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38


 お盆祭りの日であろうと、フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)が兄を捜すためのビラを配る手を休めることはない。
 なので、今日も今日とていつものように、声をかけながら道行く人にビラを渡していた。
 その手が、鞄の中から聞こえてきた着信メロディに止まった。なんだろう? 携帯を開くと、フィルからの電話だった。
『フリッカちゃん? あのさー、お兄さん見つけたんだけど』
 名乗りもしない第一声に、息を呑んだ。
 聞いてる? と確認するように声をかけられて、電話だというのに大きく頷く。
「本当ですか!?」
『うん』
 フィルの軽い返答を聞きながら、いつもの癖でルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)の姿を捜した。今日、彼女はここに居ないというのに。
 そう、いつもならルイーザは、一緒に兄を――セドリック・レヴィを捜してくれているのだが、今日に限って都合が悪いと言っていた。
 何かが一瞬、胸に引っかかった。違和感を覚えるより早く、「ルイ姉にも報せなきゃ」と呟いていた。そう、教えてあげなくちゃ。
『今店に居るよ。ルイちゃんも、お兄さんも』
「え、そうなんですかっ?」
 じゃあ、ルイーザがセディを見つけてきたのかもしれない。さすがルイーザだ。いつもここぞというところで頼りになる。
「すぐに行きますねっ」
 電話を切り、荷物を纏めてフィルの店へと走った。
 どきどき、わくわく、そわそわ。
 いろんな想いを渦巻かせて。


 話は少し前に遡る。
 ルイーザは、フィルの店に来ていた。理由は、故人であるセディを呼び出すため。
 呼び出すだけなら家ででも出来た。一人でもできた。だけどきっと取り乱してしまうだろうから、
「何か変なことをしそうになったら、止めてね」
「はいはーい」
 そう、フィルに頼んだのだ。
 リンスの工房で買ってきた人形を使い、祈る。
 ――セディ。
 セディの名を呼ぶ。
 何度も、何度も。
 幾度目かの呼びかけに、彼は応えてくれた。
「ルイーザ……?」
「セ、……!!」
 セディ。
 名前を呼ぼうとしたのに、喉がひりついて声が出なかった。呼吸も、上手くできない。じわりと視界が歪んだ。
 ふらりと立ち上がり、セディの傍に歩み寄って。
「……っ!!」
 感情の全てをぶつけるように、抱きしめた。
 彼が居る。
 今ここに、彼が居る。
 耳が隠れる長さの赤毛。優しそうな目。弧を描いた口元。
「ルイーザ」
 名前を呼ぶ声も、ルイーザの頭を撫でる優しい手つきも。
「私、私……っ!」
「ゆっくりでいいよ。大丈夫。大丈夫だからね」
 全てを受け止めてくれる言葉も。
 全部が全部、セディのものだった。
 しばらくそうしていて落ち着いた頃。
「……ごめんなさい」
 ルイーザは、消え入りそうな声でセディに謝った。
 セディは、ルイーザのために禁術を使い、立場を失った。その上、直接的にルイーザが原因ではないかもしれないとはいえ命までも。
 彼の人生を狂わせてしまった。
 ごめんなんて言葉じゃ足りない。
「……ごめん、なさい……」
 それでも、泣きながら何度も謝った。
 自分のせいで不幸にさせてしまったのではないかと。
 後悔しているのではないかと。
 ……嫌われているのでないかと。
 不安に思いながら、何度も。
「大人っぽくなったと思っていたけど……泣き虫なのは変わってないなぁ」
 苦笑するような、でもどこか楽しそうな声でセディが言った。
 え、と顔を上げる。
 セディは笑っていた。愛しい人を見る目で、ルイーザを見ていた。
「謝らなくていいよ。僕は、後悔なんてしていないから」
「……本当? 本当に、後悔していない……?」
「もし僕が過去に戻れたとして――あの時と変わらない状況になってしまっても、きっと同じことをする」
 それは、何度でも変わらないよ、と。
「だから、ルイーザのせいじゃない。……というか、僕がそんな風に考えているって思われる方が心外だな」
 少し口を尖らせて、セディがルイーザの額を小突いた。
 ぽかん、とした顔でセディを見る。
 本当に?
 後悔していないの。不幸だと思っていないの。
 私のことを、今でも好きでいてくれているの。
 次々と想いが浮かび上がり、されど声にはならず。
 ただ、ぎゅっと抱きしめた。
 セディもぎゅっと、抱きしめ返してくれた。


