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リアクション
第2章 誰かのために 1
シャムス率いる南カナン軍は砂漠に敵軍迎撃のための拠点を作り、その場で休息を取ることにしていた。いずれにしても敵がこちらにやってくることは確実なのだ。戦場を離すためにヤンジュスから距離をとることは必要であったが、それ以上の進行はする必要もあるまい。
拠点の兵士たちはシャムスの指揮に従って簡易兵器の製造や戦地整備などを行うが、彼女に懐疑を抱く兵士たちの間では不平と不満がぽつぽつと漏れ出していた。中には、この状況にあって戦場を離脱し、自分だけ助かろうと脱走する兵もいるほどだった。そのような輩は数えるほどとはいえ、シャムスはそれを追いかけようとはしなかった。勝ち目というものがほとんど見えない戦だ。逃げ出したく気持ちも、分からなくはあるまい。
拠点で指示に余念を欠かさないシャムスを見て、兵士たちが改めて落胆の意を見せた。
「ったく……まさか女だったとはは……」
「すっかりだまされたぜ……」
その落胆は、半ば男性であると信じて尊敬の意を持っていたからこそ、反動が大きかった。しかも、シャムスが女性であると知れたのは自らの告白ではない。兜をなくした彼女を見た兵士たちの間から自然と広がった事実であり、もはやそれを隠すこともできないシャムスは、今となっては兜なき黒騎士であった。
まして、彼女の妹もまた敵となっていると言うではないか。その事もまた兵士たちの不審を募ることとなり、結果として兵士たちにこの戦いと自分を率いる領主に対する疑念を抱かせることになっていたのだった。
すると、不満を漏らす兵士たちに向けてあからさまなため息が聞こえた。
「……はぁ。おぬしら、大の男が雁首そろえて……やれ男じゃなかった、それ女でガッカリだ等と口々に」
振り向いた兵士たちの前にいたのは、シャンバラの援軍としてこの戦いに参加している南部 ヒラニィ(なんぶ・ひらにぃ)だった。その横にいる琳 鳳明(りん・ほうめい)のはらはらした様子も素知らぬ振りで、彼女はむしろ兵士たちにこそ落胆を抱き、つまらないものでも見るかのような目をしていた。その目はやがて、気丈なものに変わる。
「誇りある戦士であるのなら女を護るために奮い立ってみい。騙されたと憤るのなら戦果で示してみい。戦いはまだまだこれからじゃぞ」
恐らくは兵士たちを叱咤しているのだろうが、兵の男たちは戸惑うばかりだった。
「しかし……この戦力差だぞ……先行きはほとんどない」
「未来が不安か? ふははっ、笑止! わしはシャンバラ(のヒラニプラの南部地域であるが、言う気はさらさらない)の地祇ぞっ。すなわちカナンの地祇であるイナンナと同格である!!
つまりイナンナとマブダチ! それだけでこの戦、イナンナの加護と同等のモノが常に傍らにあると思え!」
自信満々にヒラニィは無い胸を張った。ちびっ子が背伸びするようなそれを見て、兵士たちは失笑し、近くを通った天津 麻羅(あまつ・まら)がふ……と鼻を鳴らして笑った。
「ぬっ、誰だ今笑ったヤツは!? おぬしか麻羅! そこになおれ!」
「なぜわしが、そのようなことをせねばならんのじゃ?」
「あ、こら待てッ!? 無視はするなあぁっ!」
軽くあしらう麻羅と、ムキーと地団駄を踏むヒラニィ。そんな二人を、保母さんさながらに鳳明はなだめようとした。
「ヒラニィちゃん! こんな所で麻羅さんと喧嘩始めないでよっ」
そうして、ふと失笑したままで呆然としていた兵士たちに気づき、彼らにも頭をさげる。
「……あ、えっとお騒がせしてごめんなさい! けど、ヒラニィちゃんが言ってる事も一理あるかな……とか。あ! その……イナンナさんとお友達とかの話じゃなく!」
慌てて弁解した彼女の視線はシャムスのほうへ向かい、同情のようなもの思わしげなものに変わった。
