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【蒼空に架ける橋】幕間 願いは星降る夜に

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【蒼空に架ける橋】幕間 願いは星降る夜に

リアクション



●垣間見える影


 ぼそぼそ、ぼそぼそ。どこかで話す複数の人間の声と気配がする。
「まったく。さっきからひとの枕元で、ぶつぶつうるさいのねん」
 頭だけで寝返りを打ち、不機嫌そうな寝起きの声を発したら、声はぴたりと止まった。
 参ノ島太守ミツ・ハが目を開けると、そこは見たこともない質素な部屋だった。あかりは部屋の隅に設置された、時代遅れのデザインの間接照明だけだ。右腕に違和感を感じてゆっくりとそちらへ頭を巡らせると、右腕に刺された点滴チューブが目に入った。なんとはなし、目で追った先でチューブは台に固定されたクリスタルの容器へとつながっていて、なかには半分ほど透明な液体が入っている。
「あ、おいっ」
 ベッドに手をつき、身を起こそうとした彼女だったが、しかしつくはずの手がないことにぐらりと体を傾けさせたのを見て、松岡 徹雄(まつおか・てつお)がすばやく反応した。席を立ち、3歩で距離を詰めて危うくベッドから転げ落ちそうになっていた体を支える。
「ありがとねん……」
 ぼんやりとした頭でもごもご口を動かし礼を口にする。前へかぶさってきていた髪をどけて、ミツ・ハは左腕に目をやり、そこに、ついさっきまであったはずの己の左腕が二の腕の半ばから消失しているのを見て――「ああ」とため息のようにつぶやいた。
「……それだけか?」
 あっけにとられたのは徹雄の方だった。
 手術を終え、ベッドで昏々と眠り続けているミツ・ハに、はたして目を覚まして自分の腕がなくなっていることに気づいたとき、彼女は一体どんな反応を見せるか気がかりだった。まだそれほどの知り合いでもないので、反応が読めず――この女のことだから先を悲観したり自己憐憫にギャーギャー泣きわめくとは思わなかったが、しかしこれもかなり予想外の反応だった。
 薬の影響でまだ焦点が定まりきっていない目をこらして、ミツ・ハは徹雄を見上げる。
「ほかに何があるのねん?」
 反応したのは白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)だった。
「まったく肝の据わった女だぜ」
 愉快そうにクッと笑って、椅子の座面に片足を引き上げ腕をかける。
「よぉ。何があったか覚えてるか?」
「タタリとかいう子どもが向かってきたとこまでねん。それでこうなってるってことは、喰われずにはすんだってことなのでしょうねん。……というか、アナタたち、ここで何してるのねん……」
 その問いかけを無視して、竜造は「よし」と言う。
「そこまで理解できてんなら話は早えぇ。あんたにちょっくら訊きたいことがある。あのガキ、タタリがほしがってたオキツなんたらっていうのは何だ?」
 重く鈍い頭でぼうっとしていたミツ・ハだったが、「オキツ」という言葉を聞いた瞬間、表情が冴えた。
 胸元に手をやり、そこにペンダントがないことに気づいて周囲を見渡す。それの価値を知るサク・ヤの采配か、オキツカガミはサイドテーブルの上に置かれた布の上に丁寧に乗せられていた。ミツ・ハはホッと息を吐き、それを取り上げると、まだ横にいた徹雄に押しつけた。
「つけてなのねん」
 このタイプの鎖では片手では無理だ。徹雄は言われるまま、ミツ・ハの首にそれを下げる。
「これがオキツカガミなのねん」
「は? あのガキの目的はその小っこいペンダントだったってことか?」
 てっきりあのときミツ・ハが使った、雷撃を生じさせる鉄扇のようなマジックアイテムか何かだと思っていた竜造は、見たところどこにでもあるような質素なただの丸い鏡にしか思えないことに鼻白む。
