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春もうららの閑話休題

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第12章


「そういや……前にもこんなことがあったなあ」


 匿名 某は湯船で呟いた。

「? 何ですか?」
 その隣には、結崎 綾耶の姿が。
 ウィンターに作ってもらったかまくらの温泉で二人、湯船に浸かっている。

「ほら、昔バレンタインでさ」
 懐かしそうに思いだす某。
「ああ……そういえば、昔もこうして某さんとご一緒しましたっけね」
 綾耶もまた、懐かしくそのことを思い出した。

「チョコっぽい風呂、一緒に入ったっけな」
「……ふふ、あれから……ううん、パラミタに来てから……もう何年も経ったんですね」

 ひらりと、花びらが舞う。
 ウィンターがかまくらを作るとき、天井を氷の窓ではなく、ぽっかり大きく穴を開けておいた。
 他のかまくらよりも高く作ってくれたので外から覗かれることはないが、下からは空も見上げやすく、雪や花びらがひらひらと舞い込んできて、風情は抜群だ。

「雪の在庫管理か何か知らないが、おかげさまでのんびりできていい気分だよ」
 某は手ぬぐいで顔面の汗を拭うと、それを頭の上に乗せた。
「ふふ、そうですねぇ。この温泉もあと数日でなくなるかと思うと、ちょっともったいないですよね」
 昔とは二人の距離感もだいぶ違う。それこそチョコっぽい風呂に二人で入った時には、互いの姿を見るのが恥ずかしくて、ずっと背中合わせだったものだ。
 それが今やタオル一枚で隣同士……。

「変われば、変わるもんだな」
 某は呟いた。
「変わりましたか?」
 綾耶が返した。
「……変わってないかな?」
「……ええ、変わりましたね、色々と」
 綾耶と某は視線を合わせて、くすっと笑った。

「もっと……変われるのかな」
 某は綾耶に聞こえないように呟いた。
 地球にいた頃に比べれば、パラミタに渡ってからの彼らを取り巻く環境は、本当に劇的な変化を遂げたと言っていいだろう。
 特に綾耶に関しては、その生い立ちから過去の出来事、それにまつわる身体の問題など、それらの全部と向き合って、ひとつひとつを仲間達と共に乗り越えてきた。
 時間にすれば短い期間だったかもしれないが、その道のりが平坦なものでなかったことは、誰よりも彼ら自身がよく知っている。
「そりゃ……いつまでも世間知らずでも、元ひきこもりでもねぇよな……もっと変わらなきゃ……」
「? どうしたんですか?」
 考え込んでしまった某の横で、綾耶が首をかしげる。

「ああ、うん……いや、何でもないよ……いい湯だなって」
 誤魔化した某。その様子にふっと微笑んで、綾耶は湯船の淵に腰掛けた。
「ふぅ、ちょっとのぼせちゃいました」
 かまくらの天井の穴から差し込む月明かりに照らされて、タオル一枚の綾耶が某の瞳に映り込む。

「ねぇ、某さん……」
 ともすれば聞こえないような小さな声で、綾耶がささやく。
「……ん?」
 聞こえているという意思表示のため、某は返事をして湯船から綾耶を見上げた。

 普段はツインテールに纏めている髪を下ろしている。その艶やかな黒髪はまるで上質な絹のように美しく流れていた。
 透き通るように白い肌は温められてピンク色に上気していて、洗練された陶磁器のような艶めかしさを醸し出している。
 いつも某を見守る優しい眼差しが、今も大きな満月をバックに、某を包んでいた。

「あの頃とは本当に色々と変わってしまいましたけど……今こうして、某さんの隣にいることは変わらない……。
 それが私……この上なく、嬉しいんです」
 潤んだ瞳が、某を見つめている。
「……某さん?」
 某が返事をしないでいると、綾耶は首をかしげる。
 はっとした顔で、某は綾耶と同じように湯船の淵に腰を掛けた。
「あ、ああ……俺も、嬉しいよ……」
 何だか間抜けな返答になってしまったが、それも仕方ないこと。

 月明かりの綾耶の姿に、すっかり見とれてしまっていたのだから。

 それに、さっき思ったことがまるで綾耶に筒抜けだったかのようで、某は軽く笑ってしまった。
「はは……考えることは、似たようなもんだな」
「?」
「何でもないよ……それにな綾耶。俺達はずっと隣同士にいたけれど、それでもやっぱり色々変わったことはあると思うぞ」
「……何ですか?」
 腰掛けて、互いに身体を寄せ合う。綾耶の手が自然と某の太ももに乗った。
 その手を上から握って、某はささやく。

「――綺麗になった」
「……え?」
「綾耶は、とても綺麗になった……それだけじゃない、強く、そして優しく……いろんな意味で、成長したと思う。
 でも俺には、ずっと変わらない綾耶だ。それが俺にも……嬉しく思える」
 真正面からの某の台詞がさすがに恥ずかしかったのか、綾耶は某の向こうの空に視線を移した。その耳までが真っ赤なのは、温泉にのぼせたせいばかりではあるまい。
「あ……雪……」
 綾耶は呟いた。いつのまにか天井の穴から、雪がひらひらと舞い降りていた。

「恋人といる時の雪って特別な気分に浸れて僕は好きです……か」
 某の呟きに、綾耶はくすっと笑う。
「特別な気分……ですか?」
「いや、俺はそうは思わないな」
「え?」
 綾耶は軽く驚く。きっと『そうだね』と答えるものと思っていたから。

「だって、綾耶といる時はいつだって――特別な気分になれるんだから」

 言うが早いか、某は綾耶を抱き締めてしまった。
「きゃっ!」
 某の胸板に顔を埋め、綾耶は恋人の名を呼んだ。
「某さん……」
 見上げると、雲間から差す月と降りかかる雪、そしていつも優しく微笑む某の笑顔がある。


 幸せだな、と思った。


「綾耶……」
「某さん……」
 某の唇が綾耶に近づく。拒む理由はどこにもない。
「ん……」
 お互いの唇が優しく触れた。身体を抱き締める腕が熱い。

 やがて、身体を覆うタオルが自然に解かれて湯船に浮かんだ。
 雲間に隠れがちな月明かりが、わずかに二人の裸身を照らす。
「ここから先は……二人だけの時間、な?」
 そのささやきに、綾耶は少しだけ戸惑いを見せた。
「え、えと……ここで、ですか……っ!?」
 某は、ちょっとだけ困ったような笑顔で。
「……ダメかな?」
 頬を紅く染めたままの綾耶は、うつむきながら呟いた。

「え、えとその……だ、誰も見てないなら……そ、その……」
「大丈夫……」

「あ……ん……某さん……」


「見てるのは、月だけさ……」