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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日

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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日
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第2章 猫たちの周りで

 開店を迎え、バックヤードでは。
「どうしてお盆もちゃんと水平に持てないんですかっ!」
 騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が猛烈な「社員教育」をしている。ちなみに、数時間前から調子が変わっていない。
 アルバイトとして店にやって来たものの、接客も調理も人並みに出来そうにない店員の様子に呆れ果てていた。よくこれで、海京の人気店などと謳っているものだ。
(幾ら猫カフェといっても、店の評判は猫だけで決まるわけじゃないはずでしょっ!?)
「しっかりしないとお客さんに笑われますよっ!!」
 給仕の家系の誇りにかけた、詩穂の熱い指導にも、従業員たちは「は、はいにゃあ…」とおどおどしている。素直に指示に従う気はあるようだが、どこか及び腰なのだ。従業員は年若い者からいおじさんおばさんまで、と実に統一感のない集まりなのに、揃ってにゃあにゃあ言うという、変なところでだけ統一されているのが一層奇妙な感じだ。
「いいですか、こうやって……」


 詩穂は指導に没頭しているせいか、従業員たちの不審な様子にまでは意識が届いていないようだ。しかし一方で、従業員として猫ルームに入った早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は、嫌でもこの店の奇妙な違和感に気付かずにはいられなかった。
「すみません。お客さんが、猫クッキーが欲しいと仰ってるんですが……」
 猫ルームに案内した客の要望を、元々店にいる店員に伝えるが、呼雪より年嵩に見える男性は、話しかけられたことに気付かないかのようにきょとんとしている。
「あの……猫クッキー、ですけど……どこにありますか?」
 言い募られて、ようやく気付いたように我に返った男性店員は、
「い、いえっ、食べたりしてませんにゃあ!」
「? ……いや、あの、お客さんにお渡ししたいんですが……」
 かみ合わぬ会話に苦労して、ようやく猫のおやつ用クッキーの在り処を聞き出し、バックヤードの食材置き場に行くと、2人の店員がうずくまっている。
「あの……どこか、具合でも悪いんですか?」
 呼雪が声をかけると、2人はびくっとなり、あたふたとどこかへ逃げるように走っていってしまった。
 2人のいた場所には、細かな菓子の欠片が落ちている。
(あの人たち……猫クッキーをつまみ食いしてた……?)

「お帰りー。猫クッキー見付かった?」
 バックヤードから猫ルームに戻って客に所望の物を手渡してきた呼雪に、ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が声をかけた。彼自身は、猫をブラッシングしている。動物の面倒をみるのが楽しいようで、機嫌よさげな表情だった。
 だが、呼雪の何か釈然としない表情に、ブラシを持ったまま首を傾げる。
「どうしたの? 何かあった?」
 ヘルの問いに、まだ的確な答えを掴んでいない呼雪は、黙ったまま、ヘルがブラシを入れるために捕まえている猫を見つめている。
 それから、おもむろに目を離し、ガラス越しに飲食ホールで働いている店のスタッフを見た。
 見比べるような眼差しで。


「……」
 飲食ホールで、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は、食べ終えた軽食の皿にフォークをかちん、と小さな音を立てて置いた。
 表情に、不満と同じくらいに戸惑いがあった。
(これは……仮にも飲食店で客に提供するレベルの料理じゃないねぇ)
 調理する者だからこそ看過できない、クレームをつける云々以前のこの出来。
(なんだろう。生まれて初めて食材を触ったような……そんな気がする)
 しかしそんなことがあるだろうか、と腕組みしながら隣を見ると、兄の佐々木 八雲(ささき・やくも)はすっかりガラス壁の向こうの光景に気を取られている。いつもはしゅっとクールな顔が、どこか端が崩れて緩んでいる。
 彼が言い出したので「猫カフェ」に来たのだから、そりゃあ猫に興味があって然るべきだが……弥十郎は苦笑して、一つ息を吐いた。
「兄さん、もう猫ルームに行く?」
「え、あ、あぁ。もう食事はいいのか?」
「うん。でもちょっと……こっちはこっちで見てきたいところがあるんだけど、別行動でいいかなぁ?」
「そうなのか? 分かった、じゃあ俺は猫の部屋に行くから、また後でな」
「うん、後で」
 八雲はそそくさと猫ルームに去り、弥十郎は「さてと…」と呟いて立ち上がった。
「厨房……あっちかなぁ……」
 そちらに足を向けながら、弥十郎は、自分たちが座っていた席の食器を片付けている店員を見た。
 あたふたと片付けている手つきが、なんとも不器用だ。空になっているからいいものの、盆に載せるだけなのにコップを2回も倒している。
(なんか……変だよねぇ、この店……)


