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【ザナドゥ魔戦記】ゲルバドルの牙

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【ザナドゥ魔戦記】ゲルバドルの牙

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序章 闇よりいずる雷

 メイシュロットは空にあった。
 まるで大陸の一部を荒削りにえぐりとり、空へと浮かべたように。メイシュロットという街は、浮遊する幾つかの小島によって形成された街だった。下からそれを眺めれば、島のえぐりとられた部分しか見ることができない。しかし、一度、空からそれを眺めれば、メイシュロットがザナドゥのなかでも随一の要塞都市であるということが知れるだろう。
 島の周囲を飾るのは、枝のように飛び出ている無数の砲台と銃器の数々。ザナドゥにあって、このような近代兵器は珍しい。空から攻め込もうとする者がいれば、蜂の巣にされるのは必至だった。
 が、驚くべきはそれだけではない。
 メイシュロットの驚嘆される部分は、そんな要塞都市にあって、民の住む住居地域が、まるで世界を分かつように平穏な時間を過ごしていることだった。通りの両端に構えられた大小の商店の数々が、客の呼び込みをする声が響く。子供たちの遊ぶ、活気溢れた笑い声や、女性たちの談笑の声。
 人々の行きかう賑やかな姿を、その瞳に映しながら――如月 正悟(きさらぎ・しょうご)は街を駆けた。
(……っ)
 前方の角から曲がってきた衛兵を避けて、路地の隙間に入る。スピードは緩めることなく、しかし、神経はより鋭く人の気配を感じ取ろうとしていた。
 極力、人の姿の見られない路地裏を駆け抜けて、やがて。
 彼はある民家の屋根の上に飛び乗った。
 バサッ――と、まとっていたローブのマントがはためく。街そのものが浮遊しているせいか、吹き抜ける風は地上に比べるとはるかに強い。被っていたフードを下ろして、彼は暗澹とした光なき空と民家の屋根の狭間を眺めた。
(ここが、メイシュロット……)
 改めて、街の様子を彼は思い出していた。衛兵に見つからぬよう、こんな街の隅までやって来たが、幸か不幸か、民の様子を垣間見ることができた。
 だが逆にそれが、彼の胸を締め付ける要因でもあった。
 どこもそうだ。関係のない者は、どこの世界にだっている。誰もが戦争を望んでいるだけではない。
 そう――
(……エンヘドゥも)
 彼女がここに捕まっているのは確からしい。おそらくはバルバトスの居城。はるか遠くにかすかに見える、あの城だ。
(なぜ、バルバトスはこのタイミングでエンヘドゥを再びさらったんだ……? おもしろがってか……? それとも、シャムスの気を乱すためか……? あるいは切り札に……?)
 頭のなかをグルグルと渦巻くのは、無数の可能性という名の嫌な予感だった。
 無論、答えなど出るはずもない。だが、確実なことはひとつ知っている。
 それは、彼女を助けてみせるという、決意だった。
(…………!)
 背後から気配がした。おそらく、見回りの衛兵だ。それも、翼のはためくわずかな音。屋根の上まで来るだろう。
 正悟はフードを被り直した。
 そして――
「ッ」
 屋根から飛び降りる瞬間、彼の姿は光学迷彩に包まれて周りの光景と同化した。



