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リアクション
洞窟探検家の朝は早い。
前田 風次郎(まえだ・ふうじろう)は毎朝きっかり四時半に起床する。
ベッドの横のブラインドを開くと、そこにはヒラニプラの遺跡洞窟群の風景があった。
彼が寝起きしているのは洞窟探索用の拠点として設けられたコンテナハウスだった。
現在使っているのは風次郎のみだが、食材は豊富に揃えられている。
彼はバランスの良い食事を求め、特に朝食には気を使う。
そして、一杯のコーヒーにも。
上質のアロマは精神と頭の働きを高めるのだ。
食事を摂りながら、彼は細やかな情報収集を怠らない。
世間を賑わせるニュースからインターネット上の小さな噂まで、あらゆる情報を収集する。
一見、洞窟探検と何の関係も無さそうな情報が探検家の命を握ることがあるのだ。
優秀な探検家は食事と情報収集に誰よりも気を使い、そして、入念な準備を行う。
探検の成否の九割は準備によって左右されるといっても過言ではない。
つまり、最も優秀な洞窟探検家とは最も臆病な者の事を差すのだ。
死にたくなければ、シャツの僅かな解れであっても見逃さずに対処するような臆病者であれ。
完璧な起床、完璧な食事、完璧な情報収集、完璧な準備を経て、風次郎はコンテナハウスを後にする。
人は彼のことを、スペランカー(無謀な洞窟探検者)と呼ぶ。
ただの愚か者だと言い捨てる者も居る。
そんなことは彼にとって何の関係もなかった。
ただそこに探検すべき洞窟がある。
だから今日も彼は万全を作り上げ、それに挑むため、その一歩を踏み出したのだった。
と。
大空を飛ぶ鳥の放ったフンが、彼の被ったヘルメットに直撃した。
■スペランカーの一日■
「わぁ……やっぱり早起きしてきて良かった」
アルメリア・アーミテージ(あるめりあ・あーみてーじ)は白い息を吐きながらカメラを鳴らしていた。
彼女の目の前には、朝日によって徐々に明らかになっていくヒラニプラの洞窟遺跡群の壮大な光景が広がっていた。
朝の匂いと土の匂いを含んだ風が頬を掠めていく。
様々な場所を巡って、その風景を写真に収める――それが、彼女がパラミタに来てからの、特に用事の無い休日の過ごし方だった。
素晴らしい光景を見ると、その感動を他の多くの人にも味わって欲しくなるもので、何度かコンテストや雑誌に応募しているが未だ賞などを取ったことはない。
アルメリアは、ゆっくりと昇る朝日が遺跡群の影を駆逐していく姿を収め、そして、ほぅっとため息をついた。
「この感動を伝えられないのは辛いわよね……あー、写真上手くなりたい!」
カメラをケースに仕舞いながら、山肌を滑り降りる。
カメラケースは、カメラをすぐに取り出せるように銃のホルスターのような形にしてあった。
それは決定的瞬間を逃さないためでもあり、可愛い子を見つけた時にすぐに写真を撮れるようにするためでもある。
「ここには誰も居ないのよね。
可愛い子が居たりなんかしたら、ほんと最高なの、に……?」
ふと、彼女は崖の影に建つコンテナハウスに気づいた。
「誰か住んでる……?」
彼女は、カメラをホルダーから取りながら、なんとなくソッとそちらの方へ近づいてみることにした。
と――
「え、ちょっ、大丈夫?」
コンテナハウスの入り口に倒れている男を発見して、アルメリアは彼に駆け寄った。
男はヘルメットを被り、片手にシャベルを握っていた。
ごくっと喉を鳴らしてから、アルメリアは彼の首元に触れた。
「し、死んでる……!」
数十分後。
「こんな所を女一人で観光とは珍しいな」
「何事も無かったよーに生き返ってるし」
アルメリアは風次郎と共に、彼が探索中だという洞窟に向かっていた。
あれから、実にアッサリと蘇生した彼に話を聞けば、何やら洞窟の奥には財宝があるのだという。
これも縁……といえば、縁だし、そもそも何の予定も無いからこそ、ここに来たわけで、アルメリアは彼に付いて洞窟探検を見学しようと考えたのだった。
