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あなたもわたしもスパイごっこ

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あなたもわたしもスパイごっこ

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第1章 時期外れの母の日

 テーブルの上に無造作に置かれている「それ」を椎名 真(しいな・まこと)が見つけたのは、暑さが厳しくなってくる7月のある日のことだった。
 置かれていたのは小型のテープレコーダーと、「まことんへ」とだけ書かれた封筒だった。
「カセットテープが入ってる……、再生しろってことかな?」
 そういえば、と真は最近の出来事を思い出す。この頃、契約者たちの間で奇妙なゲームが流行っているらしく、カセットテープをはじめ、あらゆる方法で「指令」が送られ、それを遂行しなければならないとかいうものである。名前は確か、「ミッション・ポッシブルゲーム」ないしは「スパイ小作戦ごっこ」といったか。
「絶対にそれだよね、これ……」
 さて一体誰からの指令なのか。真はカセットテープを再生する。
 再生ボタンを押してから2秒後、レコーダーから音声が流れてきた。
『……おはよう椎名君』
 声の主は彼のパートナー、お料理メモ 『四季の旬・仁の味』(おりょうりめも・しきのしゅんじんのみ)――愛称四季という名の魔道書である。普段と口調が違うのは、やはりこれがとあるテレビドラマをベースにしたゲームだからだろうか。
『同封した封筒の中に入っている地図は、ツァンダのとある店を示したものである。その店は別にいかがわしいものが売られているというわけではない。本来なら私が行くところなのだが、残念ながら私は今手が離せずにいる。つまり誰かに買い物を手伝ってもらわなければいけないわけだ』
「四季さん、朝から何やってんだか……」
 真の呟きを無視して、四季の声は続ける。
『そこで君の使命だが、私の代わりにその店に行き、指定された「あるもの」を購入することにある。何を買うのかは行けばわかるだろう。封筒の中にはメッセージカードも同封してあるが、それは店員に渡す物であり、自分で内容を読むことは禁止とする。店員に渡せば、後は向こうがうまく対応してくれるだろう』
「おっと、思わず読みそうになっちゃったよ。危ない危ない」
『ところで仮にも、君もしくは君のメンバーが店員から「あら、うぶねぇ」とか思われたとしても、当局は一切関知しないからそのつもりで』
「……ナニソレ」
『なおこのテープは再生不可能なように拳で消去してくれたまえ。成功を祈る……』
 四季の声が聞こえなくなると、カセットテープは勝手に停止した。
「楽しんでるなぁ四季さん……。って、拳で!?」
 普通ならここで自動的に消滅するのではなかったか。思わずそう言いたくなったが、あの暢気な魔道書のことである。そのような当たり前の方法などとるつもりはないのだろう。
「まあカセットテープぐらいならできるからいいけど」
 言いながら真はテープレコーダーからカセットテープを抜き取り、それを宙に放り投げた。
 その場でゆったりと浮かぶ薄い板に狙いをつけ、真は白手袋のはまった拳を握り締め、ゆっくりと腕を引く。
 裂帛の声と共に、真は拳を突き出した。
「気合の……、一撃!」
 彼と契約した英霊のパートナーの必殺技の再現は、プラスチックの塊を粉々に粉砕した。

「えっと、とりあえず地図の場所に行くってことだよね……」
 兎にも角にも受けた指令はこなさなければならない。地図とメッセージカード、それから買い物用の袋と財布を持ち、真は指定された場所へと足を運んでいた。
 地図に書かれてあったのは場所だけであり、店の名前も、何の店なのかも教えてはくれなかった。行けばわかるというテープの言葉から、おそらく何かしらの専門店であろうということは容易に想像できる。問題は指令の最後の方で言っていた「『あら、うぶねぇ』と思われても」という部分だ。つまり、何かしらの形で真を困らせる事態が用意されているということなのだろう。
「詳しいことはカードの中みたいだけど、見ちゃダメなんだよな……」
 店員に渡すメッセージカードの中身を見れば、これから自分が買うものが何なのかすぐにわかるだろう。だがそれを知ってしまってはゲームにならない。単純な「おつかい」とはいえ、あくまでもこれがゲームである以上、遂行者はそれに従う義務があるのだ。
「それにしても、四季さんもこういう遊びするんだなぁ」
 お料理メモの魔道書のくせに料理が下手なパートナーの姿を想像し、思わず笑みがこぼれる。そんな彼女が何を買うように指示したのか、少し楽しみでもあった。
 そんなことを考えている内に、地図の示す目的地が姿を現した。
「場所はどうもここらあた、り……?」
 目の前に現れたその店の構えと看板に真は目を丸くする。
「……ココデスカ? エエ、ココデスネ……」
 渡された地図に再び目を落とす。書かれていた場所はどうやらここで間違いないらしい。だが真には信じられなかった。
 まさかその店がランジェリーショップだとは!
「ら、らら、ランジェリーショップ!? これ男が入っていいのか!?」
 なるほど、確かに何を買えばいいのか容易に想像できる。しかも周囲からどのように思われるのかも理解できる。
 普通に買い物に行ったところで問題は無いのだが、そこは純情なところのある真のことである。さすがに入るのはためらわれた。無論、真にはやましいところなど無いのだが。
(これは確かに『指令』だな……。やってくれるよ、四季さん……)
 渡されたメッセージカードに目をやる。つまりこれには、どのような下着を買えばいいのかが記されているということだ。そして後を店員に任せれば、それで万事うまくいく。
 この部分に関しては真は四季に感謝した。ここで「買う下着のサイズを大声で唱えろ」とか言われていたら、真は指令達成前に精神的に再起不能(リタイア)していたであろう。
(そうだ、店員さんにカードを渡すだけでいいんだ。細かいことを言わなくたって、こういう店の人ならすぐに理解してくれるはず)
 慌てる必要は無い。そもそも逆の例として、女性が男性用下着をプレゼントとして買うことがある。だから「母の日にプレゼントを買いに来た息子」の心構えで行けばどうにかなるはずなのだ! 母の日はすでに過ぎ去っていたが。
 意を決して真はランジェリーショップに足を踏み入れた。周囲の目は気にしないようにしながら……。

