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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3

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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3
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リアクション

 じっとセルマたちの消えた方角を見ていると。
「行けばよかったんじゃない?」
 シャオが脇からそっと声をかけてきた。
「まだ間に合うわよ。追いかける?」
「……べつに。いいわ」
 素っ気ないつぶやきで答えて、リンゼイはたすきがけの途中で止めていた手を動かす。だが止めている間に、まとまっていたそではすっかり崩れてしまっていた。
「貸して」
 リンゼイの手の中からたすきを抜くと、シャオは手早く着物の両そでをたすきでまとめた。
「さあ、これでいいわね」
「ありがとう」
 リンゼイからの礼に、シャオは笑顔で首を振る。
「さあ、向こうへ行って、水路を作るお手伝いをしましょ」
 シャオに促されるままそちらへ向かって歩き出す。リンゼイは一度だけ振り返って後ろを見たが、足を止めることはなかった。


*       *       *


 リバルタ地下貯水池は主に中央広場の真下にある。今は入口の拱構が崩壊し、埋もれて入ることができないが、そこから放射状に伸びる道に沿って水路は設けられている。大体横幅25センチ、深さ30センチほどの側溝だ。ただし、雨水や泥が入って汚染されるのを防ぐため、最終的には完全密閉される。
 以前、ここは厚さ5ミリほどの銅樋が使用されていた。だが今回の修復では到底数を確保できない。工房のある町では昼夜を徹して作業にあたってくれているのは知っていたが、それでも出来上がってきた銅樋による修復は都の10分の1程度しかなく、材料不足で作業はちょくちょく中断することになった。
「こういう場所こそコンクリートを使えばいいんです」
 そう提案をしたのはコトノハだった。
「材料はいっぱいあるんですから」
 と宣言し、ザムグの町に保管されていた砂の入った麻袋をさっそく空輸してもらい、ほかの材料と混ぜ合わせてコンクリートを作る。
 コトノハの指示で、さっそく兵士たちはコンクリートの量産に入った。
(本当は、ロノウェやヨミちゃんと一緒に作業ができればよかったんですが…)
 今朝方、城を出る前のロノウェとの会話を思い出す。コトノハからの誘いに、ロノウェは首を振った。
『この都の者で、私が何者か知っている者は多いから。これ以上騒ぎを大きくしないためにも、私は城の塔修復の方に専念するわ』
 昨日のデモを思えば、それは仕方のないことだ。兵だって一般市民と同じ。身内や知り合いを殺されたことに割り切れない思いでいる者は多いはず。
 魔族と人の間をとりもつためには、まずこのアガデを元に戻すことが先決。この荒れた光景を毎日見ていたら、魔族と仲よくしようなんて気になるはずがないのは分かりきっているから。
 コトノハはそう思い直して頭を振ると、作業に戻った。都じゅうの水路を完成させるには、コンクリートはまだまだ、まだまだ、大量にいる。
 そうして彼らによって作られたコンクリートを水路用に掘られた穴へと流し込んでいるのはクコ・赤嶺(くこ・あかみね)だった。
「これ、もらっていくわね」
 兵士たちにそう声がけをして、桶いっぱい作られたコンクリートをショベルですくってバケツに入れる。その脇には、行儀よくちょこんと座って、灰色の、少しベタっとした重そうな砂の固まりを不思議そうに、じーっと覗き込んでいる小さな子狐がいた。まるで上質の黒檀のごとく光沢の美しいシルクの台座にはめ込まれた宝石のような、赤と金のオッドアイがかなりかわいらしい。
 小さなルビーとゴールドをあわせ持った瞳。それが今、真ん丸になっていた。パタパタせわしなく左右に振られているシッポを見る限り、バケツの中身かショベルの動きかに相当興味を刺激されているようだ。
 黒狐は、ただのペットというわけではなかった。つい数カ月前誕生した、クコと赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)夫妻の愛娘、赤嶺 深優(あかみね・みゆ)である。
 獣人であるクコの娘の深優もまた、獣人だ。まだ満足に動けない人型よりも自由に動き回れる獣の姿を好んで、よくこうして黒狐化してはクコのあと追いをしているのだった。
「おもしろい?」
