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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日

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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日
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第4章 猫たちのうごめく周辺

 『キトゥン・ベル』もそろそろお昼時である。

「午前中だけで相当くたびれているみたいだね。大丈夫かな……」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は、スタッフの休憩ルームをちらりと覗いて、呟いた。昼休憩に入った店員たちはかなり疲れた様子で、椅子に足を投げ出して座っている。長椅子にだらしなく寝転がる者もいる。
(この人たち、本当にいままで店のスタッフとして働いてきたのかな……?)
 開店からもうすでに、自分だけでなく助っ人に入った多くの契約者たちに尋常でない不安感を抱かせている。
(それに……こんな状況なのに、オーナーが部屋から出てこないのも変だ)
 そこに、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が、料理を幾つか乗せたトレイを持って来た。
「エース、こんな感じでどうでしょう?」
「うん、大丈夫だろう。俺が持っていくよ」
 全然表に出てこないオーナーも昼には何か食べたくなるだろうと考え、特製ランチプレートを用意したのである。それを届けがてら、エースは、オーナーからいろいろ聞き出してみたいと考えていた。
「じゃあ僕は、厨房に戻りますね」
 エオリアはそう言って踵を返した。
(敵情視察……のはずだったんだがなぁ)
 野良ネコの保護をしつつ猫カフェを何店舗も展開しているエースからすれば、『キトゥン・ベル』は一種の商売敵、というわけである。海京で人気を博し、期間限定とはいえ空京にも店舗を出すということは、いずれ空京に本格的な進出を考えているのかもしれない、それも気にかかった。
 それで視察するべく来店したはいいが、スタッフの仕事の不慣れ具合に唖然となり、同種の店のオーナーとして「そんなんじゃ猫達に逃げられるよ、そしてお客さんにはもっと逃げられちゃうよ!?」と黙って見ていられなくなり、手伝いに入ったのであった。パートナーのエオリアは厨房に入り、手際よく調理を手伝っている。
 だが、スタッフも奇妙だが、猫ルームで客と触れ合う猫たちもどこか様子がおかしいように、猫カフェオーナーとして多くの猫を見てきたエースの目には映った。殊に、世話のためにルームに入ると、何匹かの猫が、まるで知り合いにでも会ったかのように寄ってきたりにゃあと鳴きかけたりするのは不自然だった。猫好きとして猫に好かれるのは嬉しいが、その擦り寄り方はあまり猫らしくない気がした。
 そのようなことも含め、直接にオーナーという人物に訊いてみたい。トレーを手にエースは、バックヤードの奥へと進んでいった。


