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「鬼羅星! 毎度、次も頼むぜ!!」

 特徴的な挨拶をしながら同人誌を販売している彼女、天空寺 鬼羅(てんくうじ・きら)
 彼女の迫力に圧倒されながらも同人誌は中々の売れ行きを見せている。
 彼女の作ったのは『依魂戦国伝・九つの魂編』というタイトルの冒険ものだ。
 所属している天御柱学院の生徒らしくイコンをテーマにした内容だ。

「あ、ここは何だろう? 冒険物、みたいだね」

「ちょっと覗いてみますか? 海くん、少し見てみましょう」

「あ〜、まぁ別に構わないが……」

 天空寺堂に訪れたのは杜守 柚(ともり・ゆず)杜守 三月(ともり・みつき)高円寺 海(こうえんじ・かい)の三人だ。
 三月が興味が惹かれたらしく、サークルに近づき、続くように柚が後を追う。
 柚が海に声を掛けると、何となく気だるそうに最後の連れが返事を出す。
 そうこうしているうちに美月が見本誌を手に取って中身を見ていた。

「鬼羅星!!」

「うわっ!?、き、キラボシ……??」

「ん、俺流の挨拶だ。 まぁ四の五の言わずに買えや!!」

「えっと、まだ買うと決めたわけじゃあ……」

「残念だな、うちでは見本誌を見たら必ず買うのが鉄則だ。 さもなければ呪いの代償を背負うことになるぜ!!」

「の、呪い……!?」

「出鱈目を言うな、そんなのただの脅しに過ぎない。 大体買うか否かはこちらに委ねられているんだ。 いちいち気にするな、柚」

「う、うん。 そう、だよね……」

「ちっ。 ちょっとした冗談じゃねぇか……」

 鬼羅の独特な挨拶に柚と三月は驚くが、海は平然と見ている。
 三月が見本誌を見ているので、何としても買わせたいのか鬼羅は少し強引なやり方を使う。
 しかし海のとっさの行動に、柚も一瞬慌てただけで済む。
 面白くない展開に鬼羅は舌打ちをしながら、先程から黙って見ている三月に意識を傾けた。

「どうだ? オレが作った同人誌は!?」

「ん〜、冒険物ってあまり読んだことないから分からないけど、これってどうなのかな?」

「そうですね、悪くないと思いますよ?」

「そうか? 単調過ぎて面白みのない物語に感じるんだが……」

「分かってねぇなぁオイ、オレの作った同人誌の魂ってものがな!」

 暑苦しい、海は内心そう考えていた。
 彼としては一刻も早く離れたかったがそうもいかなかった。
 柚と三月は何気に読む始めたら展開が気になるのか、どんどん読み進めている。
 ここで彼らを置いていくのも手なのだが、海にはそれができなかった。
 今日のイベントを一緒に回らないかと誘われたから今ここにいる。
 そうでなければ今頃暇を持て余していたからだ。
 それを考えると、海は何処か罪悪感を感じるのか、面倒臭そうにしながらも二人を待っていた。

