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リアクション
chapter.1 実験結果(1)・大食いと迷い人
複合商業施設、みなとくうきょうはいつも以上の賑わいを見せていた。
それはようやく春めいてきた陽気に誘われたせいもあるだろうが、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)が開発した細胞活性化装置、その効果を試そうとした生徒たちが多く訪れたことが一番の原因だろう。
青レンガ倉庫。
大小様々な店舗が立ち並ぶ中、休憩スペースで入場客と触れ合っていたのは、ここのマスコットキャラ、みーなちゃんとなっとくんである。
言うまでもなくみーなちゃんは、いつものように昆虫のような10本足と筋肉質な片腕を生やし、そこから伸びた6本指はすべて気色悪い動きを見せている。おどろおどろしい顔面と、ダルマのような丸みを帯びつつも樹木のような皺がいたるところに刻まれている奇怪な体も相変わらずで、ついにクレームの数は2万件を超えたところである。そして相方のなっとくんはいたって平凡なままだ。
そんなみーなちゃんとなっとくんに勇敢にも近づいていったのは、ミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)だった。
「あのー、マカロン持ってませんか? それか、マカロン売ってませんか?」
「?」
両手を広げ、マカロンかい? といったジェスチャーをするなっとくん。その横ではみーなちゃんが「キシャアアア」と不可解な声を上げていた。その声にミレイユは一瞬びくっとするものの、めげずに「マカロンが、マカロンが……」と物欲しげな目で訴え続ける。その様子は次第にエスカレートしていき、しまいにミレイユはなっとくんの体にガシッとしがみつき、涙混じりに懇願し始めた。
「ふえっ、マカロン、マカロンほしいよぉ……!」
どうやら彼女は、細胞活性化によりマカロンがとてつもなく食べたくなってしまったようだった。それが元々の性質か、はたまた新たな性質かは分からなかったが。
赤ん坊みたいに駄々をこねるミレイユになっとくんが困っていると、その騒ぎを聞きつけたのか、ひとりの男性がその場に姿を現した。
「どうしたんです?」
穏やかな口調でミレイユとなっとくんの間に入っていったのは、彼女の友人でもあるリュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)だった。
「あっ、リュースさんっ! あのね、ワタシ、どうしてもマカロンが食べたくて食べたくて……」
ミレイユのその言葉を聞いて、ぴくっ、とリュースの眉が一瞬動いた。が、すぐに表情を直すと、リュースは彼女を諭すように言った。
「だからって、そんなになっとくんにすがって困らせてはいけませんよ。それにほら、お菓子が売っていそうなお店ならあそこに見えますよ」
す、とリュースが指を指す。その先には確かに、ポップなデザインをしたスイーツショップが見える。
「マカロン……! マカロン見つけたよっ!!」
ミレイユもそれを目視したのか、ふらふらと危うげな目と足取りでお店の方へと向かっていく。そんな言動を心配に思ったのか、リュースは付き添うように彼女の横に並んだ。
「まったく、どうしたんですか。突然マカロンマカロン言い出して……」
細胞活性化の影響です、と答える余裕も自覚も、きっとミレイユにはなかった。彼女はただ、目の前のマカロンを目指すことで精一杯だったのだ。そして、実はここにもうひとり、細胞を活性化させていた者がいた。言うまでもなくそれは、リュースである。一体彼が目覚めさせられた性質とは何なのか。それはこの後、すぐに判明することとなる。
「わあっ、マカロンがいっぱいだよお!」
スイーツショップに着くなり、ミレイユは目を輝かせて言った。そしてどうやらその店はイートインも出来る店らしく、既に店内からは甘い匂いが漂ってきていた。
「マカロン……マカロン食べ放題……」
食べ放題メニューはないが、勝手にミレイユが呟く。が、ここに来て暴走し始めたのは、彼女よりもリュースの方だった。
