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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

リアクション

 羽田 譲皆川 陽(みなかわ・よう))、17歳。
 “赤い月の元帥”ニスラ=ハスラと呼ばれる、黒翼の天使──魔王軍の一員。
 彼は城を奥へと進みながらも、その足が重いことに気付いていた。
(すべては決められていたことだから。そこにボクの意思はない。ボクに選べることなんか、なにひとつない)
 不思議な力に目覚めれば買われる、そう思ったこともある。
 彼は陸上部のエースだった。部活動のライバルや友人、親やコーチ、それに新聞にだって、才能はある、と言われ書きたてられた。自身もそう思っていた、そう思おうとしていた、そう振る舞ってきた。
(でもそれが何になる?)
 歴然とした事実がある。それは陸上部員として認めたくないことに「契約者とは勝負にならない」ということだった。契約前も後も運動とは無縁そうに見えるお嬢様にだって、本気で走ってみたら敵わないだろう。
 だったら、努力をして、同じレベルの一般人の集団で一番になって──それで、何になる? 一番になりたい、という欲求は満たされないんじゃないのか?
(素質で決まる契約者。そして、前世の因縁に縛られた我々戦士たち。努力という神話が崩壊した、今という時代)
 不思議な前世に目覚めた今、力を得た今も価値観には変わりがない、いやむしろより強固になってしまったと言うべきだった。
 彼は白い翼の天使にはなれず、前世がそうだったから、という理由で魔王軍に従うことになっているのだ。
 だから二階の部屋で巫女王を見つけた歓喜や、殺さねばならない悲哀などとは無縁で、ただただ心の中が空っぽで。
 共に奥へと侵攻した魔族の女性が先に巫女王へと足を踏み出し、手柄を立てたり遊ぼうとしたりするのも、どうでもよかった。
 女性の名は、螺旋女王ドナ(という設定で、白瀬真希(しろせ まき)という(崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)))。
「嗚呼、まったくの誤算でしたわ……転生先が斯様に弱い人間だったなんて。……でもそれは巫女王も同じ、ということですわね、それは好都合……」
 静かに横たわる巫女王が、まだ瞼を閉じながらも既に意識を取り戻しているのを見て取って、ドナは微笑を浮かべた。
「さあ覚悟なさい巫女王よ、我こそは『螺旋女王ドナ』。貴女の絆と愛がまたしても私に通じるか……見物ですわ」
「──お待ちなさい」
 巫女王の柔らかそうな肌に触れようとするドナの指先は、だが、一人の少女によって払われてしまった。
「誰ですの?」
「私は風森望です。王国の北の守護神殿、翠星殿の筆頭神官“風の巫女姫”。巫女王には、指一本触れさせません」
 言葉には、巫女として臣下としてだけでない決意が込められていた。彼女はかつての巫女王撰出の折には最終試練にまで残り、試練を共に乗り越える際友誼を交して以来、巫女王の個人的な友人でもあったのだ。
「そして、わたくしが翠星殿の北方守護騎士月虹の戦巫女ヴェルトーラノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて))ですわ」
 望を守るように、華やかな金の髪の戦巫女が立ち塞がる。二人は前世での繋がりのように、同じ学校に通う文芸部とフェンシング部の各部長でもあり、固い絆で結ばれていた。
「──あなた縦ロールですのね。美しいこと。それにあなた自身もとっても可愛らしいわ」
 ヴェルトーラの髪を、美少女と言っていい顔立ちを、白い首筋を見て、ドナは嬉しそうに笑った。自身も黒髪を巻いた彼女は、螺旋城の城主。世界の捻れと混沌を愛し、前世の戦では、直接の配下ではないが帝国に協力した魔族だ。
 巫女王国の住民の死を願う魔族たちとは毛並みが違い、嗜好のために戦う。そしてその嗜好には、縦ロールや、可愛い女の子も入っていた。
「そうね、記憶を奪ったり、消去してすれ違いや仲たがいを起こさせたり、偽の記憶を植えつける、というのが私のやり方なんだけど……。そうね、あなたなら、私の直接の配下にして差し上げてもいいわね」
(私の恋人という暗示をかけてあげましょう)
「お断りですわっ」
 ドナの意味ありげな視線と微笑に、ヴェルトーラは顔をしかめた。何となくよからぬことを考えられている気がしたのだ。
「あら、せっかく転生したというのに、ここで死ぬのでは勿体ないですわ。私と一緒に新しい世界を見たくありませんの?」
「あ、新しい世界? 何が目的ですの?」
「目的? それは巫女王の存在をこの世から消し去り、寄る辺のない混沌に満ちた世界を作り出すこと、かしら。それが私の喜び。その為に転生させたのですし……」
「転生させた?」
「ええ、私は敗北の間際にすべての魔力を解き放ち、自身とその場の両軍の記憶と魂を別世界へと転生させましたの
 望は、前世の、まだ思い出していない記憶のうすぼんやりとした部分に、引っかかるものを感じた。
(転生の秘術……そう、私も使ったことがある……。王国が滅びた際に巫女王の遺言に従い、魔王の封印が解けるこの時代、この地域に王国の力ある者達が集う様に、転生の儀を行った。
 先程までは、魔王に備える為とはいえ、平穏に別生を過す魂を再び戦に駆出す転生の儀。皆からは恨まれても仕方ないと、そんな覚悟ばかり覚えていたけれど。でもこの秘術は帝国の儀式で、それを私は、魔族の誰かから聞き出したことが……)
 望は部屋の奥に声だけ投げた。此の部屋へ通ずる別の出口を守っていた“神官”と“妖精”に向けて、
「二人とも、巫女王を連れて、奥の間へお逃げなさい。あちらにはまだ戦力が残っているはずです。巫女王の目覚めまでお守りするのです」
 はい、と答えて二人は巫女王を肩に担いで歩いていく。
「頼みましたよ」
「いいわ、巫女王は何時でも始末できますもの。さあ、始めましょう?」
 そうやって、戦闘は始まった。

