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リアクション
盛夏祭に行こうと誘ったのはハル・オールストローム(はる・おーるすとろーむ)だった。
個性的な庭園を見て回ったり、ずらりと並ぶ飾りつけされた笹を眺めて歩くのも楽しそうだが、ハルが最初に向かったのは笹飾りの会場。
「せっかく来たんだから、短冊くらいは飾りましょう」
というわけだ。
しかし。
(改めて考えますと、わたくし自身のことはあまりないですねぇ。あるとすれば……)
と、ちらりと隣を見やる。
ペンを手で弄びながら、どういうわけか沈鬱な表情でまだ何も書かれていない短冊を睨みつけている若松 未散(わかまつ・みちる)。
彼女がどうしてそんな表情なのかはわからないが、ハルの中に書くべきことが浮かんだ。
『未散くんの願いが叶いますように』
キュッとペンのキャップを閉じれば、気配に気づいた未散がハッと顔を上げる。
ハルは安心させるように微笑んだ。
「急がなくても大丈夫ですぞ。いつまでもお待ちしておりますから」
彼なら夜が明けるまででも待ち続けるだろうと思った未散は、先ほどから浮かんでは消す願い事を一気に整理し、本当に自分の力ではどうにもならないと思った願いを書き込んだ。
見ようとするハルから短冊を体を張って守りながら。
未散がどうしても隠そうとするのでハルはそれ以上何もしなかったが、彼女が短冊を笹の上のほうにつるした時に好奇心がうずいたのは仕方がない。
その後、二人は他の飾りを作ることはせずに庭園を散歩することにした。
ちょうど雨も上がったから。
まだ少し水分を含んだ風は、草の匂いがした。
散策にちょうど良いように調えられた庭の小道は、ランプの明かりで昼間とはまったく違った様相を見せている。
もともと外の喧騒は届かない会場だが、陽が沈み、人工のほのかな明かりと満天の星空というだけで、呼吸音さえ吸収しそうな静寂を覚えさせられる。
ようやく現れた天の川だというのに、未散の心は晴れずに視線も上を見たり下を見たりと落ち着かない。
瞳には不安が満ちている。
そんな彼女に何と声をかけたものかと、ハルは悩んでいた。
いつもの調子で「未散くんについていけるのは、わたくしくらいのものですぞ!」と言ったところで、元気になってくれるとは思えない。
かといって、たちどころに彼女をご機嫌にする魔法の言葉も知らない。
偉そうな感じに見える見た目によらず真面目なハルは、時折未散の様子を見つつ彼女の足の向かうほうへついていくのだった。
やがて、二人の先に東屋が現れた。
何も言わずにそこに腰を落ち着けた未散に、ハルも何も言わずに腰掛ける。
「晴れてよかったな……天の川」
「そうですね」
ぼんやりとした目でぼんやりと言葉をもらす未散が、本当にそう思っているかは謎だがハルは頷いておいた。
未散の指は、右手の人差し指にあるレッドベリルをなぞっている。
彼女は、ハルが思うほどぼんやりしているわけではなかった。
深く沈みこんでいるのは確かだが、周りはちゃんと見えている。
自身の心をこんなふうにした張本人──ハルをそっと窺い……。
小さく息を飲む。
ほんの少し、見るだけのつもりが、ハルも未散を見ていたためまともに目が合ってしまった。
そして、未散はハルが不安そうにしていることに気がついた。
何でもないように微笑んでいるが、隠しきれない不安が瞳ににじんでいる。
未散は、何か重大な過ちを犯したような、ひどい勘違いをしでかしたような、そんな気持ちになる。
このままではいけない、と思った。
けれど、どこからどんなふうに話したらいいのかまとまらない。
と、ハルが未散の指がしきりになでる指輪を見て言った。
「未散くんの瞳と同じ色ですね」
「う、うん。そうなんだ。指の太さの関係か、ここにしか収まらなくてね」
