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【ニルヴァーナへの道】奈落の底の底(前編)

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【ニルヴァーナへの道】奈落の底の底(前編)

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第1章 決意・旅立ち

 夜である。
 夜明けが近かった。
 果てしなく横に長い低層建築アパート、夜露死苦荘。
 密かにその玄関を出、夢野 久(ゆめの・ひさし)達は、ひっそりとその門をくぐった。
 くぐろうとした。
 そこには、既に誰かが背を預け、こちらを見ていた。
 夜露死苦荘オーナーの英霊、織田 信長(おだ・のぶなが)だ。
 門の外には、パートナーの南 鮪(みなみ・まぐろ)が、スパイクバイクに跨り、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ていた。

「どうせ行くとか言い出す連中がいると思ってたぜ。ヒャッハー! 甘いねえ!」
 既に、他の面々も集まりつつあった。
「ん。やっぱり皆行くんだ」
 そりゃそうよね、と伏見 明子(ふしみ・めいこ)があははと笑った。
 久は苦笑いで返した。

 言葉は、必要無いだろう。
 皆、思いは同じだ。
 信長達は、軽く顔を合わせ、或いは黙って頷き、そして足を踏み出す。

 ――マレーナの為に。

「ちょっと、待ちな」
 呼び止めたのは、佐野 豊実(さの・とよみ)だった。
 おいおい、と久は思ったが、口は出さない。
「一つだけ。
 野暮は承知だが、一つだけ確認したい。

 多分マレーナは、彼女は、こんなことは望んでいない。
 彼女は長曽禰氏に手紙を託した。
 私達ではなく、シャンバラ国軍に。
 私達が頼りないからか? 違う。彼女はそんな人じゃない。
 そもそもドラゴンの群れとも渡り合ったことのある私達なんだ。
 しかも、私達の方が国軍なんぞより、小回りも利くし人探しには向いてるはず。
 まして国軍の目的は、厳密にはドージェではない。

 じゃあ何故?
 言うまでもないよね。
 私達に危険を冒して欲しくないからだ。

 もう一度言う。
 彼女はきっと、私達が行くことを望んでいない。
 それでも行くかい?」

 誰も、それに答えなかった。
 ただ、小さく肩を竦める者があっただけだ。
 望まれて行くわけではないことは、全員が解っている。
 だからこそ、こうして密かに、闇に紛れて旅立とうとしているのだ。
「……そうか」
と、豊美は朗らかに笑った。
「君達は本当に馬鹿だなあ」
 それは、賞賛を込めて。
「……」
 軽く頭を掻き、久は、そんな豊美の肩を軽く叩いて歩き出す。
(馬鹿なのは解ってるさ。
 ――それに、俺は半分だ。薄情ですまないな)
 マレーナの恩義に報いたいのは半分。
 もう半分は、純粋に会いたいのだ。あの神に。
 結局は、自分の為なのだ。

(全く、みーんな、かっこつけなんだから)
 豊美の熱弁を聞きながら、魔女のルルール・ルルルルル(るるーる・るるるるる)はニヤニヤ笑っていた。
(あんなこと言って、豊美ちゃんてば。
 自分だって思いっきり準備万端でフル装備で、行く気満々のくせにね。
 愛されてるわよねー、ドージェちゃんも、マレーナちゃんも)
 私は別にどっちも愛してないけど。
 そんなルルールの手には、密かに携帯電話が握られている。
 だって、旅立ちには士気とか絵になる演出とかも必要でしょ?

「……皆さん……」
 玄関の灯りが点いた。
 細い声に、全員ははっと玄関を見る。見なかったのは、ルルールだけ。
 勿論、そこに立っているのは、マレーナだった。
 マレーナは、心配そうに、集まっている面々を見渡す。

 誰もが、マレーナには伝えず出発しようと思っていた。
 心配をかけない為、そして、その方がカッコいい為だ。
 気まずい沈黙が流れる。
 彼等は、マレーナが口を開くのを待った。
 ややあって、マレーナは、少し泣きそうに微笑む。
 ここで、彼等を止めてはいけないことくらい、マレーナにも解っているのだ。
「……どうか、皆さん、ご無事で」
「――おう!」
 見送るマレーナの言葉に、全員の力強い返事がハモった。


