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リアクション
空京大学にはさまざまな学部、学科が揃っているため、毎日あちらこちらで講義が開かれている。中でも妙に活気づいているのが『のぞき学原論』であった。
どちらかというと犯罪学に近いのだが、のぞきという行為を学術的に捉えた少し奇妙な学問である。そのためか、必修通年四単位でありながら講義室ではなく研究棟の一室で行われていた。
のぞき学を専攻している椿薫(つばき・かおる)も、その中にいた。
「というわけで、夏こそのぞきの本領発揮になるわけです」
と、稲葉てら教授が学生たちを見回す。一見女性のように見える彼は、かの有名なのぞき学の第一人者から直に教えを受けた一人であった。無論、薫を含む男子学生たちからの支持はあつい。
「しかし、先ほど話したように見えすぎは萎えます。少し見えるくらいがちょうど良いのです」
講義の初めに話したテーマを繰り返し、稲葉教授は黒板へ顔を向けた。チョークのぶつかる音がし、次のテーマへと移る。
「もう分かっている人もいるでしょうが、のぞくことで見えるのはほんの一部です。そこから我々は想像を膨らませることにより、欲望を満たそうとする」
窓を開けていても室内は蒸し暑く、薫は机に頬杖を突いた。
「ということで、次のテーマは『見えてる物がすべてじゃない、想像から広がる神秘』です」
夏は海の季節だ。海と言ったらのぞき。水着に着替えている女子たちをこっそり見ては、のぞきの素晴らしさを実感するのだ。
そんなことをぼーっと考えて、薫は思わずにやついた。
すると、すかさず稲葉教授が薫を指す。
「そこでにやけている椿くん、直径1センチほどののぞき穴を作る際、最も想像が膨らみやすい高さは?」
はっとして背筋を正す薫。
「え、えーっと……」
これまでの経験からどの高さが一番良かったか思いを巡らせる。しかしテーマから考えて、想像をする余地を与える高さでなければ……いや、しかし。
「時と場合によるでござる!」
教授が満足げに頷いた。
「そうです、のぞきの対象が大人か幼女かによって違ってきます。加えて壁の厚みも計算に含めて――」
と、例えを黒板に書いていく。
研究棟の外からセミの鳴く声が聞こえてきていた。
シャーロット・モリアーティ(しゃーろっと・もりあーてぃ)は私立探偵だが、空京大学で客員教授も務めていた。今日は公開講座の一つとして「犯罪学」について講義をしている。
「皆さん、そもそも人はなぜ罪を犯すのか、分かりますか?」
と、見た目も年齢もさまざまな見学者たちへ問いかける。
誰からも返答がないことを確かめると、シャーロットは話し始めた。
「そう、非常に難しい問題ですよね。私の経験からお話しますと――」
これまでに関わってきた数々の事件から、とある一つの例を抜き出して概要を黒板に書いていく。
犯罪と一言に言っても大小様々なものがあり、それらは人間社会に生きている限り切っても切り離せない。そのためか、講義室には大勢の見学者たちが集まっていた。
綾原さゆみ(あやはら・さゆみ)とアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)もその中にいたが、講義内容は右から左へと聞き流している。興味がないわけではないのだが、モリアーティ教授の話は少し血なまぐさかった。
「それをきっかけにA氏はB氏殺害計画を立てたのです。それまではごく普通の人でしたが、きっかけさえあれば人は誰でも犯罪者になりうるわけです」
そして事件当日の出来事を時系列順に語り始める。
飽くまでも自由見学会なので途中退席は可能だ。さゆみは隣に座ったアデリーヌに耳打ちをした。
「ねぇ、そろそろお腹空いてこない?」
今行われている講義が終われば昼休みだ。すると食堂には大勢の人々が集まってくるだろう。
「スイーツなんかもあるって言うし、ちょっと早いけど行きましょうよ」
「ええ、分かりましたわ」
二人は出来るだけ静かに席を立ち、そっと講義室から抜け出した。
モリアーティ教授が事件解決に関するポイントを朗々と語り、再び聴講者へ問う。
「さて、これらのことを踏まえて考えてみて下さい。A氏のおかしたミスとは、一体何なんでしょう?」
「それにしても冷や冷やしましたわ」
と、食堂へ向かいながらアデリーヌが言う。
「学生の方に助けてもらったから機械を壊さずに済みましたが……」
それは初めに行った工学部での体験コーナーのことだった。好奇心旺盛なさゆみが率先して機械を動かしていたのだが、危うく壊してしまうところだった。
さゆみは思い出して苦笑を浮かべる。
「だって、うまく動かなかったんだもの。やっぱり理系は向いてないみたい」