「ミレイユさん……せっかくここまで来たからには、食べないと損ですよね。いやむしろ、食べるべきですよね。いっそこの世の食べ物は、すべてオレの胃袋に収まるべきですよね」
そう、リュースの活性化された性質とは、大食いという性質だったのだ。おいしそうなお菓子たちの匂いを嗅いだことで、彼の意識は完全に食べ物へと向けられてしまっていた。すっかり興奮したリュースは、早口でまくしたてる。
「あのですね、そもそも最近、大食いキャラのバーゲンセールだと思うんですよ。たまに大食い系の話が来ても、かませ役だったりと切ない扱いを受けるばっかりで……オレだって食べるんだということを思い出してほしいわけですよ。オレだって、目立ちたいんです!」
熱く語るリュース。が、その時既にミレイユはふらふらと店内に入っており、彼は誰もいないところに熱弁していただけだった。
「……ふふ、そうですか。分かりました。そうくるなら、オレも受けて立ちましょう。ただ顔と声が良いだけの大人しい子じゃないというところを、見せてあげますよ」
そう言うとリュースはミレイユの後を追うように店内に入り、ミレイユの隣の席に座った。
「さあ、食べ比べです。オレとあなた、どっちがよりマカロンを食べられるか、勝負です! マスター、マカロンをとりあえず10人前ずつ」
「じゅ……!? は、はい分かりました」
驚きつつ、店員は言われた通りの量をふたりのテーブルへと用意した。ミレイユは今にもよだれをこぼしそうな視線でそれを見つめ、「ようやくマカロンに会えたよぉ……」と感激している。しかし彼女がその余韻に浸っている間に、リュースは既に10個目のマカロンを口に入れていた。テーブルに置かれてから僅か5秒の間の出来事である。
「どうしました? オレはまだまだいけますよ?」
まだ手すらつけていないミレイユを横目に、リュースは勝ち誇ったように店員に次の注文をする。
「マスター、マカロンを100人前追加で」
「え……? い、いやすいません、今ちょっとうちにはそんな数ないです」
「はい?」
「いえですから、もう在庫の方がありません」
「そこに黒いマカロンがあるじゃないですか」
リュースが前方を見て言う。店員が「え?」といった様子で振り返ると、確かにそこには黒くふかふかした丸いものがあったのだが、床にぽふんと置かれていることから、明らかに客に出す食べ物ではないように思えた。
「まぁる!」
と、マカロンに夢中だったミレイユがそれを見た途端、マカロンの呪縛から解き放たれたように意識を戻し、声を発した。すると、それに呼応するように目の前の黒い物体がぴょんと跳ねた。
「まぁるちゃん 遊んできた! まぁるちゃん 抱いてほしい!」
言うが早いか、そのまま黒い物体はミレイユの胸に飛び込んだ。どうやらこの黒いふわふわした物体は、マカロンではなくミレイユのパートナー、モス マァル(もす・まぁる)だったらしい。
「遊んできたって、もしかしてまた誰かの服の中に潜ってきちゃったの!? もー、やんちゃしちゃめっ! だよ?」
口を尖らせながら言うと、ミレイユはそのままマァルをフードに突っ込み、店を出て行った。後に残ったのは、あれだけ騒いでおきながらひとつも食べられることもなかった彼女のマカロンと食い逃げを食らったリュースであった。
「ええと……お連れ様の分の代金も一緒に払われるということで?」
「……そうですね、はい」
彼女の残したマカロンを自分のテーブルに移動させながら、リュースは悲しそうに返事をしたのだった。
「マスター、すいません、追加注文でホールケーキください。一番大きいサイズのを」
その後、やけ食いに走ったリュースの財布が空になったことは言うまでもない。
◇
プチサイクリングロード。
発着地点からぐるりと一周できるこの道の入口で、クロス・クロノス(くろす・くろのす)は呆然と立ち尽くしていた。
「あれっ……なんで? 青レンガ倉庫に向かっていたはずなのに……」
彼女は、目的地とは違う場所にいる自分に疑問を投げかける。
「まさか、迷子……? 今まで道に迷ったりしたことなんてなかったのに。お陰で変な黒い生き物にイタズラされるし、まったく、今日は厄日なのかな」
溜め息混じりに、クロスがぼやく。どうやらモスがやんちゃしてしまった人物は、彼女だったようだ。クロスはしかし、いつまでも落ち込んでばかりはいられない、と落としていた顔を上に向けた。そして、原因を突き止めるべく、今までの行動を思い返す。
