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リアクション
温かな新年
2024年12月31日。
東京杉並区。
住宅が多く、学生の姿をよく見かける街だ。
外人の姿も珍しくはないけれど、年末のこの日は、少し違った雰囲気の、人間ではない――そう、パラミタから吸血鬼の少女が訪れていた。
「この辺りは銭湯が多いからどこにするか迷うな〜」
一緒に歩いているのは、この街出身の地球人騎沙良 詩穂(きさら・しほ)。
年末に交際相手の吸血鬼の少女 アイシャ(きゅうけつきのしょうじょ・あいしゃ)を連れて、帰省したのだ。
実家に向かう途中。
煙突から出ている薪をくべた煙の独特の香りに誘われてしまって。
年越しは銭湯でしようと、2人で決めた。
「よし、あそこにしよう。アイシャちゃん迷わないでね」
「あ、はい」
きょろきょろと辺りを見回しているアイシャの手を取って、詩穂は歩いていく。
「うわ……なんか、す………っごい懐かしい」
匂いも、中の様子も。
昔と変わってなくて。詩穂の胸がじーんと熱くなる。
「懐かしいね、これ。下駄箱の鍵が木の板でできているやつ」
靴を入れて、板をとって詩穂はふふふっと笑みを浮かべる。
「……これでいいの? あ、鍵かかってます」
詩穂の真似をして、アイシャも鍵をかけた。
「こんばんはー!」
「こんばんは、お世話になります」
「こんばんは、おっ、詩穂ちゃん久しぶりね。変わってないわね〜。今日は上の世界のお友達も一緒なのね」
番台には知り合いの50代の女性が座っていた。
「えへへへ、色々あってね」
「アイシャといいます」
詩穂は入浴料を払い、アイシャはぺこりと頭を下げる。
「可愛らしい子ね。二人とも帰りは気を付けるのよ。ここにいる間は、私が守ってあげるけど」
「うん、ありがとね」
「よろしくお願いします」
どんな悪漢現れても、自分とアイシャの身を守るくらいの強さはあるけれど。
懐かしい人に、懐かしい笑みでそう言われて、詩穂はとっても嬉しく感じた。
「背中流そうか? 後ろ向いて」
「お願いします」
アイシャが後ろを向いた。タオルに石鹸をつけて詩穂はアイシャの白い背を洗っていく。
「詩穂」
「ん?」
「私の背中って、どうなってる?」
「え?」
「ほら、背中って自分じゃ見えないから……。大きなほくろがあったり、傷跡があったりしないかなと思って」
「どうかなー」
詩穂は、盥に入れたお湯をアイシャの背にかけた。
真っ白な泡が落ちた後に現れたアイシャの背は、泡の色と同じくらい白くて、綺麗だった。
「綺麗だよ、アイシャちゃん。傷跡もないし、汚れもない!」
「そう……良かったわ。それじゃ、次は詩穂の番。私が洗いますね」
「ありがとー」
今度は詩穂が後ろを向いて、アイシャに背中を洗ってもらった。
それからアイシャと並んで湯船につかりながら、パラミタでのことを思い浮かべる。
「ラズィーヤさんがね」
「ええ」
「宮殿勤めはやめなさいって詩穂に言ってくれたことがあったんだ」
その時の事は良く覚えてはいない。
だけれど、宮廷騎士という役職に興味を持った詩穂を諌めてくれたことは、覚えていた。
ラズィーヤはその時、詩穂にあなたは『アイシャの騎士』だという言葉をくれた。
「その意味がやっとわかった気がする。宮殿に務めるということ、それはシャンバラ女王の騎士としてこの先も生涯かけてずっと生きること……」
「詩穂がロイヤルガードになってくれたのは、世界の為であるまえに……私のため、だったのよね」
「うん。こういう日常に戻れる道を、ラズィーヤさんは選ばせてくれたのかな」
「ラズィーヤさんはきっと、こういう未来をも視野にいれていたのだと思うわ。
詩穂は『女王の騎士』ではなくて私の――『アイシャの騎士』だと。
私にもしものことがあったときや、私が退任した時。
詩穂は、シャンバラの女王の騎士としてではなく、私の騎士として動くだろうって」
今、アイシャはひとりの女の子となり。
詩穂も、ひとりの女の子として、アイシャの隣にいる。
武器も防具も持たず、無防備な姿で。
こうして2人きりで、何気ない話を楽しんで、笑い合って、触れ合っていられる。とても、とても幸せな時間。
「これからまた、世界がピンチになったとしても、これからは一緒に頑張っていける。アイシャちゃんはもう、1人で身体がぼろぼろになるまで頑張る必要はない」
「私の我儘で、詩穂1人に頑張らせてしまうことも、もうないわ」
これからは一緒に。
シャンバラで生きる、一個人同士として。
湯船の中で、アイシャが詩穂の手を探し出して、握りしめた。
詩穂もぎゅっと握り返す。
こうして手を取り合って、一緒に幸せを探していける――。
詩穂はラズィーヤを思い浮かべながら、心の中で感謝をする。
(給仕の家系として使えるべき者を探していたけど結局は見つからなかった、でも沢山の素晴らしい人たちに出会えました)
そして、アイシャを見て微笑み合った。
「不思議と寒くないわ」
「そうそう、よく気付いたね。銭湯のお湯は湯上りでも湯冷めしないのー」
お風呂からあがって、身体を拭いて服を着ると、詩穂はコーヒー牛乳を購入した。
「アイシャちゃんは何にする?」
「私も詩穂と同じのを……でもこれ、どうやって飲むの?」
牛乳瓶を手に、アイシャは不思議そうな顔をする。
ツメを立てて、ひょいっと簡単に詩穂は瓶の蓋を開けた。
アイシャはなかなかうまく開けられず、上の方だけ剥がれてしまったりしていたので、詩穂が代わりに開けてあげた。
のんびり、珈琲牛乳を飲んで。
ゆったり銭湯で過ごしているうちに――年が明けた。
「ふんふふふーんふ〜ん♪」
鼻歌を歌いながら、詩穂は軽い足取りで歩く。
「……ふんふふふーんふ〜ん」
一緒に歩きながら、アイシャも鼻歌を歌いだす。
「お? アイシャちゃんもこの歌知ってるの?」
「知ってるわ。お風呂に入りながらも、詩穂、歌っていたから。サビの部分だけ、覚えてしまいました」
それはこの辺りに流れる川の歌。
多分、今のような冬の歌。
でも……。
「なんだかあったかいです☆」
「はい」
詩穂とアイシャはぽかぽか温かな気持ちで歩く。
互いの足音をメトロノーム代わりに、鼻歌を歌い歩いながら。