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砂時計の紡ぐ世界で 前編

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砂時計の紡ぐ世界で 前編
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「砂時計が……消えた?」
 目の前にいる『彼女』の口から吐き出された言葉に雅羅・サンダース三世(まさら・さんだーすざさーど)は思わず、訊き返していた。
 そんな馬鹿な。そんなことって、あるのか。明らかに口調にそういった詰問の色が混じってしまったことは否めない。
 けれど。雅羅にとってはそのくらい、予想外のことだったのだから、仕方ないといえば仕方がない。
「『回帰の砂時計』。あなたが持っているんじゃあ、ないの? ……失礼、ないんですか?」
 大きな丸テーブルの向こう、座るのは普段着なのだろう、高級そうにレースや装飾に彩られながらも動きやすそうなドレス姿の少女。
 ──この女の子が、ダイム姫。この世界をつくった、創造主とさえ呼んで差し支えない相手だった。
「すみません。ほんとうに、消えてしまったんです。この世界に景色が変わって。この世界が、わたしの前に広がった、そのときから」
 木目の残されたテーブル上へと、姫君はすまなそうに視線を落とす。
 ここには、ない。雅羅たち大勢の生徒らにとって、もといた世界、時代へと帰る最大の手がかりである『回帰の砂時計』が。ダイム姫の手元から、消失してしまった。
「……って。覚えてるんですね、この状況になる以前のこと」
 意外そうに、思ったことをぽつりと、御凪 真人(みなぎ・まこと)が言った。
「うん、それ私も思った。てっきり、この世界の人たちは気付いてないものだとばかり」
 彼の傍らで、パートナーのセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)も同意を示す。
 この世界にもとからいる人々は、城の最上階にあるこのダイム姫の部屋にやってくるまで皆一様に、今一同の眼前に広がっているこの幻の、常春の世界を現実と思い、生きていた。
 だからてっきり、創造主であるダイム姫もそうだと思っていたのだが。
「自分でも、驚いているんです」
「驚く?」
 雅羅が聞き返す。アクリトが、やりとりに聞き耳を立てる。そんな空京大学講師の隣に座るグラルダ・アマティー(ぐらるだ・あまてぃー)が、双方の様子を興味深げに、交互に見比べていた。
「わたしがこんな世界を。……緑溢れる領土、笑顔に満ちた領民のみなさんを望んでいたことは事実です。こんな世界にわたしは生まれたかった」
 その、根本の部分からはっきり覚えている。そう、彼女は言う。
 願いとともに、『回帰の砂時計』を手にした。そしてそれを、逆さにした。流れ落ちはじめる砂の粒を、見た。
「そうしたら。気がつくとこの世界が目の前に広がっていました」
 疑問や違和感を感じているのは、自分だけ。他の皆はすべて、この世界しか知らない。ここが当たり前と思っている、彼らにとって当然の世界があった。
 やがてこれが自分の望んだ世界なのだと、彼女にも理解できた。──それがダイム姫の認識であり、知ることのすべて。
「巻き込んでしまって、ごめんなさい。原因はわたしもわからないけれど、砂時計があなたたちを呼んでしまったのにはきっと、わたしに責任がある。砂時計がわたしの願いを、叶えてしまったから」
 深々と、頭を下げるダイム姫。ウェーブのかかった絹糸のようなポニーテールが、項垂れた頭とともに重力によって下に揺れ下がる。
「きみが砂時計を傾けて、そしてそれは虚空に消えた……か。ふむ」
「どう思います? 先生」
「そうだな」
 アクリトが考え込む。頭の中で無数に仮説を立てているのだろう、論を構築しているのだろう学究の講師に、グラルダが訊ねた。
