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平安屋敷の赤い目

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平安屋敷の赤い目

リアクション

 「千百合ちゃん……遅いな……」
 教卓の下から小さな声が聞こえる。日奈々の声だ。
 千百合にここに隠れて居るように言われたものの、日奈々はまだそれが納得出来て居ない。
 ――私は……千百合ちゃんを……支えて、いきたい。
 なのに等の千百合が一人で行動してしまってはそれをすることも叶わないではないか。
 ”日奈々だけでも”という千百合の考えとは裏腹に、日奈々にとって一番恐ろしいのは
自分が助からない事ではなく千百合を失う事だけだった。
 一人で残されるのは不安で仕方が無い。
 ――戻るまで……隠れてろって、言ってたけど……
 心配だし……
「ちょっとぐらいなら……大丈夫、ですよねぇ……」
 さっきから頭に過っていた考えを、実行に移す時がきたらしい。
 教室の外から大きな音が聞こえ、もはやここも安全とは言えないかもしれないのだ。
 ――あの音、千百合ちゃんかも……
 とりあえず……物音がしている方を、調べに……
 「行ってみますぅ」
 誰に言うでもなく、日奈々はそう決意を口にして教卓の下から出てきた。
 白杖をと己の耳を頼りに、日奈々は廊下を出て進む。
 百合園生の日奈々には正確な所は分からないものの、鼻を掠めるのは芳香剤と水の臭が場所の名を告げて居た。
「トイレ……ですかぁ……ひゃ!」
 日奈々が息をのみ込んだのは、先程聞こえたよりも大きな物音が真横でしたからだ。
 ――この、扉……? 用具入れか、何か……?
「あの、もしかして……千百合、ちゃん?」
 ドスンドスンという音は、日奈々の声に反応して止まる。
「千百合ちゃん!!」
 きっとそうだ! 確信めいた気持ちで日奈々は用具入れの扉を開けた。
「……大丈夫? 今助け……あれ?」
 倒れている千百合を起こしてやろうと屈んで、日奈々は気が付いた。
 ――これ、千百合ちゃんの香りじゃない。
 思ったのと同時に、日奈々の身体は羽交い絞めに拘束される。
 そう、掃除用具入れに閉じ込められているのは千百合では無くテレサだ。
 鬼の仲間にされたテレサを拘束した真だが、流石に女性に手荒なまねをするのは気が引けたのだろう。
 うっかり緩く結んでしまった彼女の手を拘束するテープは千切られ、解放されたテレサは獲物が自ら
外側から扉を開くのを待っていたのだ。
 
 蟻地獄に嵌まった蟻はもがけどもがけど砂の中に嵌まって行く。
 狭い用具入れの中で、日奈々は必死に抵抗するが、テレサの力はどんどん強くなっていった。
「ぅ……くるし……」
 ――千百合ちゃん! 何処に行っちゃったのぉ……
「たすけ……ち、ゆ……」
 千百合を望む声に、ふんわりと覚えのある香りが日奈々の鼻孔をくすぐった。
 ――え? この香り……
「千……ゆ……りちゃ……?」
 後ろから香る懐かしい香りに、日奈々はこんな状況だが素直に喜んでいた。
 だが、喜びは直ぐに混乱にかわる。
「ぐう!!」 
 この香りも、この腕も千百合のものに違いない。
 だが何故その千百合が日奈々の身体を拘束し、苦しめるのか。

 ――千百合ちゃん、なんで……? ……どうして……?

 疑問は浮かんでは、痛みと苦しみにかき消される。
 頭を支配するこれらの疑問の所為で、日奈々は気付いていなかった。
 鬼の仲間に姿を変えた恋人に拘束された彼女の後ろに、餓鬼の群れが迫っている事に。