「さっき変な生き物にイタズラされて、そもそも私はサイクリングロードじゃなく青レンガに行くはずで、なんで青レンガに行こうと思ったかというと買い物がしたかったからで、買い物しようと思ったのは暇だったからで、暇だったのは細胞実験を受けても変化がなかったからで……あ」
自身の行動を遡らせ、彼女はそれを思い出した。そう、彼女もまた、細胞活性化実験を受けたひとりだったのだ。
「もしかして、あの装置のせいで迷子になりやすい性質が現れちゃったとか? いやいや、まさかね……」
首を横に振り、浮かんだその考えを否定するクロス。が、不運なことに、その予想は的中していた。彼女は実験により、迷子性質が発芽してしまっていたのだ。彼女は途端に、危機感を募らせた。
「あれ、もしかしてこれ、このままだと私、帰ることすら出来ないんじゃ……」
慌てて踵を返し、来た道を逆走するクロス。目的地は、もう青レンガ倉庫ではなくみなとくうきょうの出入り口に変更されていた。しかし、数十分後、彼女の前に現れたのはまたもやサイクリングロードであった。
「……どうしよう」
あんな実験受けるんじゃなかった、とクロスが後悔し始めた時だった。
「お、おい待て冬子……いや、終夏よ! なぜ距離を置く! なぜ逃げる!」
「ちょっと待って! ちょっと待ってひとりで考えさせて! 今私の思考回路が大爆発しかけてるから!」
びゅうっ、と凄まじい速度で彼女の目の前を、2台の自転車が疾走していった。
「……え?」
わけがわからず、風が過ぎていった後を目で追いかけるクロス。と、その近くにいたコウ オウロ(こう・おうろ)が悟ったような口調で声を発した。
「とんだ阿呆や」
クロスが思わずコウの方を向く。その表情は、セリフとは裏腹にどこか面白がっているようにも見えた。
「ま、けど阿呆は阿呆同士、ノリがよう似とるわ。な、そう思わんか?」
「え? は、はぁ」
不意に話を振られたクロスは、何と答えて良いか……いや、そもそもこの状況が何なのか分からず、曖昧な返事で濁した。コウは、捕捉をするように彼女に言う。
「さっき走ってったふたりはな、わしの契約者と舎弟や。なんやけったいな装置のせいで、昔の記憶を引っ張り出されたらしくてな。浮かんできたお互いの関係に戸惑っとるんや」
彼が説明していると、再び風と共にその当事者、五月葉 終夏(さつきば・おりが)とニコラ・フラメル(にこら・ふらめる)が現れ、また風と共に去っていった。
「時折終夏ではなく冬子と呼んでしまうのは、あの装置のせいだ、仕方あるまい! だからまず落ち着いて、祖母の話を聞かせるのだ!」
「だって、冬子は私の亡くなったおばあちゃんの名前と一緒なんだよ? しかも、おじいちゃんはニコラって名前で、いつもフラメルって呼んでたから気付かなかったけどフラメルもニコラって名前で……いやいやいやいや、ない! ないよ!?」
走りながら交わした会話を置き去りにして、ふたりの姿はまた見えなくなった。
「な、なんだか複雑な関係なの……?」
クロスが戸惑いながら呟く。どうやら終夏のパートナー、ニコラは以前契約していた人物と間違えて終夏のことを異なる名で呼んだことが発端となり、終夏とフラメルがただの契約者とパートナーという関係ではなかったことが浮き彫りになってしまったらしい。
「ええと、あなたは色々知っているみたいだけれど……きちんと教えてあげないの?」
「いやあ、なかなか愉快な見物やから、もったいのうてな。もうちょっと楽しんだらバラしたるわ」
ニヤニヤとしながらクロスの問いに答えるコウ。遠くから、終夏とニコラの声がまた聞こえてきた。
「ボケが出ちゃっただけだよね!? 結構な年齢だもんね! だってもしアレとコレがああでそう繋がると、フラメルって私の……いやいやいや、うんこれは装置のせい! 全部装置のせい!」
「ありえん! ありえんが少し落ち着け! 私を捕まえてごらんなさーい、みたいなアレかこれは!」
全力でペダルをこぎ続ける終夏とニコラ、そしてそれを離れたところでニヤニヤ見つめているコウを見て、クロスは何かを悟ったように呟いた。
「この人たちも、ある意味迷子なのね……」
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