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早苗月のエメラルド

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早苗月のエメラルド
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Never Say Goodbye


 ジゼルは波打ち際に佇んで、一人真っ暗な海を見つめもう一度あの歌を歌っていた。
 明日戦いに向かう友達の為に。
 最後に捧げる別れの歌。

『私は消えてしまうけれど、
 この歌があなたに降る幸せの雨になって、あなたを全ての不幸から護れますように』

「ジゼルちゃん」
 歌が終わると同時に掛けられた声にジゼルは息を止めた。何故だか分からない。
 姉だ。と思ったのだ。期待にゆっくりと振り返ったジゼルの目に映ったのは、海を映した様に青い目だった。
「…………加夜」


「寒くないですか?」
 膝を曲げて座るジゼルの目は何も語らない。火村 加夜はそっと身を寄せた。
 加夜は夜の海が好きだった。
 穏やかに打ち寄せる波は、心を平安へ導いてくれる。
 けれど、今は隣にいる存在を思えば素直にそうも思えなかった。
 今のジゼルは初めて出逢った時のような、何処か暗い目をしているから。
 ――きっと故郷の事を……辛い事、思い出したんだわ。
 そう思う加夜は彼女を傷つけてしまうかと、言うべき事かと迷ったが、覚悟を胸に疑問をぶつけた。
「何か知りたいことがあって、ここに来たんですよね?」
 確信を持った質問に、ジゼルはぼそぼそと話し出す。色も明るさもない、別人の様な声だ。
「あの鯨の”中”にセイレーンが居たの」
「……他にもセイレーンが生きてるって事ですか?」
 ジゼルの言う言葉の意図が分からず考え居る加夜に、ジゼルは首を振る。
「生き残っているのセイレーンは私だけ。
 でもね、あの日あいつらの秘密の部屋を見つけたヴァイスや裕樹達から聴いたの。
 ”制作者”の三人の手記にあった通りならばあの城の中には”セイレーンを生み出す装置”があったはずなのだと。
 三人が力を失った後にどうなったのかは知らないけれど、恐らく装置は凍結されたままのはず。
 ならきっとあの鯨は、その装置の中の……生まれる前の胎児を……」
 息を止めている加夜を横目で見て、ジゼルは続ける。
「後はこういうのも考えられるわ。
 一族が多く生きていた頃私は子供だったから知らなかったけれど、あの鯨は海に出たセイレーンを補食して――」
 加夜は何も言わずに、ジゼルを抱きしめた。
「……ごめんなさい、私最低な事言ってた。
 加夜、ごめん」

 少しの沈黙の後、先に口を開いたのは加夜だった。
「ジゼルちゃん。もし……辛い質問だったらごめんなさい」
 ゆっくり身体を離した加夜は、ジゼルの手を握って真っ直ぐに彼女の目を見つめていた。
「明日私たちの乗った船はきっとあの鯨に遭うでしょう。
 その時、戦う事になっても、大丈夫?」
 加夜の問いに、ジゼルは答える事は無かった。
 ただ黙って立ち上がると、一言だけ残してその場から立ち去っていった。

「私、皆を守るわ。必ず」
 引き止めようと伸ばした手は、届かないと知ると胸の上で小さく握りしめられた。





 ――様子、見に来て良かったなぁ
 後ろから見える少女の不安定な足取りを見て、高峰雫澄は唇を噛んだ。
 鯨の歌とセイレーンとの因果関係を考えればただ一人の生き残りの少女が不安に駆られるのは容易に想像が付いたけれど、どうやらそういうレヴェルじゃなさそうだ、と。
 努めて明るい声と表情を作って、雫澄は彼女を呼び止めた。
「ジゼルさん、まだ寝てないの?」
「雫澄こそ、こんな時間まで平気なの?」
「僕はスキルがあるからねぇ」
 振り返ったジゼルから出た撥ね付けるような無表情な声に、雫澄は驚くでもなく怒るでもなく返す。
 こういう感情をぶつけられるのが二度目だからもう分かっているのだ。
 ――君が平気じゃない癖に
 とでも言ってやりたいが、今は腫れものに触る位が丁度良いだろう。
「まぁ流石に寝ずの番で明日は辛いかもって事で、エースさんと見張り交代してきたんだけどね」
「そうなの、じゃあおやすみなさい」
 皆が寝ているはずのキャンプでは無く文字通り何処かへ向かって歩き出したジゼルに、雫澄は思案してからベストと思われる言葉で彼女を引き止めた。
「なんか目が冴えちゃってさ、良かったら話し相手になってくれないかな?」


