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続・夢幻図書館のお仕事

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第8章 その再会


 禁帯出書庫の周りは、静まり返っていた。
 設置された鏡には、布がかけられていた。
 忘れられて彷徨う亡霊のように、ぼろぼろの汚れたマントを着た男が、ゆっくりと歩いていく。
 足を引きずっているため、余計にその動きは緩慢である。
 男は誰にも逢うことなく、禁帯出書庫に入る。


 書棚に並んでいる本の背表紙を、フードの下からの視線が辿る。
 やがて、1冊の書に、その視線は止まる。

『石の器の記』

 おぉ……
 男の口から洩れたのは、短く、掠れた、その嘆息の声だけ。
 本は――静かに、深い、言い難い感動を確かに抱いて、男の前にあった。


 男はフードを外した。
 ――下から現れたのは、初見の人間ならば誰もが目を逸らしてしまいそうな酷い顔。
 目は片方潰れ、明らかに何か病気のために頬も瞼も顎も額も奇妙な色をしてボコボコと膨れ上がっている。
 ――現代にはもう特効薬があるが、彼のいた時代には不治の伝染病と恐れられた病の、末期状態だった。
 その病気の影は、彼の顔に刻まれた、かつての拷問の傷の跡を隠す程に蔓延っている。


『ハルカーク』
 本は、万感の思いを込めて男の名を呼んだ。
 その名は、彼の表紙にも刻まれているものと同じものだった。
 病に侵された男は、ただ一つの目に、熱のためだけではない潤んだ光を乗せて、分かりにくくはあるが確かに、満足げに微笑んでいた。

「私の。生涯の――」

 男の、壊死の色を宿した指先は震えながら本に向かって伸ばされたが、本に届くことはなかった。
 届く前に、男の姿は霧のように霞み、ぼんやりと宙に溶けていくように消えていった。
 消えながらも――男は確かに微笑んでいた。




 話は少し前に遡る。空中庭園。
「どうしたの、ナオ」
 例の本を胸に抱いて、戸惑う様子のナオに、エドゥアルトが声をかけた。
「あの……。
 今、この図書館の禁帯出の本を狙って、出入りしている不審な人がいるんですよね?」
「そうらしいね」
「そのことで、ちょっと……
 変わった話を聞いたんですけど」
「変わった話?」
 そこにちょうど、運搬役のかつみが台車を押して戻ってきた。
「何だ? 何かあったのか?」
 そこでかつみも交えて、ナオは、本から聞いたことを話し始めた。

 会いたい相手――それは自分の『作者』だと、予言の本は言った。

「いるらしいんだ。はっきりとは分からないけど。
 たびたびここに来るフードの魔導師が。
 その人、ここにある力のある魔道書の作者らしいんだって。
 奥の方の書庫では噂になってる。自分の本に会いに来たんだろうって。
 でも、まだ会えていないらしい。
 その人が見つけることができないからだとか、誰かに見つけるのを邪魔されているからだとか言われてるよ」

「司書にはちょっと言いにくくってね。
 ここでよくしてもらってるのに、元の世界を懐かしむみたいで……気まり悪いじゃない」

「でも、噂している本は、羨ましがってるのも多いと思うよ。
 作者に会いたいって……思ってる子はね」



 おりしも、司書の所に、蟲に引き込まれたらしい自分の弟子を捜してやってきた老魔導師の話が伝え聞こえてきていた。
(禁書を捜している人にも、いろんな事情があるのかもしれない)
 危惧されるような、悪意ある目的のためではなく。
 その可能性に思い至ったナオは、この話を放っておいていいものかどうか悩んで、相談しに来たのだった。
 話を聞いたかつみもまた、しばらくの間首を捻ってうーんと考えたが、
「……取り敢えず、耳に入れるだけ入れておく方がいいかもな」
 そしてその話を纏めて機晶ドッグに伝言として託した。




 男が完全に消えた後、ルカルカやダリルや鷹勢たち、それに陽一も、書庫の入口に現われた。
 機晶ドッグに託された情報をもとに、推察し、お膳立てして今まで身を隠していた契約者たちに。
「ハルカークは……きっと、死んだ。
 私を世に出した後、異端審問にかけられ、拷問され、長く幽閉されて虐待された後、病気にかかって死んだと聞いているから。
 死の間際に……私に会いに来てくれたんだ」
 『石の器の記』は、震えを抑えた静かな声で言った。
「目を見た時、伝わってきた。
 ずっと、焚書にされた私のことを気にかけていてくれた……」