「例え血筋や因習の為とは言え、性別を偽っていたのは事実だよね。けど、今はそれをどうこう言ってる場合じゃないよ。戦場で仲間への疑念は生死に関わるから……」
「それは……そうだが」
兵士たちはうめくような声を漏らして沈思した。
「それに、シャムスさん自身覚悟を持って男を名乗っていたと思う。だから男よりも男らしく。そして誰よりも強くあれと……行動で示し続けてきた人だから。生半可な覚悟じゃ出来ない事だよ」
「…………」
兵士たちは何も物言わなくなった。お互いの目を交わして何か思いに耽るような顔をしている。鳳明は、もしかしたら、彼ら自身も自分の言うことと同じことを思っていて、それを認めようとしないだけなのじゃないかと思った。
すると、その期待を遮るかのように兵士の一人がぽつりと漏らした。
「でもさ……俺たちをだましてたのは事実だろ」
「……それは」
「そりゃ、領主様にだって事情はあったかもしれないけどよ。覚悟があったなら、最初から自分で名乗れば良かったんだ。そいつをしないってことは、後ろめたいことでもしてたんじゃないのかよ」
「そりゃ……ありえるかもな。それに、エンヘドゥ様だって敵側にいるって話だろ。だとしたら、もしかして向こうと内通してるんじゃ……」
「そんなこと……!?」
一度浸透し始めた意識というものはなかなか覆せないものだ。一人の兵士が何かを口にすれば、それまで黙っていた仲間たちもまた口々に疑わしいと思われることを言い始めた。鳳明はそれをなんとか止めようとするものの……彼らを説得できるほどの材料があるわけでもない。ただ、なぜか違和感のようなものを感じるのは事実だった。それは、それまで素直に鳳明の話を聞いていてくれた兵士たちさえも、助長されたシャムスに対する疑念に呑まれていたからだ。
そのタイミングの良さと誇張された疑念は、どこか細工されたもののようにも感じた。
(気のせい……?)
鳳明が眉をひそめたそれに、それまでずっと言い争いを続けていたヒラニィと麻羅はお互いに顔を見合わせた。
「ふむ……」
「うむ……」
そして、何か思い至ったように呟いたのだった。
兵士たちに広がる不審の念を、シャムスが気づかぬはずはなかった。しかし彼女はそれに対してなんら特別な措置をするわけでもなく、いつものように毅然とした態度で兵士たちを指揮するばかりであった。
そんな彼女を見ていた夜薙 綾香(やなぎ・あやか)は何か思うこともでもあったのか、シャムスのもとに近寄ってきた。
「シャムス」
名を呼ばれて振り向いたシャムスを、綾香はじっと見つめた。シャムスは綾香とは砦侵攻戦での軍議のときからの付き合いであるが、彼女はよくも悪くも真っ直ぐな娘であった。歳にしては異様に威厳ある態度をしているが、それもまた彼女の知力と精神の成すものであり、青玉の瞳は常に己の信ずるところを見つめているようでもあった。
そんな彼女が、シャムスに問う。
「シャムス、お前は信じれるか?」
互いの瞳に、互いの姿が映り込んだ。
「お前の領民を。この戦いの勝利を。お前が束ねるべき兵たちを……そして、お前の妹を」
綾香の台詞に、シャムスは妹のことを思い起こしていた。白騎士の姿が、脳裏に浮かびあがる。
「シャムス、お前は言えるか? お前の兵たちに、シャムスを信じろ、と」
怒り……悲哀……そのどれでもない意思を持って、あえて言うならば鼓吹のような音を持って、綾香は言う。
そんな彼女を、姿を離れた場所からパートナーのフィレ・スティーク(ふぃれ・すてぃーく)は、無表情に見つめていた。いや、性格にはフィレ・スティークというべきではない。彼女に憑依した奈落人のアスト・ウィザートゥ(あすと・うぃざーとぅ)が、まるで観察するように綾香を見ているのだ。
(むむ……シャムスさま、必要以上に気負ってるんでしょうか?)
