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【特別シナリオ】あの人と過ごす日

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【特別シナリオ】あの人と過ごす日
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リアクション



【高柳 陣&ティエン・シア】


 2024年4月15日 東カナン国領主バァル・ハダド(ばぁる・はだど)に、男女の双子が誕生した。

 世継の男子の誕生にアガデは連日沸き返っていた。
 ひきりなしに花火が上がり、花や紙吹雪が撒き散らされ、話を聞きつけて各地から続々と集まってきた踊り子や曲芸師たちが街に点在する広場で華やかな祝いの舞台を繰り広げる。打ち鳴らされる太鼓、高くあがる笛の音。彼らの奏でる軽快な曲が途切れることなく響き渡るなか、通りに連なる店という店はにぎやかな集団であふれかえり、昼となく夜となくグラスをかち合わせる。鳥がさえずる屋根の下で道を歩く少女はスキップを踏み、歌を口ずさむ。
 それはまさに狂乱と呼べる光景だったが、輝かしい喜びに満ちた狂乱だった。
 そんな通りの光景を、高柳 陣(たかやなぎ・じん)ティエン・シア(てぃえん・しあ)の借りた部屋の窓から見下ろしている。
 彼のパートナーのティエンは現在カナン国とシャンバラの結んだ交換留学制度により、今年の春からアガデにある学舎へ留学しているのだ。そのことから、陣は以前より頻繁にアガデを訪れるようになっていた。
「いや、ほんと、すげーわ」
 しげしげと見入っている陣の後ろで、くすっと小さな笑いが起きる。
「もー、お兄ちゃん、それ何度目?」
 振り返ると、ミントティーのグラスが2つ乗ったトレイを手に、ティエンがリビングへ入ってくるところだった。
「って言ってもなあ……」
 席に戻りながら頭を掻く。
 あいつ、この国の領主なんだよな。
 今さらだが、本気でそう思った。
 普段から権力を前面に出す言動をせず、身につけるのもどちらかというと地味な黒服ばかりでアクセサリーも弟の形見のトパーズのペンダントしかつけないので、一緒にいてもあまり意識したことはなかったが、バァルは子どもが生まれれば国を挙げての祝祭が開かれるほど、この国の人々の敬愛を一身に受けている最高権力者なのだった。
「これがあと5日続くって?」
「んーと……」ティエンはミントティーを飲むのを止めて、指を折って数える。「今日で5日目だから、あとそれくらいかな?」
「んで、その間ずっとおまえの通ってる学舎も休みなんだろ?」
「国立の建物は全部そうだよ。お祝いの赤い布吊るしてね、国のほとんどの人が城へ記帳に行くんだって」
「……やっぱ、すげーわ」
 ずずず、と背もたれで背中をずらす陣に、またもティエンはくすくす笑う。
 初めて聞いたとき、ティエンもそう思った。だけどアガデに来て、ここで暮らすうちに、この国の人々にとって領主というのがどういう存在であるかを直に耳目にすると、そういうのが大げさとも思えなくなってきていた。民にとって領主とはまさに神にも等しく、盲信的な敬愛の対象なのだ。城自体、一般民が滅多に足を踏み入れられる場所ではなく、このアガデにいる者でも生涯に両手で余るほどしかないという人はざらだ。
 そういう人々に囲まれて学生生活を過ごしていると、ティエンもどことなく気持ちに歯止めがかかって、城からだんだんと足が遠のいてしまっていた。
 やがて、ミントティーを飲み乾した陣が言う。
「じゃあそろそろ行くか」
「え?」
「え? じゃない。行くって言ってただろ」
「う、うん……。
 でもほら、まだお祭りの最中だし。お城の方は、もっとすごい状態だと思うから――」
「待ってりゃこれが治まるのか? 言っとくが、俺は5日もここにいらんねーぞ」
「そうだね……」
 両手で持ったミントティーのグラスを覗き込んでいるティエンが何を考えているか、陣には手に取るように分かった。
 さっき陣本人も感じたことだ。
 ようは、ビビっているだけだ。
 陣は、来る途中で買ってきていた花束を持ち上げ、ポンとティエンの前に投げ出した。
「まごまごしてると日が暮れて、城の門が閉じちまう。そうなったらせっかくのその花がだいなしだ。
 無駄にしないためにも、とっとと行くぞ」
「――うん。そうだね。こんなにきれいなんだもん、しおらせちゃったらかわいそうだよね」
 両手いっぱいの花を見下ろしてつぶやくと、ティエンはそれを抱き、勇気を溜め込むようにすうっと息を吸い込んだ。


