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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第2章 誰かのために 5

「前線のほうでは先行部隊がやられたらしいな……。なんとか逃げ帰ってきた兵士が、最悪な状況だってわめいてた」
「マジかよ……勝てるのか、この戦い」
 民たちを守るためにヤンジュスに留まっている護衛兵士たちの間では、そんな会話がちらほらと漏れ始めていた。そんな彼らとともにいるシャウラ・エピゼシー(しゃうら・えぴぜしー)は、快活に笑ってみせる。兵士たちのもとには、彼と、そのパートナーであるユーシス・サダルスウド(ゆーしす・さだるすうど)の他にも、レジーヌ・ベルナディスがいた。
「大丈夫だって。ほら、領主様や俺たちの仲間だっているんだ。きっと敵を追い払ってくれる。そうしたら、家にだって帰れるさ。もう少しの辛抱だよ」
「でも……あの……シャムス様、だろ? 女だった……」
 兵士の一人が、歯切れ悪く言った。
 言わんとすることは、よく分かる。女性であると知ったことで戸惑いを隠せない兵士たちは、容易に彼女のことを信じることが出来ないのだろう。
 途端――震える声でぼそりと口を開いたのはレジーヌだった。
「女性だったから……」
「え……」
「女性だったから……たったそれだけの事でこれまでのシャムスさん全てを否定するんですか……?」
 それは、どうしようもない哀しみや怒りを含んだ声で、まるで心が泣き叫んでいるかのようにも感じた。特に、普段は大人しくあまり進んで口を開くことのない彼女がそれを口にしたことは、兵士たちの間でもなんともやるせない、後ろめたいものを思わせた。
 レジーヌは、シャムスを信じている。
 彼女は言った。自分が自分らしくあることが大切だと、私に教えてくれた。そしてレジーヌは、彼女が誰よりも民を愛する人であることをよく知っていた。だからこそ、この短い間にそれだけのことを感じさせてくれた彼女を、自分より長く付き合っている兵士たちが信じられることが……レジーヌにはどうしてもやりきれなかったのだ。
「皆さんは……ワタシよりも……きっと……きっとシャムスさんのことを分かって、いるはずですよ……あの人がどれだけ努力してきたか……あの人が……どれだけみんなのことを思っているのか……」
 兵士たちは黙っていた。顔は俯き、わずかしか伺いきれぬその表情は、まるで思い出を思い起こしているようだった。
 シャウラが、彼らに笑いかけた。
「レジーヌさんの言うとおりだって! それに……ほら、女領主第一号じゃん!」
 その何とも明るい声につられて、兵士たちの表情もどこか穏やかなものになった。ほほ笑みあった彼らの中から、「……かもな」という声が漏れ聞こえた。
「それに、美人でよかったよな! 胸もすげーの」
「シャウラ……胸は関係ないでしょう」
「大有りだよ! 最重要事項だよ!」
 ユーシスのツッコミに叫ぶシャウラを、傍らにいるレジーヌは恥ずかしそうに呆れた表情で見ていた。
「女領主第一号か……それも悪くないかもな」
「ああ。それに、やっぱり美人を守るってのは気分が良い!」
「おいおい、お前、高嶺の花過ぎるだろ?」
 兵士たちは次第に談笑にふけり、笑い始める。もしかしたら彼らも、心のどこかでは彼女を認めたくて、踏ん切りのつかない背中を誰かに押されたかっただけなのかもしれない。なんとなく、シャウラはそんな気がした。
 と、明るくなってきた空気に亀裂を入れたのは、一人の兵士の一言だった。
「でも……やっぱりどうだかな」
「あ?」
 すでに心を入れ替え始めていた兵士が、背後にいたそいつに睨むような目を向けた。
「どういうことだよ」
「いや、だってよ……まあ、百歩譲ってシャムス様のことは良いとしてだ……エンヘドゥ様はどうするんだよ。あいつぁ、裏切り者だぜ?」
「そいつは……」
「しかも、エンヘドゥ様が裏切ったのは砦侵攻戦を始めて向こうに突入してからだろ? そんでもって、それからニヌアまでやられちまった。なんか、出来すぎてねぇか? もしかして、シャムス様が手引きしたんじゃ……」
「おい、お前……!」
 兵士の一人が、そいつを制しようとした。しかし、元々は疑念のあった仲間たちだ。多少はシャムスを信じようと心を変えた者もいるとはいえ、やはり仲間にそう言われては、懐疑が引き戻されていく。
「今はまともに見えるシャムス様だって、いつエンヘドゥ様みたいに裏切るか分かったもんじゃないぜ。やっぱり、信じきれない――」
「おい」