 その厨房では。
「あれ? その尻尾は……」
 調理スタッフとして入っている椿 更紗は、研修生(という扱いにしているように見える)の店員たちを連れて厨房に入ってきた詩穂の姿を見て不思議そうに訊いた。耳や尻尾が生えた詩穂の姿は、猫カフェにある意味相応しいと言えなくもない「ネコ科メイド」といった出で立ちだ。
「【超感覚】を使ってみましたっ。そしたら皆と近くなったような気がするし、ほら」
 得意満面に、【超感覚】の白虎で猫っぽくなった詩穂は、更紗に向かって手を広げるようにして、従えている店員たちの姿を示して見せた。厳しく指導するだけでは駄目だと考え、猫カフェ店員としてより彼らに近くなるよう、工夫してみたというわけである。それはそれとして。
 ――店員たちもみんな一様に、尻尾を見せている。
「みんな詩穂の真似をして尻尾出したら、動きのバランスが良くなって、配膳の効率も上がったんですよっ☆」
「……そ、そうなのです、か……」
 店員教育に熱心で『尻尾を出したらバランスが良くなった』ことに何の不審も感じていないらしい、明るい表情の詩穂に対し、更紗は違和感を感じて歯切れの悪い返事しかできなかった。
「配膳は何とかなりそうですから、次は調理を教えますね、みなさん。
 いいですか、【みらくるレシピ】を伝授しますから……ってみなさん、もっとコンロに近寄ってください!
 えっ……火が怖い従業員さんしかいないんですかッ!? なんでッ!!」


「……なんか、ここの店員さんって……」
 こっそり中を覗いていた弥十郎もまた、おどおどとして要領の悪そうな従業員たちに大いに違和感を感じていた。
「ほんとの猫みたいだねぇ……」
 臨時雇いの契約者たちが奮闘しているとはいえ、見ていられないこの状況に、弥十郎はこっそりキッチンスタッフに入ることに決めた。
 ――しかし、こっそり入りたいところではあるが、この臨時雇いの中に知り合いの契約者がいる場合もある。
 早速、見知った顔がホールの、こちらが見える位置にいるのに気付き、弥十郎はさっと再び陰に隠れた。



「お客様、いらっしゃいませにゃん」
 来店した客に、清泉 北都(いずみ・ほくと)はそう言って軽くお辞儀する。
 ――元からいる店員が語尾に「にゃん」を付けているので、それがこの店のデフォルトなのだと疑わずに信じている。
「どうぞこちらへ、にゃん」
 猫カフェなのだから、そういうことも演出としてあるのだろう、と。仕事だと理解してやっていれば、別に恥ずかしくはない。
 それより、店員の手際の悪さが気になる。
「あ……っと、」
 北都がホールに案内したところに、料金などの説明表を持ってやって来た店員が、手を滑らせてその表を落としそうになる。慌てて手を添えて受け止めてやる。
「落っことさなくてよかったにゃん」
「あっ……す、すみませんですにゃん」
「いいえ、大丈夫ですから、落ち着いて運びましょうにゃん」
 にゃん語尾での会話は、何とも傍で聞いていると脱力するものであるが、どちらも別にふざけているつもりはない。
「? クナイ?」
 だが、北都の傍らにいるクナイ・アヤシ(くない・あやし)の様子はどうもおかしい。

(ほ……北都が『にゃん』と……)
 パートナーのその口調に、クナイの思考回路はすでにまともな機能が停止寸前であった。
 そうでなくても充分に大事に想っている人が、惜しみなく振り撒く「にゃん語尾」という“萌え”、その破壊力たるや。
(あぁ、駄目だ、真面目に従業員として勤めなくては……!)
(請けた仕事を疎かにする訳には……!)
 己の内で葛藤し、萌えで腰砕けになりそうな理性を何とか奮い立たせるも、
「クナイ、気分でも悪いのにゃん?」
 分かっていない北都の邪気のない問いかけに、呆気なく理性のひび割れが進行する。仕事中だから本来必要のないクナイとのやり取りでもその語尾が抜けないのか、それとも開店してからずっとそれを続けているから急には抜けなくなったのか、にゃん語尾を続ける北都は、それがクナイにどのような作用を及ぼしているのか全く気付いていない。
「い、いえ、あの……北都、その」
 いつになくあたふたとしどろもどろのクナイを、半ば訝り、半ば不安そうに北都はじっと見つめる。邪気のないまっすぐな視線は、今はクナイの理性には逆効果だ。
「今日はどこかおかしいにゃん。さっきから何だか、配膳もお客様の挨拶も上の空だし。……僕の目はごまかせないにゃん」
「!!」
「具合悪いなら、無理しちゃだめにゃん。休むにゃん」
「(ふしゅー)」
 オーナー……確かシルクさんという人に一言断って、クナイを休ませてもらおう、休憩室はどこにあるだろう……と真面目に考え始めた北都の隣りで、クナイの理性はすっかり撃沈していた。


 ――遠目にそんな2人を「?」と物陰から見ていた弥十郎だが、何とか2人に気付かれずに入れそうだと見て、密かに厨房に潜り込んだのだった。