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願いが架ける天の川

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願いが架ける天の川

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第2章 願い事はひとつだけ?


「ヴァイシャリーにそんな逸話があったとは知りませんでしたね」
 橘 舞(たちばな・まい)がそんなことを言ったので。
「いや、舞、ボブのあれは作り話だからね」
 ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)は守護天使から聞いた嘘話を話題にする舞に、柔らかく突っ込んだ。
 二人は、笹飾りの前にいた。丁寧に作った「網」や「ちょうちん」や、その他諸々の飾りを手分けして吊るして、笹を賑やかにしている。
「って、さっきの話、ボブさんの創作だったのですか? よく出来た話なので、本当の話かと……」
「――普段通り舞さんは純粋ですわね」
 後ろからアナスタシアの声がして振り向くと、こちらも普段通り両手を腰に当てた偉そうな生徒会長が立っていた。
「なんだ、いたの」
「……いたの、とは失礼ですわね。イベントの進行が滞りなく行われてますから、願い事を書きに来ましたのよ」
「あら、暇なの?」
「今日は生徒会の仕事が少ないものですから」
 ホスト側の仕事と言えば、茶をお出しとその片付け、それに肝試し(守護天使が企画者で大部分を任せていた)と万が一迷子が出ないように、と気に掛けるくらいだった。
 生徒会長としては万が一に備えて見回りだけすれば――つまり、暇だ。
「個人的にも、地球の日本の風習を体験したいと思いましたの。舞さんは日本の方ですわよね? 作法を教えてくださらない?」
「そうですね、ブリジット。今日は7月7日、七夕。私たちも短冊に願い事を書きましょう」
「……七夕、ねぇ」
 乗り気の舞と対照的に、ブリジットは難しい顔をした。
「毎回思うけど、私は神頼みって好きじゃないのよね。笹に願い事書いて成就を願うぐらいなら、実現に行動を起こすべきだと思うわけよ」
 いつも通り発想が現実的だな、と舞は思った。日本人は、割と気軽に神社で神頼みする。
「確かに短冊に願いを書くだけでは何も変わらないのかもしれません。でも……想いを文字にするということには、神頼み以外の意味もちゃんとあると思うんですよ」
「……まぁいいわ。じゃ、とりあえず私は――」
 ブリジットはさらさらと、『ヴァイシャリーの景気がよくなりますように』と短冊に記した。
 景気がそんなに悪かったっけ、と視線を合わせる舞とアナスタシアに、ブリジットは付け加える。
「いや、今でも悪い訳じゃないけど、好景気になれば、庶民の財布の紐も緩んで、商家は潤うじゃない。舞は?」
「私ですか? 私の願い事はこれ、『世界が平和でありますように』」
 舞は控えめに微笑むと、短冊を二人に見せる。
「舞は……去年も同じこと書いてなかった?」
「確かに去年と同じですけど、何事も平和な世界があってのことですよ」
「まぁ、変えないといけない理由はないけどね。 で、百合園の生徒会長様は何を願われたのかしら? どれ、道に迷いませんように、とか?」
 ブリジットは、最後に短冊を書き終えたアナスタシアの手元を横から覗き込もうとした。
 ――が。
「そ、そんな願い事ではありませんわ! 生徒会長として恥ずかしい願い事をするわけにはまいりませんわ」
 彼女はブリジットにくるりと背を向ける。どうせ吊るせば皆に見られるというのに。
 ……というより、ブリジットにだから見られたくないのだろう。顔に、からかってやろうかと書いてあるように見えたのだ。
「舞みたいなこと書いてたら笑うしか無いけど……」
「ブリジットさん、それは舞さんに……いえ、私に! 失礼ですわよ! 全く……」
「いいじゃない、減るものじゃなし」
 ブリジットはちょっと強引に短冊を覗き込もうとする。
 アナスタシアはあからさまに嫌そうな顔をしたが、舞が私も見てみたいです、と興味深く見ているので、散々渋った挙句、顔を逸らして突き出した。
「……これ……ですわ。絶っ対に、笑わないでください」
 しかし。手でブリジットの視界から塞いでいる。往生際が悪い。
「何よ、この手は」
「……もう少しですわ。……はい、宜しいですわよ」
 短冊を読んで舞の表情を見て笑われないと(おかしなことを書いていないと)確信で来てから、やっとアナスタシアは手を除けた。
 そこには、『エリュシオンとシャンバラの間で争いが起こりませんように』と、書いてあった。