「いい写真が撮れるかもしれないしね。
でも……鳥のフンが頭に落ちたくらいで死んじゃう人が洞窟探検なんて本当に出来るの?」
しかもヘルメットの上にペソッとついたくらいで。と、付け加えながらアルメリアは風次郎を半眼で見やった。
「人は俺を無謀な洞窟探検者と呼ぶ」
「無謀っていうか、ただのひ弱っていうか」
風次郎が口の端をわずかに笑わせて。
「愚か者だという奴もいる。そんな調子で洞窟の探索など出来るはずがない、と」
「至極最もな事を言ってるような気がするけど、その人」
「他人の言葉は所詮他人のものに過ぎん。俺は俺のスピリットに従って、洞窟に潜るのみだ」
「あなたの場合、少しは他人の言う事に耳を傾けるべきだと思うな……」
「着いたぞ」
風次郎が足を止め、示したのは崖肌にぽっかりと開いた洞窟の入り口だった。
陽の光は入り口から数メートルしか及ばず、その奥にあるのは完全な闇。
「面構えのいい洞窟ね」
風次郎にツッコミを入れながらも、内心すでにワクワクしていたアルメリアはカメラを構えて写真を撮った。
「こう、洞窟の入り口と一緒にフレームへ収めると本物って感じがするわね。ちょっと格好良い」
「俺は本物の洞窟探検家だ」
風次郎はアルメリアの言葉を一つも気にした様子無く無骨に言って、洞窟の暗闇の奥へと潜り込んでいった。
「なんだか、楽しくなってきたかも。
よろしくね! 洞窟探検家さん!」
と、彼の後を追って洞窟の奥に入り込んだアルメリアは、ぐにっとした何かに足を突っかけて盛大に転んだ。
「ななななに!?」
彼女がカメラを守るように受身を取って振り返った先、ぐったりと地面に伸びていたのは風次郎で。
「し、死んでる……!」
しばらくの後。
「やはり、一筋縄ではいかんな。ここは」
「まだ数メートルも進んでませんけど!?」
蘇生した風次郎の言葉へ返したアルメリアの叫びが洞窟の中へと木霊していく。
「なんで、こんなちょっとした段差で死ねるのよ!?
というか、そもそも本当になんでそんな豆腐並みの耐久力で洞窟探検!?
馬鹿よ、馬鹿!! 見た目が何となく熟達した探検家な分、タチの悪い大馬鹿よ!!」
「俺は熟達した洞窟探検家だ。
正しい知識、十分な経験、完璧な装備……これらを持たぬ者は洞窟に入るべきじゃない」
「人並みの耐久性能もそこに付け加えておきなさい!!
あと、問答無用で蘇生してくる辺りが物凄く解せないんだけどっ」
「スペランカーは最後まで諦めないものだ。諦めこそが心の敗北。探索失敗の印でもある」
「いや、そういう精神論っぽいものが聞きたいのではなくて……」
「悪いが、これ以上休憩している暇は無い。探索を続けるぞ」
「……ああ、なんだかモヤモヤする……微妙に良い感じっぽい言葉を返してくるのも腹立つし」
ブツブツと文句を垂れながら、アルメリアは風次郎に続いた。
「止まれ」
ふいに、風次郎が片腕を伸ばしてアルメリアを制した。
「な、なに……?」
「コウモリだ」
風次郎のヘルメットに付けられたライトが、地面に落ちていた小さなコウモリを照らし出す。
「あ、ほんとだ」
それはまだ子どものコウモリのようだった。
何かの拍子に地面に落っこちたのか、その丸こい身体をもぞもぞと動かして体勢を整えようとしている。
その小さな顔が、けとっと風次郎たちの方を見た。
「か、かわいいーーー!!!」
アルメリアは写真を撮ることも忘れて、コウモリの子どもの方へと飛びついた。
それを手のひらに乗せ、キャッキャと眺め倒す。
「危険だぞ」
言った風次郎の方を見やり、アルメリアは首をかしげた。
「噛んだりするヤツなの?」
「いや」
「何か、すごい病原菌を保有してるとか」
「いや」
「爆発する?」
「しない」
「じゃ、何でよ。何が危険だっていうの?
こんなに可愛いのに」
アルメリアの手の上で、コウモリはアルメリアたちに驚いているのかおどおどと彼女の手のひらの方へと顔をうずめようとしていた。
その仕草が愛らしくて、キュンとくる。
「あ、そうだ。一緒に撮ってあげようか?
