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一会→十会 —魂の在処—

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一会→十会 —魂の在処—

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【9】


「ハインツさん! ハインツさん聞こえますか!?」
 呼び掛けに数秒待ってもハインリヒからは反応が返って来ない。豊美ちゃんがハインリヒの唇の前に耳をやろうと身体を傾けるが、息づかいすら聞こえないのが分かり、さっと顔色を変えた。
 そこへ駆け寄ってきた羽純が、豊美ちゃんの青い顔に問う。
「何があった? 否、ハインツは何の魔法……スキルを喰らったんだ? 覚えはあるか?」
「いえ……上手く説明出来ませんけど、魔法のようなそうでないような……」
「ツライッツさんの手がハインツお兄ちゃんに当たって、光りがあって、雷みたいな音がして――」
 ティエンが焦りながら答えるのに、豊美ちゃんが頷いている。
「犬はライトニングブラストに近いように見えたって言ってる」
 ジブリールはそう言いながらジャマダハルの刃で、ハインリヒのシャツを上から裂く。ツライッツの光りが当たった部分が露になると、豊美ちゃんは咄嗟に自身の口元に手を当てた。
 そこは高圧電流に感電した時と同じ様に、細胞が死滅し始めていた。
「…………酷い」
 ティエンは止血していた手を止め、人の肌色を失い空洞が空いたように黒くなった腹部に、思わず目を背けてしまう。
「このままってマズいよね!?」
 ジブリールが慌てていた通り、これを感電と同じ現象と考えれば、壊死は当たった位置から抜ける位置に掛けて、徐々に進行していくのだろう。下手をすれば四肢の切断はまだマシなくらいかもしれない。
 豊美ちゃんと羽純とジブリールとティエン。四人がかりで回復を施す様子を、仲間達がハインリヒに呼び掛ける声を、ツライッツは呆然とした様子で、声を失ったまま瞬きも無く見つめていた。自分が何をしたのか理解を拒んでいるかのような、酷く人間的な反応を示すツライッツは、何かの決壊する寸前のようにも見えた。
「ツラさん!」
 と、そこへ仲間と体育館に飛び込んできたのはハルカだ。皆がその事に気付きもしない様な最悪の状況の中、ポチの助は今自分に出来る事をしようと冷静を務めた。
 ポチの助もまた、ナージャと同じ様に機晶の知識を持っている。そして彼は事件が起こった時から考え続けいた事を、ハルカの姿を見つけたのと同時に実行した。
「苦しいかもしれませんが、耐えて下さいよ!」
「……ッ、ぅ、あ……っ、熱、ぅ……!」
 突然、内側から発生した熱源に、ツライッツが眉を寄せた。
 ポチの助が行ったのはツライッツの機晶石に秘められたエネルギーの解放である。これによりツライッツの機晶石を覆う様に溶けていた『魂の牢獄』は、影響を弱め始めた。
 ポチの助の行動に気付いたアッシュが叫ぶ。
「今だ……ハルカ!」
「はいっ!」
 ハルカはツライッツのもとへ駆け寄り、飛びつく様に正面から彼を抱きしめた。
 瞬間爆発するような巨大な質量が風となり、体育館に居た皆に吹き付ける。魂の牢獄の最後の叫びのような赤い閃光に目も開けられないが、ハルカは耐えていた。爆風のような力は、熱く、強く、ハルカを苛んだが、けれど、きっと、ツライッツの方が苦しい。
「ツラさんっ……ツラさん、頑張るのです……!」
「ハルカも…………頑張れ!」
 ハルカが反動に押し返されない様に、アッシュが魔力を掌に集中させ彼女の肩を後ろから支えると、ツライッツの首元から青い光りが広がり、彼等を守る様に包み込む。
「あの光りは……」
「ジゼル君と同じ、アクアマリン!」
 真とリカインが言ったのに、アレクが頷く。フレンディスは殆ど反射のように、この場に居ない友の歌が彼等を守ってくれるよう祈った。
 ハルカの清浄の力。
 アッシュの魔法。
 そしてツライッツを守る青い石。
 膨大なエネルギーの奔流に晒されながら、サヴァスは此処へきて初めて、醜い程の怒りと焦りを顔に出す。
「解放させるものかあッ!!」
 サヴァスが二人の背中に迫った時――
 今度は凄まじい熱が体育館に広がった。
「サヴァス…………闇の軍勢に君臨するもの…………もう許さないぞ!」
 吐き出した声は、仲間を奪われたものの怒りと、目の前で見てきた殺されたものたちの無念、そして新たな世界で得た友の想いを乗せている。
 遂に全てを取りも出したアッシュの巻き起こす炎が眼前に迫り、サヴァス・カザンザキスは体育館から、否、パラミタから世界を消していた。
  