「オキツカガミは代々伝わる太守の証、と聞いてきたのねん。でも、あの様子だとそれだけではなさそうなのねん」
「ってことは、太守は全員それを持ってるってことか。
 殺された伍と壱もか?」
「壱、って……まさか、モノ・ヌシさまも殺されたっていうのねん!?」
「ああ、ずい分前にニュースで流れてた」
 驚愕するミツ・ハに、竜造はあごで向かい側の壁にあるキャビネットの立体投影装置を指した。中には水晶球が入っており、スイッチを入れるとそこから光が投射されて、30センチ四方ほどの範囲に立体的に映像が映し出される魔道具だ。どうやらこれが浮遊島群ではテレビのような役割をはたしているらしい。
「モノ・ヌシさままで……」無意識といった動作で、ミツ・ハは立てたひざを抱き寄せる。そしてヘッドボードに背中を押しつけた。「カガミを盗まれていると言ってたのねん?」
「いや。だが死体からは上半身がそっくりなくなっていたそうだ。まるで巨大な魔物に噛み切られたようにサックリってな。さすがに映像は流れちゃいなかったが……」
「そんなことが民間放送で流れていたの?」
「ああ」
「…………」
 それきり押し黙ったミツ・ハに、竜造は話を進める。
「この殺し方には覚えがあんだろ」
 意味ありげな言葉には、ミツ・ハは分厚くパッドと包帯の巻かれた自身の左腕を見て、ふんと鼻を鳴らした。
「コト・サカさま殺害とは方法が違うけど、敵は同じで、その目的はカガミだったと、アナタは言いたいのねん?」
「そうだ。違うってのか?」
 それはミツ・ハもタタリとの会話で直感したことだった。異論があるはずもない。
 彼女の沈黙を、竜造は同意ととった。
「で、あのタタリってヤツだが、どうやら正体はオオワタツミって龍らしいぜ」
「オオワタツミ……!」
 まさかこれ以上まだ驚くことがあろうとは。ミツ・ハは面をつくろうことも忘れて絶句してしまった。
「ここじゃあちょっと名の知れた魔物だそうじゃねーか」
「……そんな……オオワタツミが島に現れたなんて……。最後に目撃されたのは、数百年前――」
 いや、そうだろうか? そんな疑問が差し込んで、言葉は先細りになって消える。オオワタツミは巨大な龍。しかしあの少年のように姿を変化させることができるのなら、それと知らず目撃されていた可能性がないと言い切れるか?
「で、だ。うちの徹雄とヤンデレが意見を出した」
 ヤンデレと称されて、脇に控えていたアユナ・レッケス(あゆな・れっけす)がじーっと竜造を見つめる。しかし竜造はこれに全く気づいていない様子で徹雄を見ており、竜造の思わせぶりな視線を受けて徹雄が口を開いた。
「あのマガツヒという白い影とヤタガラスという黒い影は、何かを媒体としてつくられた魔術的存在だろうっていうのが俺たちの見立てだ。
 やつらがこの島特有の法術で生まれた存在なら、同じ法術で対抗できないかな? 仮にマガツヒに効かなくてもタタリには有効な手段がありそうな気がするけど?」
「……これは憶測ですが、マガツヒが法術の一種で、それ自体をどこかから召喚するのでなく【フールパペット】のように何かを媒体にするというのなら、その媒体を破壊すればいいのではないかと……」
 徹雄の発言を補うように、アユナが控えめに話し始める。
「そうでなくてはあれだけ攻撃を受けたのに次々再生してダメージゼロなんて、ズルいです。
 ただ、媒介を使って使役となると、その媒介になる物を持ってるはずなんですが、タタリという子が何か持ってたように思えなくて……」
「アタシは法術にそんなに詳しいわけじゃないけど、あれがオオワタツミなら、その媒体はたぶん、鱗(うろこ)の下にあるのねん。オオワタツミの鱗の1枚1枚にはやつに殺された人々の顔が怨霊となって浮かび上がっていて、怨嗟の声を上げているって言い伝えなのねん」
