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リアクション
第7章 灰が来る
夜も更けた。
令嬢たちは明日に備えて寝室に入る者もあり、ごく少数だけで軽くパーティーのようなことをする者もいた。何しろ、館のスタッフは皆、明日の準備のために総出で地下室(「デリケートな作成用機械があるので」という口実をでっち上げて、扉に『スタッフ以外立ち入り禁止』の貼り紙をした)を走り回っているという――話を、参加者たちの間には流しておいた。ともかく、何かささやかにでも夜会を催したければ、自力でやるしかない。しかし令嬢たちは、訓練された執事だの小間使いだのを連れてきているので、その辺りは大して不自由しない。結局のところ、ほとんどの参加者たちは、コクビャクの影を感じ取ることもなく、楽しく呑気な第1日を過ごしたことになる。
地下室には、令嬢たちの知らない真実の光景があった。
スタッフたちは全員捕縛され、一室に閉じ込められている。外部から気取られないよう、警察への連行は明日になってからになる。
その隣、地下室の中で最も広い、調度品など何もない一室を、キオネらは新たな拠点と決めた。隣室の捕囚を見張ることもここでなら容易にできる。取り敢えずテーブルやライスやらを別の部屋から運び込んできて、「捜査本部」的な体裁を何とか整えた。
「間違いありません。この館はかつて、ザナドゥに在った『白林館』そのものです。
地下室まで移築されているということは、何か普通ではない空間転移法でも使ってここに運んできたのかもしれませんね。
ともかく、私はそこで――人体実験を受けました」
静かな、しかし重い声で、シイダは告げる。
そこには契約者たちのほかに、メレインデとクローリナ、そしてララカがいた。
シイダは、かつては親しく交流していた2人の令嬢――メレインデとクローリナが息を飲む音を聞いた。が、構わず続けた。
「実験をしていた団体がコクビャクだったのか……当時そう名乗ってはいませんでしたし、今となっても私には断言はできません。
しかしこうなった今、何らかの形でコクビャクに繋がる団体だったと考えていいでしょう」
「そいつら、その当時はなんて名乗ってたんだ?」
ケインが尋ねた。シイダは少し首を振って、こう答えた。
「バルレヴェギエの末裔を筆頭とした研究集団、と――」
それから、大半がぽかんとしている面々を見て、すぐに付け加えた。
「バルレヴェギエ家は、今は零落した貴族悪魔の旧家ですが、数百年前は『魔界系統学』なる学問の優れた研究者を幾人もを輩出したことで有名な、学者の血筋です。
もっとも、その名を聞かなくなって長いので、胡散臭い話だとは思っていましたが……」
「じゃあ、どうしてそんな胡散臭い話に乗って被験体に!?」
メレインデが声を上げる。時々、気持ちが昂るとあまり令嬢らしくなく、声を荒げることもある感情家らしい。
シイダは眉を顰め、少し俯いた。
「……父の持つ、土地に関することで利益問題が生じておりまして、向こうに権利が……詳しくは申しませんが、断れるような状況ではなかったのです」
借金か何かの話だろう。貴族らしく、そのようなことを口にするのを恥じるらしい。令嬢たちも含めて一同は誰も、シイダにその点を追求しはしなかった。
「彼らはそれを『灰』と呼んでいました」
シイダは続けた。
「それを投与された結果、私の体は一時、生命活動もままならないほど生命力が低下しました。
たまたま我が家に逗留していたキオネ様の手で魔鎧となることで、なんとかまともに動く体を取り戻しました。
……しかし、実験の最中に私の危機を知って乱入し、命がけで私を救い出した父もまた、灰なるものを浴びて……今も、四肢が不自由なまま……」
しばらくの間、沈黙が流れた。
「お父さんは……魔鎧にはなることはできなかった、のか?」
やっと、クリストファーが訊くと、シイダは自嘲するような表情を浮かべた。
「私と同じようにキオネ様に助けて頂ければ、もう少しマシな体でいられたかもしれません。
しかし、父には貴族の矜持がありました。それを選ばなかったのです。
一人娘の私が『変わって』しまった今、家督を守るため、自分だけは貴族の血筋――悪魔のままでいなくてはならないと思ったのでしょう」
以来、そんな父を介護しながら、自宅の屋敷に引っ込んで暮らしている――シイダはそう語って、口を閉じた。
「……お父様のご都合さえよければ、お見舞いに伺ってもよろしいかしら……シイダさん」
長い沈黙の後。口切ったのはクローリナだった。
「ご迷惑なら……人とお会いするのがお嫌なら、無理にとは申しませんが……あの……
昔のように、シイダさんとお庭の話ができれば……私……」
クローリナにとってはシイダは数少ない、親交のある令嬢の一人だった。最近交流がなくなったのは、自分が友人としては物足りないせいだと思っていた。シイダにそのような大変な事情があったとは知らなかった。
「私も、また昔のようにお話ししたいわ、シイダ…さん」