「かしこまりました。少々お待ちください」
 店に入り、真っ直ぐカウンターに向かい、事情を話してカードを見せると、店員は納得したようにその場から離れた。
(随分と慣れてるなぁ。こういうことってよくあるのかな?)
 異性の下着を買うというのは外国では珍しいことではなかったりする。だが真は日本人。知識はあるし、その手の事情に理解もあるが、だからといって自分がそれを易々と実行できるかと問われれば答えられない。
 四季から渡されたメッセージカードにはこう書かれていた。
「息子に、私へのプレゼントとして女性用下着を選んでほしくここに来させました。よろしければサポートお願いいたします。サイズはEの75です」
 この一文と、目の前に立つ童顔の執事風の男の挙動を見た店員はすぐさま自分の役割を理解した。目の前の男性は下着を選ぶことに慣れていないだろう。それならサイズに見合ったものを適当に差し出し、その中から選ばせればいい。
 数分後、それを実行した店員が戻ってきた。
「ご指定のサイズですと、大体こういうものがございますね」
 数種類の下着を見せられ、真は考える。目の前にあるのは紫やピンクをベースにしたもので、どれも何かしらの花をモチーフにしてあるらしい。
「えっと……、オレンジ色、ってありますか?」
「オレンジ色でございますか? もちろんございます」
 家にいるであろう大酒飲みの魔道書は、基本的にオレンジベースの衣服を着ている。ならば下着もそれがいいだろうと判断してのことだ。
「んと、オレンジで……、例えば百合の花がモチーフのはあったりしますか? あと、できればあまり締め付けすぎないタイプなんかあるといいんですけど……」
「では少々お待ちください」
 言って店員はその場を後にする。真のリクエストに見合ったものを探しに行ったのだろう。
(……この待ち時間が結構キツいんだよな)
 何しろ下着を前に立ち尽くす男、という構図である。これで注目を浴びない方がどうかしている。
 この間、真はしきりに「自分はプレゼントを買いに来た息子である」と念じ続けた。そうでもしなければ、それこそ恥ずかしさのあまりに店を飛び出しそうだったからだ。
 しばらくして店員がいくつかの下着を持ってきた。全てオレンジ色をしており、少しずつではあるが形が違うものを揃えてきたらしい。
「例えばこちらなんかどうでしょう?」
 示されたのは確かに百合の花をモチーフにしたものだった。これならば四季も喜ぶだろう。だが下着につけられた値札を確認すると、どうしても即座に買おうという気になれなかった。
 要するに、少々高価なのである。
(思ってた以上に高いんだな……。それに種類も多い……)
 とはいえ、ここまで来て買わないというのもおかしな話である。これは確かに買い物だが「指令」でもあるのだから。
「じゃ、この3つください」
「お買い上げ、ありがとうございます」
 値は張ったが、プレゼントであると考えれば特に問題は無い。店員から勧められたものを購入し、真は可能な限り怪しまれない程度に、そそくさと店を後にした。

「ただいま〜」
「お帰りまことん。大変だったんじゃない?」
 自宅に帰り着くと、当の指令者が笑顔で待ち構えていた。
「そりゃもう、ね……」
「うふふ……、なかなか行く機会って無いでしょうからね♪」
「ほんと精神的にキツかったよ。数人でいくならまだしも、俺1人だけだったしね」
「それで、いいのはあった?」
「はい、この通り」
 買ったばかりの下着を取り出し、四季に吟味してもらう。
「あら、なかなかいいセンスしてるじゃない。うん、ありがと、まことん」
「ホッ……、それはよかった」
 指令者の喜んでくれているらしい姿を見て、真は一息ついた。何はともあれ、これで彼のミッションは成功に終わったのである。
「それじゃ報酬をあげないとね。はいこれ」
 下着を受け取った四季から何かを手渡される。どうやら1枚の紙のようだ。
「ん、これって……?」
「私謹製、新作豆腐料理のレシピよ」
「おおっ! これはすごい!」
 料理自体は下手だが、レシピの完成度は非常に高い四季のメモである。しかも真が大好きな豆腐料理のそれは、彼にとって最高の報酬といえた。
「まことんが欲しがりそうなものくらいすぐにわかるわよ。無くしちゃダメよ?」
「もちろん無くしませんよ。四季さん、ありがとう!」
 これまでの苦労に見合う――いや、それ以上の報酬に真は思わず小躍りしていた。



「それじゃ次は、京子ちゃんの下着でも買いに行く?」
「……ソレハチョット遠慮サセテイタダキマス」