「さあ……どうでしょうか」
特にフィレの意識を封じることはしないアストの頭の中では、フィレがなにやら心配そうに呟いていた。それにぼんやりと声を返して、アストは独り言のつもりで続けた。
「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず……されど、此度は全て失っておりますね。負け戦と分かっていても戦わざるをえず。難儀な事ですね」
(負け戦って……そんな)
「現実はいつでも無情なものですよ……まぁ、ナラカの門戸は何時でも開いています。お好きになさると良いでしょう」
(アストさま〜……)
元来、ナラカの死を見るのが務めと称するこの少女は、必要以上に綾香にも、そしてカナンにも介入することはない。
嘆くようなフィレの声を無視して、彼女は綾香に再び目をやった。
(あれでは……)
綾香がシャムスに喋ることを聞いて、彼女はどこか呆れるようなため息をついた。
(亀の甲より年の功……夜薙綾香もまだまだ子供ということでしょうか。……しかし解せませんね。この状況下でも尚、彼女は自軍の勝利を、そしてシャムスを信じると言うのですから)
無論――それが彼女の望む結果を生めるかどうかは別だが、よくも悪くも綾香より現実というものに達観したアストは、シャムスと綾香との会話の未来が見えているようだった。すでに諦めてもいたが、ともかく今は見学しておくしかあるまい。
綾香は、シャムスに続けて告げていた。
「この戦い、すでにこれだけの戦力差がある時点で勝ち目はほとんどあるまい。その上、兵たちにはお前への疑心があり、本来の力すら発揮できんだろう。それでも勝つと、南カナンを守ると言うならば……お前が人心を束ね、今の兵力以上の力を引き出さねばなるまい」
さすがは軍議に参入するだけの知性だ。それだけのことを理解しているということは、素直に感嘆もできた。
「……以前、小耳に挟んだ話だが。シグラッドが領主であった頃に、ニヌアに強力な魔物が襲って来た事があったそうだな。勝算も薄く、絶望に震える兵に彼が言ったのが「我を信じろ」だ。結局はその後、領主の下に纏まった兵によって魔物は退けられたそうだが……シャムス、言うまでもなかろうが、領主にとって真に必要とされるのは『肩書き』ではない。民から信頼される『人徳』だ。お前が信じ、見捨てぬなら民もそれに応えるだろう。だがお前が誰かを見捨てるならば、皆、お前を信じまい」
だから。
綾香は告げた。
「……妹を連れ戻して来い」
しかし、シャムスはそれに答えることはなかった。何かを口にしようと唇を開きかけたが、彼女は綾香に背を向けてその場を立ち去った。
綾香はそれに追いすがろうとするが、その肩にかけられた手が、彼女を引き止めた。
「レン……」
そこにいたのは、レン・オズワルド(れん・おずわるど)だった。彼は綾香の肩にかけていた手を離し、まるで見守るようにシャムスの背中を見つめた。
「今は放っておいてやれ」
「しかし……」
「あいつもは分かってはいるんだ。この状況が生み出す淀みも、お互いの信頼には、すでに深い傷がついていることも。だが……それを分かった上だからこそ、あいつはああいう選択をするしかないんだ。現実は理想ほど甘くない。目の前に天秤があるなら、計りにかけないといけないときもある」
「だが、それは……!」
綾香は納得できず、思わず身を乗り出すようにして切って返そうとしたが、それをレンは制した。穏やかな彼のその仕草に、冷静を取り戻した綾香は口をつぐむ。
綾香の言うことは正しかった。だが、さりとてそれは、確信に満ちたものではなかった。この状況にあって、いや、この状況だからこそ、シャムスは自分に出来る道を選んでいるのだ。
「不信感の広がってしまった兵たちに、今さら言葉一つで意識を変えることも出来まい。そして、エンヘドゥを救い出すにしても確かな方法はない。ならば、あいつにやれることは民を守るために戦うこと――領主としての精一杯の務めを果たすことだろう」
「……行動の証明か」
「ああ。まずは自分が確かなる領主であり、確かなる味方であること。それを、戦いの中で証明するつもりなんだろう」
現実と理想の狭間は、思ったよりも狭いようだ。それを目の前に突きつけられると、綾香は気分が良いものではなかった。レンが含みある微笑を浮かべて、呟いた。
「あいつがやれることをやるように……俺たちも自分に出来ることをしなくてはな」
「……自分に出来ること」
「そうすれば……少しは現実も、そしてシャムスのやれることも、変わってくるのかもな」
それ以上のことをレンは言うことなく、綾香のもとから去っていった。
残された綾香は静かに人知れず拳を握り、決然とした目を遠くに向けていた。
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