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わたしの中の秘密の鍵

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わたしの中の秘密の鍵

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【七 隠されていた鍵】

 深更のフェンザード邸内。
 住み込みで働いている家士や従者の大半は、既に床の中にある時間である。しかし、ラーミラのコントラクター化疑惑を調査する為に招かれた者達は、未だ誰ひとりとして、夢の中にある者は居なかった。
 黒崎 天音(くろさき・あまね)ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の両名は与えられた客室にて、これまでに判明している情報全てをデータベース化し、次なる調査対象が何であるのかを絞り込もうとしている最中であった。
「噂に聞くオブジェクティブは、直接的には関与していない……が、どうにもどこかで繋がっている節は、あるんだよね」
 持参したタブレット型端末KANNAのキーパッド上で指先を滑らかに滑らせながら、天音は半ば独り言に近い調子で、そう呟いた。
 傍らではブルーズが、既に円とオリヴィアがサイコメトリで調査し終えた例の領収証を眺めて、低い唸り声を放っている。
「しかしこれは、相当な額だな……これだけ使い込めば、幾ら上流貴族といえども、ものの数ヶ月で破綻して没落するというのも、頷ける話だ」
 ところが、天音の意識は最早、別の視点に向けられている。即ち、現在世間を騒がしている謎の魔物達と、ラーミラの関係に対して、であった。
 天音が見るところ、オブジェクティブとメガディエーターのいずれかが今回の騒動に関与していると踏んでいたのだが、少なくとも前者は今のところ、調査対象から外して良いと判断出来る。問題は、後者であった。
「メガディエータークラスの魔物……いや、サイボーグ生物か……こんな奴が今後絡んでくるとなると、単なる調査活動では終わらないかも知れないな」
「それは、どういうことだ?」
 ブルーズが天音の意味ありげな台詞に反応して、真紅の瞳をランタンの灯りにきらりと閃かせる。
 これに対し、天音はやれやれと小さく肩を竦めて、曰く。
「これはあくまでも直感なんだけどね……もしかすると、ドロマエオガーデンなる場所への移動が必要になるかも知れない、ってことさ」
 天音とブルーズの耳にも、ローザマリアやエース達がドロマエオガーデンに接するファンダステンの研究施設を発見した報告は、既に届いている。
 そして、魔導暗号鍵なるキーワードが、円とオリヴィアのサイコメトリ、そしてローザマリア達からの報告の双方で聞かれている。関係していないと考える方が、無理な話であろう。
「それで、どうするつもりだ?」
「……さっき、レティーシアに移動用のトラックとジープの手配を頼んでおいた。幸い、バンホーン調査団なる部隊の為に用意した車両が、幾つか余っているらしくてね。それをすぐに、こちらに寄越してくれるとの返答があったよ」
 全く、手早いことだ――ブルーズは己がパートナーながら、天音が見せた行動力の素早さに、改めて舌を巻く思いだった。
 と、その時。
「……何だか、妙に騒がしいね」
 天音が眉をひそめて、静かに耳を済ませる仕草を見せると、ブルーズも天音に倣い、息を潜めてじっと聴覚に神経を集中させた。
 確かに天音がいうように、邸内のどこかで、誰かが声を張り上げながら走っているような音が響いてくる。どうやら、女性の声であるようだ。
「何かあったのかも知れんな」
 いうが早いか、ブルーズは客室の扉を押し開けて、薄暗い廊下に飛び出した。天音も、その後に続く。