 フィルの店に着いたフレデリカが案内されたのは、店内の奥にある部屋だった。
 ケーキ屋として営業している時には使われない特別な部屋。
「兄さん!」
 ドアを勢いよく開ける。と、目を赤くしたルイーザと、失踪した時の姿のままの兄がそこに居た。
「フリッカ! 久しぶりだね、大きくなって……」
「大きくなって、じゃないわよ! 連絡ひとつよこさないで、どこで何をしていたの!?」
 暢気な笑みを浮かべるセディに、フレデリカは大股で近付く。
 セディが、困ったような顔をしてルイーザを見た。何? とフレデリカもルイーザを見つめる。ルイーザは、目を伏せたまま何も言わない。
 二人の間に何があったのか、また今のやり取りは何を表しているのか。
「よくわからないけれど……おかえり、兄さん」
 今言えることは、それだけ。


「へえ。じゃあルイーザとフリッカは契約したんだ。仲良くやれているんだね」
「うん。お兄ちゃんが心配するようなこと、ないんだから。それにね、私今騎士団に入って――」
 他愛もない話から、近況報告。
 頑張っているんだよ、と言って褒められたり。
 片思いをしている相手がいると打ち明けてみたり。
 セディは、フレデリカが話している間中うんうん、と頷いて聞いてくれた。
 どんなくだらない、つまらない話でも、嬉しそうな笑顔で。
 一方ルイーザは、若干表情を曇らせていて、それがフレデリカには気がかりで。
「……ルイ姉?」
 一度話の種も切れたことだし、問い掛けてみることにした。
「さっきから……どうか、したの?」
 うっすらと、嫌な予感がしていた。
 それは本当に、ぼんやりとしたものだったけど。
「……、……っ」
 ルイーザが、口を開きかけて、また閉じた。彼女の肩を、セディがそっと抱く。
「フリッカ。落ち着いて、よく聞いて欲しい」
 真剣な声。表情。ぴりぴりとした空気。
 嫌だな、と思いつつも、頷くことしか出来ない。
「僕はね、フリッカ。もう、何年も前に死んでいるんだ」
「…………え?」
 理解、できなかった。
 死んでいる。
 死?
 何年も前から?
「……どういうこと」
 発した声は、自分のものとは思えないほど硬く、抑揚のない声だった。
「僕が失踪した日。あの時から、僕は――」
 死んでいる、と?
 嘘だ。
 だって今、こうして目の前に居るじゃないか。
 笑っていたじゃないか。
「やだなあ兄さん。エイプリルフールはとっくにすぎたわ、よ……」
 茶化そうとしたけれど、無理だった。
 だってセディは冗談でこんなひどいことを言う人じゃないし、ルイーザだって深刻な表情で、辛そうな表情で、ぎゅっと唇を噛み締めている。
 フィルだけは、最初から全て知っていたように静観していた。自分が口を挟む話ではないと思っているのだろう。そしてそれは事実だ。
 ――ああ。
 ――本当、なんだ。
 冗談だと思いたかった。
 悪い嘘をつくようになったんだ、意地悪な兄ねと怒りたかった。
 だけど場の空気がそれを許さなかった。
 本当のことなんだと。
 自然と、受け入れられた。
 同時に足元の感覚がなくなる。がくんと倒れそうになって、セディに支えられた。
「ごめんね」
 抱き締められて言われた言葉に、なんて返せば良かったのだろう?
 何も言えないまま、フレデリカはセディを抱き締め返した。
 勝手に涙が溢れてきて、止まらなくて。
 声も出せなくて、息も出来なくて、頭が真っ白で。
「大丈夫」
 一人冷静なフィルが、そっと頭を撫でてくれた。
「ごめんね、フリッカ……」
 自責の念に潰されそうな、聞いている方が辛くなってしまうような声で、ルイーザ。
「フリッカ」
 そして、僅かに潤んだ声で、セディが。
「幸せになって」
「……っ、お兄ちゃ――」
 かけてくれた言葉に、何とか返そうとしたけれど。
 間に合わなかった。床にぽとりと人形が落ちる。
「……お兄、ちゃん」
 『嘘だよね』。
 まだ僅かにあった、その思いが。
 人形を見て、全て砕けた。
 ぐるぐると、未だに混乱した気持ちが胸の中を渦巻いている。
 感情の行き先は、どこにも、ない。