洞窟探検家とコウモリのツーショットなんて絵になるんじゃない?」
「危険だ」
「だーかーらー、何がどう危険なのよ。さ、手を出して」
アルメリアは半ば強引に風次郎の手を取って、コウモリを彼の手のひらへと乗せた。
瞬間。
どぅっ、と彼の身体は崩れ落ちた。
「………………………………」
しばし後。
「なんで。なんなの。何がどうなってああなわけ」
「何を訊かれているのかが理解できない」
蘇生した風次郎の前で頭を抱えていたアルメリアは、彼のヘルメットに頭突きしそうな勢いで顔を近づけた。
「なんでコウモリに触っただけで死ぬのよッッ!!!」
「確かに俺は脆く……絶望的なほど打たれ弱いかもしれない」
風次郎が己の身体を確かめるように自身の手のひらを見下ろし、それを握り、開く。
「だが、何度でも立ち上がる心がある」
「ああ、また答えになってない答えを……」
がっくり、と頭を垂れたアルメリアをよそに風次郎は立ち上がり、傍らに落ちていたシャベルを拾い上げた。
「不屈の心……それこそがスペランカーにとって最大の武器だ。
命を賭した先にあるものを手に入れるための、な」
「命を賭した先にあるもの……」
アルメリアは呟きながら、風次郎の方を見上げた。
「って、何で洞窟の出口の方に向かおうとしてるのかしら?」
「今日の探索はここまでだ。俺は今のところ三回しか死ねない。続きは、明日だな」
アルメリアは頭痛を覚えて項垂れながら呻いた。
「まだ数メートルも進んでないじゃない」
「これでも今日は進んだ方だ」
「……諦めようよ。悪いことは言わないから」
「スペランカーは最後まで諦めない」
「それ、さっきも聞いたけど」
「一度駄目なら、二度目を。二度駄目なら、三度目を……。
その繰り返しを行える者だけが真のスペランカーといえる」
それがポーズで放たれた言葉ではないということがアルメリアには分かった。
彼は実際に何度も何度も繰り返し、この洞窟の先にあるものを目指し続けているのだろう。
それが、彼の使い込まれた服やヘルメット、シャベル、そして、傷だらけの腕に現れていた。
「失敗の連続が成功を生み出す――そう信じて諦め無い限り、それは成功への道に過ぎない」
言って、風次郎は洞窟の出口に差す光の方へと歩んでいった。
「…………」
逆光が、シャベルを肩に担いだ男の背中をシルエットにする。
アルメリアは自然とカメラを構えて、その光景を撮っていた。
彼は、本当にどうしようもなく誰よりも脆い。
きっと、だからこそ知っているのだ。
『諦めない』ということの価値を。
「ちょっと、格好良いかもね」
先ほど撮った写真の出来栄えを確認しながら、アルメリアは呟いた。
「ね、今日は探索終了なら午後は暇でしょ?
良かったら、この辺りを案内――」
と、洞窟の出口の方を見上げた先。
風次郎の姿は、もうどこにも無かった。
「え、ちょっ、それは燻し銀過ぎるわよ!」
洞窟を駆け出たアルメリアは、キョロキョロと辺りを見回したが風次郎の姿を見つけることは出来なかった。
「……もう。
ま、いいか。こういう出会いと別れがあっても」
なんとなく脱力して、アルメリアは笑った。
太陽は中天に差し掛かっていた。
今から近くの街に戻れば、少し遅い昼食を取れる頃合いだ。
「そういえば今日、朝ご飯はかなり早めに食べてたのよね。
お昼、何を食べようかしら」
アルメリアはカメラをホルスターに戻して、軽い足取りで歩き出した。
と。
彼女は、ぐにっとしたものを踏んだ。
「え?」
見下ろせば、自分の足は地に倒れた風次郎の背中を踏んでいた。
彼のヘルメットには2つ目の鳥のフンがへばりついていた。
「し、死んでる……!」
◇
洞窟探検家の朝は早い。
前田 風次郎は、いつものようにキッカリ午前四時三十分に起き上がった。
ブラインドを開けば、そこにはヒラニプラの遺跡洞窟群が昨日と変わらずに佇んでいた。
その後、彼はバランスの良い朝食を摂り、一杯のコーヒーを飲む。
その間も細やかな情報収集を怠ることはない。
世間を賑わせるニュースからインターネット上の小さな噂まで、あらゆる情報を収集する。
一見、洞窟探検と何の関係も無さそうな情報が探検家の命を握ることがあるのだ。
と――。
彼は一つの小さな話題に目をとめた。
それは、マイナーな雑誌で小さな賞を取った投稿写真の話題だった。
インターネット上にアップされていたその写真は、シャベルを肩に担いだ男のシルエットで――投稿した者が付けたタイトルは『アホ』。
「フッ……」
風次郎は一つ笑って、空のカップを置いた。
優秀な探検家は食事と情報収集に誰よりも気を使い、そして、入念な準備を行う。
探検の成否の九割は準備によって左右されるといっても過言ではない。
つまり、最も優秀な洞窟探検家とは最も臆病な者の事を差すのだ。
死にたくなければ、靴ヒモの僅かな長さの違いにも気を配る臆病者であれ。
完璧な起床、完璧な食事、完璧な情報収集、完璧な準備を経て、風次郎はコンテナハウスを後にする。
人は彼のことを、スペランカー(無謀な洞窟探検者)と呼ぶ。
ただの愚か者だと言い捨てる者も居る。
そんなことは彼にとって何の関係もなかった。
ただそこに探検すべき洞窟がある。
だから、今日も彼は万全を作り上げ、成功へ続く失敗を積み重ねるためにその一歩を踏み出すのだった――。