 向き合った一同の真ん中、テーブルの真横では白波 理沙(しらなみ・りさ)が、双方の話をメモ帳に書き込み、まとめていた。紙面の隅には、小さな砂時計のイラスト。……だと思う。作・ダイム姫と注釈のついたそれは、理沙がダイム姫に頼んで、『回帰の砂時計』の外見について説明を求め、描かせたものだ。
「理沙、理沙。ここの歌詞なんですけど」
「わっ。ノア、今話しかけないで。つられて記録、間違いそうになっちゃうからっ。あー、そこに歌詞カード出されたら見えないから」
「今はやめとけって、ノア」
 代わる代わるに言葉の飛び交う状況で、理沙はわりといっぱいいっぱいだったようである。パートナー、ノア・リヴァル(のあ・りう゛ぁる)が鼻歌混じりに差し出したダイム姫への祝いの歌の歌詞も、今はそれどころではなかった。
 カイル・イシュタル(かいる・いしゅたる)がノアを引っ張って、そこから退かせて。理沙はどこまで書いただろうかと食い入るように自身のメモ帳を見遣る。
「……ま、私たちを呼んだ責任っていうならさ。責任をとっておもいきり、祝われるべきじゃないかな」
「セルファ」
 楽天的に、セルファが言った。
「おもいきり祝ってもらって。それをおもいきり楽しむのが、呼んだ側の責任の取り方ってもんじゃない?」
 にっこり笑って、彼女はダイム姫に視線を向ける。
「なんというか……セルファ。楽天的すぎませんか、君は」
「えー。真人たちが堅苦しく考えすぎなのよ」
 パートナー同士、そんなやりとりがあとに続いた。
 その様子を、アクリトは横目で見て、そしてふっと笑って。
「そうだな。……ひとまず、可能性が高いと思われる仮説はふたつある」
「ふたつ?」
 グラルダが、理沙が彼の次の言葉を待つ。
「まずは、砂時計が転移する型であったケース。つまりかなえた望みを、それをかなえた空間を後に残して、本体そのものは次の場所に向かう『旅する女王器』だった場合だ」
 その、次の場所が未来──つまり、我々の『現代』だったとしたら。
「それじゃあ、発掘されたあの『回帰の砂時計』は」
「うむ。遺跡に……我々の時代に「やってきたばかりだった」ということになるな。そして起動したばかりであったがゆえに、ダイム姫の願いの『残滓』が、実験に反応した。我々はその発動に巻き込まれたということだな」
「……ふたつめは、なんなのでしょう?」
 真剣な面持ちで、ダイム姫が訊ねた。日比谷 皐月(ひびや・さつき)が、雨宮 七日(あめみや・なのか)が彼女の両隣で、同じくアクリトへ催促するように頷いている。
 彼らは、この部屋での会見がはじまってすぐ、アクリトと対面に座ることを望んだ。ゆえに姫の両隣を占めている。
 少しでも手がかりを──この空京大学の研究者が、深い知識と学識を持つがゆえ他の皆に包み隠してしまうような情報を、彼の表情から見落としてしまわぬように。
「もうひとつのケースだと、どういうことになるんだ?」
「それは……今まさに我々がいるこの空間を、砂時計が現在進行形で維持し続けているケースだ」
 組んだ両膝を入れ替えて、アクリトは言葉を重ねる。
 姫の願いに応え、砂時計はこの世界をつくった。そしてこの世界の中から、姫の欲した『未来』というものに合致するものを探した。
 そうして、砂時計のお眼鏡にかなったのがちょうどそのとき、傍にいた我々だった──……というわけだ。
「それで、ちょうどいいやとばかりに呼び寄せた……か」
「そうだ」
 皐月が言葉を引き継いで、アクリトも頷く。そしてひとりぶつぶつと、なにやら考え込んでいる。すぐ脇の、雅羅やグラルダにもその声はあまりに小さくて、聞き取れない。
「なるほど……さすが、空京大学の先生だねぇ」
 感心したように、永井 託(ながい・たく)が言う。
「あの」
「ふえ?」
 不意に、ダイム姫が小さく挙手をして、発言の機会を一同に求める。
 託や、七日や。ぐるりと一同を見回す。
