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リアクション
【五 チャンスとピンチは紙一重】
交流戦第一戦の序盤は両軍共に静かな立ち上がりを見せ、三回までは投手戦の様相を呈していた。
それが崩れたのは、四回の表である。
ペース配分などまるで眼中になく、初回から全力投球を続けていたミューレリアの球威が、傍から見ていても分かる程に、明らかな低下を見せるようになっていた。
打順が一巡して、この回先頭の弧狼丸が二塁手・垂と三塁手・カールハインツの間を抜ける渋いヒットで出塁すると、続くソルランが一塁線にきっちり転がす犠打で弧狼丸を二塁に送り、続いて迎えるは三番サード、ブリジット。
ここが勝負どころだと踏んだミューレリアは、すっかり息が上がってしまっているが、それでも渾身の力を込めて二種類のジャイロを次々と投げ込み、あっという間にブリジットを追い込んだ。
勿論、ブリジットとてただぼーっと突っ立っていた訳ではなく、二球ともスイングしたのだが、微妙にタイミングが合っていないのか、チップすらせずに空振りしてしまっていた。
「大丈夫、まだ一球あるよ! ちゃんと振れてるから、集中していこう!」
ベンチフェンスに上体を乗り出すような格好で、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)が三塁ダッグアウトから懸命に声を張り上げてきている。
そんなレキの声援が、ブリジットに本来以上の力を与えたのか、或いはミューレリアのスタミナが限界に達しようとしていたのか――次に投じられた4シームジャイロは、まるで吸い寄せられるようにして高め真ん中へと軌道を描いてゆく。
それまで、まるで掠りもしなかったブリジットの打棒は、この一球を真っ芯で捉え、中堅を守るジェイコブの手前に鋭く落ちるライナー性の打球を弾き返した。
当然、弧狼丸は俊足を飛ばして一気にホームイン。遂に、0対0の均衡が崩れ、SPB代表チームが先制点を叩き出した。
ようやくスコアボードに、0以外の数字が初めて刻まれた。
スタンドは内外野を問わず、地鳴りが響くような大声援に包み込まれた。
多くの観客が、野球の何たるかをあまりよく分かっていない中での得点である。これが野球か――そんな感慨に近い思いが、客席のそこかしこで感じられるようになっていた。
ここで、ミューレリアの緊張の糸が切れたのかどうかは分からないが、この後に続く四番カイ、五番イングリットを連続四球で歩かせてしまい、一死満塁のピンチを背負ってしまった。
流石にこれ以上の続投は無理だと判断したのであろう、監督ふくもっさんがダッグアウトを出て、主審キャンディスに投手交代を告げた。
先程までの大歓声がまるで嘘のように、球場内がしんと静まり返る。
ウグイス嬢リカインがスピーカーに乗せて読み上げたリリーフ投手の名を、誰もが固唾を飲んで待ち構えているかのような雰囲気が漂った。
『ハイブリッズ、投手の交代をお知らせします。ハイブリッズピッチャー、9番、フリューネ・ロスヴァイセ。9番、フリューネ・ロスヴァイセ。背番号、54』
リカインのコールを受けて、球場内は再び大歓声に包まれた。
直後、ハイブリッズのユニフォームに身を包み、グラブを小脇に抱えたフリューネがダッグアウトから小走りに飛び出してくる。
その姿を認めた瞬間、外野スタンドの一角では特に大きな声援が沸き起こった。リネンとフェイミィが結成したハイブリッズ応援団であることは、いうまでもない。
「よぉっしゃ! ここは全力で応援するぜ!」
フェイミィが気合十分で吼える一方で、リネンは鼓動がいつもの倍以上の速さで脈打ち、声が出なくなるという有様である。
フリューネが登板してきたら、全力で応援するつもりであったが、しかしまさかこのようなピンチの場面で送り出されてこようなどとは予想だにしておらず、最早息が詰まりそうな程に緊張してしまい、応援どころではなかった。
「おいリネン! 何ぼけっと突っ立ってんだ! こんな時こそ、応援だろうが!」
「そ、それは、分かってる……けど……!」
応援したいのはやまやまだが、体が思うように反応してくれない。もしかしたら、実際に登板しているフリューネ以上に、リネンの方が緊張でがちがちに固まってしまっているのではないかとすら思えた。
だが、試合はそんなリネンの困惑など待ってはくれない。
ゲームは再開し、フリューネは投球前練習を終えて、最初の打者を迎えようとしていた。
一死満塁。
このチャンスで打席に入ったのは、先程、ブリジットに必死の声援を送り、その思いが先制点へと結実したレキであった。
さっきは応援する側であったからということもあり、割りと気楽に臨んでいたレキだが、いざこうしてチャンスの場面で打席に入ると、もう自分では信じられないぐらいの強烈なプレッシャーが全身に圧し掛かってきて、喉がからからに乾いてしまっていた。
「大丈夫! 大丈夫ですよぉ! ゲッツー以外だったら何でも良いですからぁ!」
三塁ベンチから、春美がいけいけのノリで声を張り上げてきた。
マウンド上のフリューネは、素人であるにも関わらず、随分と堂々とした様子で投球動作に入った。矢張り、空賊の英雄として幾つもの死地を乗り越えてきたという経験が、この絶体絶命のピンチに際しても活きてきているのだろうか。