「いらっしゃい、2人とも」
 部屋に通された陣とティエンを迎えてくれたのはアナトだった。
「よく来てくれたわね、うれしいわ」
「おめでとうございます……で、いいのかな? アナトさん」
 寝台から身を起しているアナトの元まで行き、花束を手渡す。
「まぁ、きれい。うれしいわ」
「活けてまいりましょう、領母さま」
「ええ、そうね。お願い」
 目立たないよう壁際に控えていた部屋付きの召使いが、さりげなく差し出した手に花束を受け取り、部屋を出て行く。部屋には3人だけになった。
「ティエン、元気にしていた?」
「は、はい」
「勉強に頑張りすぎてない? 最近訪ねてきてくれないから……。バァルさまは、こちらでの生活に馴染むのに忙しいんだろうって言うし……。
 大変だとは思うけど、もっと顔を見せに来てほしいわ。でないと、部屋に押しかけちゃうわよ?」
「そ、それは……え、えーと。……はい」
 本当は城に住んでほしいくらいなんだから、とほほ笑むアナトに、ティエンはどうにか言葉を返す。その傍らで、陣が少々難しい顔をしてアナトを見つめていた。
「あ、そうじゃないのよ?」
 陣の視線に気づいたアナトは、彼が何を心配しているか察知して手を振る。
「経過は良好なの。ただ、何かと疲れやすくて。
 ちょっとそれを口に出しちゃったものだから、うちの過保護な男性たちが――」
 そのとき、入り口の扉がばたんと大きく開いた。
「アナト、ちゃんと休んでいるか?」
 断りもなくずかずかとなかへ歩を進めたのはナハル・ハダド。アナトの後見人であり、叔父である。
「うむ。ちゃんと寝ているな」
「ほらね。うるさいでしょ?」
 ナハルには見えないところで、アナトは目をくるっと回す。しようのない人、と言わんばかりである。
「なら、いい」
「おじさま、帰らないで。せっかくですからエルマスに会っていってください」
「う、うむ」
「さあ、あなたたちも」
「いいの?」
「ええ。会ってあげてちょうだい」
 アナトは笑んで続きの小部屋を指す。立ち上がろうとする彼女に手を貸す陣の前、ティエンは小走りでナハルの向かった小部屋へと駆け込んだ。


「うわー、かわいーい!」
 ベビーベッドのなかでふわふわの布に半ば埋もれている赤ちゃんを見つけた瞬間、ティエンは思わず叫んでいた。
「そうだろう、そうだろう」
 ティエンのその反応にナハルは満足そうにうなずいている。そしてとなりの空のベビーベッドを見て、アナトを振り返った。
「おいアナト。アルサはどうした?」
「バァルさまがお披露目にバルコニーへ連れて行っていますわ」
 答えたあと、こそっととなりの陣に耳打ちをする。
「本当は知ってて、だから来たのよ。バァルさまと顔を会わせずにすむから。
 エルとアルサが生まれたとき、2人で何か話していたっていうから少しは仲直りしたかと思ったのに。相変わらずなんだから」
 目配せしてくるアナトに、陣も苦笑を返した。
「もう1人の赤ちゃん、アルサっていうの?」
「アルサイード・バァル・ハダド。始祖の名をいただいた。長じて東カナン領主となればアルサイード38世と呼ばれるだろう」
 ティエンの質問に答えたのはナハルだった。
「で、この子がエルマスちゃん?」
「そうだ。エルマス・セウダ・ハダド。輝かしいほど美しい娘となる」
「ふーん。きれいな名前。きっとそうなるね。だってアナトおねえちゃんの娘なんだもん」
 周りでこれだけ声がしながら動じずくぅくぅ眠り続けるエルマスのほおを指でなでながら話しているティエンに、陣はようやくティエンも気持ちがほぐれて以前のティエンに戻ったようだとほっとする。
 ティエンは身を起こし、アナトを振り返った。
「ね? アナトおねえちゃん。エルマスちゃんに精霊のおまじないしちゃダメ?」
「ええ。お願い」
「光輝の精霊の名の下に、いついかなる時も優しい光が降り注ぎますように」
 幸せと光の守護のおまじない。たとえ闇が迫ろうとも、闇を退け、常に光とともに歩めるように。
 ティエンは精霊として、全身全霊の思いをこめて、あたたかくてすべすべとした額にキスをした。
 その光景にナハルはとても満足して、バァルが戻ってくる前に帰って行った。