「よく似合ってますぞ」
「ありがとう。……あの、あのね。短冊のことだけど」
今さら、と呆れられるかなと怯えつつも未散は話しを続ける。
「最初は、一流の落語家になりたいと書こうと思ったんだ。パラミタで落語家として成功したいとか。でも、それは自分が努力して叶えるものであって、神頼みするものじゃないと思った」
「良い心がけですよ」
「だから、自分がどんなにがんばってもどうにもならないような何かを書こうと思って、思って……」
「思って……?」
しだいにうつむき小声になっていく未散につられるように、ハルも前かがみになっていく。そうしないと聞き逃してしまいそうだから。
彼女は重要なことを言おうとしているように感じたから。
ふと影が差した視界にハッとした未散は、ハルの顔が驚くほど近くにあることにびっくりして、思わず突き飛ばしてしまった。
「そんなに近づく奴があるかー!」
「こ、これは失礼。ですが、そうしないと聞き逃してしまうかと思いまして」
軽く咽るハルを横目に、未散は深呼吸をする。
「そう思って、移ろいやすい人の心を、ずっと繋ぎとめることができたらいいなって……。でも、そんなことを願われた人が戸惑ったりしたら、そんな顔を見てしまったら、怖いなって……」
「そんな人は未散くんのほうから捨てておしまいなさい!」
きっぱりしたハルの口調に驚き、未散は目を丸くする。
何となく、ハルは不満そうだ。
「そんな人よりわたくしを! わたくしを頼りにすればいいのです! いつも言っているでしょう。あなたについていけるのは、わたくしだけだと!」
「ね、ねぇ、何だか私がものすごい問題児に聞こえるんだけど……?」
「……気のせいです」
言葉の前の間が気になったが、未散の中はそれどころではなかった。
台詞からもわかる通り鈍感なハルのことだから、未散の想いの向かう先が自身だとは気づいていないだろう。
そのことに安堵もしたし腹も立ったが、多少暑苦しい励ましの言葉は嬉しかった。
未散の顔にようやく笑顔が生まれる。
「じゃあ、さっそく相談なんだけど。この指輪、落語の時には邪魔でつけられないんだ。でも、とっておきたくて」
「そんなのお安い御用ですぞ」
そう言ってハルは銀の飾り鎖をポケットから取り出すと、指輪をそれに通した。
その後、未散の首にかけようとして、恥ずかしがる彼女に逃げられてしまったが。
『ハルがこれからもずっと傍にいてくれますように』
願いは天に届いただろうか──。
告白をもらってからどれくらい経っただろうか。
今日は、その返事をしようと決意して水鏡 和葉(みかがみ・かずは)は天司 御空(あまつかさ・みそら)を誘った。
内心かなり緊張していた和葉だが、誘ったからにはしっかりエスコートするんだ、と御空に手を差し伸べる。
笑顔が引きつらないように注意して──。
「お手をどうぞ」
告白してから後の、初めての二人きりのお出かけ。
緊張しないわけがない。
それでも自分は自分らしくいよう、と御空は思う。
「お手をどうぞ」
と、可愛い笑顔で手を差し伸べられて、素直に応じようとして……悪戯心が芽生える。
「手だけ、ですか?」
和葉の手に乗せた手をきゅっと握り、引き寄せる。
二人の距離が一気に縮む。
焦った和葉だが、御空を押し戻すことも突き飛ばすこともできずに、
「御空先輩、近いっ近いっ」
と、慌てることしかできなかった。
そんな様子に少し笑って、御空はいつもの距離に戻す。
とたん、ホッとしたような顔をする和葉には苦笑するしかない。
声を殺して笑う先輩を軽く睨み、咳払いをすると和葉はこの庭園を訪れた時から気になっていた花のアーチを指差した。
「あのお花のアーチ、くぐってみない?」
「いいですね。行きましょう」
笑顔の賛成に和葉は御空の手を引き、アーチへと向かう。
