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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:前編

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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:前編

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第5章 満身創痍の帰還者


 森は広く、静かだった。
 戦場の殺伐とした騒音さえも、凛と佇む木々が吸い込んでいくかのようで、そう思うとこの木陰ゆえの涼しさもうすら寒い。

 道標のない森の中の道を、迷子になることを恐れながらも、さゆみとアデリーヌははぐれないよう手を繋いで進んでいた。
「小さくだけど、モーター音のようなものが聞こえるわ」
 さゆみは、森の中に入ったごく早いうちからそんなことを言っていた。
「モーターかどうかははっきりしないけど、とにかく何かの機械音よ」
 本当かしら、と内心危ぶんでいたアデリーヌだが、さゆみの指示で進んでいくうちに、彼女にもそのモーターの唸りに似た機械音が聞こえてくるようになった。つまり、近付いていったのだ。
「墜落したものが立てている音かしら」
「おそらくそうね」
 そうして2人は、ついに辿りついた。
 木々が折れた、その奥に小型飛空艇が横倒しになって転がっている。

「――人はいないわ」
 倒れた向こう側に回り込んで調べてから、さゆみが呟いた。
「どこかに移動したのかしら。怪我したりとかは」
「見て、跡が……」
 何かに気付いたアデリーヌが指差す方を見ると、飛空艇の運転席と思われる辺りから、森の下草の上を何かが這ったような跡が続いている。
「自力で脱出してこっちへ向かったのね」
「行ってみましょう。怪我してるかもしれないですわ」
「えぇ。――?」
 くるりと身を翻しかけたさゆみだが、その時、視界の片隅にきらりと銀色に光るものを見つけてふと足を止めた。
 近付いて、それを見ると、ペンダントのようだった。ペンダントヘッドは弾丸型で、ペンダントの鎖は銀だが引きちぎれたように切れていた。
「乗っていた人のものね」
 ペンダントヘッドの中に何か入っているのかもしれないが、誰のものか分からない以上勝手に開けるのはためらわれた。アデリーヌも近寄ってきて、さゆみの掌の上に乗ったその銀色のアクセサリーを眺めた。
「……これ、もしかしたら、家紋……?」
 ヘッドの底に小さく何か、紋様のようなものが彫ってあった。



 草の上の這った跡が尽きたところに、人が倒れていた。
「大丈夫か!?」
 見つけたのはかつみ、そして続いてやって来たエドゥアルトとナオだった。
 草の上に、男がうつぶせに倒れていた。進もうとして力尽きたような格好であった。背中に生えた一対の翼が彼の素性を物語ってはいるが、右の翼が目に見えて折れ曲がっているのが痛々しい。
 かつみの呼びかけにも、男は答えなかった。意識がないようだ。
 エドゥアルトも傍らに膝をついて、怪我人の様子を診始めた。
「息はあるけど、この状態では仰向けに出来ないね……
 しかし、ひどい怪我だな……包帯も巻いているし、……もしかして、不時着以前にすでに怪我してた?」
 エドゥアルトが怪我の状態を見やすいよう、男の上半身を慎重に抱え起こそうとしたかつみは、男の手が何か握っているのに気付いた。
「何だこれ」
 しっかり握られたそれは、小さな瓶だった。香水か何かの入れ物のようにも見えた。
「大事なものなんだろうな。けど、割れたら事だ」
 一度手から放させようと、固く握った指を開いてやっていると、
「あっ、気が付かれたみたいですよ!」
 横から見ていたナオが明るい声を上げた。
 その言葉通り、男の瞼が細かく震えながらうっすらと開いていく。
「よかった。大丈夫ですか? どこか痛むところは?」
 エドゥアルトの呼びかけに、一度男は彼を見たが、それには答えず、
「ううっ」
 痛そうに一度呻くと、瓶を握った手を震わせながら、かつみに伸ばし、瓶をかつみに渡そうとした。
「これは……?」
「あの人、に……これを、吸うと、い…っとき、正気に戻る……と言って、いた……」
「“あの人”!? って誰だ!?」

 そこへ、草の跡を辿ってさゆみとアデリーヌが、それから少し遅れて弥十郎と八雲もこの場にやって来た。

「魔鎧、を纏った、バ……サーカー……ヒエロ、ギ、ネリアンに……
 彼は、正気、を失った鬼神……この、島の住民、を傷つ、ける、ま、えに」
 切れ切れの苦しげな言葉とともに、かつみは小瓶を受け取った。
 さゆみが進み出て、男の目の前にそっと、飛空艇で拾った銀色のペンダントを差し出した。
「飛空艇にあったわ。貴方のもの?」
 問いかけに、男は虚ろな目の焦点をペンダントに何とか合わせると、否定するように首を一度振った。
「これは、あの、ひとの」
 そこまで言った時、突然男は、苦しげな唸り声を上げてもがき始めた。その体を支えようとしたエドゥアルトとかつみの手を突き飛ばすように払い、地面に転がって悶える。
「おいっ! どうしたんだ!!」
 しばらくの間男は地面に頭を擦り付けるようにしてもがいていたが、
「私、のことはっ、捨て……おけ……」
「何……?」
「私は、コク…ビャクの、薬を……浴び……心が……乗っ取られ……
 仲間を、傷つけ…る……どうか、このまま……」
 そうして、再び苦しみ出した。
「いま戦場でコクビャクの尖兵にされている、灰を浴びた元守護天使と同じように、ってこと?」
 エドゥアルトは困惑して、指示を仰ぐようにかつみを見た。灰を浴びて操られる天使は心ならずも仲間に刃を向けるが、だからと言ってここまで負傷し弱っている者を見捨てるわけにはいかない。
「――やむを得んな」
 かつみは地に手をついて苦しむ男の上に身を乗り出すと、首に軽い一撃を当てた。唸り声が止まり、男は地面に突っ伏した。
「応急処置をしてから、守護天使の陣営に運ぶよ」
「じゃあ俺は向こうに戻る。これを託されたことだしな」
 エドゥアルトに向かってかつみは、小瓶を見せて言った。僕も行きます、とナオも言った。
「私たちも手伝うわ」
 さゆみとアデリーヌも、男の方に近寄った。
 かつみとナオは、一足先に戦線へと引き換えしていった。

 弥十郎と八雲も、怪我人搬送を手伝うことにした。
「なぁ、」
 八雲は、弥十郎にこっそりと言った。
「お前が言ってた案だけど、こいつで試せないか」
「え」
「黒白の灰で魔族化した天使なんだろ? お前の案が的を得ているか、試すにはちょうどいいんじゃないか」

 弥十郎が考えていたことは、八雲には精神感応で筒抜けだった。
(先ずオリジナルの黒白の灰は、魔族に対して「魔族の原本能が除かれ、魔族でなくなる」作用を持つんだよね。
 ならば、元々魔族じゃなかった人にオリジナルを使ったらどうなるんだろうなぁ)
(魔族の原本能があるのなら、多種族にもそれぞれに応じた原本能と呼べるものがあると思う。
 それを魔族の原本能に変えるのが黒白の灰と仮定する――)
(元々魔族だった方は原本能が除かれると、残るものがない。
 だけど、魔族化したのなら……素となる種族の原本能が残らないかねぇ)
 つまり、「魔族化した元・非魔族」を元に戻すのに、「改良前のオリジナルの灰」の作用を使えば有効なのではないか、という仮定的な案だった。
「兄さんも怖いこというねぇ」
 弥十郎は言った。
「まぁでも、この場では何ともできないし。彼を安全に寝かせられる場所に運んでからの話だね」
「そうだな」