 そして笑ったり皮肉を言うどころか、ブリジットはまた複雑な顔をした。
「……なんか不吉なんだけど……」
「それはそうかもしれませんけれど……。
 その……今の危機を、きっと皆が乗り越えてくださると、私も皆と乗り越えられると、信じてますわ。けれど人の世に争いはつきもの……以前のように、また争いによって得をする方がいる限りなくならないと思いますの」
 アナスタシアは短冊を持つ手を引っ込めると、笹に吊るしてしまった。
「近い将来、エリュシオンに住むことがあっても、いつでもヴァイシャリーと愛すべき学び舎に帰ってきたいと思いますもの。いつでも学生時代を思い出して、いつでも皆さんにお会いできるように……」
 それに卒業してもしばらくはシャンバラにいると思うけれど……と、彼女は付け加えた。
「今実家に戻ったら、きっとあの広いだけの屋敷の中に閉じ込められて、白だか黒だかのお髭の紳士の写真を見る仕事が待ってるに違いありませんわ」
 三人が短冊を並べて吊るし終えたところで、カメラを持った琴理がやって来た。
「……あ、会長。会場の写真を撮ってるので、こちらにご一緒に向いてください」
「写真?」
「ええ、三人とももっと近寄ってください。今日ここに来られなかったお二人に、後で見せて差し上げたいんです」
 校長・桜井 静香(さくらい・しずか)ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)。吊るされた短冊を見ると、成程、二人の無事が多く願われていた。
 三人は写真に収まると、二人の分まで星を見に歩き出した。



「――あれ、どうしたんですか?」
 笠置 生駒(かさぎ・いこま)は、ベンチに座って頭を抱えている守護天使を見付けて、声を掛けた。
 弾かれたように顔を上げた守護天使は、ちょっと見ない合間にやつれていた。
 表情こそほっとしたように笑ってくれた、が、笑いきれていない。
「ちょっと名状しがたいオバケを垣間見たよーな気がしまして。……でも、良かったです、生駒さんで」
 生駒が全く持って安全、という意味ではない――生駒の爆発に巻き込まれたことはある、が、彼女が“意図して”攻撃しないことは解っていたからだ。
 蛇の目を思い出してぶるっと震える。
 生駒はちょっと守護天使の様子が気になりつつ、当たり障りのない会話を続けた。
「願い事はもう書きましたか?」
「いえ、それどころじゃなくて」
「だったら一緒に行きましょうよ」
 しかし守護天使の様子がおかしい一方で、生駒もまた様子がおかしかったのだ。
 細かいことにこだわらない飄々とした感じも、あっけらかんとした明るさもなく、悪戯がでてきそうな地味なびっくり箱といった雰囲気もなく――珍しくしんみりしていた。
「どうしたんですか? もしや肝試しで何か見たんじゃ……」
 自分から誘っておいて、黙っている生駒。守護天使も心配になって口を開きかけた時、彼女はすごい勢いで振り向いた。
「聞いたんですけど、アルカディアさんて色々不遇だったんですね」
 憐れみに満ちた目は涙を浮かべていておかしくない表情で、胸の前で両手をしっかり組み合わせている。雨の日の捨て猫を見ているような、そんな顔だった。
「きっと最初のころはいつ存在を『無かったこと』にされる恐怖に怯えて……」
 一方で守護天使は、生駒のメタ発言に、さっきまでの恐怖はすっかり忘れて不思議そうな顔をした。
「あー。幼児の頃買い物に付いてってって忘れられたりしたら、大変だったかもしれませんね。覚えてないですけど……」
 不審な会話を交わしつつ短冊のテーブルに辿り着くと、色とりどりの星の中からひとつ選び終えた生駒は、今まで見た事が無い程真剣に、丁寧に、願い事を書いていく。
 最初に書きあげたのは、密かに? 無言で二人の後を付いてきた生駒のパートナーシーニー・ポータートル(しーにー・ぽーたーとる)だった。
 『自称小麦粉が合法化されますように、ついでに世の中が酔っ払いにもっと優しく』。
「……」
「整備に疲れた時に使うと疲れが吹きとぶんや……」
 酔ったような顔つきで、酒臭い息を吐きながらにやりと笑い、シーニーは胡乱な願い事を笹に結び付ける。
「……パ、パラ実でしたら合法だと思いますよ」
 次に生駒が書き終えた短冊には、『アルカディア・ヴェラニディアさんの名前がガイドに出ますように』とあった。
「意味がよく解らないですけど」
「データ化はもう無理っぽいしね……」
 守護天使のツッコミを受けると、生駒は遠い所を眺めながらさらに意味不明のことを呟く。
「データ化? ま、まさか僕をナノマシンか何か改造するつもりなんですか?