薔薇のアーチだ。
近づくにつれ、夜風に乗ってやさしい香りが漂ってきた。
「風が気持ちいいね。それに……いい香り」
「ライトアップされて神秘的でさえあります」
「うん」
薔薇のアーチをくぐると、よりいっそう香りが深くなる。
小道の両脇も薔薇で、色も種類もさまざまな、幻想的な雰囲気を作り出していた。
天の川の下というのも良い。
和葉はうっとりした表情で薔薇の小道を堪能している。
「何だか夢見たい」
吐息混じりの感想に、御空は繋いだ手に少し力を入れた。
「本当に……。でも、花も風も、いろんなものが鮮やかに感じられるのは、きっと和葉さんと一緒だから、ですよ?」
もしかして、和葉の視線を独占している薔薇達に嫉妬したのだろうか。
いや、御空はそんな狭量ではないはずだ。
やがて二人はちょっとした広場に出た。
真ん中に天使像を置いた噴水があり、周囲にベンチがある。そのベンチも木と鉄でできていて、優美なデザインに作られていた。
もっとゆっくり花と星を楽しみたくて、そこで少し休むことにした。
和葉も御空も何を言うでもなく、今にも降り注いできそうな星空に目を奪われる。
激しい雨模様となった時は、今夜はもう天の川は見れないと思った。
ところが、何のきまぐれか雨は止み雲は流れ、こうして夜の散歩ができるようになった。
今頃は彦星も天の川を渡って織姫との逢瀬を楽しんでいるだろう。
一年も経ってはいないが、和葉も今日やっと御空との時間を持てた。
言うべきことを言わなくてはならない。
無意識に和葉の指はピアスに触れていた。
御空と左右片方ずつ持っている大切なピアス。
心が落ち着かない時、これに触れるととても安心できるのだ。
何度か口をもごもごさせて逡巡した後、和葉は顔を上げて御空と目を合わせた。
「この前のお話しだけれど……」
御空は黙って真摯な目で続きを待つ。
「やっぱり……ボク、特別の好きってよくわからなくて。でも、ね。御空先輩と遊んだりするのは楽しいし、ずーっと一緒にいたいな、……とも思う」
「はい」
御空は変わらず穏やかに話に耳を傾けている。
和葉の答えをきちんと聞くまで、口を挟む気はないようだ。
「ボク、女の子らしくないし……これからだって、すぐに女の子みたいに振舞ったりできないと思うんだっ。それでも、いい……かな?」
心を打ち明けた和葉が不安いっぱいに見つめる前で、御空は目を閉じた。
やっぱりダメだったか、と和葉の胸にじわじわと暗く沈んだものが広がっていく中、御空が口を開く。
「答える前に一つだけ、お願いがあります」
「……うん」
「和葉って、呼んでいいですか?」
「う、うん……」
心のすべてが悲しみに囚われる寸前、和葉は御空の要望を反芻した。
小さく息を飲み内容を繰り返そうとした時、御空に手を取られる。
閉ざされていた瞼は開き、綺麗な青い目で真正面から見つめられた。
「俺は、和葉だから好きになったんだよ。女の子らしいとか、らしくないとか、そんなの関係ない。一緒にいたい。傍にいたい。誰よりも。和葉に、一番近くで俺を見てほしい」
言葉を重ねるごとに御空の手に力がこもっていく。
それだけ想われていることを和葉は感じた。
「これが、俺の答え」
そう締めくくった御空だが、その表情はほんのわずか苦い。
『特別な好き』を和葉がわからないことが悔しかった。彼女が自分自身に抱いている劣等感のようなもの──女の子らしくない等──から解放されれば、わかるのだろうか?
それは御空にも和葉にもわからないことだったが、御空はせめて『特別な好き』に少しでも気づいてほしくて、そっと彼女を抱き寄せた。
だんだん近くなる二人の距離に目を閉じる和葉の頭をなで、御空は触れるだけのキスを落とした。
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