「猫クッキーが足りないようなのですが」
 微妙に予想外の事態が起きていて、またしても厨房は慌てている。
 猫寄せのための猫クッキーは、来店した客には最初の1個だけ、希望者に無料で渡している。2回目からは有料だ。
 これはもともとは厨房で作るものではなく、海京店で取引している業者から予め大量に仕入れてバックヤードで保管している既製品である。その保管分が何故か大幅に足りなくなっているという。オープン日ということもあって客足はそこそこ順調だがその客の全員が全員猫クッキーを所望しているるわけではないし、まして料金に加算される2個目からはやや二の足を踏む者も少なくない。とどのつまり、予想の範疇を超えて猫クッキーが出ているというわけではないはずなのだ。
 にもかかわらず、保管している猫クッキーが底を尽きそうだという。
「じゃあ俺が、猫のおやつを作るよ」
 キッチン補助として働いている椎名 真(しいな・まこと)がそう言って、さっさと手際よく作業に入る。
(折角だから、可愛く作りたいよな……お客さんも楽しめるように。最初は無料でも追加であげたいとか、自宅猫に買って帰りたいって声にも対応できるように)
 きびきびとまめまめしく、手を動かしてせっせと猫のおやつを作る。お客が手渡しで猫にやるものだからクッキータイプなどの、簡単に持てるようなものを。もちろん、猫が口に入れられないものは食材として使わず、猫の舌に合わせて味は薄く。魚の型で型抜きすれば可愛く、客の目も楽しませられる。
 ――その隣でそれら猫おやつの完成を(希望する客に届けるために)待ちながら、呼雪は、先程見た、バックヤードでつまみ食いしていた様子の店員たちの様子を思い出していた。
「……」
 厨房の隅には小さなテーブルがあり、そこでまかないを食べられるようになっていて、そこには先程から真が店員たちのために作ったサンドイッチやパスタなどの食事が並んでおり、今も店員が3人座って食事休憩中なのだが……どういうわけか、箸(フォーク)が進んでいないようだ。
「食べないんですか?」
 調理を手伝うエオリアが尋ねると、店員たちは恐る恐る顔を上げ、
「あの……匂いが……食べられない匂いがするにゃ……」
「これ、食べると……お腹壊しちゃうんだにゃん……」
「玉ねぎ……? アレルギーとか?」
 パスタから玉ねぎを細かく分けて食べているらしい様子を見ていると、焼きあがった猫クッキーの天板を出してきた真がテーブルを見て、
「え、食べられないものあった? ごめん」
「サラダの匂いが強い、と……」
 言い辛そうに口ごもっている店員たちに代わって、エオリアが言葉を添えてやると、
「えっ、ビネガーオイルのドレッシングもダメなのか……」
「ビネガー?」
「疲れた時にはお酢がいいから。そういえばビネガードリンクも用意したんだが……飲んでもらえていないみたいだな」
 善意でのセレクションだったのだが、苦手な人が多かったらしい、と一抹の寂しさを覚えた真だったが、気付くとまかない料理を食べられない店員たちは、真の持つ天板の上のクッキーに興味を引かれたような顔で、熱い視線を注いでいる。
「?」
「それ……ほしいにゃん……」
「猫クッキーを?」
「これ……まぁ人間でも食べられるけど、猫用だから味気ないよ?」
 呼雪と真に言われたが、店員たちは至って真面目な顔で頷いている。
「「……」」
 エオリアも含め、3人はしばし沈黙した。何か変だった。

 一方で、知り合いに見つからないようこそこそと、厨房の隅で調理のオーダーを受けていた弥十郎だが、
「えっと。次は、ねこまんま……え、ねこまんま? 間違いじゃないですよね!?」
 妙に目を輝かせた店員に首肯され、訝しがりながらも調理を始めていた。
「え? ……あぁはい、葱は入れずに、ですね、分かりました」


「へぇ……」
 スタッフの一員として入っているティモシー・アンブローズ(てぃもしー・あんぶろーず)は、ニヤニヤしながらそんなバックヤードの様子を見ている。
 そもそも退屈しのぎに臨時雇いに入っただけで、勤労意欲などはさほどあるはずがない。加えてもともとボンボンで、使われる立場には圧倒的に向いていないのだが、今のところそれが咎められる気配はない。とりもなおさず、元からいる店員の方に問題が多すぎて、みんなそっちをカバーしたりフォローしたりに忙しいからなのだが。
 面白がって薄ら笑いを浮かべている、その目は表面上に映るものより少し深いものが映っている。
「……人に姿を変えた者の血って、人と同じ味がするのかな?」
 口元を隠してこっそり、意味深な笑みとともに呟く。

 ――『ティモシーっ!!?』
 客から貰ってもそもそ食べていた淡白な味のクッキーを驚きのあまり噴き出して、梓乃はガラス壁に駆け寄った。
(なんでこの店に!? って、従業員なの!?)
 ガラス壁をカリカリと軽く掻いて、壁から大して離れていないところに立ってテーブルの片付けをしているティモシーの注意を必死で引こうと試みる。
「にゃあーん、にゃんにゃん!(ティモシー僕だよ、気付いて!)」
 鳴き声が届いたのか、ティモシーは振り返り、梓乃の姿を認めた。近付いてくると、屈みこんでガラス越しに梓乃に笑いかける。
「おや可愛いにゃんこさん、退屈しているのかな? 僕は今はここを奇麗に片付けてしまわないと。後でたっぷり遊んであげるよ」
 からかって指でこつん、こつんと額をタップするように、ガラスを軽く叩く。そしてひらひらと手を振ると、皿を乗せた盆を持って、向こうに行ってしまった。
(ティモシーの馬鹿……)
 しゅん、と梓乃の尻尾が垂れる。心細さに涙目になる。




「一体どこに行ったんだ、あいつ……」
 ヤジロ アイリ(やじろ・あいり)が『キトゥン・ベル』の近くで足を止めたのは、恋人であるパートナーを探して空京を歩き回り、いい加減疲れてきていた時だった。
 空京に出かけたきり帰ってこない、連絡も何もない、どこにいるやら手がかりは全くなく、お手上げ状態である。
「……ん? 猫カフェ?」
 そこで初めて『キトゥン・ベル』に気付いたのだが、何か、妙に引っかかるものを感じる。
 ――【野生の勘】が反応したのだとは、しかと気付いてはいない。
(なーんか気になるし、猫をモフって気分転換するか!)