「傷病者の方はあっちのテーブルへ! 簡易救急セットもテーブルの近くです!
 食べ物はカウンターにありますよ! そこにある恵方巻きを食べれば悪霊にやられた鼻水も止まります!」
 食堂で、精一杯の声を上げてきぱき動いているのは百合園女学院校長の桜井 静香(さくらい・しずか)だ。
 アクリトと別れた静香は、無事だったものと怪我人らを連れ、食堂に立てこもったのだ。
 入り口はユーリ・ユリン(ゆーり・ゆりん)白鐘 伽耶(しらかね・かや)ら武器を持った生徒が固め、護っている。
 今も食堂に入ろうとした餓鬼の一匹を死神の大鎌のような鎌を正義の為に振るい倒すと、
ユーリはメイド服の裾から覗くレースごとスカートを翻し、パートナーに笑顔を見せた。
「僕、この戦いが終わったらトリアに褒めてもらうんだ……」
「ユーリさんそれ、死亡フラグですよぉ!
 それよりなななななんで悪霊がいっぱいいるんですかぁ!
 ふえ〜ん……悪霊が相手だなんんて僕には無理ですー!」
 と、言うだけは言いながらも、伽耶の手からは生みだされたクロスファイアは的確に、
しかも連続で餓鬼を狙って放たれていた。
「あぁ! ユーリさん先走っちゃダメですよー!
 ってぎゃぁー!悪霊さんこっちこないでくださいぃー!!!」
 小さな二人が戦うのはバタバタと大変そうで頼りなくはあるが、空気を明るくしてくれるのは
何よりうれしい事だった。
「ここは何とか護らなきゃ……」
 決意を固める静香の横で、小さな呟きが聞こえる。
「うぅ……俺お化けとかそういうのだめなんだっての……
 さっきの放送だと鬼とか妖怪みたいなもんみたいだけど……」
「……絵から抜け出した鬼、か。
 誠に興味深くはあるが、先ずはこの窮地を脱さぬ事には……」
「だよなー。
 あー……昼飯食いに行こうと思っていたのにこの有様。
 自分で動かない事にはどうにもなんないか」
 机に突っ伏したのは柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)、会話しているのはパートナーの漆羽 丁(うるばね・ひのと)だ。
 二人の仲間の真田 大助(さなだ・たいすけ)もその場にいるのだが、何故か押し黙ったまま喋ろうとしない。
「大助? ほら、行くぞ?
 巻き込まれだが、巫女としての役割は果たさんとな……」
 弓を手に取り、椅子から立ち上がると氷藍は黙ったまま俯いている大助の腕を掴み食堂の入り口に向かう。
 それに気付いたユーリが首を傾げてこちらを見て居た。
「あれ? 君達外出るの?」
「ああ、とっとと大元を見つけてこの事態を収めんとな」
「そっか。僕達はここを護るから行けないけど……頑張ってね!」
「お互いな!」
 挨拶を軽く済ませ、氷藍は正面を向き直る。
 ふと、人影がこちらに向かっているのが見えた。
 小さな、少女。
「ユーリ、誰かきたぞ?」
「あ、本当だ。こっちこっちー!」
 ジャンプして手を振って、笑顔を見せる事で相手に自分が鬼の仲間では無いと教えてやると、
向うから様子を伺うようにしていた少女は安堵の表情を見せ、こちらに走ってくる。
 ももかだ。
 校内を走り回っていたあの少女は、遂に安住の地に辿り着いたのだ。
 ――助かる、助かるんだ!
 朝から強張っていた表情は綻び、口元は笑顔に歪む。
 食堂に入ればもうこの恐怖と絶望は終わりを告げるのだ。
 あれだけ重かったはずの足は軽い。
 ――帰ったらお風呂に入ってゆっくり温まって、それからふわふわのお布団で寝るんだ。
 あ、ご飯も食べたいな。奮発して思い切り豪華なやつにしちゃおうかな。
 それから明日はお友達にこの話をして、怖かったねって笑うんだ。
 だってもう終わりだもん。
 怖いのも。
 痛いのも。
 苦しいのも皆みーんな終わり。



「それなのに何で、身体が、動かないの?」

 ももかの身体は宙に浮いていた。
 安心できる場所に辿り着いていたのに、目はユーリ達と合っていたのに。
 寸での所で餓鬼に捕まり、頭から口の中に入れられてしまった。
「そんな……」
「……酷いです」
 ユーリ達はただ茫然とするしかない。
 氷藍は苦虫を噛み潰して弓に破魔の矢を番えて居た。
 しかし隣に居る大助のぶつぶつと呟く声に、餓鬼を見据えて居た視線を少し逸らした。
 大助は身体をふるふると震わせ、顔を真っ青にして固まっている。
「うぁ……い、いやだ……死んでる、皆死んでる……!!
 平気な筈なのに……怖く何か無い筈なのに……っ

 来ないで……帰して……嫌だぁあああ!!!」
「大助ッ!?」
 氷藍達が見守る中大助の内側から溢れ出てきた血の様な「瘴気」。
 大助の左目の瞳孔は4つに増え、白眼がドス黒く染まってゆく。
 皆が呆気に取られている中、大助はふらふらと餓鬼に向かって歩き出すと急にスピードを上げる。
 左手を下ろし、右腕を振り上げた構えの形になったかと思うと、
右の金盞花で上段から一撃、左の金盞花で同じく反対側から一撃を餓鬼の頭に振り下ろした。 
「……帰シテヨ、元ノ……元ノ世界ニ……」
 ぶつぶつと呟く彼に、もはや仲間達の声は聞こえない。
 大助は夢遊病のように廊下を進み、鬼の姿を目指して歩き出した。