「……グロいです」
 その様子を想像したのか、ぽつっとアユナがこぼす。
「オオワタツミに関しては情報が少なすぎるのねん。相対して生き残れた者はなく、目撃しただけでも無事ですまないって言われていて……。秋津洲伝承以外は、そのわずかな目撃談が書き残されてるだけなのねん。
 肆ノ島に伝わる魔物避けの粉……ほら、アナタたちが地上から上がってくるときに船が使用してたやつ。あれは7000年前の戦いでオオワタツミの体からこぼれ落ちた鱗と言われているのねん。雲海の魔物に対して一番効果的な物だということだけど、オオワタツミ本人に効くとは思えないのねん」
「そうか」
「法術については法術使いに訊くのがいいと思うけど……クク・ノ・チさまとか」
 ミツ・ハは考えに気をとられ、つい口にしてしまったといったふうに口に手をあてた。己の用いた言葉に苦笑するも、その笑みすらもすぐにゆがんで消えた。うつむくことで髪と肩を使い、竜造たちには表情を隠す。
 竜造から得た情報も加算して、ミツ・ハにはある程度今度の襲撃のカラクリは読めていた。おそらくはそれが正しいのだということも。だが分からないことはまだあって、うかつに言葉にはできない。
(でも一体いつから……。
 さっきのことといい、これは一度検証する必要がありそうなのねん)
 それきり黙り込んでしまったミツ・ハに、彼女が意気消沈していると誤解したか、これだから女はとでも言いたげに竜造はため息をつく。
「まあいい。ないならないで、今度会ったらあの全身を覆ってる呪符でもぶった斬ればいいさ。どうやらやつは、あれが剥がれるのを嫌がっていたようだからな」
 不敵な笑みが浮かぶ。
「おまえだって女神か菩薩のような女でもなけりゃ、片腕食ったやつにはリベンジしてえだろ。となると、共同作業ってわけじゃねえが、今度会ったら一緒にぶっ殺そうぜ」
 ぶっそうなことを、まるで子どもがいたずらを計画するかのように話す竜造に、ミツ・ハはつい笑ってしまった。
「まあそうねん。参の女は、ベッドの外であれ中であれ、やられたらきっちり倍返しでやり返すのが流儀ねん。
 でも言っておくけど、そのチャンスがきたとして、アナタを待ってるつもりなんかないのねん。うかうかして、アタシにすること全部とられないように注意するのねん」
 だが徹雄は竜造やミツ・ハほど楽観的になれないようだった。ミツ・ハの左腕に険しい目を向ける。
「ここで何を言うのも自由だが、警戒だけは怠るなよ。今回は腕を少々なくす程度ですんだけど、それはたまたま運が良かっただけだ。今度同じようなことが起きても無事にすむとは限らない。命をなくしかねないんだ。それほどの相手だと認識はできたはずだ」
 くどくどと説教を始める徹雄に、とたんミツ・ハは唇をとがらせて不満を示す。
「案外つまんない男ねん」
「……は?」
 徹雄の横を抜けるように足を床に下ろし、立ち上がったミツ・ハはクローゼットへ向かう。案の定、部下かサク・ヤかは知らないが、愛用の長衣がそこにはかかってあった。そして足元にピンヒールを見つけてつっかけるとドアへ向かう。
 どう見ても用を足しに行くといった様子ではない。
「どこ行く気だ! おまえは安静にしていないといけない身なんだぞ!」
「おなか空いたし、さっきから外で面白そうな声がしているのねん。なんだったらアナタもついて来てもいいのねん。ただし、アタシの後ろをねん」
 今話したばかりだろう! とイラつく徹雄に、指でクイッとついてこいと合図をする。
「なんだと!?」
「アタシは男の後ろや横を歩く女じゃないのねん」
「おいこらゴージャス! ひとの話聞いてんのか!」
 ホホホホホ、と高笑いながら出て行くミツ・ハのあとを憤慨しながらも追う徹雄と、そんな徹雄にあきれつつ、ここにいてもしゃーないとぶらぶら部屋を出て行く竜造。いいようにあしらわれている感のある2人の姿に、アユナは肩を竦めてついて行った。