「血に酔いしれし愚者に、一時の安寧を」
 望はヴェルトーラに庇われながら、長い詠唱を始めた。
 彼女の持つ秘術の一つ、<封隷ナル鈴音転生(シーリング・ソウル)>は、風で絡め取った相手の魂を鈴の音で封じ、強制的に来世へ転生させるという魔法だ。前世で聞き出した帝国の儀式を、単体向けにコンパクトにアレンジしたものである。これなら一発でカタが付くだろう。
 勿論コンパクトと言っても威力に見合った魔術と長い詠唱が必要だ。
 長い詠唱に大技が来ると悟ったのだろう、
「何故戦うの?」
 ニスラの視線が、詠唱の盾となるヴェルトーラの瞳を捕えた。
「目覚めたからですわ」
「それは誰かに強制されたものじゃないの?」
「目覚めたのは、わたくし達の意思に拠る物。心痛めなさらず」
「前世に縛られる必要なんてないよね? それに、きみは前世以外で、何かを為したの?」
「……な、何を仰ってますの」
 視線は、目は、じわじわと彼女の心を蝕んでいく。脳裏には、平凡な女子高生である自分の姿がちらついた。
 もし前世に目覚めなかったら、この戦いを抜いたら、自分に何が残るのか。
 そんな考えを振り払うように、ヴェルトーラは首を振って気を取り直す。
「さぁ、貴方に虹を掴む事は出来ますかしら? ──<月虹の戦乙女の輪舞(ロンド・オブ・ヴァルキリー)>!」
 左手で振りまいた“創造のプリズム”の光が、薄暗い室内をキラキラと照らす。光はそのまま“七輝剣”の中に吸い込まれ、或いは反射され。その煌めいた光の数だけ、細い刀身の“飛翔剣”が生み出された。
 無数の剣は彼女を護るように空を舞い踊り、そのいくつかは収束して、二スラの心臓めがけて殺到した。
 だがニスラは動じない。
「答えられないんだね。それは特別な自分に価値があると思っているからだよ。本当は、特別でない自分には、価値がないと思っているからだよ」
 ヴェルトーラの瞳孔を射抜くように見据えたまま、言葉を紡ぐ。
「誰かに与えられた役割を全うするだけの人形だと、思いたくないからだよ。意思なんてない、全ては誰かに与えられたもの──」
 ニスラに殺到していた飛翔剣の動きが、ぴたりと彼の前で止まった。
「己を殺すのは他人ではなく、ただ己の無力感──」
 ヴェルトーラが、膝を付く。いつの間にか彼女の全身を黒い闇が覆っていた。
 彼女の瞳は、既にこの世界を見ていなかった。精神は闇に取り込まれ、ただ自身の心の闇へと潜り込み、肥大化した自我の中で足掻き、もがき、反響する記憶の中の言葉に耳をふさぐのに精いっぱいだった。
 ニスラの必殺技は、<蒼い空の下(フロンティア・アンダーワールド)>。対象者は、手酷い失敗、救い得なかったものへの後悔など、苦しい過去の幻に悩まされ、「死ねばすべて終わる」という気分にさせられる。
「ヴェルトーラ!」
 望の声はもはや届かないようだ。
 一刻も早くヴェルトーラの元へと行きたかった望だったが、それも読みながら足元を執拗に狙うドナの鞭は飛んで回避するのに精一杯だった。しかもこれでは1対2、分が悪い。
「……あっ!?」
 考え事をしていた望は、遂に足を滑らせた。ドナがサディスティックな笑みを浮かべる。
「さあ、消え去りなさい。大丈夫、痛くないわ──<忘却者の鎮魂歌(オブリヴィオンズ・エレジー)>
 記憶を操る術に長じたドナのその必殺技は、対象の記憶、記録をすべて消し去り、最初から「いなかったことにする」呪法だ。その後相手は抜け殻になる。
 ただ、この技にはひとつだけ、逃れる術がある。
(誰かを忘れまいとする強い絆と愛が無ければ、逃れられない。これは絆を試す試練ってわけね)
 でももし逃れられるのなら、それはそれで美しい。そうドナは思い、望の全身に襲い掛かる無音の旋律の行方を眺めていた。