◇ ◇ ◇


「何じゃとお!?」
 結界の範囲外にある空京郊外。
 パートナーの魔鎧、アーヴィン・ウォーレン(あーう゛ぃん・うぉーれん)と共に、傾いた飛空艇を住居とするハルカに会いに、遊びに来た光臣 翔一朗(みつおみ・しょういちろう)は絶叫した。
「何考えとんじゃアンタ!」
「何って……」
 言って、オリヴィエ博士は考える。
「……何を考えているのかねえ……」
「アンタのことじゃ、アンタの!」
 埒があかない、と翔一朗は問答をやめた。
 このトチ狂ったゴーレム技師は、契約者でもない非力な少女を、ナラカ探索隊に送り込んだというのである。
「ちっ、こうしちゃおれん。あんたをシメるのは後じゃ」
 言うなり、翔一朗は踵を返す。追いかけるつもりなのだ。
「まさか途中で迷子になっとらんじゃろうな!?」
「集合場所まではヨシュア君が一緒だから大丈夫でしょ、多分」
 呑気に答えるオリヴィエ博士をひと睨みして、翔一朗は飛空艇を飛び出した。

 ハルカを迷子にさせることなく同行していたオリヴィエ博士の助手、ヨシュアの功労か、途中の道のりで翔一朗はハルカと合流することができた。
 ヨシュアは後を頼んで引き返し、そこからは翔一朗が同行する。
「みっちゃんもナラカに行くのです?」
「そりゃあ、ハルカが行くなら俺も行かんといけんじゃろうが」
 当然のことのように答えた翔一朗に、ハルカは笑った。
「ちょっと心細かったのです。ありがとうなのです」
「ああ、そうじゃ、これ」
 翔一朗はポケットを探り、取り出したリングをハルカに渡す。
「デスプルーフリングちう、ナラカに行く時に使うお守りみたいなもんじゃ。
 持っといて損は無いけえ、着けといてくれんか?」
「あ、そういうの、ハルカも持ってるのです」
「え?」
 はかせにもらったのです、と、ハルカは襟の中から、下げた鎖を引っ張り出した。
 そこにデスプルーフリングがある。
「はかせのサイズ大きかったので、こうやって持ってるのです」
「博士が、自分用のデスプルーフリングを持ってた……?」
 怪訝そうな顔をする翔一朗に、ハルカは手を差し出す。
「一緒に持ってていいです?」
「……じゃが」
 既に一個持っているのなら、と言いかけて、ハルカが自分の好意を嬉しく思っているのが解って、差し出した。
 やはりそのリングもハルカには大きくて、ハルカは首からかけた鎖に繋ぐ。
「威力も倍なのです」
 威力云々のアイテムではないのだが。翔一朗は苦笑した。



 ロイヤルガードとして、大帝とダイヤモンドの騎士に挨拶を済ませ、飛空艦の前に戻って来たところで、樹月 刀真(きづき・とうま)とパートナーの剣の花嫁、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)は、翔一朗と共に居るハルカの姿を見付けた。
「ハルカ!?」
 声を上げた月夜に気付き、2人を見たハルカは大きく手を振る。
「ハルカ! 何故来たんだ!」
 一瞬の硬直が解けると、刀真は足早にハルカに歩み寄った。
「今から行くところはもの凄く危険なんだ、博士のところへ帰れ!」
「はかせは、行ってもいいって言ったのです」
 怒鳴り声に、びっくりして肩を竦ませたハルカだったが、ちら、と目を上げると、そう言う。
「博士が?」
 刀真は翔一朗を見た。
 溜め息と共に、翔一朗は頷く。
 ちっ、と刀真は表情を歪めた。
「……本当に危ないんだ、護れないかもしれない……だから、頼む」
 刀真の言葉は、次第に力を失って行く。命令口調から、懇願するように。
「心配してくれて、ありがとうなのです」
 ハルカは言った。
「邪魔して、危なくならないように、気をつけるのです」
「安心しろ。俺が護っちゃるけえ」
 翔一朗が請け負う。
「………………」
 ぐっと言葉を飲んで、刀真は息を吐いた。
 そして、所持品の中から、ロイヤルガードエンブレムを取り出し、ハルカに渡す。
「身分証明の代わりです。
 ……翔一朗におまじないをかけて貰うといい」
 翔一朗は頷いて、それに『禁猟区』を施した。いつものように、お守りにも。
「いいですか。
 ここで君がいなくなると皆本当に心配しますから……勝手にいなくなってはいけません、分かりましたね?」
 刀真は、そっとハルカの頭を撫でる。
 はい、とハルカは頷いたが、刀真の手が離れるなり、月夜がぐいっと両頬を引っ張った。
「ハルカ、私も怒ってる……今回は本当に危ないから」
 そしてそのまま、ぎゅっと抱きしめた。


