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時計塔

 コニレットたちは時計塔の階段を駆け上る。
 そこには、途中で合流した富永 佐那(とみなが・さな)遠野 歌菜(とおの・かな)たちの姿もあった。
「待って!」
 歌菜が声をかけ、足を止める。
 と、階段の上からざざっと〈司書〉たちがあらわれた。
 その手にはいくつもの書や紙を抱えている。身構えているところを見るに、簡単は先に通らせてくれないようだった。
「私と羽純くんで食い止めます! コニレットさんたちは先に!」
「わかりました……! お願いします!」
 コニレットたちは歌菜たちを残して先へ行こうとする。
 〈司書〉たちがそれを阻もうとするが、その前に佐那が風の球体をぶつけた。突如飛来した球体は〈司書〉をふき飛ばすだけでなく、階段を貫いて大穴をつくる。
「こっちも忘れてもらっては困りますよ。戦うのは歌菜さんたちだけではないのですから」
 告げる佐那の手には、もう一つの風の球体が渦巻いていた。
 先ほどのものは蹴りで放った一撃だ。風の力を持っているパラキートアヴァターラ・グラブが生み出した風の球を、同じく風の力を持っているキーウィアヴァターラ・シューズで蹴り放つのである。
 身構えた佐那や歌菜たちに、〈司書〉たちも一歩引いた形になった。
 そのときにはすでに、コニレットたちの姿はない。数名の〈司書〉たちが追いかけていったが、多くは残され、佐那たちの始末に専念した。
「ほんとはあまり戦いたくないんだけどね……」
 九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)が言った。
 ローズは戦いを好む性格ではない。特にこうした普通の街のように見える場所では……。街の住人を巻き込みたくないというのが本音だった。
 けれど――ここなら少しは派手に立ち回れる。
「学人! いまなら炎を存分に使ってもいいみたいだよ!」
 前へと飛び出し、ローズは言った。
「それなら――遠慮はしない!」
 叫び、冬月 学人(ふゆつき・がくと)が火術の魔法を放った。
 階段のような手狭なところでは、むしろ小回りの利く火術のほうが使いやすい。〈司書〉たちが一斉に放った刃と化した紙を、火術は一瞬で燃やしていった。
 続けざまに、リアトリス・ブルーウォーター(りあとりす・ぶるーうぉーたー)が巨大な剣を振るう。スイートピーを模した鮮やかなその大剣は、近づいてきた紙の刃をなぎ払った。
 と、森 乱丸(もり・らんまる)がファイアプロテクトの魔法で炎の耐性を高めたところで、リアトリスは前に出る。ソフィア・ステファノティス(そふぃあ・すてふぁのてぃす)はその後ろをぴったりついていき、サイコキネシスで瓦礫を動かして応戦した。
「乱丸! ソフィアを頼むよ!」
「お任せを――」
 リアトリスが〈司書〉の紙の剣とぶつかり合う間に、乱丸はソフィアを守って乾坤一擲の剣を振るった。敵を弾き返した後、ランスバレストで突貫する。貫かれた〈司書〉は、声をあげて煙のように消えていった。
「やはり相手は、本物の人間というわけではないようですね」
「ジナマーマ……ソフィアも……戦うの……」
 佐那がつぶやいたのに対し、ソフィアが言った。
 佐那はにこっとほほ笑んだ。
「ええ、もちろん。当てにしてますよ」
 言って、佐那は風の球体をキーウィアヴァターラ・シューズで蹴り放った。
 サッカーボールのように飛んだ球体は、周囲に嵐を巻き起こしながら〈司書〉たちをふき飛ばす。ソフィアはドラゴンアヴァターラ・ループを投擲し、司書が放った紙の刃を切り裂いた。
 続けて、すさまじい歌の力が〈司書〉たちに降り注ぐ。
「ぐおおぉぉぉ――――ッ!?」
 広範囲に及ぶ歌声の魔力は、司書たちをその場にひざまずかせた。
 歌声を響かせたのは――遠野 歌菜(とおの・かな)だ。すぐ後をついて、羽純のギターががいいぃんとかき鳴らされた。すると、電撃の魔法が音と共に放たれる。
 稲光を受けて、〈司書〉たちはしゅうしゅうと煙を立ちのぼらせた。
「ちょっとかわいそうな気がしないでもないかな……」
 歌菜が苦しそうな声を出して踏ん張る〈司書〉たちを見ながら、苦笑する。
「なに……しょうがないさ」
 羽純は言いながら、手の中に剣を具現化させた。
 剣の花嫁が扱うことの出来る剣の舞という能力の一つで、一定の間だけ剣の実体を造ることが出来るのだ。羽純は舞うように踊りながら、〈司書〉が放った紙の刃を避けつつ、剣を投擲する。同じくエクスプレス・ザ・ワールドの魔法で歌を槍に具現化させて放つ歌菜と、複数の〈司書〉を倒した末に着地した。