 ニスラはその光景をぼんやりと眺めながら──以前同じようなことがあったような、気がした。
 以前と言っても、今の世界ではない。広い蒼角殿のホールで、ドナに殺されかける彼女を、広がる長い黒髪を、見た気がした。
「……馬鹿だなボクは。もう一度、庇って──今度はいなくなったことにしてもいい」
 呟いて、ニスラは飛び出した。かつて自慢だった脚力に久しぶりに力を込めて。
 彼女の前に、ドナに向かって立ち塞がって。
「そうだ、今度はきっと君がボクを、全て忘れるんだ。ボクが庇ったことも、ボクの存在も。
 それでもいい、ボクにただ一つ選べることがあるなら、君の生を望むよ。ありがとう──フォレスウィルナ
「──ニスラ!!」
 望の喉が震えた。それは彼女の、望の真名。巫女王と、愛した魔族の青年しか知らぬその名。
「……ああ……何で……」
 彼を今になって思い出した。
 前世で、愛された。転生の儀式を聞き出したのも彼からだった。巫女の遺言を聞き転生の儀式を行うことができたのも、彼に庇われて、一時の命を得たからだった。
「ニスラ、あなたが何故……?」
 床にどさりと落ちるニスラ。突然のことに動揺するドナに向かって、望はゆらりと立ち上がった。
「これが貴方への葬送曲です。<風麗ナル四重奏(エレメンタル・カルテット)>
 指先がドナの周囲に光点を出現させ、その光点は光る線で結ばれた。気が付いた時には、ドナの体の自由は奪われていた。
 抜け出そうとするドナの抵抗は、だが長くは続かなかった。望の指先から溢れ出る四色の魔力──風、炎、雷、氷──の奔流が、彼女を飲み込んだからだ。
 ゴォン!
 轟音とともに、ドナは消え。彼女のいた空間も消え、その背後にあった城の白い壁に、大きな穴が開いた。
 ──静寂が訪れ、放心して床に座り込む望は、しばらく経ってから顔を上げた。
 壁が崩れて見えた空は、転生者たちの死を悼むように、深い赤に滲んでいた。



「まずい……!」
 シムグントはカクトゥスに支えられながら、呟いた。
 彼の眼は焼けるように痛かった。
「獣が、目覚めた──」

──オオオオオオオォォォォォオオオオオォォオオン──

 それは世界を終焉させる獣の咆哮。