だが、レキも負けてはいない。
まだ本格的なプロとしての試合には出場した経験はないが、昨年の秋季キャンプに始まり、合同自主トレ、そして春季キャンプと、プロの練習をじっくりこなしてきたのである。
ここで、幾ら英雄とはいえ、素人に過ぎないフリューネ相手に力負けしていては、とてもプロとしてはやっていけないだろう。
この時、レキはフリューネではなく、バッテリーを組む捕手マッケンジーへと意識を向けた。
同じガルガンチュアのチームメイトとして、紅白戦やシート打撃などで何度も配球を見てきている。ここは下手にフリューネを意識するより、対マッケンジーという考えで臨む方が、ヒットになる率は高いと踏んだ。
数瞬後、フリューネが素人とは思えない程の綺麗なフォームで白球をリリースしてきた。
(……きた!)
初球、外角低め。
マッケンジーが満塁の際に、頻繁に要求するコースである。
これがプロの投手であれば様子見としては最適な投球であったろうが、レキに対してフリューネでは、少し荷が重かったかも知れない。
レキは迷わず、バットを振り抜いた。
真っ芯で捉えた打球は、放物線を描いて中堅手頭上へと伸びてゆく。
(よぉっし……外野フライで一点!)
レキのそんな確信は、しかし、落下地点より更に深い位置から猛チャージしながら捕球と同時にバックホームする態勢に入っているジェイコブの姿に、一瞬で突き崩されてしまった。
「うっそぉ!?」
叫んだのは、三塁上のブリジットである。
その余りの迫力とスピードに、タッチアップすらままならず、そのまま塁上に釘付けとなってしまった。
ジェイコブの返球は、唸りを上げる程の勢いで捕手マッケンジーのミットに収まる。あの深い位置から本塁までのタッチアップを許さぬ返球を、レーザービームなどという表現で済ませてしまって良いものかどうか。
「あぁ〜、そんな……」
一応形の上で一塁方向に歩き出していたレキは、まさかの好守備に阻まれて打点1を損してしまう格好となった。フリューネとの勝負には勝ったが、ジェイコブの守備には負けてしまったのである。
ジェイコブのスーパーディフェンスに胸を撫で下ろしたフリューネは、続くマリカを捕邪飛に仕留め、この回を最少失点に抑え込むことに成功した。
「うぉー! やったー! すげー!」
外野スタンドでは、フェイミィが腹の底から歓声を上げて、両手を天に向けて突き上げていた。
一方、傍らのリネンは今の今まで生きた心地がしなかったらしく、マッケンジーが飛球を掴んで3アウトを奪った瞬間に、全身の力が抜けてスタンド席に座り込んでしまった。
「こ、これがべいすぼうる、というものか……いや、大したものだな」
淵が興奮を抑えきれないといった調子で、僅かに声を震わせている。同じくカルキノスは、フリューネの投球内容ではなく、ジェイコブの守備が流れを断ち切ったと見て、惜しみない拍手を贈っていた。
そのジェイコブは確かにフリューネを救いはしたものの、しかし本人はどうにも納得のいっていない様子で、何度も首を捻りながら一塁ダッグアウトに戻ってきた。
「ありがとう、助かったわ……って、どうしたの?」
先にダッグアウト内に戻っていたフリューネが、不思議そうに小首を傾げる。ジェイコブの不機嫌の理由が、彼女にはよく理解出来なかった。
「あれですね。タイムリーが、気に入らなかったのでしょう」
ワイヴァーンズのチームメイト、風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)が軽く笑いながら解説を加える。優斗の言葉が正しいことを証明するかのように、ジェイコブはむっつりと小さく頷いた。
訳が分からないといった様子で、フリューネが堪らず訊いた。
「それは、どういうこと?」
「ブリジットさんのあの打球……もう少し早くチャージしていれば、ライナーで取れた。そうですよね、ジェイコブさん?」
優斗が笑いながら詳しく説明してみせると、ジェイコブはもう一度、小さく頷いた。
その、徹底した求道精神には、フリューネのみならず、十二星華や他の面々も、驚きを禁じ得ない。
ジェイコブはただただ、納得がいかぬと何度も首を小さく左右に振り続けていた。
ピンチの後にチャンスあり、とはよくいったもので、一死満塁で追加点を許さなかったハイブリッズにはその裏、好機が巡ってきた。
この回先頭のジェイコブが、先程の好守備で得た勢いをそのまま打撃にも持ち込む形で、光一郎の失投を見逃さずライト前ヒットに捉えると、続く四番マッケンジーの打席でランエンドヒットが成功し、無死一三塁の形を作ることに成功したのである。
ここで打席に入ったのは、注目度ナンバーワンともいうべき十二星華。そのひとり、パッフェルである。
三塁側ベンチは光一郎に見切りをつけ、セットアッパーとして火消し役の経験十分の七瀬 巡(ななせ・めぐる)を送り出してきた。
但し、守備位置は浅くもなく、また深くもない。
一点は仕方がないが、それ以上の失点は阻もうという戦術であった。
(ミューレリアねーちゃんと直接対決出来なかったけど……こういう場面で抑えられたら、相当プレッシャーを与えることが出来るよね!)