(!! アイリ!!)
 部屋の至る所にいる猫たちの数にやや驚いたような表情で猫ルームに入ってくるアイリを見つけた、銀猫姿のセス・テヴァン(せす・てう゛ぁん)は、矢のようにまっしぐらに彼女の元へと駆けていった。
(アイリが私の元に来てくれました! これぞ愛の力ですね!)
 愛の力もしくは野生の勘に感動しつつ、一直線に駆け寄ると、その勢いにちょっとびっくりした顔の恋人に呼びかける。
「みゃお! みゃおー(アイリ!私ですー)」
 アイリはといえば、入室した途端に駆けてきた猫に、しばし目をぱちくりさせていたが、
「お、お前、元気いいなー。よーしよし」
 顔を綻ばせて抱き上げた。
(よーし、この子の相手をさせてもらうことにしよう)
 出会いの縁を感じるし、銀色の毛並みが懐かしさを仄かに呼び起こす。 部屋の隅の空いているクッションの一つに腰を下ろし、膝に乗せた。
(うぅっ、気付いてもらえない……でもまだです! 諦めません!)
 膝に乗せられながら新たに闘志(?)を燃やしていると、アイリの手が伸びてきて、銀色の毛を梳るように柔らかくさすり始めた。
「綺麗な銀色だなぁ。……目も赤いのか。
 体型もスマートだし顔付きも美人さんで俺の恋人とそっくりだ」
 そう言いながら、くすぐるようにお腹を撫でた。
「……? 気持ちいいのか? ほら」
 ごろんと膝の上で転がる猫に、少しだけ目を細めて、さらに優しく頭や顎を撫でてやる。
(……気持ちいい……)
 その感覚に、どうやったら彼女に気付いてもらえるか考えなくてはならないはずのセスの頭も、何だか緩んでいくようだった。
 静かに猫を構いながら語りかけるアイリも、どこか常になく穏やかなようにすら、見えて。
(猫でいるのも悪くないかも……)
 そう思った時、ふーっとアイリがひとつ、長く息をついた。

「……もう聞いてくれよ、あいつ昨日から帰ってきてないんだ。
 携帯電話も通じないし、何があったんだかさっぱり分かんねぇ。
 このまま帰ってこなかったら、俺、嫌だよ……」

(! アイリ!)
 緩みかけた頭を再び醒まし、セスはハッと体を起こす。
(このままなんて……やっぱり駄目です。私が元に戻れなかったら彼女は一生悲しんでしまいます! そんなの駄目です!)
 元に戻るために、何としても彼女には自分に気付いてもらわなくてはならない。
 セスは、“強硬手段”を決意した。いきなり身を翻すと、アイリが反応するより早く、飛びかかって首筋に噛み付いた。
「っ!?」
(噛んだ時の、この力加減で……!
 アイリならきっと、判るはず!)

(いきなり、急所(首筋)を噛んできただとっ!?
 俺の撫で撫でがうっかり野生の本能を刺激してしまったのか!?)
「や、やめろって、……え!?」
(な……、なんだ、この噛み具合、何だか覚えがある!
 !! こ、これはセスが俺の血を吸う時の噛み具合と同じだ……)
 急襲に驚きつつも何とか猫を首筋から引きはがすと、そのまま猫を目の前に掲げてまじまじと見る。
 彼と同じ銀色の毛並み、赤い双眸……
「まさかお前、本当にセスなのか!?」

 次の瞬間、アイリの目の前にいたのは、見慣れた銀の髪の吸血鬼だった。
「うわあああマジでセスだったっ!!」
 驚いてアイリは声を上げた。驚きすぎて、どうして猫に、という疑問すらすぐには湧かなかった。
「ただいまです、アイリ!」
 セスは満面の笑みで、アイリを抱きしめる。もうそれしかしたいことはなかった。



