天御柱学院へ

蒼空学園

校長室

イルミンスール魔法学校へ

続・夢幻図書館のお仕事

リアクション公開中!

続・夢幻図書館のお仕事

リアクション

第6章 鏡は置かれた、蟲は走る


 計4枚の鏡が、契約者たちによって、禁帯出書庫付近に設置された。
 いずれも、周辺の動線を計算し、書庫に近づく者がもっとも確実に目にする可能性の高い場所を割り出して選ばれた設置個所だ。
 そして、鏡面を覆っていた布が取り払われた。
 薄暗い書庫の、本が並ぶ書棚を、真新しい鏡面は映し出している。
 しかし、結界の力を反映し始めたこの鏡をもう、人は迂闊に覗き込んではいけない。


「あっ、あれは」
 蟲が憑いたかもしれない本の検査を続けていた弥十郎と八雲だが、ふと、すぐそばを通っていこうとする影を見た。それはゼンだった。
 陽一と一緒に書庫に入った後、しかしパレットに呼ばれていって『蟲の巣』になっているらしい事典を見つけて庭園に持ち帰り、処置を済ませて再び書庫に入ってきたところだった。
「彼に、さっきの蟲のアイデアの話、してみたらどうだ? 蟲に詳しいって話だし」
 八雲が弥十郎に言った。その八雲の手元では、珠ちゃんが、弥十郎がピックアップした憑かれている可能性のある本をせっせと開いてチェックしている。
「そうだねぇ」
 そこで、弥十郎はゼンに声をかけて引き留めた。
「……ふーん。変わったこと考えるんだね」
 虫はただ単に捕まえて集めるのが好きなだけで、それ以上のことをしたことのないゼンにしてみると、エキス抽出を試してみたいという弥十郎の意見は突飛なものに思えるらしかった。
「ワタシの仮説が正しければ、お酒で抽出できたエキスを体につけると、ある種の香水みたいな感じになると思うんですよ。すごーく需要なさそうですけどねぇ」
「へー」
「あ、でも、重要な本を隠すのなら需要がありそうですねぇ。全く関係ない香り(かな?)がついてると、その本だって思わないでしょうから」
「あーなるほどー」
 ぽかーんとしていたが、ぽかーんなりに話は飲み込んだようである。
「試してみたことがないから、蟲からエキスが出るのかは分からないんだ。面白いなぁって思うけど……
 でもそれって、すぐに出来る事なの? ここで」
「あぁ……それは、エキス抽出には時間かかるでしょうし、ここでは準備がすぐには揃わないですねぇ」
「だったらさ、」
「うわあああぁぁぁぁっ!!」
 突然頓狂な悲鳴が、ゼンの言葉を遮った。
「兄さん?」
 絶叫の主は八雲だった。震える手で、開いた本を2人に差し出す。
「ちょっと目を離している間に、珠ちゃんが……引き込まれた……!」
 開かれた頁は、ある古代の王家を巡る陰謀の記録が詳細に書かれているようだった。だが、一同が見ているうちに、その文面が変化していく。

“――この時王家は畢竟珠ちゃんであり、二心抱く宰相が付け入る隙はまさしく珠ちゃんにあったとされる。
 しかしながらこの謀反計画における最大の誤算は珠ちゃんであった。時代が正に珠ちゃんであったことを鑑みると……(略)
 この時市街戦の舞台となった珠ちゃんの地では、過去の『珠ちゃん百年戦役』における最大の功労者であった『珠ちゃん義勇軍』の指揮官である……(略)”

「うわぁ珠ちゃんだらけだ」
 ゼンが目を丸くする。
 珠ちゃんをそもそも式神化して使役している八雲が、殊の外大事に思っているその珠ちゃんの危機に取り乱して「珠ちゃん、あぁ…珠ちゃん」とぶつぶつ呟きながら狼狽えているために、その乱れた心の内にひたすら浮かぶ「珠ちゃん」の言葉を反映して、珠ちゃんの意識もまた「珠ちゃん」でいっぱいになっていくのだ。それで、文面がこのように変わったのであった。
 放っておけば文中の珠ちゃんはさらに増加しそうな勢いである。八雲の取り乱しように軽く引いていた表情のゼンだったが、すぐに我に返った。
「大丈夫だよ、この程度の蟲なら、すぐに」
 そう言って、自分の唇に手を当て、何か呟いた。秘密の呪文の、その言葉を針に変えて、
「えいっ」
 ページの真ん中に向かって投げ矢をするように投げた。針は紙の上ですっと消えた。
 突然、紙面の上の文字の羅列が歪んだ。そしてできた空白から、珠ちゃんがぴょんっと飛び出してきた。
「珠ちゃんっっっ」
 戻ってきた珠ちゃんに狂喜して、受け止めようと八雲が両手を差し出したので、持っていた本が開いたままぼとりと落ちた。そのページから、ずるり、と体を起こして出てきたのは、例の黒い蜘蛛に似た蟲だ。かなり大きい。それが、床に逃れ出ると、てけてけと走り出した。
「待てっ」
 ゼンが追って走り出した。