「求めた『未来』って、今おっしゃいましたけど。肝心の未来では、わたしのことはどのように認識されていたり、伝わっていたりするんでしょうか?」
「あ……」
 それ、は。──未来に伝わる『ダイム公爵令嬢』の像とは。
 気安く、軽々しく本人に対して言い出せるものではなかった。ゆえに知っている者たちは言葉を濁し、黙り込み。知らぬ者たちも交互に黙りこくる者たちの顔を見比べるしか出来ない。
「その、それは……だね」
 託も、彼女の生涯と最期とを、伝えられる資料によって知っていた者のひとりだった。ゆえに姫の視線に応じられない。
 曖昧に、どもってしまう。
「そう、ですか」
「あ……」
「ありがとうございます。気を遣わせてしまって、ごめんなさい」
 その、各人の見せた態度でなんとなくわかってしまったのだろう。いや、それよりももっと先に──……、
「おぼろげに、ですけど。ひょっとしたらそうなんじゃないかって思ってました。それが……運命なんですね」
 本来の歴史で報われることのなかった姫君は、そう言って満ち足りた世界で笑った。
「姫様」
「大丈夫、です」
 彼女の傍らに、護るように立ち控えていた本郷 翔(ほんごう・かける)エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が、気遣いの声をかける。
 気丈な姫君は、行く末を理解しながらそれでも、微笑む。
「おふたりも、ありがとう。見ず知らずのわたしの、執事や騎士の役なんて買って出てくれて。こんなのはじめてで、嬉しいです、とっても」
 現実のこの城は──使用人の方たちにも事欠く有様でしたから。その笑顔は、隠しようもなくぎこちなく。
「姫。……無理をなさらずに」
「ありがとう……ございます」
 エヴァルトの言にも、そのぎこちない笑顔で彼女は応じていた。
 空気が、重くなる。彼女に自身の行く末を気付かせてしまった、その自覚が、一同の口を噤ませる。
「──おお、おったおった。ほんまにここ、姫さんの部屋やったんやね」
 不意に、ノックもなしに開かれた扉と──そこから発せられた気楽なトーンの関西弁のイントネーションがなかったら、それが多分続いていた。
「なんだ、大勢雁首揃えて暗い。外のすがすがしい陽気がもったいないではないか」
 関西弁の、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)を先頭に。きょろきょろ室内を見回し、讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)がぼやきつつ。それから、フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)が続く。
「マナーが悪いですよ」
「ええやん、気にせんといてぇな、執事さん。さ、ほないこか、姫さん」
「え」
 翔がきょとんとする中、泰輔のあとについて入ってきた青年が歩み寄り、ダイム姫の手をとる。
「おい」
「まあ、まあ。よいではないか」
 詰め寄ろうとするエヴァルト。顕仁が間に入り、それを制す。
 ダイム姫の両手を、青年の両手が握っている。そして青年の頭の上にはひとりの花妖精がいた。
 カイナ・スマンハク(かいな・すまんはく)と、そのパートナーのミミィ・スマンハク(みみぃ・すまんはく)である。
「お姫しゃん、ミミィたちとお外に行こうなのでしゅ」
「外……ですか?」
「うん、冒険に行くんだ。楽しいぞ、とっても」
 ミミィが、彼女を頭に乗せたカイナが口々に彼女の手を握ったまま言う。
「いや、冒険は……。姫さまには台本も見てもらわないと」
「台本?」
 フランツが、眉根を寄せて彼らを留めようとする。
「なんだ、劇でもやるのか?」
「まあ、そんなトコやね」
 アクリトの問いに、フランツに代わって泰輔が頷く。
「泰輔。外に連れ出すのはいいが、姫さまに台本見せるの、忘れないでくれよ」
「おー、まかしとき」
 言って、フランツはその場を離れる。曲と、楽器と。準備を進めている二階の皆との打ち合わせのために。