ベンチの戦術は一点を諦めて、二点以上を与えないという方針であるようだったが、しかし巡は、一点さえもやるつもりはなかった。
投球前練習を終えてから、打席に立つパッフェルの落ち着いた物腰をちらりと見遣った巡は、ひと息入れてグラブの中に白球を収めた。
(円ねーちゃんには申し訳ないけど、相手が素人だからって、手は抜かないよ……そっちの練習の成果、見せてみなよ!)
巡はしかし、決して気合だけの勝負は挑まず、あゆみのリードに従い、セオリーに則った配球を展開した。
即ち、外角の次は内角、変化球の次は直球といった具合に、緩急とコースを上手く使い分けて、狙い球を絞らせない。
気持ちは熱く、しかし投球はクールに。
セットアッパーとして数々の修羅場を潜り抜けてきた巡ならではの老獪な投球術であった。
そして――。
「あ……やっちゃった」
思わずパッフェルが、自ら高々と打ち上げたポップフライを見上げて小さく呟くのを、巡はしてやったりの表情で眺めていた。
巡が本塁に駆け込んでベースカバーに入る傍らで、あゆみがファールグラウンドでの落下地点に素早く走り込み、白球を的確に捕球する。まずは1アウト。
続いて打席に入ったのは、こちらも同じく十二星華のひとり、セイニィ・アルギエバ(せいにぃ・あるぎえば)。
猫科のしなやかさを思わせるスレンダーな体躯をハイブリッズのユニフォームに包み込み、その鋭い眼光をマウンド上へと容赦なく注いでくる。
「うおぉ〜! セイニィ! カモーン!」
突然、三塁側ダッグアウトで奇声が沸き上がった。
見ると、どういう訳か武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)が両手でメガホンを掲げ、ベンチから身を乗り出している。
巡はこの牙竜が、セイニィに惚れているという話を聞いたことがあったのだが、この場に於いては完全に公私混同といって良い。
(……もう、どっちの味方なんだよ)
翌日のスポーツ紙の片隅に、敵チームの打者を応援する牙竜の破廉恥な記事が載ったとか載らなかったとかはさておき、この場の巡はセイニィの威嚇するような険しい表情に物怖じすることなく、堂々としたマウンド捌きを披露するのみである。
あゆみのサインは――ウェストボール。即ち、スクイズを警戒しているのだ。
成る程、と巡は内心で頷いた。在り得る話であった。
そのリードに従い、巡は直球を大きく外して投じ、同時にあゆみはサイドステップでミットを構え、バットの届かない位置で捕球する。
見ると、ジェイコブが本塁に向けて途中まで走り出していた。
完全に誘い出された格好のジェイコブは、ブリジットとあゆみ、更には巡も加わった挟殺プレーに仕留められてアウトを献上。
更には二塁を奪い、三塁を窺おうとして迂闊に飛び出していたマッケンジーをも挟殺で捉え、結局打席のセイニィとは勝負することなく、三つ目のアウトを奪うに至った。
「オゥノーゥ! セイニィ!」
相変わらず牙竜が意味不明の絶叫を上げているのを横目で見ながら、あゆみとブリジット、そして巡の三人は息を弾ませながらベンチへと引き返す。
「結構危なかったけど、終わってみれば呆気なかったね」
「まぁ、今回は向こうのミスに救われた格好になったかしら」
巡とブリジットは、まだ呆然と打席で佇んでいるセイニィを気の毒そうに眺めながら、揃って苦笑を浮かべつつベンチへと戻った。
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