(うは……もふられている、これまたなじむ……猫だなぁ、いかにも猫だ……)
 縁は呑気に、来店した客にもふられていた。今のところ、猫を満喫していると言えるだろう。
(……おっ?)
 その客が離れ、体を起こした時、新たに猫ルームに入ってきたその人影に気付いた。
(愛しの嫁様がいるー)

(よすが……一体どこに行ったんだろ……)
 佐々良 皐月(ささら・さつき)は、縁を探しあぐねて、溜息をつきつつ『キトゥン・ベル』に入ってきた。
(一緒にお買いもの行ってと思ってたのに……
 どう考えてもタイミングとしておかしな時にいなくなってるんだもん。
 一体どうしたのかなぁ)
 一生懸命探し回ったのだが、見つけられなかった。どこに行ったのか手掛かりもない。
 頼みの綱はもう、最後に行くはずだった、この猫カフェだけ。
(来るか分からないけど……ここで待ってみよう)

「なーご(皐月ー)」
「わっ」
 小柄な三毛猫がひょいっと飛びついてきて、皐月はちょっと驚いたが、
「ん? 構ってほしいの……かな?」
 さわさわと喉を撫でると、その手に自ら吸い寄せられるみたいにくっついてくる。ごろごろ喉を鳴らして、べったりと甘えてくる。
(なんだろう、この子凄い、よすがに、そっくり……)
 めいっぱい体に擦り寄ってくる。座っている膝に頭を乗せて、ひざまくらに乗っているような格好で気持ちよさそうに頭をすりすりする。
 一見甘えん坊の猫という風で可愛らしくも見えるが、何故だろうか、それが何か縁を思わせる。
「……え? ちょ、ちょっと」
 いきなり猫が膝に乗ったかと思うと、前脚のぷにゅっとした肉球をお腹に押しつけて後足で立ち、そのまま頭を胸の真ん中に――
「きゃぁっ!?」
(わーい嫁様のおっぱ)

「よすがーーーっ!!」

 顔を赤くして皐月が怒号した直後、縁は人間の姿で、皐月の胸に前のめりに頭を埋めていた。
「……わひゃ!?」
 そしてぼんっと突き放された。
 胸に擦り寄られた時、皐月は直感的に「絶対にこの子よすがだ!」と思ってしまい、気が付いたら叫んでいたのだ。
 そして、直感は正しかった。
(調子こいてたらばれちゃった、ちぇー)
「よすが……!」
「えーと、あ、あの、皐月さん……」
 目が笑ってないですよ、と呟く余裕もないほど、明らかにあからさまに、目の前の嫁は怒っている。

「全くも――――!!」

 続く全開のお説教タイム。縁にとっては全身全霊土下座タイム。
「えっと……ごめんなさい」



 オーナールームの扉は閉ざされ、エースが呼びかけてもシルクが出てくる様子はない。
「わざわざ届けてくれたことには感謝する。だが忙しいゆえ、そこに置いておいてくれ」
 そこ、というのは扉の外のことだろう。
「あの、シルクさん。忙しいのは分かりましたが、俺はあなたに、幾つか聞きたいことがあるんですが」
 扉を開けてもらえそうにないので、扉の外から呼びかけることにした。
「何ぞ」
「……なんで、あんなに店員さんたちが猫っぽいんですか?」
「……」
「それに、猫たちもなんだか、普通の猫ではない気がしますし」
「……」
「何か事情があるなら話してもらえないですか? このまま不自然な状態が続いていると、店の運営にも妨げが生じますよ。猫たちもストレスを抱えては可哀想ですし。
 協力できることがあれば、手伝います」
 しばらく、沈黙があった。
「……今は話す時ではない。とにかく我は今手一杯なのじゃ。余人と話をしているひまはない。
 後で皿を引き取りに来てくれたなら、その時に、話すとしよう。それでどうじゃ?」
「……わかりました」
 エースはあっさり言った。
 相手は思ったほど抵抗してこなかった。
 それに、忙しい、というのが、単にエースを追い払うためだけの口上ではないように聞こえたのだ。
 声音に滲み出ている。何をしているのかは知らないが、彼女は実際、あの部屋の中で「手一杯」になっている。
 ここは一旦、素直に引き下がってみようと考え、トレイを扉の脇に積まれた木箱の上に乗せ、踵を返した。