「騒々しいなあ」
 階段を駆け下りて行くミツ・ハや徹雄の足音を聞いて、1階のエン・ヤの寝室でセルマ・アリス(せるま・ありす)が眉をひそめた。
(この家には安静にしていないといけない人たちがいるっていうのに)
 たてている本人がその安静にしないといけないうちの1人だとは気づかず、とがめるような視線でドアを見つめるセルマに、エン・ヤはおかしそうにくすりと笑う。そのかすかな音でセルマは彼のことを思い出して、急いでひねっていた体を元に戻した。
「あ、すみません」
「いや。それより、きみたちもパーティーに参加してきていいんだよ? なにも、この年寄りの昔話につきあわなくてもね」
「いえ。俺からもちかけたことですから」
「そうかい?」
「はい」
 そう答えながらも、セルマはすでに自分が徒労をしていることに気づいて、内心あきらめが広がりつつあった。
 彼は肆ノ島で、外法使いを操りヤタガラスをつくらせようとしていたのが肆ノ島太守クク・ノ・チである、という情報を手にしていた。しかしそれを告白した直後、その外法使いは謎の仮面の女性――クイン・Eは彼女をツ・バキと呼んだが、それも確証はなく――の手によって殺害されてしまい、物的証拠はなくなった。
 もう少し周囲を警戒していれば接近に気づき、防げたかもしれなかったが……今となってはすべてあとのまつりだ。「たられば」でくよくよしても仕方がない。
 ならばとクク・ノ・チをよく知る人物として、同じ太守であるエン・ヤを頼ることにしたわけだが。
 考えてみれば、彼は5年前、モノ・ヌシを介してヒボコノカガミを担保にクク・ノ・チから融資をとりつけてもらっていたのだ。カガミは太守の証。そんな大切な物を渡すほど信頼していた相手だ、その口から悪い話が聞けるはずもない。
 案の定
「太守としてとてもすばらしい御方だと聞き及んでいますが、同じ太守の立場であるエン・ヤさまから見て、クク・ノ・チさまはどのような方でしょうか?」
 とのセルマの質問に返ってきた返答はこのようなものだった。
「とてもいい方だね。5年前、チル・ヤの治療に大金が必要で――もちろんその甲斐はなかったのだけれど、あのときはそれ以外ないと思いつめていたから――しかし体も思うように動かせないでくよくよと考えているだけだったわたしに、「そんなことでは体によくない。病は気からと言う。治るものも治らないだろう」と、いたく同情してくれて、お金を貸してくれたんだよ。返さなくていいと言ったけれど、それではわたしの気が治まらないだろうということも知っていて、カガミを担保にしてくれたんだ。無期限で、利子もなく、返済はいつでもいい、と……。
 あの子は幼いころから同じ歳の子どもよりはるかに利発で、前の太守の自慢の息子で。彼はいつもどんなに息子が優秀かを得意げに話していたよ。法術使いとして常に研鑽を怠らず、決して驕ることなく、民への思いやり深く、信義に厚い……。思っていたとおりの良い太守になった。亡くなった彼も満足だろう。
 彼が肆ノ島の太守になることは肆ノ島のみならず浮遊島群にとっても良いことだと、モノ・ヌシやコト・サカさまともよく話していた」
「なぜです?」
「位置的に、肆ノ島は浮遊島群の中心にあるから。肆を通らねば、物流にしろ、情報にしろ、伍へ行くことも、伍の事を知ることもできないからね」
「でも、伍の方が上なんですね?」
 クク・ノ・チ、モノ・ヌシ、コト・サカさま……。
 話し方にひっかかりを覚えて、セルマは重ねて訊く。エン・ヤは質問の意図が分からずとまどった顔をしながらも答えた。
「それは……伍にはスサ・ノ・オさま直系のコト・サカさまがいらっしゃったし、イザナミ様の風の神殿があった場所でもあるしね。わたしたち浮遊島群の者にとって、伍は特別な島なんだよ」
 そこでいったん言葉を切り、今度はエン・ヤが質問をした。