 ……あ! そ、そういえばさっきも名前を呼んでもらってましたね! すごいですね! そんなに記憶がいいなんてきっと出世しますよ!!」
「アルカディアさんは何を書いたんですか?」
「……えーと、僕は『一人前の男になれますように』」
 ドヤ顔で短冊を突き出す守護天使。首を傾げる生駒。
「一人前って何ですか?」
「自立していて、格好良くて、気遣いができて、金持ちで、仕事ができて、女の子にもモテる男です」
 ……難しいんじゃないかな。生駒はそう思ったが、口にはしなかった。
「あぁ、じゃあとりあえずお茶にしましょうか。三人分貰ってきますから、生駒さんはお菓子を――」


 生駒たちが百合園生たちからお茶とお菓子を貰おうと歩き出した頃。
 会場には、百合園の企画とは別に新しく一つの屋台が出来上がっていた。
 結構本格的なエアガンの乗った台。その向こうに距離を置いて、段差のついた棚があり、上にぬいぐるみや置物、武器に鎧に小物類……。珍しかったり魔法的な香りを漂わせるデザインのグッズ。統一性がないそれらの景品は、店主が学生時代に冒険でトレジャーハントして不要になった品々――といっても、熟練契約者の不要品は一般人にとっては珍しかったりすごかったりするのだが。
 店主の円・シャウラ(まどか・しゃうら)は、通りかかる生徒たちに声を掛けている。
「ただで撃ってもいいよ、エアガンに興味持って貰いたいって意図もあるし。もちろん、景品も当てたらあげるよ」
 テキ屋ごっこ……にしてはかなり本格的な屋台を、イベント参加者たちはちらりと見るものの、通り過ぎて笹の方に向かっていったり、二人の世界に入ったりしている。覗いて撃っていく客はいるが、まだ少ない。
(結構かさばるから帰りにやっていく学生達が多い気がする。遅くまでやらなきゃかなー?)
 ロマンチックなカップルもいるし。夢中になってる間は景色見てなさそうだな。お嬢様たちにはエアガンって重い?