パンフレットの地図で道を確認し、さゆみは初めて入る空大の食堂に胸を躍らせた。
「他の学校の味は知ってるけど、なかなか空大には来れなかったから楽しみだわ」
「そうですわね……それで、食事のあとは?」
にこっと笑うアデリーヌにさゆみは少しの間唸る。
「うーん、まだ見てないところたくさんあるし……あ、模擬試験なんかも受けられるって」
空京大学の偏差値が高いことは分かっていたが、さゆみの好奇心は止められない。
「やるだけやってみましょうよ、アデリーヌ」
結果が見えているだけにアデリーヌはすぐに頷けなかった。しかしさゆみがわくわくしている様子を見ると、止める気にはなれなかった。実際は蒼空学園の大学部へ通うことになるのだろうし、模擬試験を受けるだけならいいだろう。
「分かりましたわ」
「やった! 楽しみね、アデリーヌ」
――今日だけは空京大学の学生気分で楽しもう。
大学というだけあり、購買はコンビニと変わらなかった。
「どの学校も、少し品揃えが違っていたりして面白いけれど……空京大学の購買は日本のコンビニを思い出すね」
と、黒崎天音(くろさき・あまね)は興味深そうに店内を歩く。
ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)はその呟きにふとひらめいた。
「ふむ、コンビニといえばおにぎりだろう」
レジカウンターの向かいに置かれた棚の前で立ち止まり、天音は適当なガムを手に取ってみた。並んでいる品物はどれも学生たちの好みそうな物ばかりだったが、ふと珍しい物が置かれていることに気づいた。人形である。
どこかで見た顔がいくつも並んでおり、空京大学の懐の広さを思わせられる。天音がその一つ、愛らしい金髪の少女の人形を手に取ると、どたどたと駆けてくる音が聞こえた。
茶色の髪を風になびかせながら、少女が店内めがけて飛び込んでくる。
その頭にちょこんと二本の角があることに気づき、天音は少女の行く手を塞ぐようにかがみ込んだ。
「こんにちは、小さいアリス。『そんなに走ったら危ないよ』って、この子も言ってるよ」
と、手にした人形の頭をこくこくと動かしてみせる。
幼い少女はその人形をじっと見つめて、おずおずと手を伸ばした。にこっと笑いながら天音はそれを彼女へ渡してやる。
「チェリッシュちゃん!」
後からやってきた目賀獲ことトレルを見つけ、立ち上がる天音。
「久しぶり、トレル」
「ああ、お久しぶりです」
と、トレルは軽く会釈をした。こんなところで知人に会うとは思わなかったため、少し気まずそうにする。
「すっかり大学生だね、構内が広くて迷子になったりしてない?」
去年の出来事を思い出し、天音がそう尋ねるとトレルは苦笑いを浮かべた。
「まあ、何ていうか……どうにかやってます」
「そう。その子は? もしかしてパートナー?」
トレルの後ろにいた猫の獣人型機晶姫マヤー・マヤーを見る天音。
「はい、こう見えて機晶姫のマヤー・マヤーといいます。あの時は、本当にお世話になりました」
と、トレルがぺこりと頭を下げると、マヤーも会釈をした。
天音たちの会話を横で聞いていたブルーズはふとおにぎりの棚へ目を向ける。まだ昼前だからか、品揃えはばっちりだ。
「あれ、あのアリスは?」
「っ――チェリッシュちゃん!? ごめんなさい、また後で!」
と、慌てて消えた幼女を追って出て行くトレルとマヤー。相変わらず騒々しい人だ。
ブルーズが『うめぼし』の文字にすっぱい顔をすると、トレルたちの消えた方向とは真逆の方から二人の男性がやってきた。一人は背が高く執事風で、もう一人は平均的な身長に茶髪のショートカットのごく普通な青年だ。
「すみません、ここに小さい女の子来てませんか?」
背の高い方がそう尋ね、もう一人が付け加える。
「ストレートの茶髪で、チェリッシュっていうんですが――」
どうやら連れの子がはぐれてしまったらしい。もしかして、と天音に視線をやるブルーズ。天音もそれは分かっていたらしく、頷いた。
「その娘たちなら、あちらの方へ行ったようだぞ」
と、ブルーズが教えてやると男たちは顔を見合わせた。
「ありがとうございます。行きましょう、マシュアさん」
「はいっ」
どうやら背の高い方はチェリッシュの保護者に好意があるらしい。そう気づきながら、ブルーズはおにぎりを手に取った。
嵐の過ぎた店内をレジへと向かい、ついてきた天音が言う。
「どうしたの、ブルーズ? むずがゆそうな顔をして」
「先ほどの執事風の男……いや、何でもない」
と、カウンターにおにぎりを置く。
「ふぅん。あ、さっきの人形代も払っておいてね」
「なぜ我が!?」
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