「でも、どうしてそんなにクク・ノ・チのことを知りたがるんだい?」
「あ、えーと……」
「昼間、肆ノ島へ観光に行って来たのですが、そこで知りあった方からクク・ノ・チさまの人となりを聞く機会がありまして。ちょっと興味が沸いたものですから」
 返答に詰まっているセルマを見て、リンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)がフォローを入れた。
「太守としてとてもすばらしい御方だと聞き及んでいますが、同じ太守の立場であるエン・ヤさまから見て、クク・ノ・チさまはどのような方なのでしょう、と思ったのです」
「ああなるほど。島民たちは、自分の島の太守を誇りに思う気持ちが少なからずあるからね。特に肆と参はその傾向が強い。なにしろ、彼らはとてもカリスマ性があるから」
 納得してうなずくエン・ヤに、すかさず中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう)が話を振った。
「そういえば、クク・ノ・チさまって婚約者がいるって聞いたんだけど。でもクク・ノ・チさまって、ミツ・ハさんと恋人同士じゃないの?」
「シャオ、失礼だろ。そんな根も葉もないうわさをエン・ヤさんの耳に入れるなんて」
「だってー、あの船でのやりとりが、なんだかそういうふうに見えたんだもの」
 たしなめようとするセルマに、唇をとがらせて不満をぼやく。まるで恋バナ好きな若い娘のように。
 エン・ヤはくすりと笑い、「かまわないよ」ととりなすようにセルマに笑んだ。
「たしかにクク・ノ・チには婚約者がいたけれど、たしかかなり昔に亡くなっていたはずだよ。それに、その前に婚約は向こうからの申し出で解消されていたと思うね。たしか……名前は、ツ・バキといったか」
「へーっ。あのクク・ノ・チさまが振られたんだ!
 ねっ? エン・ヤさまは彼女に会ったことあるの? どんな人?」
 いきいきと表情を輝かせて椅子から身を乗り出してくるシャオに苦笑しつつ、エン・ヤは昔を振り返るようにあごに手をあてた。
「……さあて。見知ってはいるけれど、あまり顔を合わせたことがなくてね。最後に会ったのは彼女が12〜13歳のころだったかと。
 ただ、上流階級の女性にはめずらしく、かなり勇ましい娘さんだったとは聞いてるね。若い娘が女だてらに船を駆って、密漁船退治に夢中だと、ハ・バキさんが嘆いているのを1度パーティーで目にしたことがある。まるで参の女傭兵顔負けだと」
「うわあ、そんなすごい人だったんだ」
「ああ、そうそう。今思い出したけれど、並々ならぬ法術師たちの参加する御前試合で、クク・ノ・チを破って優勝したこともあるとか。子どものころの話だけどね。そのときばかりはハ・バキさんは生きた心地がしなかったと言っていたよ。しかしそれが縁で2人は婚約をするに至ったんだから、物事はどう転ぶか分からないものだね」


「……どうだった?」
 退室してから、セルマはシャオに訊いた。
「嘘感知に反応はなかったわ。彼は本当のことを言ってるか、本気でそう思ってるのね」
「やはり信頼していらっしゃって、彼に裏の考えがあるとは考えてもみないのでしょう。10年間床についていらしていたことからも、今浮遊島群で何が起きているか把握しきれていないようですし、そのことに危機感を持っているようにも見えません。
 彼はもう気持ちの上ではほとんどサク・ヤさんに代をゆずっているつもりなのかと」
「うん。俺もそう思った」
 リンゼイの見解を聞きいて意見の統合を図りつつ廊下を歩く。
(それにしても、あそこにいる人はだれだったんだろう。気配を殺してなかったし、殺気もなかったから悪事をたくらんでるわけじゃないと思って気づかないフリしてたけど……)



 彼らの足音が遠ざかって聞こえなくなるのを待ってから、エン・ヤはベッドの反対側にある窓の方へ目を向けた。