 八雲が騒いでいた場所から少し離れた所で、ロープで胴同士を結んで北都とソーマが作業していた。
 北都は『超感覚』で蟲の気配にいち早く感付けるようにしながら、怪しい書物がないか、本を手に取って確認している。今のところ、人を吸い込んだような書物はさなそうだ。
「あれ、こいつ」
 ソーマが手に取って気付いたのは、いつぞや回復してやった書物だった。
「おや、あんたかい」
 書の方も覚えていたようだ。
 回復してやった時変な声を出していたのが気持ち悪かったので、ソーマの記憶の中に微妙な印象で留まっていた。
「こいつは虫干し必要ないか」
 ぽいっと……ではないが素っ気ない元の位置に戻そうとしたソーマに、
「おいおい、そんなに邪険にすることはなかろうが!」
 ぶーぶー言い出す書物。
「蟲がいたらどうする!?」
 蟲に憑かれても自覚症状が出ないという話は書物にも伝わっているようだ。密かに怯える書物も出ているらしい。
 仕方ない、運んでやるか、と折れてやってしまうのは、本というものを嫌いに性質のためだろうか。台車に乗せながらソーマは、
「その代わり、表情や態度に変化が起きたやつの情報あったら教えろよ。
 お前も、同じ図書館に居る仲間が蟲に取り付かれるの嫌だろ?」
 と言うと、書物は、一泊置いておもむろに答えた。
「その情報も重要かもしれんが、もっと重要な情報がお前さんの後ろに」
 その言葉と、北都の超感覚がそれを察知したのはほぼ同時。
 振り向くと、2人を結ぶロープの上に黒い蜘蛛――いや、本の『蟲』だ。
「――!」
 ロープの上を、細い脚でカサ…カサ…と動く様子は、本当に蜘蛛のようだ。
 それが本に向かって来ないよう、北都は咄嗟に【ルーンの魔除け】で自分の背後の書棚に結界を張る。……虫が苦手なせいかちょっと腰が引けてしまう。
 蟲は北都の方に行きかけているように見えたが、魔よけの魔力に気付いたのか、押されるように長い脚の動きを止めた。
 そうでなくとも、虫というものは次のどう動くのか、人の目には計りにくいところがある。ロープを弾いてやったら落ちて別の場所に行くかもしれないが、別の場所で本に取り憑くだろう。どうするのが最善かと迷うのも含めて、妙に緊迫した間があった。
「ぅりゃあぁぁーっ!!」
 突然、声と影が一緒に飛び込んできて、次の瞬間、北都とソーマはぐいっと同時に引っ張られた。その飛び込んできた何かが、2人の間のロープに思いっきり引っかかったのだ。その満身の力でよろめいてしまった。北都は尻餅をついた。飛び込んできたのはゼンだった。
「ぐぁっ! 何なんだ!!」
 ソーマが怒鳴ったが、ロープに引っかかってつんのめって転がったゼンの手には、しっかりとあの蟲があった。蟲を追ってきた魔道書は、ロープの上に止まって静止した蟲を捕まえる一瞬のチャンスにかけて、周りも見ずに飛び込んだらしかった。
「やった!」
 歓喜の叫びをあげて、蟲を両手で覆うように捕まえたまま、ゼンは立ち上がった。が、すぐに、自分を見ているソーマと北都に気付いた。
「全く何考えてんだ。……北都、大丈夫か!?」
「尻餅ついただけだよ、怪我はしてない」
「……ごめんなさい」
 ゼンは素直にぺこりと頭を下げて謝った。
「大丈夫。蟲を捕獲出来てよかったよ。次は周りをちゃんと見て走ろうね」
 寛容に言って、北都は立ち上がった。
「はい。……これ、欲しい?」
 いきなりそんなことを言って、ゼンは蟲を閉じ込めた両手を2人の方に差し出した。吃驚して北都は後ずさって首を振り、ソーマはイラついたように声を荒げた。
「いるか、そんなもん!!」
「だよね。じゃあ、これは……」
 ぶつぶつ言いながら、ゼンは一度辺りを見回すと、再び北都達に頭を下げて、それから元来た方向に走り去った。
「やぁ、大変だったの」
 先程の書物が労うように言ったが、ちょっと面白がっている響きがなくもなかった。ソーマはそれに気付いてキッと睨んだ。
「おーおーそのような怖い目をせんとも。
 ……様子のおかしい仲間のことは知らんが、特に噂のある場所なら聞いとるぞ。助けてやってくれるかの」
 その言葉に、北都とソーマは顔を見合わせた。

 その後、蔵書の間で「蟲の影を見た」という噂になっている書庫の一角を教えられ、2人はそこに向かい「自分に憑いていたら……」と怯える蔵書たちを山のように運び出すことになる。恐怖を抱いていたので本たちはみんな競うように空中庭園に行きたがった。
 結界にかけた結果、無事に1匹が発見、捕獲された。



