と言ってその場は分かれ、そうして四人はようやく一同に会す。
「待たせたの、桜餅を買ってきたよ。持っておるのはチムチムじゃがの」
「皆で仲良く食べるアルよ、たくさん買ったから誰かいたら一緒に食べるアル」
 たくさん買ってきた桜餅を味ごとに並べ、チムチムはもふもふの尻尾を揺らす。その隣ではカムイもまた貰って来た摘まみを並べ、簡単な花見の席は完成した。
「じゃあ、かんぱーい!」
 レキの音頭で、四人は抹茶の器を軽く掲げる。ちん、と控え目に端を合わせて、彼らの花見は始まった。


 そんな彼らから少し離れた所では、クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が同様に並んで座っていた。
 彼らの手にもやはり、出来たての桜餅と抹茶がある。他に屋台もない小さな花見会の中で、桜餅屋台は非常に繁盛しているようだ。
「はい、クリストファー」
 半分にちぎった桜餅を、クリスティーが差し出す。受け取ったクリストファーもまた、自身の手にしていた桜餅を半分にちぎって手渡した。複数の餡の中から選びあぐねた結果の選択だった。
 それから暫くは、お互い何も喋らない。鳥の囀りや周囲の賑やかな声が聞こえる中での沈黙は、決して苦痛ではなかった。甘い桜餅とほろ苦い抹茶を手に温かな陽の光を浴び、穏やかな時間を共有すること自体、彼らにとって充分に価値のあることだった。
「改めて……おめでとう、クリスティー」
 不意に、クリストファーが呟くように声を零す。対象の無いそれの指す内容を、クリスティーはすぐに理解した。嬉しそうに頷いて、それから面持ちを引き締める。
「ありがとう。……クリストファー。ボクは、最近思うんだ」
 クリスティーの視線の先には、クリストファーの顔。そこに残った大きな傷跡に、クリスティーの視線は一心に注がれていた。それに気付いたクリストファーも桜餅を食べる手を止め、クリスティーの言葉に耳を傾ける。
「その傷。それは、クリストファーの行動の結果であって、クリストファーの歴史だよね」
「ああ。俺の所為で、クリスティーの身体に傷を付けてしまった」
 申し訳なさげなクリストファーの言葉に、違うんだ、とクリスティーは首を横に振る。
「そうじゃなくて、それはクリストファーの手に入れた勲章なんだ。傷という形だけど、クリストファーだけのものなんだよ。……それをボクが奪う権利なんて、ないんだ」
 クリスティーの言葉は、決して傷を悲観するものではなかった。それどころか消えない傷を肯定的に、負うに至った過程を含めた成果の一つとして語っている。
 彼の言わんとするところに気付いたクリストファーは、複雑な表情で視線を落とした。そうしてまた、沈黙が訪れる。互いに自分自身と、そして相手のことを思うが故のその沈黙は、難しいものではあったが、重苦しいものではなかった。


 そんな時、不意にステージから旋律が響き渡った。月崎 羽純(つきざき・はすみ)のギターの音を背景に、マイクによって増幅された遠野 歌菜(とおの・かな)の声が周囲へ響く。
みんな〜こんにちは! 魔法少女・マジカル☆カナです♪ お花見、盛り上がってこー!
 わああ、とノリよく上がる声。その声が止まないうちに、歌菜の歌が始まる。

薄紅色の欠片 たくさん集めたら Let’s a party time!

 ポップス調の曲を、歌菜の澄んだ声が元気良く歌い上げる。マイクを持たない手を歌菜が振り上げると、周囲でも合わせるように手を上げる姿があった。
 そんな楽しい雰囲気に惹かれるように桜蝶が一匹、また一匹、ハリボテではなく歌菜の周囲へと集まり始める。飛び交う蝶たちと共に歌い踊る歌菜の背後では、羽純のギターが明るい音程を掻き鳴らしていた。二人の音は絡み合い、周囲に快活な旋律を送り届ける。

歌おう 踊ろう 楽しまなきゃ勿体無い♪ ありがとうございましたー!

 一曲を見事に歌い切り、ぺこりと頭を下げた歌菜と羽純は拍手を背にステージを降りていく。桜蝶たちはひらひらとハリボテの樹へ流れ、それぞれ花のようにそこへ止まった。
「やったな」
 それを見た羽純が、歌菜の頭を褒めるように撫でる。「うん!」と嬉しそうに頷いた歌菜は羽純の手を取り、ぴょんぴょんと跳ねて成功を喜んだ。
 誰からか差し出された桜餅を受け取り、桜蝶を眺めながら二人で並んで食べる。
「我儘に付き合ってくれてありがとね、羽純くん」
「お礼は言葉だけ、か?」
 桜餅を飲み込んだ歌菜の言葉に、羽純は悪戯っぽく笑って見せた。途端に困ったように考え込む歌菜の姿を微笑ましげに眺め、込み上げる笑いをひとしきり堪えた羽純が撤回を告げようと口を開いた瞬間、彼の頬へ柔らかな感触が振れた。
「……これでいい?」
 驚いた羽純の視線の先、照れたような拗ねたような表情をした歌菜の言葉に、羽純は今度こそ吹き出すように笑声を零した。むっと膨れる歌菜の後頭部へ素早く片手を回し引き寄せると、彼女の反応を待たず、優しく唇を重ね合わせる。
「キスはこう、だろう?」
 間近で目を合わせたまま低く囁かれた言葉に、歌菜はぼうっと頬が熱くなるのを感じた。言葉を失う歌菜の後頭部へ、羽純は優しく掌を伝わせる。
「は……羽純くんのバカッ」
 すっかり照れてしまった歌菜が落ち着くまで、羽純は優しく彼女を宥め続けた。
 そんな二人を祝福するかのように一匹、舞い降りた桜蝶は、静かに二人の周囲を飛び回ると、やがてハリボテの樹へと吸い込まれていった。