「そんな所で遠慮したりせず、きみも入ってくればよかったのに」
「べつに遠慮していたわけでは。知らない者がそばにいると彼らも緊張してうまく話せないでしょうし、ここで十分ですから」
 窓の向こう側、壁にもたれて空を仰ぎ見ながら高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)は答える。
「そうかい? でももう彼らはいなくなったから、入ってきていいんだよ」
「……失礼します」
 ここで断ると気を悪くして口が重くなるかもしれない。玄秀は窓を越え、部屋のなかに着地した。
「きみもクク・ノ・チについて訊きたいことでもあるの?」
「なぜです?」
「いや、そんな気がしただけだよ」
 にこにこと笑うエン・ヤにしらけたものを感じないではなかったが、表にはそうと出さず、玄秀は今度は内側の壁に背中を預けた。何事かあれば、いつでも外へ出られるように。
「彼については先の話で知ることができました。
 それより僕は、この地方に伝わる特色のある魔術について聞かせていただけたらと思いまして」
「特色ある魔術?」
「はい。たとえばあなたのご病気ですが、あれは呪詛によるものでした」
「呪詛!」
 彼から聞かされた事実に、エン・ヤは本当に驚いているようだった。
「そうです。もっとも、すでに呪詛本体は消失し、あなたに影響していたのはその残滓、影のようなものでしたが。
 あなたが快復しているのは薬が効いたからではなく、それを無効にしたからです」
 彼に術がかけられたのは10年前。雲海の魔物の襲撃があったときだ。
(あれもおそらく、計画の一部だったのだろうが……)
 計画が完了したのはおそらく5年前、との見当はついていた。5年前、神器ヒボコノカガミが島から離れたところまで分かっている。国家神アマテラスがオオワタツミを封じていたマジックアイテムだ、それを持っていたからこそ呪詛を弱められていたのだろうし、呪詛がかけられた目的もそれだったに違いない。
 クク・ノ・チは弐ノ島太守家を窮地に陥れ、ヒボコノカガミを自ら手放させることに成功した。それは分かった。
 だが今玄秀が知りたいのは、それを為せるほどの術師がクク・ノ・チ以外にクク・ノ・チの周辺にいるかどうかだった。
 クク・ノ・チについては船上から遠目に見ただけだ。あの仮面の男がクク・ノ・チかどうか確証はなく、敵を見誤るわけにはいかない。
「神器ヒボコノカガミの守護を抜けて、あなたに呪詛を仕掛けられる術師に心当たりはありますか?」
「守護?」
「神器があなたを守って呪詛を弱めていたからこそ、あなたは10年前に亡くならずにすんだんですよ」
「と言われても……」
 エン・ヤはただただとまどっている様子で言いよどむ。
「あれは太守の証として代々伝わってきているだけで、それ以外の何か力があるなんて、今初めて知ったよ。それは本当なのかい?」
「……ええ」
(チッ、またはずれか)
 もやもやと黒いいらだちが胸にたまり始めたのを感じて、視線を床に落とす。
 考えてみれば、彼がその効力を知っていたなら手放すはずがないのだ。あれはオオワタツミを――ひいては彼が眷属の魔物を操る魔力を――抑えて、この島を魔物たちの襲撃から守っていた。世界樹の守護の薄いこの地であれを手放すのはほとんど命取りも同然。息子の延命のためとはいえ、全島民の命を引き換えにするような、そんな行為がこの男にできるはずもなかった。もし仮にそうしていたとして、正気を取り戻した今、こんなふうにのほほんとしていられるような者でもないだろう。
「お疲れのようですね。顔色も悪い。パーティーに参加されるのでしょう? それまで少し休まれるとよいでしょう」
「ああ、ありがとう」
「では」
 これ以上は何も出てこなさそうだと見切りをつけて、玄秀はその場を辞した。