 禁帯出書庫の周辺は、先程大勢のルカルカが歩き回っていた時とは打って変わって、静かなものだった。
 動線のデータからダリルが「最有力の位置」と割り出した場所の鏡は、ルカルカの【メイプルスペクトル】で鏡面の反射を紛らわせていた。そこで、ルカルカは鷹勢らと共に、不審者が近付くのを見張るため、近くの書棚の影に身を潜めた。
 同じく鏡の設置に携わったセレンフィリティとセレアナも、不審者が現れるかのもしれない可能性を考え、別の位置で身を潜めて様子を窺っている。

 ――それより少し前。
 パレットが、この書庫の近辺の書棚にある蔵書たちと話していたが、ふと振り返って鷹勢とルカルカに言ったのだった。
「ここの本がさっき、禁帯出書庫に“黒い虫”が入るのを見たって」
 何冊かが目撃したという。先刻、白颯が事典から追い立てたのの残党だろうか、と首を傾げる。
「白颯? 逃げたの気付いたかい?」
 鷹勢が尋ねても、白颯は否とも応とも応える様子はなく、ただ辺りの空気を探るように鼻を引くつかせている。
 しかし、巣になっていたくらいなのだから多くの蟲が潜んでいたのだろう。1匹2匹逃げ果せていてもおかしくはないし、用心するに越したことはない。
「でも、本当に『蟲』かどうか、本当に書庫に入ったのか、そこまでははっきり見えたわけじゃないとも言ってる」
 パレットはそう、聴き取って言い足した。
「俺が確認するよ。そのためにここまで来たんだ」
 先刻ゼンと一緒にここまで来た陽一がそう言って、禁帯出書庫に入っていった。
 蟲が憑いた本は危険なので、自分も一緒に行った方がいいのではないかとパレットは考えたが、一方で不審者の接近にも警戒が必要である。クラヴァートの話ではすでに何度も接近してきているという相手だから、追い払うだけではもうダメだろう。ある程度相手の素性を掴み、できればその目的を聞き出して機先を制し、危険な書を悪用しないよう釘を刺さなくてはならない。そのためには待ち伏せも重要な仕事であり、あまり書庫内の蟲探しで騒がしくして、不審者に警戒させ遠ざけてしまうと、こちらの目的は達成できないということも理解している。
 そのため、取り敢えず書庫には陽一ひとりが入ったが。
「もし何かあったら、お願いね」
 念のため、ルカルカは、書庫を取り囲む高い壁の上に配した『リーフィースカイドラゴン』たちに呼びかけた。



 一方、空中庭園。
 ナオは、再会した例の書物に、
「あの、いいですか? ……もし、嫌なら無理にとはお願いしませんけど……
 せっかく縁があったんだし、どんな本か読ませてもらっていいですか?」
 そう頼み込んでいた。
 本は、相変わらず小さな声で返事した。
「いいけど、分からないかもよ」
 それを聞いて、ナオはたじろいだ。
「え、難しい本……なんですか?」
 理解できるだろうか。そう思った時、横からノーンが言った。
「ナオ、無理に今すぐすべて読めなくてもいい」
 必要なら、簡単に説明してある本から入り知識を積み重ねていけばいい。
 一度に読めなくても時間をかけて理解しようとすれば、本だって嫌な顔はしないだろう――
 そういう思いで声をかけたのだった。
 どんな本でも一度読んですぐにすべて理解できる、そんな読書の達人ばかりが本を読むのではないのだから。
「……難しいんじゃなくて、訳が分からないんだ」
 ナオの気構えようを気の毒に思ったのか、本は言った。
「今まで読んだ人が皆そういうからそうなんだよ、きっと。慣れてる」
 その気遣いに背を押されるようにして、ナオがページを開くと、読めるところは短い詩のような文章が並んでいるようだった。
 但し、確かに分かりにくい。関連性のない単語を無遠慮に突き出して並べ立て、シュールな作文を仕立てた、という感じだ。
「予言書だよ。権力者に読まれないよう、暗号で分かりにくくしてあるんだ。
 でも、未来を呪った書だとも呼ばれた。
 分からないからどうとでも読める。憎んで読めば、嫌な内容に見えるのさ」
 何と言っていいかナオは分からず、内容とは違うことを質問してみた。
「ここに来てから、誰かに読まれたことはあるんですか?」
「……手に取られたことは何回か。たまに、僕の名前を知ってる人もいた」
「そうなんですか! 凄いですねぇ、そんな風に有名になっているなんて」
 知らない世界で、知っている名前の書物を見つけるってどんな気持ちだろう。ナオはそんなことを思った。
「その人たちには乱暴な事されてませんよね?」
「してない。みんな分かってる人達だ。でも……」
「でも?」
「僕が生まれたよりずっと後の時代の人たちだ。やっぱり……」
「やっぱり?」
「こうなってしまって、会いにきてほしい人って、変わらないもんだな、って思う」
「会いにきてほしい人?」 
 さっきからおうむ返し状態できょとんとしている様子のナオに、本は……表情も仕草も書物だから出ていないはずなのに、どこかはにかんでいるような様子をうかがわせていた。
「誰ですか……?」
 ナオは訊いた。訊いていいものなのかすぐには分からなかったが、何となくこの本も、誰か打ち明ける相手を欲しがっているようにも感じられたのだ。
「……笑わない?」
「笑わないです、絶対」