 夕方に指しかかろうという頃合いである。
「ふんふん〜♪ ふん〜♪」
 きゅっきゅっ、きゅっきゅっ。
 と。
 メイシュロットのとある部屋のなかで、土御門 雲雀(つちみかど・ひばり)がブロンズ像を綺麗に磨いていた。
「うん、綺麗になった」
 まるで鏡のように見事に磨かれたブロンズ像を前にして、雲雀は満足そうにうなずいた。
 これは、ここしばらくの彼女の日課でもあった。昼間の間は、こうしてブロンズ像を磨いたり、それから部屋の掃除などに精を出す。
 バルバトスの言いなりになっているようで、あまり良い気分ではないが、それもこの部屋に囚われている南カナン領主の妹――エンヘドゥ・ニヌア(えんへどぅ・にぬあ)のためだと思えば、多少はマシになるというものだった。
(そうです。自分はバルバトスのためではなく、エンヘドゥさんのために働いてるんです!)
 そう自分に言い聞かせて、彼女は床をモップできゅっきゅと磨いた。
 そのうち、太陽の陽の光はないものの、宵闇が顔をのぞかせる時間になった。
 すると。
 背後からまばゆい光が瞬きはじめて、雲雀は振り返った。
 そこにあったのは先程のブロンズ像。光はブロンズ像から発せられているようだった。まるでブロンズ像のなかの生命がそのまま光へと転じたような。そんな溢れんばかりの力強さを感じさせて、ブロンズ像はやがて光のもと――ひとりの女性へと姿を変えた。
「エンヘドゥさん……」
「……こんばんは、雲雀さん」
 いつものように、彼女は雲雀に微笑んで挨拶をした。
「はい、こんばんは」
 そしてまたいつものように、雲雀も彼女に挨拶を返した。
 バルバトスに囚えられてから――いや、アムトーシスでアムドゥスキアスに囚えられていたその頃から、ずっとこうして、雲雀とエンヘドゥは一日を過ごしていた。すでに、長年連れ添った姫と付き人のように、二人の間には数多い言葉など必要はなかった。
「いつものことですが……起きたら夜のままというのは不思議な気分ですね」
「そうですね。でも、ザナドゥは太陽はないですから、昼間も夜も大して変わらないかもしれません」
「ふふ、そうかもしれませんね」
 大したことのない会話。しかし、そんな会話が、いまのエンヘドゥにはかけがえのないものだった。
(人の上に立つ立場のある人は皆、そうだ。ほんとの感情を表に出せない)
 雲雀は知っている。エンヘドゥの心もまた、悲しみや苦しみをしまい込んで、気丈に振る舞うことで戦っているのだと。
(団長も…………そう、だったな……)
 シャンバラ教導団団長のことを思い出し、雲雀は静かに物思いにふけた。
(絶対に……帰ろう。……皆で)
 と、カチャ――という音を立てて、紅茶のカップが目の前のテーブルに置かれた。
「え……?」
「お疲れでしょう? 飲んでください」
「そ、そんな、悪いですよ! 自分は、エンヘドゥさんの世話係で……っ!」
「わたくしも、自分のものは用意しましたので」
 そう言って、エンヘドゥは有無を言わさず雲雀を席に座らせた。
 茶葉はバルバトスが用意していたものだが、淹れたのはエンンヘドゥ自身の技術だ。
 暖かな紅茶を口にして、雲雀は目を見開いた。
「美味しい……」
 そうしてつぶやいた彼女に、嬉しそうな笑みを浮かべてエンへドゥは口を開いた。
「わたくしもあなたも、同じですよ。雲雀さん」
「え……?」
「泣きたいときは、泣きましょう。笑いたいときは、笑いましょう。お互いに……ね?」
 母親のような微笑で、彼女は首を軽くかしげるように言った。
「そして一緒に……帰りましょう」
 その言葉は、まるで自分のことを包み込んでくれるようで、雲雀はしばらく彼女の瞳に引きこまれそうになっていた。
「…………はい」
 紅茶の優しい味を噛み締めながら、雲雀はエンヘドゥと約束を交わした。



 静かで、そして冷たい部屋だった。
 決して寒い季節ではないというのに、なぜかその部屋だけは、氷のように冷たい空気が張り詰めていた。
 そして、そんな部屋の奥で、魔神 バルバトス(まじん・ばるばとす)は玉座に腰を下ろしていた。
 と――彼女の視界で赤い魔方陣が生まれたのはその時だった。
 血のように赤い魔方陣だった。その魔方陣が複雑な文様が描き切ると、突如、その中心で激しい稲光とともに雷が降り注いだ。雷光だけではなく、大地を揺るがすような轟音さえも具現化した雷。
 それが円の中心を叩いたその瞬間、そこで片膝をついていたのはひとりの女だった。
「カグラ……何か用なの〜……?」
 気だるそうな声をあげて、バルバトスは女の名を呼んだ。
 エンヘドゥの世話係をしている雲雀と契約を結んでいる魔導書、はぐれ魔導書 『不滅の雷』(はぐれまどうしょ・ふめつのいかずち)。バルバトスに魂を捧げた彼女は、別名カグラと呼ばれていた。
「お忙しいところを失礼致します。実は、バルバトス様にぜひともお願いしたいことがございまして」
「な〜に〜」
「ナナ様の件ですわ」
 カグラがその名を口にした瞬間、一瞬のことだが、わずかにバルバトスの眉は吊り上がった。
「ナナ様はエンヘドゥにご執心なご様子。それにあちらにはアムドゥスキアス様もおられますわ。疑いを持つわけではないですけど…………様子を見に行ってもかまいませんでしょうか?」
「…………」
 バルバトスの視線が、鋭い刃物のようにカグラを射ぬいた。
 彼女自身、様々な可能性を考慮している。カグラの言わんとすることに気づいていないわけはない。だが、その可能性を考えることは、彼女の絶対的な自信やプライドが許さなかった。
 そしてカグラは、それを理解した上で自分に進言してきている。
「……いいわよ〜。その代わり……ちゃ〜んと、始末はつけるのよ〜」
「分かりましたわ」
 カグラは恭しく頭を下げると、再び降り注いだ雷に打たれて、その姿を消した。すでに、魔方陣も消え去っている。自分が魂を奪ったおかげで与えた魔力とはいえ、そんなカグラの姿を見ると、バルバトスはどこかぞくりとするものがあった。
(魔族……ね)
 バルバトスは冷たい部屋のなかで瞼を閉じた。
 まるで来るべきその時まで眠りにつくように――彼女は瞑想に落ちたのだった。