 シャウラが、なんとか再び彼らを説得しようと思ったそのとき、兵士の発言を遮ったのは清涼な青年の声だった。
「永谷さん……」
 レジーヌたちが見やったそこで、大岡 永谷(おおおか・とと)は兵士を見下ろしていた。彼は座り込んだその兵士、そして他の彼に同調する仲間の兵士数名を一瞥すると、突然なにごとかと思われることを言った。
「あんたたち……見かけない顔だな」
「え……?」
 周囲の視線が、問題の兵士たちに集中した。慌てて、彼らは言い繕う。
「な、何を言ってるんですか、永谷さん。俺たちは最初からいたじゃないですか」
「……俺は軍人だ。そのせいかな……少なくとも、自分の所属する部隊の仲間の顔は忘れないようにしているんだ。そして、自然と覚えることにも、長けている」
 そのときの永谷の瞳は、狩猟が獣を逃がさんとするときのものに似ていた。兵士の額に、我知らず汗が浮かぶ。
「俺は……あんたたちの顔を見たことがないな」
「そ、そりゃあ……ほ、ほら俺たちってニヌアから逃げのびて後から合流した兵士じゃないっすか。だ、だから覚えてないんですよ、きっと」
「ああ、なるほどな……じゃあ、聞くが――うちの所属部隊名はなんだ」
「へ?」
 問題の兵士は間抜けな声をあげた。その陰で目を丸くしたシャウラとレジーヌたちには気づいていない。シャウラは他の兵士たちに向けて目をやった。ほんのわずかに、彼らが頷いた。
「所属の番号のことだ。部隊には番号が割り当てられているだろう? 言ってみたらどうだ?」
「え、えっと、2番、かな」
 そのとき、空気は確かに緊張を帯びた。それは、問題の兵士たちを囲む他の仲間が、自らの腰にさげた帯剣に手を添えて、問題の兵士を睨み据えたからだった。問題の数名の兵士たちは、そのことに気づいて慌てて更に口を開いた。
「あ、ち、ちがったかなー、えーと、さ、3番? ちょ、ちょっとど忘れしちゃって」
 だが、兵士たちの視線は鋭いままだった。
「い、いったいどうして……」
 唖然としてそんな声を漏らした兵士に、永谷が不敵な笑みを浮かべて言った。
「俺たちの部隊は“盾”だ。番号なんて……最初から振られていない」
 だまされた。
 その事に問題の兵士たちが気づいたときには、既に遅かった。それまで仲間であった兵士たちが、いっせいに彼らを捕らえようと飛び掛ったのだ。
 彼らは偽装兵――いわゆるスパイだった。恐らくは、シャムスへの不信感があるこの機を利用して、その疑念を更にあおってしまおうと考えたのだろう。今に思えば、モートが思いつきそうなことだ。
 飛び掛ったのは良かったが、このときのために訓練されていたのか、偽装兵たちは素早い動きでその捕縛網を掻い潜った。そのまま、追いかけてくる南カナン兵を背中にヤンジュスから逃げ出そうとする。
 すると、そのときだった。
「お、お伝えします!」
 タイミング悪く、仲間の伝令兵が戻ってきた。しかも、明らかに慌てており、嫌な予感を感じさせる。
「モート軍と我が軍がついに衝突。敵軍はこちらにも向かってきて――」
 瞬間。
 頭上から落下したグールの獰猛な爪が、伝令兵の身体を一瞬のうちに真っ二つに切り裂いた。それを見ていた民たちの悲鳴があがり、永谷とシャウラたちはグールに向けて身構える。
 味方のモンスターがたどり着いたことで、助かったと喜ぶ偽装兵。だが――その表情は凍りついた。グールは偽装兵に近づき、彼らさえも八つ裂きにしたからだ。
 それを合図としたかのように、遠くからワイバーンやヒポグリフ部隊の姿が現れ、敵歩兵部隊も徒党を成して攻め込んでくるのが見えた。
 偽装兵の死体を見やって、シャウラは呟く。
「……役立たずは殺すってのか? ったく……ムカつく野郎だよ、全く」
 例え敵だと言えども、無残に駒として殺される者を見るのは気分が良くなかった。死体の周りに広がった血を見て、シャウラの脳裏に初めて人を殺したときのことが思い起こされる。一瞬頭が眩んだようになるシャウラを、ユーシスが見守っていた。
 ユーシスは分かっていた。そしてその通り――シャウラは自らの頭の中の幻想を振り払って、前を屹然と見た。レジーヌが、彼に心配そうに声をかける。
「シャウラさん……大丈夫……ですか?」
「ああ……あんな……あんなことを平気でする奴なんかに、負けてたまるか。カナンの人たちは、必ず守ってみせる」
 ユーシスは何も言うことはなかったが、それに人知れず頷いていた。
「よし、まずはみんなを後退させるんだ!」
 永谷が叫び、それに応えて兵士たちが動き出した。
 今は、小さな力だ。弾かれたら飛んでいってしまうかもしれない、ほんの小さな力。だけど、それが集まって大きなものになれば……。そのために、俺は全力を尽くす。永谷はそう心に刻み込んだ。