メレインデも言った。淑女らしい、型どおりの品がある笑みの中で、目にだけは強い意思の輝きがあった。
「遠出が難しいならお屋敷に伺いたいわ。それにうちなら、貴女のお屋敷からそう遠くないし……
昔みたいに、クローリナさんと3人で、ボンボンをつまみながら夜中お喋りしましょうよ」
シイダは目を丸くして、昔ながらの2人の友を見ていた。
延命のためとはいえ魔鎧の身となり、加えて父の選択を見て、その意志に敬意を払いつつも、変わってしまった自分が今まで通り「貴族の令嬢」として振る舞うことに自己嫌悪に似た強い抵抗を感じて、社交界に出ることをぱたりとやめてしまった。交流のあった人からも遠ざかってしまっていた。
どんな目で見られるかと怖かったのだ。
でも、いま目の前にいるこの2人は、今の自分を昔の自分と変わらず受け入れてくれる心がある。
冷えてしまった旧交が再び温まるかもしれない気配があった。
「申し訳ありません、メレインデ様……私、嘘をついておりました」
ララカは、メレインデに深々と頭を下げた。
自分たちを売り買いする闇商人への復讐心で、魔鎧になりたいと無理を言って頼ったことについてだ。その闇商人たちの巣窟である荒野のアジトが壊滅したという噂は契約者たちから聞いたララカだったが、何故か、その目の奥にある暗い情熱のようなものの影は密かに滾ったままなのだ。
「実はそれは口実で――いえ、闇商人への恨みは正直、胸にあります。
ですが、真の目的は他にあったのです」
「真の目的? ……何ですの、それは?」
「たまたま手に入れたチラシを見てこの教室に問い合わせた時、この教室の講師がスカシェン・キーディソンという悪魔だと知りました。
その人物に会って、どうしても聞きたいことがあったのでございます」
ララカは語った。――昔、ティル・ナ・ノーグに近いシボラの大地の一隅に花妖精の隠れ里があり、そこに彼女も住んでいた。ある時そこに、スカシェンと名乗る人物が訪れたのだという。
「その頃は魔鎧職人だと言ってはいなかったようです。ただ、悪魔の青年、と……何のために来たのか、どうして里の場所を知ったのか、それは分かりません」
その悪魔が立ち去った後、闇商人の一団が里を襲い、自分も含めほとんどの花妖精が捕まった。
「闇商人とスカシェンなる悪魔が何か関係していたのか……花妖精でないのにあの里を知っていたというだけでも、只者ではないとずっと思っておりました。
その因果関係を、何としても問い詰めたかったのです」
契約者たちに助けられてその計画を知り、魔鎧教室は行われないことを知ったララカだが、どうしても最後までここにいて、スカシェンにその問いをぶつけたいのだと言い張った。
「お願いします! あの時捕まった仲間たちのためにも……どうしても知りたいんです……!」
ララカは頭を深く下げ、しばらく上げようとはしなかった。
一人のスタッフが異変を知って本部と連絡を取ろうとした時、寸前で宵一がそれを制し、事が外部に漏れることは免れた。コクビャク本部に、この館に契約者が入っていることはバレていないはずである。
が、この際に、宵一のパートナーであるコアトーが、この連絡用機器をサイコメトリしたことで見えたものがあった。それは、クローリナ嬢が地下室に入って機械を見てしまった直後に、そのハプニングについて報告しつつ、その対処を仰ぐといった内容のやりとりだった。
――その令嬢については、しばらく拘束してもらいたい。ちょうどいい、そろそろ新たな「灰」の被験者が欲しかったところだ。
――で、では、機械を動かして……!?
――あからさまに怯えるんじゃない。何年もかけてタァ様が改良した「灰」だぞ。もういつぞやの令嬢のようなことは起こらんだろう。
それに、万が一まだ有毒な要素が残っていたとしても、きちんと管理していれば実験者側が浴びるような目には遭わん。
――は、はい……
――明日、船で魂と一緒にそっちに運ばせる。何、ほんの一袋分だけだ。いいか、くれぐれも不必要に恐怖感を持たんよう、そっちのスタッフによく言っておけ!
「船、というのは飛空艇のことだろう。つまり、教室で使う魂と、多分シイダの言っているのと同じ『灰』とを明日、飛空艇でこの館に運び込む、という意味じゃないか?」
宵一が言った。
「そういえばスタッフが地下室に近付きたがらない感じだったのって……
その『灰』っていうのが、この地下室に残留しているかも知れないって思って、それが怖かったのかも……」
ルカルカが思い出すように、首を傾げて呟いた。
その後もしばらくの間、契約者たちは空京警察も交え、明日に向けての相談をしていた。
その結果、現状を維持するためメレインデとクローリナ以外の参加者たちにはぎりぎりまで事情を明かさぬことにし、明日は向こうからの動きを察知し次第、先手を打って安全な場所に彼女らを誘導するという作戦を取ることに決めた。
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