 耳の奥に残る程の風の音が漸く消え、ハルカは身体中の神経をかき集めていた腕から力を抜いた。
「……ツラさん」
 声を掛けてから、ハルカは違和感に気づいた。何かがおかしい。背中を不安が駆け上がる。
「ツラさん、大丈夫なのです?」
 そんなハルカの言葉を理解しているのかいないのか、「はい」という機械的な返答を返すのみで、平衡感覚を失っているかのような頼りない足取りで、ツライッツはハインリヒの傍へ吸い寄せられるように向かっていた。
「………………」
 無言で見やった視線の先で、応急処置は続いているが、ハインリヒの瞼は閉じられたまま動かない。まだ危険な状態を脱していないのだと見ただけでわかるその姿に、膝をつこうとして失敗したように、ぺたんと床に腰を落としたツライッツは、普段そうするように無意識に、ハインリヒの手を取ろうとして――気がついた。
 不自然に曲がった指、グローブの隙間から僅かに覗く変色した皮膚。ツライッツの正確な記憶野は、それが追跡者たちから受けた攻撃によるものでも、ハインリヒが自ら攻撃した際に出来たものでもないことを、直ぐに導き出した。ハインリヒがこちら側の手で触れたのは、否、正確にはその手へ触れたのは、ツライッツしかいない。ただ手を繋ごうとした、その行為でその手を破壊していたことを悟って、ツライッツは漸く自分がどれだけ、どういう意味で、危険な状態であったのかを、理解した。そして、どれだけの負担をハインリヒに押し付けてしまっていたのかも。
「……ッ、俺は……、ぁ、あ、――……ッ」
 瞬間、一気に襲い掛かってきた現状認識に、ツライッツの精神が限界に達しかけたのに気付いて、最初に飛び出したのはベルクだ。混乱したツライッツが、自らを傷つけてしまう前に後ろから羽交い絞めにして「落ち着け」と声を上げる。
「今、お前が怪我でもしたら、こいつの努力が無駄になるだろうが」
 途端、びくりと体を強張らせて、ツライッツは動きを止めた。まだ、全てのリミッターが解除されたままなのだ。制御できない感情と感覚のまま、力を振るえばどうなるか、その結果を理解したばかりだ。ベルクの言葉に従って自分を守った、というよりは、うかつに動いてベルクを傷つけてしまうことを恐れて、ツライッツは真っ青な顔のまま全身から力を落として沈黙する。
「…………」
 赤く染まったままの瞳が揺れ、抑制の効かなくなっている感情がそうさせているのか、ハインリヒをじっと見たまま迷子の子供のように途方にくれた姿は、よく知る普段の姿ではなく、嫌な予感の的中に、歌菜は痛ましげに眉を寄せると、しゃがみこんでその目を覗き込んだ。
「ツライッツさん……大丈夫です」
 僅かに、びくりと縋るような目を向けるツライッツに、歌菜は何とか笑ってみせた。
「きっとすぐ、目を開けて言いますよ……無事で、良かった……って」 
 その言葉に、何を思い浮かべたのか、ツライッツの目尻から涙がぽつりと一滴こぼれ落ち、俯きながらこくり、と小さく頷きが返ったのだった。


