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春をはじめよう。

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●春の初挑戦 その1

 春、といえば新しいことに挑戦するには絶好の季節だ。
 というわけで本日、カノン・エルフィリア(かのん・えるふぃりあ)は二つの『新しいこと』を試すことにした。
 その一つ目は桜餅の作成である。
 道明寺粉と少量の食紅を溶いた水を丁寧に混ぜる。桜色になるよう、食紅を加える量は工夫した。その一方で蒸し器のお湯を沸かして……。
「えーっと、この間に用意した桜の葉を……っと」
 ここで台所に、レギオン・ヴァルザード(れぎおん・う゛ぁるざーど)が入ってくるのが見えた。
「やはり……こんなノートをつけることに意味があるとは思えないんだが……」
 レギオンは困惑を顔に浮かべて、ノートを片手でペラペラと振った。
 ノートの表紙には、『春とは何か』と油性マジックで書かれている。カノンの字だ。
 これが新しいことの二つ目、正確に言えばこれは、カノンにとって新しいことではなくレギオンにとっての新しいことである。今朝、カノンは彼にノートを手渡し、春を感じた瞬間、目にしたものや感想を書きとめるよう命じたのだ。
「意味があるに決まってるじゃない!」料理を邪魔されたのでいささか邪険にカノンは言う。「レギオンはね、戦場生活が長いせいで季節感の様な人間味が薄いの! それを取り戻させようという試みだって言ったでしょ!」
「……だからといって近所を歩き回って、『春』を探せというのは難しいぞ……」
 事実、レギオンは季節の訪れに無頓着なところがあった。もちろん、兵士として戦う上での防寒などには気を配るが、たとえば花の美しさなど、目にとめたことすらなかったといっていい。なので一時間以上かけて探し回ったにしては、書き留めた事項は半ページにも満たない少なさだった。
「それっぽっち? 全然少ないわ! ほら、いま桜餅作ってるから完成するまで任務続行よ! 桜餅ができたら持っていくから!」
 奥からいそいそとイゾルデ・ブロンドヘアー(いぞるで・ぶろんどへあー)が姿を見せた。
「レギオンさん……カノンさんのおっしゃることもレギオンさんのことを思ってのこと。もう少し頑張ってみませんか? それに、桜餅づくりはわたくしも手伝いますので」
 手伝いますので『安心です』という部分は言わないでおく。危険な料理を作る上では並ぶものがないカノンのことをフォローしますとイゾルデは暗に告げているのである。
「なら……もう少しやってみるか……」
 レギオンはちらりと蒸し器を見た。火を入れすぎてすごいことになっているような気がしたが、それは忘れよう。
 それからしばらくして。
 野原で座り込み、タンポポのスケッチをしようと頑張っているレギオンの元に、二人が姿を見せた。
「あらスケッチ? 少しは感性が得られたようね……って、いちいち定規で大きさを測りながら書かない! 複写してるわけじゃないんだから!」
「……そうはいっても……正確を期すとだな……」
「まあ良いではありませんか。レギオンさんらしいですよ」
 くすくすと笑うと、イゾルデは持参のバスケットを開いた。
「桜餅です……よね? カノンさん?」
 イゾルデはそんなことを言う。当たり前じゃない、とカノンは頬を膨らませた。
(「多少、不安ではあります……」)
 レシピ通り作業していたカノンなのでいくらか安心して、イゾルデは少し、彼女から目を離したのだが、それがまずかった。直後コンロから、不思議な煙が出たり小規模な爆発が起きたりしたのである。一体何を入れたのやら……しかしカノンは「変なコトしてないから大丈夫!」と言い張っているので仕方なく、そんな過程を経た桜餅を持ってきたのだった。
(「あんなことがあったのに、完成品の外見が桜餅らしくなっているのが尚更恐ろしいです……」)
 と、イゾルデが不安げな表情を浮かべている端では、もうレギオンは一つを口に含んでいた。
 ぱん、と破裂音がした。
 加えて火花と煙、それがレギオンの口から上がったのである。まだ口のはじから黒煙を吹きながら、
「……俺以外の奴が喰ったらどうするつもりなんだ……」
 淡々とレギオンは告げた。これはどう考えても劇物ではないか。厳しい傭兵生活で鍛えられた彼は、たとえ劇物であっても難なく食べることができる……といっても、それが美味かどうかは別問題である。
 何を入れた、と呆れ口調で言う彼に、カノンは困ったように、
「え、えーと、適当に何か入れたけど……」
 本当に適当に入れたようで、覚えていないと言ったのである。もちろん嘘ではない。困ったことに。
「さすがは……」
 イゾルデは感銘を受けた。強烈な胃袋のレギオンと、強烈な暴走料理を作るカノンに。
(「……レギオンさんは色々と常人離れして丈夫でいらっしゃるらしいですから安心ですが……他の方のお口に入るような事が無いよう気をつけなければ……」)
 台所に残してある余りの桜餅は、厳重に安全処理をしてから捨てるとしよう。
「まあ……これでひとつ……春を感じたな……」
 レギオンは皮肉でも冗談でもなく、大真面目な顔でノートを開いた。
 そして書き入れる。
『春は、劇物とその被害者が量産される季節』
 と。