「いっぱい楽しい雰囲気を出せばいんだよね? なら、いくはお歌を歌うよ! だから、貴瀬おにいちゃんにもバイオリンを演奏してほしいな!」
 ステージへと向かいながら、柚木 郁(ゆのき・いく)は元気良く言い放った。ぱたぱたと揺れる彼の羽は、その意気込みを表しているかのようだ。
「郁がお望みなら、ステージまで付き合おうかな? といっても、俺自身ステージは久し振りだから緊張するね」
 彼の傍らを歩く柚木 貴瀬(ゆのき・たかせ)は、バイオリン片手に微笑んだ。リラックスしたその面持ちからは、言葉通りの緊張は窺えない。
「ありがとう! いくも貴瀬おにいちゃんも、笑顔にならなきゃね!」
 くるりとその場で回転した郁の言葉に、貴瀬は「笑顔?」と問い返す。
「だってね、笑顔はたくさんの人につながって……広がっていくんだよ? だから、いく、笑顔が大好き!」
 皆が笑顔になれば皆で元気になれるよね、と楽しそうに言う郁へ、貴瀬は納得したように頷いた。そんな二人の背中を、包みを手にした柚木 瀬伊(ゆのき・せい)が軽く押す。
「ほら、行っておいで。俺はここで待っているから、楽しく歌ってくるといい」
 お弁当の包みを軽く掲げて見せる瀬伊に、郁は嬉しそうに頷き返す。それから駆け足でステージへ上っていく郁を、貴瀬は慌てて追い駆けた。
「郁、大丈夫?」
 手早く調律を終えた貴瀬が、郁へと呼び掛ける。郁が大きく頷くのを見て、貴瀬は短く一息吸い込むと、静かにバイオリンを奏で始めた。
 流れ始める清楚な旋律に、人々が再び目を向ける。昂揚していた気分を穏やかに宥め、より深い楽しみへと導いていくバイオリンの音色。暫しの前奏の後に、郁は口を開く。

〜♪

 幼げな郁の声で奏でられる、楽しげな『アヴェ・マリア』。賑やかしいお花見の舞台には縁遠く思えるその曲も、元気いっぱいに歌う郁の歌声によって、場を盛り上げる曲へと変わっていく。
 そんな演奏に、うずうずと立ち上がる二人の姿があった。クリスティーとクリストファーは郁とアイ・コンタクトを交わし、彼らの一歩後ろへ立つと、郁の歌声に合わせてコーラスを歌い始める。
 彼らの歌声はバイオリンの旋律に乗って庭中に響き渡り、人々の興味を自然と惹き付けた。飛来した桜蝶は郁の頭に留まり、彼のターンと共に離れては再びそこへ戻る。クリスティーとクリストファーの伸ばした指先にも蝶は静かに舞い降り、そしてハリボテの樹へと飛び立っていく。

〜♪

 何度か繰り返し歌い、随分と蝶の増えた樹を確認すると、郁は満足そうに曲を歌い終えた。ぱちぱちと上がる拍手の中で、郁とクリスティー、貴瀬とクリストファーはそれぞれ握手を交わす。
「ありがとう! 楽しかったよ」
「こちらこそありがとう、また機会があったら一緒に歌いたいね」
 そう言葉を交わし合って、それぞれの元いた方向へとステージを降りていく。郁と貴瀬の向かう先には、シートを広げ場所を確保した瀬伊の姿があった。
「お帰り。良いステージだった」
 軽く拍手する瀬伊に、えへへ、と嬉しそうに笑う郁。
「瀬伊、お腹空いたー。お弁当は?」
 その後ろからにこにこ声を掛ける貴瀬に呆れたように肩を竦めると、瀬伊は容器の蓋を開いた。
 おにぎり、唐揚げ、甘い玉子焼き、アスパラの豚肉巻き、その他たくさんのおかずが彩り豊かに盛り込まれている。その隣には郁のためにと買った桜餅があった。
「わあい、いただきまーす!」
 手を合わせた郁は、瀬伊の橋によって差し出された唐揚げをあーん、と受け取る。もぐもぐと表情を綻ばせる郁の傍ら、貴瀬はあくまで自然な仕草ながらも、もくもくと大量のおにぎりを平らげていた。ペットのゆるスターにも餌をやりながら次のおかずを求めるように泳ぐ貴瀬の箸の先から、瀬伊は素早く器を掠め取る。
「そんなに食べたら、郁の分が無くなるだろう? ほら、あーん」
 そう言って再び差し出された卵焼きへ、郁は無邪気に噛み付いた。
「甘い卵焼き、おいしいー!」
「好きなだけ食べるといい。……なんだ、貴瀬」
「それ、俺のご飯ー……」
 取り上げられた器を寂しそうに眺めながら、貴瀬は次のおにぎりへと手を伸ばした。
 そんな彼らの周囲を、見守るように桜蝶が一周する。和気藹藹と食事を進める彼らに気付かれることもなく、蝶は優雅にハリボテの樹へと向かっていった。


