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リアクション
■ 今はもう知る人もなく ■
今年の夏期休暇も例年のように、匿名 某(とくな・なにがし)は自分の実家に帰るつもりでいた。
ミスター ジョーカー(みすたー・じょーかー)がこんなことを言い出しさえしなければ。
「とある少女が生まれた、否、生み出された場所というものは故郷といえると思うかね?」
いかにも意味ありげな様子のジョーカーに、某は身構える。
「何が言いたいんだ?」
「見付けたんですよ。彼女が生まれた場所をね」
彼女、と指された結崎 綾耶(ゆうざき・あや)は息を呑む。
「私が生まれた場所……」
「折しも今は皆が故郷へと帰る時期。故郷という表現とは厳密には違うかも知れないが、真実の欠片を知ることのできる地に帰ってみるのも面白いと思わないかい?」
ジョーカーはゆっくりと口の端を吊り上げた。
ジョーカーに案内されてたどり着いたそこは、ツァンダからやや離れた場所にある建物だった。
「請われたが故に連れて来はしたが、ご覧の通りここは既に人々の記憶から忘れ去られた荒涼の地。出迎える者も語り思い返す思い出すらないのでは、とてもではないが里帰りとはいえないねぇ」
廃墟を前に、ジョーカーは喉で笑う。
「いや、万に一つの可能性ではあるが、何かしら残ってるかもしれないねぇ〜。探してみるかね?」
「綾耶、どうする?」
尋ねる某に、綾耶はぎゅっと手を握りしめる。
「故郷の情景、両親たちの記憶も全部作り物でも、そこに行けば私の本当のことが分かるなら、例えどんなことであれ、逃げずに知りたいです」
「分かった。入ってみよう」
逃げない覚悟をしている綾耶を伴って、某は建物の中に足を踏み入れた。
そこは何かの研究施設のようだった。もう長い間使われていなかったのだろう。自然の一部に埋もれている、完全な廃墟だった。
(……ここが綾耶の『故郷』か)
けれど綾耶にはここではない本当の故郷があるはず……と某は目でジョーカーを探してみたが、どこに姿をくらませたものやら、見付けることが出来なかった。いたとしても、ジョーカーが素直に吐くわけはない。
ここに本当の故郷の手がかりとなるものがあれば良いと思いながら、某は廃墟を探索していった。
用途不明なガラス張りの個室。
妙な器具の残骸が散乱する大部屋に、妙に奥の方に設置された複数のダストシュート……。
どれも分厚い埃がかぶり、放置されていた期間の長さを物語っている。
それがどう使われたのかは不明なのに、どうにも嫌な雰囲気しか某には感じられなかった。
「綾耶、何か思い出したか?」
「……不思議です。確かにここにいた気がするのに、そのときの記憶が全然浮かんでこないんです。もしかしたらジョーカーさんの勘違いで、本当はここは私には全然関係のない場所、だったらいいんですけどね……」
何も思い出せない。
けれど胸がざわざわと騒ぐ。
知っている気がするのに思い出せない場所を、綾耶は某と一通り回ってみた。
だがどこもかしこも風化していて、まともな資料も残っていない。
手がかりになるものが見つからず、落胆する綾耶の肩に某は手を置いた。
「諦めるのはまだ早い。どうせあの髭の事だ。どっかからひょっこりと……ほら来た」
某の指す方向からやってくるのは、今の今までどこかに姿を消していたジョーカーだ。
「その分だと収穫は無かったようだね。そんな君たちにこれをあげよう。君たちの求めていた、とある少女の成長記録だ。さぁ、真実の一端に触れたまえ」
投げ与えるように、ジョーカーは手にしていた古びた資料を差し出した。
「この資料に、私の全てがあるんですね……」
綾耶の表情は硬い。
「本当にここにあったものなんだろうな?」
「本物だと言っても偽物だと言っても、どうせどちらも信じられないのならば、聞くだけ無駄というものだよ」
ジョーカーはいつもの如くのらりくらりと質問をかわす。
相手にしていてもはじまらないので、某は綾耶と一緒にその中身を読むことにした。
珍妙で長いタイトルから始まった『実験計画』は、なるほど確かにジョーカーの言う通り、成長記録だった。
災害で滅んだ集落の生き残りの少女を発見した所から、この計画は動き出した。
彼女を保護し、残りはすべて処分した。これにより、元の彼女を知る人はいなくなる。
その少女を『誰にでも愛される人間を造る計画』に基づいて、心身共に細工をしていった。細工自体は順調に進んだのだが、経過調査と『調律』の影響で、彼女の守護天使としての機能は失われてしまった。
そして遂に最終段階の『実地試験』が決定。
少女は記憶抹消後、休眠状態にして『結崎綾耶』という名称で、日本へと配送予定。
――というところで、記録は終わっている。
「限りなく最悪の成長記録だな」
某は吐き捨てた。
資料には、チームメンバーのスケッチと名前も載っている。
「リーダー……ゼ、ゼブ……?」
文字は掠れて読めなかった。出来るならばこのメンバー全員をぶん殴りたい、と某は心から思う。
残念だが今はそれは出来ない……いや、少なくともここに1人いる。
「髭野郎、てめぇだ。スケッチにこそいないが名前が載ってる。とりあえず殴る前に説明することがあるならしてみろ」
拳を固く握りしめ、某はジョーカーを睨みつけた。
「私がいる理由については、名前不明の彼とは同志の間柄でね。おっと名前は黙させてもらうよ。それと君の拳も御免被る。それよりとっとと進めたまえ」
「……よし、全部終わったら絶対お前のことぶっ飛ばす」
某はそう宣言した。
その剣呑な目つきには取り合わず、ジョーカーはさてと綾耶に視線を移す。
「真理を知った天使。全てを知ったならば、その感想を一言どうぞ」
「綾耶を茶化すんじゃねぇ!」
かっと頭に血が上った某は、我慢しきれなくなってジョーカーに拳を振り上げた。が、それをジョーカーはひょいひょいと軽やかにかわす。こういうときの回避は、腹立たしいほど鮮やかだ。
「某さん、いいんです……」
綾耶はそんな某を止めると、ジョーカーを見た。
「……感想なんてないです」
「なるほど。ではこの場所を破壊するか否か、君に決めてもらうとしよう」
既に破壊の為の準備は出来ているというジョーカーに、綾耶は答えた。
「この場所は……残してください。確かに私にとっては嫌な記録しかない場所です。けどここには、他の誰かの真実もあると思うんです。それを勝手な理由で奪っちゃ、駄目だから……」
「では当事者の決定に従うとしようか」
綾耶の返事を聞いたジョーカーは、もう自分に話すことはないとばかりに、さっと身を翻して出ていった。
2人だけの帰り道。
某は綾耶のことが心配でたまらなかった。
自分の内面と向き合って決着をつけるぐらいに、綾耶は強くなった。けれど今回の出来事はショックが大きすぎる。
もう、自分の本当の過去を知る人間がこの世界には1人もいない、正真正銘の天涯孤独なのだと知らされたのだから。
「綾耶」
「はい?」
名前を呼ぶと、綾耶は悲しみの揺れる瞳で某を見上げる。
「俺は……綾耶を1人にする事はない。何があっても絶対にだ」
もう二度と、彼女を1人になんかしない。こんな悲しみを二度と味わわせはしない。
誓いをこめてそう言うと、綾耶は泣きそうな顔で微笑み、そして某の胸に顔を埋めた。
細い肩がしゃくりあげるように上下する。
声を殺して泣く綾耶の背を、某はあやすように軽く叩き続けるのだった。