 数は随分と減っている。〈司書〉たちの顔色にも焦りが見え、歌菜たちは再び構えを取った。
「勝てるかな……」
 ローズが銃を構えながら、ぼそりと不安を口にする。
 リアトリスが斧を回して言った。
「勝つよ――きっとね」
 その笑みには、仲間を信頼する自信が浮かんでいた。



 コニレットとともに、ノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)たちが時計塔の最上階についた。
 そこは古く稀少な本の詰めこまれた場所で、円柱状の壁一面にびっしりと本が敷きつめられていた。そのどれもが、現実には伝説と化した本ばかりだ。マニアなら喉から手が出るほどだろう。もっとも、ここは現実ではなく、ジアンニ伯爵の創り出した世界だったが。
 その部屋の中央に、一人の少女を見つけた。
「シェミーっ!」
 ノーンが呼んだその少女は、じっと座り込んで本を読みふけっていた。
 なにやらぶつぶつと言っている。周りにはたくさんの本が積み重ねられ、複数の塔のようになっていた。ちょっと触れば崩れそうだ。その本たちに囲まれて、シェミーは幸せそうな顔をしている。ともすれば、恍惚そうな……。
「待て! 様子がおかしい!」
 シェミーのもとに駆け寄ろうとしたノーンたちを、エースが引き留めた。
 それは間違いではなかった。コニレットたちが見守る前で、シェミーはなんだか不気味な笑みを浮かべいる。
 エースはハッとなった。
「なるほど……そういうことか」
 訳の分からないコニレットたちは怪訝そうな顔でエースを見た。
「伯爵がどうしてシェミーを閉じ込めておかないのか、わかったよ」
「どうして閉じ込めておかないのか……?」
 コニレットは困惑の表情でつぶやく。エースはそっと告げた。
「閉じ込めておく必要がないんだ。ここではシェミーが自由に本を読めば読むほど、その世界に陶酔すればするほど、魂を引きずられる。伯爵は、そうして知識欲に溺れた者から生命力を奪うように仕組んでるんだ」
「それじゃ、シェミーさんは……!」
「一歩遅かった。もうとっくに、本に取り込まれてる……」
 だからシェミーは、エースたちの呼びかけにまったく気づかないのだ。不気味な笑みを浮かべながら、次々とページをめくってゆく。それが伯爵の望む、知識欲に溺れた人間の末路だった。
「学者や魔法使いは人一倍探求心が強いからね……。多分、伯爵はそうした人物を狙ってこのグランダルに引きずりこんでくるんだろう」
「でもそれじゃっ……どうやったらシェミーさんを……っ」
 コニレットな悲痛な叫びをあげる。エースはしばらく考えこむ顔をしてから、やがて言った。
「……考えられる方法は、一つだ。シェミーの目を現実の世界に向けさせるしかない。本の中の世界なんかじゃなく、シェミー自身が信じる現実の世界に戻ってきたいと思わせるんだ。そうすることが出来たら、あるいは――」
 エースも断定できるわけじゃないんだろう。けれども、それ以外に方法が思いつかなかった。シェミーの意識を現実に戻すしかない。そのために、出来ることをやるしか……。
「……やってみるわ」
 リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)が言った。
「だってそうすることしか、方法がないんんでしょう? だったら、やるしかない……。シェミーならきっと、私たちの声に気づいてくれるわ」
 コニレットもうなずいた。
 彼女たちはシェミーのもとへと近づく。予想通り、シェミーは本を読み込むことに夢中になっていて、こちらにまったく気づいていなかった。ぶつぶつと言っているのは、独り言だ。自分の知りたかったことがどんどん手に入る喜びか、シェミーは恍惚の表情を浮かべていた。
「シェミーっ!」
 リリアが呼びかけた。
「ちょっとシェミー! 聞こえてるの!」
「シェミーちゃんっ! 正気に戻ってよ!」
 ノーンも一緒に呼びかける。すると、ふと、シェミーは顔をあげた。
 一瞬、ノーンたちはシェミーが自分たちに応えてくれたんだと安堵の表情になった。けれど、すぐにそれは崩れる。シェミーは今までの彼女からは想像がつかない、不気味な顔つきでにっと笑ったのだ。
「ふふふふ……何を言ってるんだ? ノーン、リリア……。わたしは正気だ……。天才歴史学者のシェミー・バズアリーだぞ……」
「シェミーちゃん……」
 話してはいるものの、シェミーの心はここにあらずだ。
 立ちあがり、ふらふらと歩きながら、シェミーはその部屋の本たちに手を広げた。
「どうだ……見てみろ…………。ここには全ての本がある……わたしの知りたかった全ての本が…………」
「シェミー! なに言ってるのよ!」
 リリアが叫んだ。