 海から幾らか離れた場所に座る雫澄。
 から数メートル程離れた場所にジゼルは座っていた。
 彼女とはそこそこの友人関係を築いてきたつもりだったのに、まさかそこまで警戒されいるのだろうか。
 自分で言うのは憚られるが、雫澄は割と無害な人間であるつもりだ。
 以前下着姿の彼女を前にしてさえ下心を向け無かったというのにこの仕打ちである。女って怖い。
「なんでそんな遠く……流石の僕も軽く傷つくよ」
 どうやら辛うじて声が届く距離らしく、ジゼルから声が帰ってくる。
「今日私お風呂入ってない。身体は拭いたけど。においとかしたらやだ」
 心配していた予想の斜め上を言った返答に、雫澄は呆れるしかなかった。
「そんなの皆一緒だよ」
「よくない!」
 彼女がきーきーと抗議している間に雫澄は近付いて行くと、持っていた毛布を頭に落とした。
「ちょっ! 何すん――」
「布越しなら匂いとか分かんないでしょ。これでいい?」
「……この毛布、磯臭いわ」
「文句多いなぁ」
 困ったように笑って見上げた空には、普通に生きていれば目視出来る事は無い程、冗談の様な満点の星空が広がっている。
「綺麗だね、星。空気が澄んでるのかなぁ……」
「……高峰さん、お話があります」
 急に居住まいを正してこちらへ向き直ってきたジゼルに、雫澄は同じ様に正座をしてジゼルの顔を見た。
「はい、なんでしょう」
 緊張している様に見えるジゼルに、笑みを向けてやると、ジゼルがしっかりと目を見て話し出す。
「この間、助けてくれてありがとう。本当に嬉しかった。
 それから借りてたジャケット、クリーニングから戻ってきて私の部屋にあるの。
 女将さんには話してあるから、あ。あの部屋自体に鍵は無いから、近くにきた時に持って行って――」
 話している間に、相手の目が柔わらかい笑みから射抜く様な異質なモノに変わっていたのにジゼルは気づいた。
「…………なんか怒ってる?」
「別に。ただ何でジゼルさんが直接渡してくれないのかなぁって思って」
「あ、あのね、そうじゃないのよ?
 勿論雫澄が良いのならその、何時でも私が……もって……い……」
 雫澄の顔を見たままのジゼルの目からは、涙が溢れ出していた。
「行きた、い……の、……けど……」
 その理由は言えないという様に下を向いてふるふると首を降り続けるジゼルの頬に手を伸ばすと、顔を上げさせて目を覗き込んだ。
「ジゼルさん、そんなに思い詰めないで。
 これ位の冒険、何時もの事さ。
 皆で力を合わせれば楽勝だよ!
 だから一人で何とかしようと思わないで。
 皆がいる。頼りないけど……僕も居る。だから今は、安心して休みなよ。ね?」
 雫澄が片膝を付いて少しだけ近付き肩に手を触れると、ジゼルが小さく震えているのが分かった。
「一人にっなりたくっな……いの、今だけで……いいから……」
「うん、一緒にいるよ」


 海の向こうに見える地平線からは、日が昇り始めている。
 雫澄の膝で泣きはらした目を閉じて眠っている少女は、こうして明るい場所で見るとまだあどけなくて何かを決断するにはまだ早すぎるようだった。
 泣き疲れて眠ってしまうまで、何を考えて居たのか大体の想像はつく。
 後数時間もしない内に、再び鯨に行き合うのはこの島に居る誰もが分かっていた。
 楽勝だと、そう言ってしまったものの本当は辛い戦いになるのも分かっている。
 ――それでも。この娘を護らなきゃ。何があっても、どんな状況になっても。
「僕は諦めないよ。
 絶対に皆で帰るんだ。ジゼルさん、君と一緒に」