 同じ頃、ダリルの個室を、昼間に役場の記録書庫やツァンダ公立図書館等を梯子して廻っていたカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)夏侯 淵(かこう・えん)の両名が訪れていた。
 ふたりとも、公共の資料からフェンザード家の窮乏と、それに対してメルケラド家から受ける財的恩恵の多寡等について調べていたのだが、それ以外にも、魔導暗号鍵やフレームリオーダーといった固有名詞について、公的記録に何か残されていないかを調べに調べ倒してきた。
「ま、何ていうかな……メルケラド家への輿入れについては、こりゃもう完全に財産目当ての政略結婚、って結論付けるのが妥当だな。それ程、このフェンザード家の財力は逼迫してるってこった」
 カルキノスによる大雑把な説明は、しかしダリルが理解するには十分過ぎる程の情報が詰まっていた。
 矢張り、カズーリがラムラダの為にラーミラの輿入れを画策したのは、ほぼ間違い無いだろう――だが、今となっては最早、そのような情報はほとんど意味を為さない。
 寧ろ必要なのは、魔導暗号鍵の何たるかについてであったが、これについては、淵が簡単なメモ書き程度に纏めていた。
「魔導暗号鍵というのは、どうやら太古のシャンバラ王国では時折使用されていた、特殊な封印の為の魔力、と定義付けることが出来そうだ」
 淵が語るところによれば、魔導暗号鍵はそれ自体が非常に特殊な存在であるのだという。元々が魔力の集合体である為、結合力が極めて弱く、ちょっとしたことで分解してしまい、その残骸が電気信号となって宙空に飛散してしまうことが多いのだという。
 この残骸を回収して再構築すれば、鍵そのものを復元させることも可能らしく、隠密性を伴う封印にはあまり向いていないということであった。
「しかし、暗号化に関していえば非常に強力で、一度この鍵で暗号化を施せば、少々のことでは封じられた対象の暗号を解読することは出来んそうだな」
 自らの調査結果を意気揚々として語る淵だが、しかしダリルは、妙に深刻な表情を見せて、ひとりで深い思考に耽ってしまっていた。
 これには淵も流石に腹が立ったらしく、つかつかとダリルの正面に詰め寄ると、形の良い額に強烈なデコピンを叩き込んだ。
「……痛いぞ、何をする」
「へんっ。俺達を無視して考え込むからだ」
 ダリルと淵のやり取りを、カルキノスは含み笑いを漏らして眺めていた。
 が、そんな穏やかな光景は、甲高い声を発しながら走り込んできたルカルカによって、あっさりと破られてしまう。
「た……大変だよ、ダリル!」
 つい先程、別の客室で天音とブルーズが聞いたのは、ルカルカの声であった。
 だが当のルカルカは、自分の声が邸内のそこかしこで響いていたことなど気に留める余裕も無い様子で、とにかく肩で息をしながらダリルの客室に足を踏み入れてきた。
 相当に慌てていたのが、その表情からも窺える。
「どうした?」
「すぐに来て! ラーミラさんが!」
 そのひとことで、十分だった。
 ルカルカがそれ以上の説明を加えるまでも無く、ダリルはカルキノスと淵を従えて客室を飛び出し、ラーミラの個室目掛けて廊下を疾走し始めていた。
「んもう! ちょっと、待ってよ!」
 たった今、ダリルの客室に全力疾走で駆け込んできたばかりのルカルカが、再度息せき切りながらダリル達の後を追う。ここまで全速力で走ってきたルカルカにとっては半ば拷問に等しい所業ではあったが、かといって呑気に歩いていく訳にもいかない。
 忙しい夜だ――我ながら、自分自身に呆れる思いで、ルカルカはたった今走り込んできた廊下を、逆走しなければならなかった。