「こんなの、現実じゃないのよ!? あなたの知りたかった本だって、ここにはあってないようなものじゃない! そんなのを読んで喜んでるなんて――」
「黙れぇっ!!」
 シェミーが感情を露わにして、リリアはびくっとなった。
 ふーっ、ふーっ、と、シェミーは荒く獰猛な息をついている。怒りに満ちた目で、リリアを睨んでいた。
「ここはわたしの場所だ! わたしの本だ! お前たちなんかが立ち入っていい場所じゃない! さっさと出ていけ!」
 それはむき出しの感情だった。
 もちろん、リリアたちとてそれがシェミーの本心だとは思っていない。けれども、友人から、仲間から拒絶されたという事実は、リリアたちに重くのし掛かった。
 少しずつシェミーは落ち着いてくるが、それはまたも本の世界にのめり込んでいくだけに過ぎない。
「ふ……ふふ……ふははっ…………」
 シェミーは本棚に並べられた本をなでさすり、恍惚の顔で笑った。
「シェミーさん……」
 コニレットやノーンが、沈鬱な表情でシェミーを見つめる。
 いまここに、御神楽 陽太(みかぐら・ようた)がいればと、ノーンは心の底からそう思った。陽太なら、きっと自分なんかは思いつかないような、すごいアイデアを思いつくはず。シェミーの意識を取りもどすためにはどうしたらいいか。どうすることが正解なのか。陽太ならきっと、導き出せるはず。ノーンはそう思った。
 けれど……陽太はいま、ここにはいない。いるのは自分一人だけだ。ノーンはそれがひどく、心に重くのし掛かった。
(どうしたらいい? どうすることが正しいの……?)
 ノーンにはわからない。陽太に教えて欲しいと、心から願った。
 そのとき――。
「シェミー! それがあなたの本当の幸せなの!?」
 リリアがぐっと踏み込み、耐えるように叫んだ。
「…………なに?」
 シェミーがふり返る。聞き捨てならないことを言われたというように、顔は怒りをぶつけていた。
 リリアはひるまない。ここでひるんだら負けだ。それは、たくさんのことからリリアが学んできたことだった。
「歴史は……自分のその目で見る事が一番大切だと、私は思うわ。他人が集めた物をなぞるだけじゃ、元の収集者を超える事なんてないはずだもの。あなたは世界に散らばる本を探して、自分の歴史を作る人間じゃなかったの? 誰かにほどこされたものだけで満足できるような、そんなちっぽけな歴史学者だったのっ!?」
 リリアの言葉に、シェミーは唇を噛みしめた。
「ち、違う……! わたしは……!」
「シェミー」
 エースがリリアに続くように口を開いた。
「俺たちは君を大きいと思う。それは君が、自分自身の手でなにかを成し遂げようとしていたからだ。でもいまは……とても小さく見えるよ。他の人が手を付けた本なんかじゃなく、君自身の手で本を記すほうが、何倍も素敵だとは思わないかい?」
「わたし自身の手で……?」
 それまで虚ろにも見えていたシェミーの瞳が、少し光を取りもどしたように見えた。
 ノーンは叫んだ。
「シェミーちゃん!」
 シェミーの目がノーンへと動く。小さな身体をした精霊の少女が、決死の声で告げた。
「ワタシ……ワタシ、こんなにちっぽけで、あんまり、みんなの役に立ったことがない役立たずだけど……でも! でも、シェミーちゃんと会ったときから、ちょっとずつ変わっていけたと思うよ! だって、シェミーちゃん、すごいんだもん! 自分でなんでもやって、すっごい研究とかして、論文とか書いて……なんでも知ってて! シェミーちゃんと会ったから、ワタシ、ちょっとずつ頑張ってこれたよ! 頑張れたよ! だから、お願い! またあの時のシェミーちゃんに戻って! 戻ってよぉっ!」
 最後の言葉は、涙を流していた。
 シェミーの目が少しずつ黄色い光の色を取りもどしてゆく。それは嬉々として、生気に満ちて、冒険だ研究だと叫んでいた頃のシェミーの光だ。やがて、じっと立ちつくしていたシェミーは、ノーンを見ながらぼけっとした顔でつぶやいた。
「…………ん? ノーン? それにエースたち……」
 きょとんとした顔で、シェミーは首をかしげた。
「お前たち、こんなところで何してるんだ?」
「シェミーちゃああぁぁぁぁんっ!!!!」
「どわあああぁぁっ!? ノ、ノーンっ!? こらばかっ、くっつくなっ!」
 ジャンプしてきたノーンがシェミーに抱きつき、涙をえんえんと流す。
「シェミーちゃんシェミーちゃんシェミーちゃあぁぁぁんっ!」
「だああぁぁぁぁっ! なんだってんだまったくっ!」
 すっかり身動きが取れなくなったシェミーが叫んだのを見て、エースとリリアは肩をすくめた。
「やれやれ……」
「いいからとっととこいつを離せええぇぇぇぇぇ!!」
 ノーンがシェミーの身体から離れるのには、まだしばらくかかりそうだった。