「ハ、ハルカさん!?」
 聞き憶えのある驚いた声がハルカを呼んだ。
「そあさん! くまさん! そあさん達もいたのです!?」
「つーか、何でハルカがここに居るんだ? 迷子か?」
 ソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)のパートナー、ゆる族の雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)も目を丸くしている。
「この場合、そうだったら良かったんじゃが……」
 ふっ、と翔一朗が乾いた笑みを浮かべた。
 勿論、ソアもベアも、まさかハルカがナラカに行こうとしているなどと、すぐには思えないのだろう。
「はかせが行ってもいいって言ったのです。
 しばさんが、隅っこでちっちゃくなってるならいいそうなのです」
「しばさんて、斯波大尉か?」
 ソアとベアは顔を見合わせる。
「ハルカさんは、何故ナラカに?
 ……ひょっとして、アナテースさんのことですか?」
 ソアの問いに、そうなのです、とハルカは頷いた。やっぱりか、と翔一朗も訊ねる。
「やっぱりそうか。
 まさか爺さんやパートナーさんに会うつもりなんかと思っちょったが……」
「おじいちゃんにも会えたらいいですけど、ワガママいっぱい望み過ぎは駄目なのです」
 だから、一番はアナさんなのです。
 迷いの無い表情に、ベアは頷く。
 驚いたが、ハルカがハルカ自身の意志でここへ来たのだ。
 何とか手伝ってやりたい、とソアを見ると、ソアも同じ気持ちらしかった。

 ソアは、かつてナラカに降りたことがある。
 だがその時の経験も、今回は役に立たないのではと言われている。
 そんな危険な場所だが、ハルカがナラカでやり遂げたいことがあるのなら、手伝ってやりたいとソアも思った。

「……あ、そういえば……。
 ハルカさん、これをどうぞ。受け取ってください」
 そう言ってソアが取り出したのは、デスプルーフリングだった。
「ちょっと見た目は禍々しいですが、ナラカでも自由に活動できるようになる指輪なんです。
 必要になるのはずっと先でしょうが……」
 予備を持っていますから、これはハルカさんにあげますね、と言ったソアに、「あ」と言って翔一朗が苦笑した。
「どうしました?」
「いや、もう既に2つ持っちょる」
「ありがとうなのです」
 だがハルカは、嬉しそうにそれを受け取った。
「持ってるんだろ?」
 ベアが言ったが、ハルカは大事そうにそれを手で包んで笑う。
 まあ、嬉しいならいいか、とベアは思った。
 ぽかん、と翔一朗達を見たのは月夜だ。
 むしろ、ハルカが船外に出ないよう、リングを持たせないようにと皆に言おうと思っていたのだが、既に持っていたとは。

「それにしても、あの博士は、ハルカを1人で送り出したのか……」
 全く、どういうつもりだと言いかけて、ベアははたと周囲を見る。
「……まさか、手伝う言い出す俺達が居ることを見越してか!」
「期待に添えるよう、頑張らないとですねっ」
 意気込むソアに、いやそこはまず怒るところだろう、とベアは溜め息をついた。
「ナラカについたら、これを見るように言われているのです」
 携帯用小型結界を常備するリュックにロイヤルガードエンブレムをしまったハルカが、代わりに小さな紙片を取り出した。
「何です? 紙?」
 刀真が問う。
「名刺なのです」
 手の平に乗せると、ぽっと矢印が浮かび上がった。
 それはくるくると回り、やがて止まる。
 真下を指していた。