 桜餅を口にしながら一通りステージを眺めていたミアが、感心したように呟きを漏らす。
「皆、なかなかやるのぉ。素人とは思えんよ」
「ねえ、皆も混ざろうよ!」
 それぞれにシートを広げている参加者たちへ、レキは声を張り上げた。
「折角だからさ、皆で楽しんだ方が蝶ももっと集ってくるんじゃないかな」
「いくも混ぜてー!」
 早速とばかりに郁が駆け寄ると、保護者二名もシートと弁当箱を持って後に続く。初めまして、とわざわざ言葉を交わすことも無く、宴会の席での歓談は始まる。
「あ、その卵焼きはチムチムが狙ってたものアルよ!」
「えー、俺も狙ってたよー」
 チムチムと貴瀬が和気藹藹と料理を狙い合い、「沢山あるから焦るな」と瀬伊が窘める。そんな光景にレキはくすくすと笑声を零し、そんな雰囲気に釣られたように、徐々に他の生徒達も集まり始めた。そしてそれを見守るように、たくさんの蝶が空を舞い踊る。


「今日はありがとう」
 擦れ違いざま、不意にクリスティーが告げた言葉に、ヴラドとシェディはぴたりと足を止めた。クリストファーは、また別の桜餅を買おうと屋台へ向かっている。
「こちらこそ、素敵なステージをありがとうございました」
 ヴラドの礼に、クリスティーは嬉しげに頷いた。それから、ふと表情を真面目なものに変える。
「ボクは薔薇の学舎に入る前、単に憧れだけでイエニチェリになりたいと思っていた。イエニチェリがどのような存在で、何を求められているかちゃんと考えてはいなかったかも」
「イエニチェリ?」
「……薔薇の学舎の、偉い生徒だ」
 きょとんと首を傾げるヴラドに、無知な彼でも分かる程度の噛み砕いた説明を添えるシェディ。ああ、と納得した様子のヴラドは、続きを促すように視線を戻した。
「とある試練を通して、イエニチェリになって何をするか、その前にどのような矜持を持ったイエニチェリになるか、ボクはそれが大事だと考えるようになったんだ。……なった今でも毎日が模索だけどね」
 苦笑交じりのクリスティーに、ヴラドは驚いたように「イニチェリおめでとうございます!」と拍手を送った。すぐにシェディによって「イエニチェリ、だ」と訂正が入る。
「……だから君達が薔薇の学舎に入学するのはゴールではなく、新たなステージのスタート地点なんだと思う。偉そうな事を言ってごめん、一応先輩としての助言になっていればいいんだけどね」
 そのクリスティーの言葉に、ヴラドも今度こそ面持ちを引き締めた。どこか楽しげな笑みを浮かべたまま、首肯を返す。
「正直、以前の私は、ただ薔薇学に入りたいとしか思っていませんでした。何か理由はあったのだと思いますが、今では忘れてしまいました」
 困ったように眉を下げるヴラド。シェディもまた、黙したままに続きを窺う。
「ですが。何度か学舎の方々や、他の学校の皆さんと言葉を交わすうちに、全く別の理由が出来ました。……もっとこうして、皆さんと関わってみたいと思うんです。今ではそれが叶うなら、何も目標は学舎への入学だけでなくてもいいと思い始めました」
 勿論入りたいですよ! 心から! と慌てたように言い加えて、咳払いを一つ。
「こう思えたのは、皆さんのお陰ですよ。ありがとうございます」 
「それを聞いて安心したよ。いつか、学舎の中で会えるといいね」
 ヴラドの『目標』に納得したように頷くと、「またね」と言い残して、クリスティーはクリストファーの元へと駆けていった。暫くそれを見送ってから、おもむろにシェディが口を開く。
「……初耳なんだが」
「ですが、あなたは知っていたでしょう?」
「……おまえが単にこうして盛り上がりたいだけだということは、分かっていた」
 わいわいと騒がしい花見会場を見渡しながら返された同意に、ヴラドは悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「ええ。ですからもう少しだけ、私の我儘に付き合って下さい」