     * * *

 片方が恐ろしく乗り気で、もう片方がいまいち乗り気ではないというふたり連れの光景は、決して珍しくは無い。例えば蘇芳秋人(すおう・あきと)蘇芳蕾(すおう・つぼみ)の場合、その典型といって良い。
 当初、同人誌とは何ぞやという辺りの知識すら無かった蕾だったが、秋人が心底面倒臭そうな顔つきで説明を加えてからというものの、蕾はおっとりとした調子とは裏腹に、その瞳の中では、プロミネンスよりも更に熱く燃え盛る情熱の炎が、激しく爆裂するようになっていた。
「秋人様……こちらに……『パラミタの風に乗せて』……という、サークル様が……いらっしゃいます……」
「はいはい、然様でございますか」
 あからさまに投げ遣りな態度で応じ、もう勘弁してくれという言外のアピールを続けている秋人だったが、蕾は全く気づいていない様子で、秋人を件のサークルが陣取るブースへとずりずり引きずってゆく。
 さて、その『パラミタの風に乗せて』のブースでは、リュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)レイ・パグリアルーロ(れい・ぱぐりあるーろ)が、先程から秋人達がやってくるのを心待ちにしている様子だった。
「これはこれは、よくぞお越しくださいました。我が『パラミタの風に乗せて』では、新刊『狂おしいほどに』をご用意致しまして、皆様のご来店を心待ちに致しておりましたですよ〜」
 今にも、揉み手し始めるのではないかとすら思える程の低姿勢で、レイが秋人と蕾を出迎え、
「ささ、こちらへ」
 と、どこか胡散臭い悪徳商人の如き丁寧さを発揮する。
 その一方で、日頃レイがここまで他人に低姿勢な売り子姿を見せるようなことが無い為、リュースは半ば、呆気に取られていた。
 ともかくも、レイが異様なまでに情熱を注ぎ込んで『狂おしいほどに』なる同人誌を勧めてくるものだから、秋人としても無碍に断る訳にもいかず、ついつい手に取って、数ページを流し読みしてみた。
 ところが――。
「な、なんじゃこりゃぁ!」
 どこかのGパン刑事もかくありやといわんばかりの獰猛な悲鳴をあげる秋人。
 誰がどう聞いても否定的な響きしか含まれていない筈なのだが、レイの聴覚には妙なフィルターが張り巡らされているらしく、秋人のそんな悲鳴も、賞賛の雄叫びにしか聞こえなかったというのだから、不思議なものである。
 この『狂おしいほどに』の内容をかいつまんで説明すると、某空京大学の前学長と、蒼空学園の現校長の各そっくりさんが、それぞれ敵対する学園に所属しているという溝がありながらも、深く深く愛し合うという、ある意味感動すら覚える内容だったのだが、どうやら秋人にはBLという領域そのものが、刺激として強過ぎたらしい。
 ところがどっこい、そんな秋人に対して蕾は、
「秋人様……そんなに……興奮を覚える……内容なら……是非、ご購入を検討されてみては……」
 などとにこやかな表情で、しかし口調はおっとりながらも随分と猛プッシュしてくる。
 対する秋人はといえば、
(要らんところで変なプッシュせんでよろし!)
 と、鬼のような形相で蕾を凝視するも、すっかり喉がからからに干上がってしまい、まともに台詞が出てこない。その様を、『狂おしいほどに』に対する熱烈な読書感想の情だと勘違いしたレイが、蕾に後押しされる格好で更に強烈な売込みを連発してくるものだから、秋人もたまったものではない。
 この奇妙な光景を、しかしリュースは何となく既視感を覚えながら、黙って眺めている。
(あー……お気の毒に)
 ここで変なことを口にすれば後でレイにお仕置きされるので黙っていたが、リュースの秋人に対する同情の念は、偽らざる本心からのものであった。

 必死に無言の抵抗を見せる秋人と、勘違いで購入のススメ攻勢を仕掛けるレイの攻防を尻目に、柚が何気にやってきて、件の『狂おしいほどに』をさくっと購入していった。
「毎度ありがとうございま〜す」
 もう秋人の悲しいまでの抵抗を見ているのが辛くなってきていたリュースは、売り子としての責務を果たすことで己の心を慰める以外に無かった……なんて大袈裟な話でもないのだが。
 一方、秋人を苦境の淵に叩き落した張本人のひとりである蕾はというと、幾分気移りし易い性格なのか、別のブース前に足を運んでいた。
 そこは、朝野未沙(あさの・みさ)が運営するサークルに割り当てられており、『リリィ×ロスヴァイセ』なる妄想小説が幾分売れ残っているという状況であった。
 どうやら題材が題材だけに、結構な人気となっている様子。絵が不得手な未沙は敢えて、小説という形式でこの『リリィ×ロスヴァイセ』を発表したのであるが、それでも尚これだけの売り上げがあったというのは、誇りにして語っても良いだろう。
 で、実際どんなもんなのかと蕾が『リリィ×ロスヴァイセ』を手に取り、数ページを流し読み。それから経過すること数分――。
「素晴らしい……ですわ。これは……いわゆる、『買い』……ですわね」
「おぉぅ! あたしの作風を理解してくれるふじょ……じゃなかった、ご婦人がいらっしゃるなんて!」
 突然未沙は目をきらきらと輝かせると、がばっと物凄い勢いで蕾の手を取り、ややうっとり気味の視線を投げかける。対する蕾は、うっとりに対しておっとりで対抗した。
「是非……あたしの小説のモデルに、なってくんないかな!?」
 一瞬、どうしよう、と迷った蕾だったが、彼女の視線は未だにレイとの買う買わないの攻防に巻き込まれっぱなしの秋人に向けられた。
 その時、蕾は決断した。一瞬でも迷った自分に、心のうちで叱責しつつ。
「ご、ごめんなさい……わ、私は……その……秋人様の……だから……それは、だめ……」
「あう〜……そう、それは残念だわ」
 未沙は心底残念そうに肩を落としたが、その傍らで蕾は、心中密かに期するものがあった。
(今度は……規制されていない作品を……是非……読みたい……後学の為に……今度……秋葉原……いきましょう……秋人様と……一緒に……)
 いやいや、そんなところに秋人を連れて行ったらもっとえらい目に遭ってしまうのだが、最早蕾の中では、これは決定事項として脳内予定表に組み込まれている始末であった。