 廊下の騒ぎを聞きつけて、正子、加夜、セレスティア、円、オリヴィア、キャンディスといった面々も、何事かとそれぞれの客室から飛び出してきた。
「何かあったのですか!?」
 加夜の呼びかけに、ダリルが駆け抜けながら、
「ラーミラの部屋だ!」
 と、ひと言だけで応じる。
 何か、あったのだ――咄嗟にそう判断したコントラクター達は、ダリルの後に続くカルキノス、淵、そしてルカルカといった面々の更に後を追うようにして、ラーミラの個室へと向かった。
 ラーミラの個室内は、既に幾つかの燭台に火が灯されて、そこそこの明るさが保持されているのだが、一同が飛び込んできた時には既に天音とブルーズが先に足を踏み入れてきており、複数のランタンを部屋の四隅に設置していた。如何なる闇の死角をも作るべきではない、という天音の警戒感からの措置であった。
 そして肝心のラーミラはというと、彼女は夜着のままベッド上に上体を起こし、茫漠とした表情で宙の一点を見詰めている。まるで心ここにあらず、といった様相であった。
 だが何よりも異様だったのは、ラーミラの全身が仄かな金色の輝きに包まれており、その口から、不気味な低い唸り声のような呟きが絶え間なく漏れ続けている、という二点であった。
 今、ラーミラを動かしているのは本人とは別の意思である――咄嗟にそう判断した加夜と円、そしてオリヴィアの三人が、飛びつくようにしてベッドに駆け寄り、ラーミラの唸るような呟きに耳を傾けた。
「ネェ、何っていってるのか分かるのかしらー?」
 キャンディスの、どこか場違いなようにも思われる間延びした声が問いかける。ややあって、円が表情を厳しくして振り向いた。
「何だか、同じことをずぅっと繰り返してるよ……メギドヴァーン接近、警戒せよ、ってね」
「メギドヴァーン!?」
 思わずセレスティアが、素っ頓狂な声を張り上げた。
 彼女はバンホーン調査団から諸々の報告を受けており、その中には当然、伝説の魔物に関する情報も含まれている。
 メギドヴァーンは、現在目撃証言が相次いでいる謎の魔物達と同列の存在として扱われており、未だその姿を見た者は居ないが、恐ろしい程の巨躯を誇るワイヴァーン型の化け物であるのだという。
 室内のほぼ全員が驚愕の表情で、互いの顔を見合わせている。そんな中、正子とダリルだけは更に険しい顔つきで、未だ異様な状態にあるラーミラをじっと凝視し続けていた。
「……正子、見たか?」
「おう、見たわい……バティスティーナ・エフェクトが、何故かラーミラ相手に起動しおった」
 現在この室内で、対オブジェクティブ用攻撃認証コードであるバティスティーナ・エフェクトを保持しているのは、正子とダリルのふたりだけである。そのふたりが、それぞれの視界内でバティスティーナ・エフェクトが起動した、というのである。
 しかもそれだけでは留まらず、正子とダリルの目には、ラーミラの体内から迸るエネルギーの何たるかも、はっきりと捕捉出来ていた。
「バティスティーナ・エフェクトの解析結果を信じるのであれば……ラーミラの体内にあるのは、魔導暗号鍵、だな」
「うむ、間違い無かろう。そしてこの魔導暗号鍵が発する波動は、コントラクターがパートナー同士の間に結ぶ精神感応の波動に、よう似ておる」
 ダリルの分析に応じて何気無く放った正子のそのひと言に、ルカルカと加夜が、あっと驚いたような叫びを上げた。
「ちょっと! それってつまり……コントラクター化疑惑の原因が……」
「その……魔導暗号鍵が体内にあったから、ということですか!?」
 魔導暗号鍵の存在が、直接コントラクター化疑惑に繋がるのかどうかについては、誰もはっかりしたことは分からない。しかし正子の言葉を信じるのであれば、その可能性は極めて高いといって良い。
 本来であれば、この事実が分かっただけでも大騒ぎとなるところであったが、しかし今は、より差し迫った問題が近づきつつある。
 天音がひとり冷静に、静かな吐息を漏らして曰く。
「その件は後に廻そう……今はそれよりも、彼女がいう、メギドヴァーン接近の是非を確かめるのが先だ」
 尤もな判断である。正子は小さく頷き、室内のコントラクター達に対し、大音声で呼ばわった。
「屋敷内の全員を応接間に集めい! 事態は急を要する!」
 かくして、深夜のフェンザード邸は蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれることとなった。