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リアクション
【14】
挨拶と一緒に乱暴なぐらい強い力で抱き寄せられて、セイレーンはどうにかこうにかで動かせる上半身で激しく暴れ回り抵抗する。
しかし元々はジゼルの身体。セイレーンとして強化された特殊能力を除けば契約者の中でも非力な妹の身体能力はまともに言葉を言う前から鍛錬を強制させられていた兄に対抗出来ない。アレクは打ち付けられる小さな拳を意にも介さないまま、品定めするように腕の中のジゼルを見ていた。というか本当に品定めしていた。
「お前随分と、……立派に育ったな」唐突に解いた片手を隙間無く寄せていた身体の間に割り込ませると、ゲーリングが今日の為に幾ら掛けたのかも分からないような絢爛豪華なドレスの上から無遠慮に一月で暴力的に成長を遂げた胸を掴んでしまう。
「Dから……Gになったのか? 心配しなくてもお兄ちゃんは何時ものでも大丈夫だぞ」
そもそもが何故始めのサイズを知っているのか分からないが、胸の上で当たり前のように動き続けていた手の所為で、セイレーンの唇からは生物学的な反射の吐息が漏れた。
手を取る以外に触れようとすらしなかった『汚れなき至高の乙女』を目の前で汚されかけた。ゲーリングの怒りが沸点を越えたのは当然で、直後に怒号の指示がアレクとセイレーンに向かって飛んでくる。
「この……殺せ!!」
しかしセイレーンは殺人命令よりも先に解放されていた片手で、目の前の男の頬を張る事を選んでいた。
『アレクの変ッッッッッ態! バカァッッ!!』
最下層まで届きそうな派手な音が響くと、誰より先に口を開いたのは今さっき愛する妹に頬を張られたばかりの兄だ。
「A! Moj sestra je stvarno sladak!(あー、俺の妹超可愛い!)」
言葉は分からずとも表情の変化に乏しいはずのアレクの珍しい締まりのない顔で大体の意味が伝わったのか頬を張った直後に空へ逃げ、やっと距離が取れた彼を見下ろしている。
「ジゼル!!
エース! 今の顔、ジゼルだわ!」
リリアに腕を掴まれてエースが目を凝らすと、何も映さないはずのセイレーンの顔に「もう恥ずかしく恥ずかしくて泣きそう!」な、そして見覚えのある色が現れている。
まさかこんな形で再会するとは想わなかったが。
「アレク、その調子でゲーリングを煽るんだ!」
「(分かってる)」
口の動きだけでエースへそう返すと、アレクはゲーリングに一つひとつ擦り付けるように話し出す。
「残念だったなぁゲーリング。折角のオーダーを反故されて。さっきもタイミング誤ったろバカ。無能な上司を持って同乗するよ傭兵諸君だから諦めて死ね。ゲーリング、お前指揮官向いてねえな。下にArmed forces(総軍)のファビュラスコマンダーがいらっしゃるぞ。待っててやるからちょっと金払って教授しても貰えよこの無能が。見た目ばっかり気を使いやがって。そんなんだからセイレーンに俺を殺して貰えないんだよ」
「――だがセイレーンはお前を拒否した」
「そして残念なことに俺達全世界お兄ちゃん協会では妹による拒絶と罵りと暴力はむしろご褒美だ」
公然と行われる恥ずかしめに唇から血が滲む程怒りを噛み締めているゲーリングが沈黙している間、こちら側でも耐えている人物が居る。
「分かる。分かるぞその気持ち。
だが黒いの、今は耐えろ」
樹に背中をさすられて、不憫と疲労と気苦労の肩書きを背負うベルクは深呼吸している。ツッコミたい。もうツッコミたくて耐えられない。何故今日はこう迄もボケばかりなのか。胃が嵐の様に荒れ狂う中、ハリセンを持って気持ちだけはツッコミ気分なジーナが下からえへんと胸を張った。
「ここでツッコミを耐えきれば『TPOに応じたツッコミ』へと更なる進化を遂げる事が出来ますですよ!」
ベルク・ウェルナートはその場に崩れ落ちた。
その間もセイレーンはアレクを仕留めようと空を舞うが、リリアの白銀色の剣に執拗に追われ、近付く事すら出来無い。
更に先ほど迄と違って一人を狙い続けている所為か、それまで誇り続けていた鉄壁の防御が崩れ掛けてきている。憤怒に我を失いかけているゲーリングはそれに気づいていない。
「やっぱりアレクは『そういう言動』が得意みたいだ。
さあ、今のうちに――」
苦笑混じりのエースの声に、契約者達は水面下で攻撃パターンを変えつつある。エースのウィンクの合図を貰って、アレクは空を舞う妹に向かって求愛を続けた。
「俺の二人目の妹。ホワイトローズ。本当に本当に可愛いなぁ!
帰ったらいっぱい楽しい事しような。お兄ちゃんの膝の上で毎日可愛いドレス着て甘いケーキ食べて阿呆みたいにニコニコ笑っててくれ」
「それは全部お前が楽しいだけだろ!」
限界を越えたベルクのツッコミを貰って、アレクの妄言は更にヒートアップしていく。
「そうだ、ザンスカールからだと遠いからこっちにも新しい部屋買おうと思うんだ。何処が良い? 部屋はお前が心配だから当然上階層だとして、ベッドルーム三部屋くらいか。ああでもあんまり部屋が多いと一緒に過ごす時間が少なくなるし……まあリビングが広ければいいよな。ベッドは大きい方が好きか? 俺としては多少狭い位の方がお前に一晩中くっついていられて――」
「ちょと待て。
アレクサンダル……お前さっきから何の話ししてんだよ?」
「いやベルク。俺達『パートナー』だし、これは一種のケジメだ。
妹よ。これからは一緒の家に住もう。あと折角頭に義理が付いてんだからついでにお兄ちゃんと結婚してエロい事しよう」
流す程さらりと吐かれた文字に、ゲーリングの顔が白くなる。
「……パートナー……だと?」
「ん? 知らなかったのか?」
「道具で本当の声を奪って従わせてるだけだからね。
まともに会話も出来ない分相応のものを手に入れてはしゃいでるだけの人、みたいよ」
託の底意地の悪い笑顔に、アレクはわざとらしく驚いてみせると、性格の悪い笑顔を上乗せしてゲーリングへ届けた。
「Well,well,well
……驚かせて悪かったな。では改めて教えてやろう『アデーレさん』。
俺と『その女』は契約済だ」
すっかり固まってしまったゲーリングの顔を見て、マリー・ロビンは面倒そうに眉を寄せ、横に立っていた託に向かって両手を広げてみせる。
「随分呆けた顔ね。分かってるのかしら」
返ってきた託のいたずらっぽい顔に、マリー・ロビンはため息をついて、ゲーリングへ向き直る。
「――仕方ないわねぇ、あたしが子供にも分かる様分かり易く噛み砕いてあげる。
『パルテノペー』はあなたじゃなく『サーシャ』に純潔を捧げたって事よ」
「男としての魅力が違ったって事かねぇ」
「タマナシよりもアリ方がいいものね」
マリー・ロビンのちょっとお下品な軽口を受けて、託は火がついたように笑い転げ、目の端にうっすら浮かんだ涙を拭いながらゲーリングの顔を見る。
「ええと、オス……なんだっけ? ごめんねぇ、名前聞いたはずなのに忘れちゃったよ。覚える程価値のある名前な気がしなかったからねぇ。
ジゼルさんはこの彼と契約済。今はアレクサンダル・ミロシェヴィッチのパートナーだ」
「そして妹だ」
「はは! そうそうごめん、そこは譲れないんだよね。
二人はパートナーで兄妹。切っても切れないって奴だね。
反して君はジゼルさんにとっての何だい? たまたまいい道具を手に入れて、それで操ってきただけの気色の悪い男?
ねぇ、借り物の力を失ったら、君には何が残るんだい?」
閉じたままの歯を震わせガチガチ鳴らしているゲーリングの目の前に、アレクは託が話している間に入って腕組みしたまま堂々と立ってみせた。
腕から怒りが伝わり揺れる金色の銃口をこちらに向けられて、アレクは両腕を「どうぞお好きなように」と開いて平坦な声を出す。
「さて、自称科学者の武器商人ゲーリング。専門家としてあんたのご意見を請いたいんだ。
教えてくれよ。もし契約者の俺が死んだら、兵器セイレーンは『どうなる』んだ」
丹念に塗り続けた日焼け止めの甲斐あって白かった肌は今や蒼白になっている。その皮膚の上を脂汗が滝の様に落ちて行った。
沈黙の後、ゲーリングは激しく頭を掻きむしって否定の言葉を叫び続けた。
「Nein! Nein! Nein! Nein! Nein!
Nein! Nein! Nein! Nein! Nein!
Nein!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
生まれて初めて枯れるまで声を出して、暫しその疲労に漂っていた青の瞳は、人の精神崩壊すら無感動に見据える姿を間一髪で捉える事が出来た。
「許さない。
アレクサンダル・ミロシェヴィッチ、お前は必ず殺してやる」
「結構だ。
脳みそメルヘンホルマリン漬けの下等生物、契約者を殺したらパートナーがどうなるか、精々その泥遊びで出来た石ころの性能に賭けるんだな」
「私の錬成した石はアクアマリンとは違い完全なるもの。その前にはお前との契約等紙切れ以下だ」
冷淡だが何処か駄々を捏ねる子供の様な言葉に、彼よりも幾つも年下のはずのアレクは鼻で笑っている。
「大した自信じゃねえか。気に入った、一つ面白い話をしてやる。あんた向けだ。フェアリーテイル、好きなんだろ? 聞けよ。
俺が餓鬼の頃な、ミリツァに迫った馬鹿が居たんだ。
一人目は通りを曲がった先緑の屋根の家のドゥシャン、それから教会前の赤毛のラーデ、その斜向いのヨヴァン、イェレナの兄貴のペタル、そいつのクラスメイトのアンドリヤは火曜日の五時に広場を通るんだ、ああそうだゾランなんてのも居たな。
さて。ここからが面白い所だ。そいつらな、ミリツァに告白して返事を貰うよりも前に何かに頭を掴まれてドナウに突き落とされちゃったんだって。ティヒヒッ。お陰で学校で俺の妹は水の精ヴィーラなんじゃないかなんて噂が立ったりしたらしいよ。馬鹿らしい。
――なぁ、不思議だろ。現実にそんな妖精は居ないんだ。
だったら『何故』そいつらは川に沈められたと思う?
ヴィーラの正体は『誰』だったと思う?」
笑っているのは口だけで、非対称の色を称えた目は眼光鋭く前へ向けられている。そのつもりは無くとも萎縮しかけているのを隠せないゲーリングの青い目に向かって、アレクはいつも通りの平坦で低い声のまま教授してやった。
「オスヴァルト・ゲーリング。気づいてんのか? あんたはヴィーラの歌を聞いた。
その無駄にピカピカの靴はもう死の舞踏を踏んでるんだよ。
俺の妹の前で情け無い形(なり)晒しやがってこの身の程知らずが。水底に沈むまで踊り狂うがいい」
行われたのは応酬では無い。一方的な屈辱と恥辱を与えられプライドを汚されたゲーリングの激昂に呼応し、セイレーンは中空で身体を反転させ一等高い場所迄飛ぶと、銃弾をバラまくように音の光りを作り出すと拡散反射させる。
弾幕攻撃にその場の全員が逃走と防御を選ぶ中、アレクだけは別方向へ動き始めている。襲ってくる刃から自分を護らずに進めるのは、背中を護る人間が居るからだ。
後ろ向きに進みながら、カガチは月明かりに光る刀の反りを音速で返し返し音の刃を弾き返す。無理な姿勢では到底弾ききれないそれはカガチのナイフのように全身を切り付けていくが、大体似た様な大きさの後ろの男には傷一つついていない。それでもアレクが刀の柄に手を伸ばしたのを見て、カガチは叫んだ。
「止まるな! 俺なんかどうなったっていいくたばったっていい!!
兎に角あんたが行かなくちゃ駄目だアレク。
心中するにしろ救うにしろあんたがやんなきゃ駄目だアレク。
それになんだ、あんたの姿見て声聞いてたらジゼルちゃんの意識ちったあ揺さぶれるかもしれねえ。
なんだかよくわかんねえがパートナーってのは通じ合うんだと!」
ひと際大きい塊が飛んできた瞬間、強靭な脚力で地を縮めるように跳んできた影が――フレンディスが、カガチの打刀の刃が弾ききれなかった残滓を直刀の刃を当て切り刻む。
「最後迄責任を取って下さるのでしょうアレクサンダルさん。
私に『討つな』と仰るのでしたらしっかり御自分でケリをつけて下さい!!」
「解った。
全力で俺を護れよセーフガード。怪我したら給料天引きだ」
「畜生腹立つ貴賓だな!」
アレクは目標まで一直線に進んで行く。妹と同じ乳白金のショートヘア。彼女が間合いに入る距離で二つの叫び声を聞いてアレクは全開の脚力で一瞬で距離を縮めた。
「「助けてお兄ちゃん!」」
コンパクトな身体を両腕で横抱きに抱え上げそのまま下階層に落ちると、ノーモーションの衝撃波で周囲の兵士を全て弾き空間を開ける。
「あ。
ジゼルお姉ちゃんのお兄ちゃん! ありがとう!」
「ありがとうございます!」
腕の中のティエンと、下に居た睡蓮の二人に同時に礼を言われてアレクは当然のように答える。
「気にするな。俺は世界中の妹のお兄ちゃんだ」
唐突に目の前に飛び降りてきた二人に目をしぱたかせている京子も視線に入れると、アレクはティエンを抱いたまま彼女達についてくるよう促す。
「歌えクッキー。さっきのやつだ」
呼びかけ通り子供に言う様に指示すると、ティエンは泣きそうに眉を寄せてアレクにしがみつく。
「でもジゼルお姉ちゃんはもうセイレーンになっちゃって……」
「セイレーンはジゼルじゃない。あれは上書きというよりただのデッドコピーだ。元のデータは残ってる」
「じゃあセイレーンの内側にはまだジゼルさんが?」
「居る。それを今から此処に引きづり出してやる。
だから俺と一緒に呼んでくれ」
三人が同時に頷いたのを見て、アレクは上階層へ向かって走り出した。
「上がるぞ。ついさっきゲーリングの事キレさせたばかりだからな。セイレーンは確実にこっちに向かってくる。準備はいいか?」
「任せて下さい、私、アリスですから!
――ジゼルさん、直ぐにその悪夢から覚ましますね」
最上階層に上がる階段を上がりきった直後、睡蓮はその場に片足を突き、京子は立ったまま中空に居るセイレーンへ向かって矢を番えた。
敵がその場に戻ってきたのに先に気づいたのは、ゲーリングよりもカガチの方が早い。
「あんたは『此処』にいて彼女は『其処』に居る。
今こそ手を伸ばせ掴め離すな!
あんたの言葉でいい彼女の名を呼べ!!」
叩き込むような言葉に応えて、アレクは黒い空を舞う白い影へ叫んだ。
「Giselle!!!!」
暗く、深い深い水底で、ジゼルはその声を聞いた。強制的に頭に打ち込まれていたテノールとは違う、高くも低くも無い、平坦でさして特徴も無いけれど耳に残る声。
もう長い事違う名前で呼ばれ続けて存在を消されたと思っていたから本当の名で呼ばれるのがどうしようもなく嬉しい。
その瞬間に一月も続いた重度の貧血状態のような体調不良が吹き飛んで、東雲の歌と雫澄の叫びが崖の淵で繋ぎ止めていたジゼルの意識が目覚めていくのをアレクは自分の身体で感じた。
「そうだジゼル、俺は此処だ」
瞬きもせず視線を離さずにいれば、禍々しい程の黒と赤の光りが瞬間青色に覆われるのが見える。
「ジゼルお姉ちゃん戻ってきて! みんなここにいるよ!」
ティエンは叫ぶと『幸福』を歌に乗せジゼルへ向かって溢れさせた。
「(みんなと出逢ってからの日々を、大切なものを!)」
懐かしいものを思い起こさせる歌声は粗悪な模造品の表層を破り、内側へと浸透していく。
「セイレーン、あの歌を止めろ!!」
テノールの指示を受けて、セイレーンはこちら側へ激突する勢いで直線に飛んでくるが、番えた矢はぶれない的に命中した。
「強く強く、もっと強く。
悪夢全てを吹き飛ばす程
私だけじゃなく皆さんの分も想いを乗せて!」
再び放たれた矢をセイレーンの腕は拒否するが、睡蓮の矢の後ろにはもう一本の思いを乗せた祈りの魔法が隠れている。
「(人を愛する想いを、自分を大切にする想いを)」
「ジゼルさん! こっちへきて!!」
打ち込んだ矢で引き寄せるような祈りは押込められた薄い意識を完全に覚醒させる。
目の前まできた海に溶ける様な青い瞳に、アレクは瞬間だけ微笑んで出迎える。
微動だにしない敵を前に攻撃へ移ろうとしたセイレーンだったが、唐突に身体に重みを感じてその場に押し潰される様に崩れ落ちた。
「必ず助けるから!」
セイレーンの後ろから加夜は全身全霊をかけて両腕を伸ばし、帰ってきたジゼルをその場へ押し止めようと重力へ干渉する。
「彼女は私のモノだ!!」
背へ向かって飛んできた9ミリパラベラムに加夜の力が止むと、セイレーンは地面を蹴って再び空へ舞い上がる。
それでも望郷に切なげに向けられた視線は動かない。
『還りたい!!』
誰の目にも明らかな鮮明な青色に、リカインは翼の靴で蹴り上げてセイレーンの背を追った。
「ジゼル君! 私と一緒に!」
舞台上でクリアに通る声に振り向き、音の刃を放つため止まったセイレーンだったが、又吉のライフルがこちらを狙っているのに気づいてその場から逃れようと急行下する。
銃弾は命中せずとも構わない、むしろ命を奪う気などさらさら無い。
セイレーンは『常に遠方から誰かに狙撃される可能性』を意識させる事を真の狙いにした又吉の罠にはまり、見事に集中力を削がれ本来の力を発揮する事が出来ないままにジゼルを呼ぶ歌声を受け、自身の飛行能力を上回るリカインのヴァルキリーの靴のスピードに逃げ続けるだけだ。
熱狂の歌で皆の負担を減らし、声を出し続けなければいけないスキル――レゾナント・ハイで留まることなく舞台の上を駆け巡っていたリカインは、相殺の為の咆哮の歌をうたいながらジゼルを待つ。
「(この舞台の主役は私でもゲーリングでも、アルティメットセイレーンでもない!
このハーモニックレインも今日はコーラス、
メロディはジゼル君、主役が響かせなきゃ!)」
降り注ぐ歌の雨はかつて音をユニゾンさせたディーヴァ同士の心を通じ合わせた。
『自愛の矢』と『他愛の矢』で悲しみを打ち消したジゼルは最早、水底で絶望に打ち拉がれていた水妖では無い。望みを叶える為に自分の足で地面を踏み立ち上がり、冷たい空気を吸い込んで銀の光りの差し込むの天へ向け音を紡ぎだした。
歌い出しの言葉を聞いて、リカインは口元に笑みを称える。
「『月に寄せる歌』。
いい選曲だわ。今夜にぴったりね」
二重唱の初めは追唱のカノン、それからメロディを支える伴奏となり、リカインの声はジゼルの音にぴったりと寄り添う。
二人のディーヴァの紡ぎ上げる美しい歌を聞きながら、足を止め一部の下官の待機と行動をキアラに命じているアレクに地面へ降りてきた加夜は首を傾げる。
「いいんですか? ジゼルちゃんを……」
「ほっといて? 加夜、信頼するのと甘やかすのは違う。
こっちは玄関迄迎えにきてやったんだ。そこまで歩いてくるのは自分の足でやらせないとならない。
さて。衛のリクエストの乳揉みはしたし、コマンダーはあと二人。ゲーリングのバカは指揮官としてはもう使い物にならない。あいつの使えなさはブートキャンプの新兵以下だな。
つー訳で割と用事済んだ。命がけで守ってくれる連中も居るらしいからたまには高みの見物でもしようかね」
「それって冗談ですか?」
「――驚いたね。初めて通じた」
引きつった笑いじゃない声で笑われて、加夜は何となく目の前の男の正体を見たような気がした。
そしてジゼルとセイレーン、半分になった存在と彼女を追いかける契約者達を見上げながらぼんやりしているアレクに、加夜は問いかける。
「アレクさん?」
「加夜、俺自慢じゃないがさっきエリザベート校長が言った通りぼっちって奴だ。
つーか生まれてから今迄友達居た事ないんだ。理由はまあ分かってるんだが、子供の頃は妹が居ればいいと思ってたし、今もやっぱ特別要らねえや。加夜みたいに幸せな結婚をする奴を否定しないが、そうなりたいとも思わない。家族も親戚もまるめて月の向こう側までぶっ飛んだが、今は下官243人。世界はこれで事足りてる。
でもジゼルには友達が居て良かったと思うんだ。これ分かるか?」
自分でも訳の分からない事を言っているというような釈然としない顔に、加夜は微笑んで頷いた。
「でもジゼルちゃんを妹って呼ぶってことは、アレクさんにも家族が出来るんですよ?」
何気ない言葉をかけたつもりだったのだ、急に顔を下に落とされて加夜が動こうとすると、手首を掴まれた。
「悪い、動かないくれ。あと10秒くらい前立ってて」懇願するアレクの耳元で片方しか無い藍色の石が揺れている。
『お父様が何をしても、お母様がそれを無視しても、そのせいで皆がお兄ちゃんを怖がっても、
私だけは味方だよ。ずっと一緒に居てあげるから、泣かないで』
「(――大丈夫だよミリツァ、泣かないよ)」
落ちたときと同じ様に唐突に上がった顔は、いつも通りの無表情だ。加夜の腕から離した手で前髪をかきあげ、訳の分からない宣言される。
「俺はお兄ちゃん!」
「は、はい! そうですね」
「行くぞ、加夜。妹を――ジゼルを取り返す」
「はい!」
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