 あそこにも男女が……カップル? いや、違う違う、そんな風には見えない二人と一人が。
「おう、ボブじゃないか!」
 守護天使を呼び止めると、彼は情けなさそうな声で
「ボブじゃないですって……」と言ったが、
「どうだい、今日の調子は?」
 聞いてない。
「そうですね……友情って素晴らしいです」
 守護天使も、答えになってない。
「ボクの相方は今日仕事で来れないからさ。家のお店の宣伝もかねて、エアガンを扱わせてみたり、装備のお古を学生に装備をばら撒いてみようとね」
「仕事……家のお店? あ、卒業されたんですね。おめでとうございます」
「おうよ、ありがとな!」
 相変わらずのちんまりとした姿からは想像できないが、もう日本人としても成人してる、ハタチの百合園おーびーである。
「家の仕事ってのはサバゲーショップなんだけどさ、母校の星を見る会、社会人としてOBとして盛り上げようと思ってね。
 ボブたちもやってきなよ、景品付きだよ」
「掘り出し物ですね、おおっ、これで僕も一気に冒険者っぽく強そうに見えますね! こんな装備が似合う一人前の男になれるといいなぁ……っていうかこれがあればさっきのお化け退治に行けそうですよ。
 そうそう、そちらはもう願い事はされたんですか?」
「願い事かー。もう、沢山の事かなっちゃったからなー」
 円は感慨深そうに言った。
 今の自分は、なんだかんだ、幸せだと思う。今までの願いがかなったせいかもしれないが、頭をひねってもこれといった願い事が思い浮かばない。
「社会人になって枯れてしまったのかボクは……」
「じゃあ、僕の分の願い事をもうひとつ……」
「まぁいいや、ボブ、これ頼んだよ!」
「……はい」
 守護天使は、お使い頼まれた犬みたいな表情をした。
 彼の手に渡した短冊には、『関わった人達が、無事に今年も過ごせますように』と書いてあった。


 ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)は、短冊を願いと一緒に結びつける。
 皆の願いで飾られた笹は大分立派になっていた。笹の葉がしなだれて、少し重そうだ。
『皆が笑顔で日常を過ごせますように』
 ただ、そのためには神様に押しつけるだけじゃなくて。自分自身も全力を出して、悔いの無いように頑張る……。
 笹を離れて夜の丘を散策をしながら、そんなことを考える。
 ――と、丘の中で最も明るい場所に店のようなものが立っている。何だろうと足を向けると、そこに友人の姿を見つけた。
「何かあると思ったら、円さんが店長だったんですね」
「あっ、ロザリンもやってくかい?」
「あの円さんが店長になるとか、時の流れは凄いですねー」
 さらっと言いながらエアガンを手に取って眺める。しかし本当に……五年とは長い月日だった。
(私もパラミタに来る前と今ではずいぶん変わっているでしょうか)
 ……少なくとも、ここで様々な出会いがあって、様々な出来事があって……大切な友人たちを得た。それから勿論五年の間に齢も取ってるわけで……。
「さて、たまには童心に帰って遊んでみましょうか」
 と、無邪気に言いながら、ロザリンドは弾とガス圧チェックする。
「……童心?」
 どこにガス圧をチェックするこどもがいるんだ、紛争地域出身か。
「童心ですよー」
 ロザリンドはさらに試し撃ちをする。
「やや右上にブレますね……。……景品は、あれがいいでしょうか」
 ロザリンドはけれど、可愛いペンギンのぬいぐるみに銃口を定めつつ……考えつつ、思い起こす。願いを。
(校長は今体調も状況も悪い状態。一緒に来ることはできませんでしたけど……苦しい事も辛い事も、後になってそんな事があったねと過去のこととして語り合えるように。
 これから先悔いの無いように)
 そのためには……。
(まずは今の状況も全力を出して対処しませんと)
「加減してねー。……いやまじで、なんでそんなに眼が怖いの?」
 “狩猟のたしなみ”のあるロザリンドは、“エイミング”で十分に目標を定めつつ、“スナイプ”で、一番ダメージを受けそうな部位を――ペンギンの丸い頭部を狙う。
「さあ、本気で行きますよ! あ、円さん。景品の底に重り付けたり台に固定してるの反則ですからね」
「そんなことしてないよ! って、えっ、嘘でしょ、空気を……エイミングはやめろ! やめろー!」
 円は、童心(真剣)なロザリンドに慄いた。しかし十分集中したロザリンドには円の言葉が遠く聞こえる。彼女は慎重にトリガーを引き絞り――ガス音と共に、ぽん! と頭部を吹き飛ばされたペンギンが棚の上から転がっていった。
 円は地面に落ちるまでにペンギンをキャッチする。
「ど、どうぞロザリン。……これ、あげる」
「あ、これって一回じゃないですよね? 試させてください。余計な景品はお返ししますので。あと、別の銃も使っていいですか? どんな武器を使ってもベストを尽くしませんと」
 何故か本気になったロザリンドは次々に景品を打ち抜いていき……、商売あがったりだー、と頭を抱える円なのだった。