 暫くもしない内に連絡を受けたナージャとヨシュアが体育館へやってくる。辿り着く迄あれ程時間が掛かったのは、空間に異常が起こっていたからで、あの研究室と体育館の建物は、その程度しか離れていなかった事に契約者達は驚きを隠せない。
 そして何時もと変わらない体育館の灯り、そして、外から聞こえてくる声に、彼等は異変の全てが終わったのだと確信した。
 すると瘴気の影響が消え自我を取り戻した研究者達の声で俄にざわつきはじめた体育館に、威勢の良い声が響く。
「エラー君が生きてるならツライッツの目に入るところに置いといて。そっち、ツライッツの目の前でエラー君を死なせないでよ! ヨシュア、ツライッツの状態を確認」
 アレクからおおよその状況を聞いていたナージャは、体育館に入ってくるなり指示を出しながら、ツライッツへ足早に近寄る。先んじて近づいたヨシュアに、羽交い絞めにしていた力を緩めて「少し熱っぽい」とベルクが告げた。
「魂の牢獄を解放した影響でしょうか……」
 機材やなにやらを詰め込んだ鞄を抱えたヨシュアは、ツライッツの側にそれを置くと、ベルクの手を借りながらツライッツを支える。ぐい、とナージャは至近距離でツライッツの目を真っ直ぐに覗き込んだ。
「自覚症状を報告して」
「はい……内部熱量が22パーセント上昇、各駆動に若干の障害があります……制御は、まだ完全に復旧していません。出力が、緊急停止の反動で43パーセント程度まで低下中で……すいません、立ち上がるのが……」
 その声に頷いて、顔を上げたツライッツの目は、歌菜とベルクの二人のおかげで自分を取り戻したためか、ブラウンのものに戻っていたが、一度強引に制御を断ち切られた体も精神も、流石にそう簡単に正常には戻れないのだ。それでも、淡々と自分の状態を説明するツライッツの様子に、想定していたよりダメージが少ないようなのに、ふう、とナージャが一旦のため息を吐き出した。
「幸い、内部での熱暴走はないみたいだね。そこの犬君の機転のおかげかな」
 機晶解放によって、ツライッツの生命そのものである機晶石が、魂の牢獄の開放による強烈な熱量に耐えたようで、体への影響が少なくて済んだのだろうと、アレクの説明を聞いていたナージャは分析を口に出す。
 その業界では有名な博士に突然振られてどきっと萎縮するポチの助を、アレクが抱き上げてフレンディスが背中を撫でる。主人二人に褒められた事に、ポチの助は嬉しそうに尻尾をぱたぱたと動かした。
「とはいえ、まだ急に動くのはまずいかな。とりあえず、制御系から――」
 ナージャがポチの助からぱっとツライッツへ視線を戻したところで、ダリルが彼等の前に立った。
「ツライッツの修復を、可能なら手伝いたい」
 ナージャは、そんなダリルとツライッツを一瞥ずつして、
「駄目。引っ込んどいて」
 と言い放つと、最早二度とダリルに視線を向けず、ツライッツの胸部に顔をくっつけるようにしながら、介抱に集中する。
「すみません」
 そんなナージャの反応に続いて、ヨシュアが申し訳なさそうに頭を下げた。
 普段なら、誰に対しても笑みを崩さない筈のツライッツの反応が、酷く微妙なものだったことに気付いたからだ。支えていたベルクとヨシュアは更に、声をかけられた瞬間に、ツライッツの体がほんの僅かではあるが硬直したのも感じていた。その原因は明らかで、ベルクはそういう反応をしてしまったこと自体を申し訳なさそうにしたツライッツに「気にするな」と言うように背中を軽く叩いた。
 そのやり取りを横目に、応急処置を終えたらしいナージャはツライッツの手を取り上げた。
「ちょっとヨシュアの手首握ってみて」
「ナージャさん……」
 怯えるヨシュアに仕方ないなと呟いて、問答無用で握らせる。
 一瞬強張ったヨシュアが、ほっと息をつくのをみて、「とりあえず大丈夫かな」と頷いた。
「あとは、研究室で精密検査してみないとね」