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リアクション
DUAL
月光の色は荒野に、遺跡群に、そして無人茶寮の壁に満ちて、昼間には感じられない密やかな、どこか不思議な空気を醸し出す。
クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)とクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)は、やや神妙な表情でテーブルについて、料理が出てくるのを待っていた。
「……どうなるだろう?」
「……どうだろうね……」
2人ともが疑問の言葉を口にし、緊張と不安の色を微かに顔に湛えて、じっと待っている。
2人が契約を交わした時、原因不明の現象により人格交代が起こってしまって以来、彼らはひっそりと、パートナーの体に己の人格を宿して生活してきた。
体が入れ替わったのがもとで、細々とした不都合、アクシデントが今まであったが、その一つが「食べ物の嗜好が合わなくなった」ことだ。
正確に言えば、「精神」は食べたいものでも、「肉体」が今まで通りに受け付けなくなっている。
それまで好んで食べていたものに、かつての美味しさを感じられなくなってショックを受けたことは、今まで何度かあった。
果たして、過去の思い出の料理を、今の自分たちは美味しいと感じられるのだろうか……?
やがて、音もなく、テーブルに2つの皿が現れた。
「……微妙な……」
クリストファーが呟いたのは、皿が2つとも、テーブル中央に現れたことについてだった。
どっちがどっちに対して出された料理なのかはっきりしない。
「“魔法”もどうしたらいいのか迷ったのかな……」
「さぁ……」
クリスティーも、これではどうしたらいいのか首を傾げる。
しばらくの間、2人は無言でテーブルを見ていた。
やがて――先に動いたのは、クリスティーの方だった。
彼が引き寄せたのは、『ラム・テイル・パイ』の皿。
懐かしい故郷の味だった。
それを一口食べた後……クリスティーは無言で、皿をクリストファーの方に押しやった。
その表情から、かつてのようにはその味を楽しめなかったことは明らかだった。
「食べてみて」
クリスティーは一言、それだけ言った。
――昔よく食べていたフィッシュ&チップス、今食べると油が合わない。
好きだったリコリス菓子は、体が受け付けなくなっていた。
それに比べると拒否反応は大きくはない、むしろ味を楽しむことは、何とかできるような気もするが。
(不味くはないけど……よその味だ)
タッチ交代、という形で皿を引き取ったクリストファーは、パイを食べてみた。
心はそれを、初めて食べる見知らぬ地の料理と受け止めている。
だが、舌は、体の方はこの味に、懐かしさを覚えていた。
不思議な感覚だった。
「これ、思い出の料理なのか?」
クリストファーが訊くと、クリスティーは頷いた。
「うん、地元の料理だよ」
イギリス、ケントの内陸側農村地帯が故郷で――
「これはそもそも、早春にだけ作られる料理なんだ。
羊の出産するシーズンにね。 何故かというと、若くて新鮮な肉が必要だからで……」
説明しながら、クリスティーは、郷里の春先の風の匂いを思い出していた。
シャンバラへ旅立つ前日に振舞われたのが、この料理を食べた最後だった。
一方クリストファーも、自分の方の「思い出」の皿を引き寄せ、一口食べた後、クリスティーの方に皿を寄越した。
まずいとは言わなかったが、やはり、思い出の中にある感動を実際の味から得られないことが、何気にショックなのだろう。
深い皿に入ったそれは『獲れたての魚と貝の煮込み』。
やはりクリスティーも、「初めて食べる懐かしい味」という、奇妙な感動を味わった。
「これ、懐かしい気がするけど、ボクの知らない味付けだね。何の味?」
「魚醤だな、自家製の」
「これが魚醤っていうやつなんだ……へぇ……」
パラミタ内海ヴァイシャリー側の漁師の家の出であるクリストファーの家の味は、海とは縁のない幼少期を過ごしてきたクリスティーには魚介類というだけで新鮮なものに思えた。
海鮮の持つ深いコクに、魚醤の独特のコク。
しかし、背景は新鮮なのに味には懐かしさを覚えるという違和感。
「やっぱり時季によって、具が変わったりするの」
「採れるものが変わるからな。たとえばこの時季だと……」
故郷の話というのは誰しもそうなのかもしれないが、クリストファーの話も弾んだ。
郷里の海の潮騒を聞いたような気がして、話の合間にクリストファーが寸の間、目を細めたのをクリスティーは見た。
こんなふうに食べ物を通して互いの背景を垣間見るということがあまりなかったせいか、思いがけず2人は新鮮な会話を楽しんだ。
最初は、心では馴染みがないと感じていた「パートナーにとっての思い出の」料理も、話を聞きながらぽつぽつと食べているうちに、不思議と頭でも馴染めているように感じてくる。
「――ねぇ、ちょっとそれ……もう1回食べさせてみてくれないかな」
ふと、クリスティーが何かに気付いたかのように、パイを食べるクリストファーに手を伸ばして申し出た。
皿を寄越すと、クリスティーはそれを食べ……呟いた。
「気のせいかな……さっき食べた時より、記憶の味に近い感じがする」
その不思議な感想に背を押されるように、クリストファーも煮込みを口に運んでみた。
「……。
気のせい……なのか? 確かに、さっきよりずっと……」
あの頃食べた味に近いそれを、頭が、心が感じている――
よくは分からない。
互いが互いの料理に関する思い出を語り合い耳を傾け合ったことが、何か作用したのか。それとももっと別の、この施設の何か魔法的作用か。
分からないが。
一時的なものなのか。または、これから先にも何か変化を及ぼすものなのか。
今はどちらとも言えないが。
この時、2人のそれぞれの『心』と『体』の間の溝が、少しだけ……ほんの少しだけではあるが、狭まったのではないだろうか。
それ以外の結論は、少なくともこの時2人には見いだせなかった。
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