 そうしている間にもカイナは握ったダイム姫の手を引き、彼女を立ち上がらせる。
「おい、どこへ」
「どこって、そりゃもちろん外だぜ?」
 問われた彼でなく。彼らのあとに控えていた、ニーア・ストライク(にーあ・すとらいく)が代わりに応じる。
 だから外って、どこ。ただひと言「外」というだけの説明ではあまりにアバウトすぎるではないか。
 だが応えたニーアは、パートナー、クリスタル・カーソン(くりすたる・かーそん)とともに満足げに胸を張っている。
 いや、そんなドヤ顔をされましても。
「パーティの準備にはまだもうちょっとかかるみたいだしな。せっかく呼ばれたんだぜ? 俺たち。だったら楽しんで、楽しませないとな!」
「そーいうこっちゃ! ほら、いくで!」
「あ、え、あ、はいっ?」
 泰輔の先導の元、ニーアとカイナが姫の手をひっぱり駆け出す。
「あ、おい。まだこちらは彼女への話は終わって──……」
 もう、扉の向こうに出て行ってしまっている。言っても戻らないであろうことをうすうす認識しながら、一応この場の代表としてアクリトは彼らを追い同じく扉を潜る。
 間に合わない。呼び止める暇も、ありはしなかった。
「……やれやれ」
 肩を竦めて、息をつく。仕方あるまい、姫君からの事情聴取ができないとなると、他の方向性から仮説の検証を進めていかなくては。
 頭を切り替えて、アクリトは踵を返す。その、背後に。
「あの、先生?」
「──ん?」
 投げられた声を耳にして、アクリトは部屋へと戻りかけた足を持ち上げるのをやめた。
「お話、いいですか?」
 振り返るそこに、小柄な子と、その子に連れられた銀色の狼がいた。
「君は?」
「葛、ほら」
「う、うんっ。あ、あのっ、あの、ボク。ボク……南天 葛(なんてん・かずら)っていうの……ううん、いいます。こっちはダイア」
ダイア・セレスタイト(だいあ・せれすたいと)と申します。空京大学のアクリト・シーカー先生でよろしかったでしょうか?」
「そうであるが」
 着ている制服は、薔薇の学舎。保護者然とした銀狼に促され、ぽつぽつと葛はアクリトに自己紹介をする。
 アクリト自身、180cmを越える長身である。小柄な葛に対しては自然、ずっと上から見下ろすかたちになっている。威圧するつもりはアクリトにもけっしてないのだが。
「それで? 私に一体、なんの用事であるかな?」
「あ、は、はい。その。見てもらいたいものがあって」
 おずおずと葛は、胸元からひとつの、ペンダントヘッドとなったロケットを取り出し、アクリトへと差し出す。
「これは?」
「──お母さんの、手がかりなんです」
 そのロケットは、一見ありふれた材質でできているようだった。……材質だけは。
「む、この文字は」
 ただ、その表面に無数に、古代文字と思しき不思議な記号が掘り込まれている。
 ある程度の規則性はあるようだ、しかし一見しただけではそれ以外、よくはわからない。
「このロケット……開けても?」
「あ、その……開かないんです、それ」
「ほう? どれ」
 葛の言に興味を抱き、アクリトはロケットの蓋に指先をかける。なるほど、たしかに固く閉ざされたそれは開かない。溶接や接着か──あるいは魔法的ななにかで、閉じられているのかもしれない。
「ボク、お母さんのことを探してて。その手がかり、これしかなくって」
「ふむ──そうか。この文字、確かに気になるな」
 ひとしきり弄り、眺めたそれを葛の手に返す。
「よかったら、今度うちの大学に訪ねてくるといい。生憎と私もこの分野は完璧に専門、とは言い難くてね。古代言語を専門に研究している人間を紹介してもいい」
「ほ、ほんとっ? ……ですか?」
 葛の表情がぱっと明るくなる。銀狼と葛は、顔を見合わせて。
「まあ、そのためにはまず、もとの世界に帰ることが先決ではあるがな」
 アクリトの言葉に、強く大きく頷いた。
 そして、ありがとうございます──そう言って深々と頭を下げたのだった。