「陣、ティエン。来てくれていたのか」
 入れ違ってバァルが部屋へ戻ってきた。
 普段とはまったく違う、金糸銀糸で細かく刺繍された、ずっしりと重く、きらびやかな衣装を豪勢にまとっている。いかにも裕福な貴族といういでたちだ。腕にはやはり豪華絢爛なおくるみをまとい、布に埋もれた赤ん坊が抱かれている。
「バァルおにいちゃん、おめでとう」
「おめでとう」
 会うまでは「すっかり父親だな」と言ってからかってやろうと思っていたが、やめた。普段はともかく今の領主然とした対外用の姿はどう見てもそういう格好ではない。
「ありがとう。しかし、悪いが今は少し立て込んでいる」
「出直すか?」
「いや、あと少しで終わるから、よかったらもう少し待っていてくれるか? せっかくだ、ゆっくり話したい」
「分かった」
 会話を終えたバァルは、次にアナトの方を向いた。
「姫」
「はい。用意はできています」
 ベビーベッドから眠るエルマスを持ち上げ、バァルの元へ連れて行ったアナトはアルサと交換しようとする。
 しかしバァルがとったのはアナトの手だった。
「わたしはあなたを迎えに来たのだ。姫も行こう。姫の姿が見えないことを民が気にしている。産後の肥立ちが悪いのではないかと噂になっているようだ」
「まぁ。分かりました。
 じゃあティエン、アルサのお守りをお願いできるかしら?」
「えっ!? ぼ、僕!?」
 驚き、あっけにとられているティエンの前、アナトはバァルからアルサイードを受け取るとベビーベッドへ戻す。
「で、でも、あの……っ」
「大丈夫よ。廊下には召使いたちが控えているし、それに、すぐ戻ってくるから」
 どうしよう? お兄ちゃん、と陣を見るが、陣は肩をすくめて返すだけだ。まごついているうちに、2人はエルマスを連れて出て行ってしまった。
 バァルもアナトもいない部屋で、生まれて間もない赤ん坊と残されて、ティエンは一気に緊張する。
「な、何をすればいいんだろ……」
「んー、そうだなぁ。さっきのおまじないとやらを、こいつにもしてやりゃいいんじゃね?」
「あ、そうだね」
 ティエンは気を取り直し、ベビーベッドのアルサイードへ向き直った。
「光輝の精霊の名の下に、いついかなる時も優しい光が降り注ぎますように」
 目を閉じて、エルマスのときと同様に額にキスをする。
 そのとき、不思議なことが起きた。まぶたの裏の闇で生まれた小さな光があっという間に大きくなってはじけたのだ。
 光が収まってくるにつれ、見え始めた室内には、1人の少年が立っていた。
 歳は15?16といったところか。長くまっすぐな黒髪をうなじのあたりでゆるく束ね、小脇には本を数冊抱えている。バァルに面差しが似ていたが、もっと優しげなつくりで、表情もやわらかく、青灰色の瞳は水色のように薄い。
「ティー……」
 少しハスキーな声で親しげに名を呼ぶと、少年はほほ笑んだ……。


「おいティエン、どうした?」
 ハッと現実に立ち返る。
 少年の姿は幻と消え、あんなにも光にあふれて明るかった室内は夕方で陰っている。室内にいるのはティエンと陣だけだ。
「お兄ちゃん……」
「大丈夫か? ボーっとして、いくら呼んでも聞こえてないようだったが」
「…………うん。平気。なんでもない
 今のは夢? それとも通りすがりの精霊のいたずら?
 だけど少年の姿はやけにリアルで、耳に残る声も生々しくて。
 思い出すだけで胸がドキドキして、顔が熱くなる。
(どういうこと? これって、何か意味があるの?)
 混乱してほおを押さえるティエンの横で、ベビーベッドのアルサイードが何か語りかけるようにもごもごと唇を動かしている。
 薄い水色の両目がティエンを見上げていた。