「ありがとう、彼に会わせてくれて……」





「さて、こっちはこれからだな」
 ダリルの氷縛牢獄に囚われた魔導師の前に、一同は移動した。陽一だけは当初の目的通り、禁帯出書庫の本を空中庭園に運ぶための準備に入った。
 落ち着いたら『石の器の記』も、庭園に運ぼうと陽一は考えていた。
(蟲はいなくなったけど、一度取り憑かれたしいろいろあって心も体も消耗しただろうから回復が必要かもしれないし)
「全部話してもらうわよ。何しろ蟲に変化して何か画策してたくらいだからね」
 ルカルカも意気込んでいる。
「う……」
 逃れるすべはなく、男はすべてを話すしかなかった。


 彼の目的は『石の器の記』――ではなく、それを著した先の病の男だった。
 詳しくは語れば長くなりすぎるということだが、彼の属する魔術連合組織と、『石の器の記』の著者との間には因縁があった。主義主張の対立などから、組織を後にしたのだ。異端弾圧の頃、組織は当局の追跡を躱すため、彼のように組織を出た者たちの情報をさも組織の重要人物の者であるかのように装って当局に流し、彼らを身代りにして永らえた。
 『石の器の記』は題名の如く、石などの非生命体で作った器に魂を宿らせ、人の体の代理に当てるという錬金術実験の歴史とその発展と実現性を論じた書であるという。組織は、長い拷問と虐待にも耐えた著者が自由の身になったと知った。著しく体調を損ねたというが、『石の器の記』の知識があれば新たな、人より頑強な体を得て――組織に復讐を企てることができるだろう。
 書がすでに失われているということが、組織にとっての救いだった。が、夢幻図書館のことが、その夢を見た魔術師によって組織にも知らされた。失われた『石の器の記』がそこにあること、また著者らしきその男が何かを探している様子で出入りしていることも……
 彼が、自分のあの本をここで取り戻すことだけは避けなくてはならない。そのために、彼を始めとする組織の魔導師が、ここに出入りするようになった。男と書の間を割き続けるため。
 そんな中で、図書館で発生している本の蟲を、この男は偶然に手に入れた。そこで擬態するために蟲を持ち帰り、己の被る偽皮に仕立てて今回、ここに来たのだという。途中の通路で出会った、貸出票のために身分を書き込むよう言ってきた2人組は、振り切ったところでこの蟲の姿になった逃げ延びた。そして、騒ぎに乗じて禁帯出書庫に入り込み、『石の器の記』に蟲の性質を使って潜りこんだのだ。その著者に、この世界でとどめを与えるために――


「……彼は、『石の器の記』を利用する気はなかった。一目見て、再会に満足して……逝ったのよ」
 先程の光景を思い出し――万が一の間違いが起こらないよう、身を潜めて成り行きを見守っていたのだ――ルカルカはきっぱりと言い放った。
「流行病らしいな。『石の器の記』自身が言っていた、当時大流行した、黴菌によって体が壊死していく病だと」 
 ダリルが言葉を添える。――『石の器の記』は、この図書館に来てから他の書物との交流で、自分が失われた後の、故郷の歴史を学んでいた。意外とそういうこと……自分が現世で焼失した後の著作者のその後などが気になっている書物は多いのだと『石の器の記』は言っていた。病が流行ったという歴史もその過程で知ったらしい。それにより作者も亡くなったということも……
 囚われの男の顔色が俄かに青く変わった。
「壊死する病、だと……!? いや、あれは確か、隣国の西の僻地で流行ってはいるが、そんな……そんな」
 どうやら彼が来た時間と、ハルカークが息を引き取った時間とは、多少のタイムラグがあるらしかった。彼のいた時間ではまだ、その病は僻地の山中で畜産で身を立てている者たちの集落でのみ流行っているものだったのだ。だが歴史書によると、この病は瞬く間に彼らの国を含めた数か国一帯で猛威を振るい、当時の人口を実に半分近くにまで減退せしめたという。
「……あの書の著者を止めることだけが目的なら、もうそれは意味がなくなったと分かっているだろう。
 この図書館の蔵書たちは平穏を望んでいる。これ以上の手出しはしないと約束するなら放してやる」
 ダリルの言葉に、男はどこか上の空で頷くしかなかった。もう『石の器の記』や夢幻図書館どころではない、現実世界の自分たちに、恐ろしい致死率を誇る流行病が迫っているのだ――そちらの方がずっと切実な問題であることは言うまでもなかった。
 男の名と組織の名を聞き出した上で、ルカルカとダリルは彼を放免した。


 彼も、その組織の人間も、その後現れることはなかったという。