 ピクピク耳の先を震わせ、興味津々ドロドロのコンクリートを食い入って見つめている娘の姿に、クコは自然と笑顔になる。と、次の瞬間その目が驚きに見開かれた。何を思ったか、深優が後ろ足で立ったと思うやいきなり両前足をどぷんっとバケツの中に突っ込んだのだ。そして前足についたそれを口に運ぼうとしているのを見て、あわてて掴み止めた。
「だめよ、これは食べ物じゃないの」
 抱き上げ、しっかり掴んだ両手を見せつけるように振る。
 だがまだ1歳に満たない深優には、意味が理解できないようだ。真ん丸の目が、今度はきょとんとなってクコを見つめるだけだった。
「まったく。いけない子ね」
 しゃがみ込んでタオルで拭きとろうとするクコの手の中で、いやいやと子狐が暴れる。だがクコももう深優の扱いは手慣れたものだ。難なく抑え込み、コンクリートをぬぐおうとするが、うまくいかない。粘性のある細かな砂がどうしても毛に絡んでしまうのだ。このままではますます広がってしまう。
「深優、人型になって。……お願い」
 母からのお願いに深優は少し考え込むような間をあけたものの、じっとクコに見つめられて、おとなしく人型になった。もみじのようなぷくぷくとした指やてのひらから手早くコンクリートを拭きとる。
「ほら、きれいになった」
 笑顔のクコに、深優がその手を伸ばす。やわらかくてひんやりとした赤ん坊の手がほおに触れ、そのくすぐったさにクコは笑った。
「お願いだからいい子にしてね。さもないと、大好きなお父さんに叱ってもらうわよ? お父さんは、怒ると怖いんだから」
 と、深優に霜月を見せようと彼のいる水路の方を向く。
 霜月は、先端に水路の内幅の大きさのコ型がついた棒で、コンクリートの形を整える作業をしていた。水路に流し込まれたコンクリートに、それを用いて上からぎゅっと圧力を加える。棒を持ち上げればコンクリートは均等な厚さのコ型になっている、というわけだ。あとはほかの兵がコテで細かな所を仕上げてくれる。
 上着は脱いでいた。さすがに兵士たちのように上半身裸になってはいなかったが、そでまくりをして、襟も大きく開いている。吹き出した額の汗を二の腕でぬぐい、作業に没頭するたくましい夫の姿にほれぼれする思いでクコは少し見とれていた。
 ふと、霜月の手が止まる。
 横を向いた霜月は、何かを見つけたようだった。その視線の先にいるのは、金髪の青年。作業に従事している兵士たち数人と、手元の書類を見ながら話し込んでいる。
 服装が、あきらかに周囲の者たちと違っていた。上質の上着、上質のブーツ。はおったマント1枚とっても、おそらく相当高価な品であるに違いない。彼からの言葉に答える兵士たちも、先のオズのときと違って少し緊張しているように見えた。
 霜月が棒を傍らの兵に預けて、彼の元へ歩いて行く。声をかけ、にこやかに笑い合う2人を見ながら、クコは納得していた。
(あれがセテカ・タイフォンなのね)
 先のメイシュロットでの大戦でクコたちは東カナン軍にいた。しかしクコは外部で戦うバァルの部隊に所属しており、セテカは内部突入部隊。目前の戦いにだれもがバタバタしており、当時は話しかける余裕もなかったが…。
「クコ」
 セテカと話している途中、霜月が振り返り、おいでと手招きをした。
「きみの奥さんか。よろしく、セテカ・タイフォンだ」
「……クコ・赤嶺です。よろしく」
 にこやかに差し出された手を握り合った。理知的な光を放つ静かな青灰色の瞳がまっすぐにクコを見返す。面だけを見ればどこか女性的な柔和さのある優男に見えたのだが、手の皮は硬くしまっている。剣を扱い慣れた戦士の手だ。東カナン軍の智将、上将軍。彼は兵の先に立ち、導いて戦うという。
 霜月から聞いてはいたけれど、実際こうしてじかに確かめられたことで、クコは彼に対して持っていた警戒を解いた。ひとを見る目はあるつもりだ。彼は冷酷な面も合わせ持つ人なのだろうが、それを理不尽に味方にふるうようなことはないと。
「……あー、あうー」
 腕の中の深優が暴れた。あまりに軽くて抱いていることを忘れていたクコは、はっとなる。
「娘の深優です」
「子どももいたのか!」
 楽しげに驚くセテカに、深優の両手が伸びた。応じるように両手で受け取り、胸に抱く。
「小さいな」
「復興の邪魔になるんじゃないかと思わないではなかったんですが…」
「兵たちの人気者になってるんじゃないか?」
 襟から覗く銀鎖を引っ張って、深優がロケットを引っぱり出した。そのまま口へ入れようとした深優から、笑ってロケットを取り返す。
「この子は小さくて。言葉もまだほとんど理解できません。でも、この地へ来て、肌で感じてほしかったんです。失われたものをよみがえらせようとがんばる人、あきらめない人……それに、あきらめてしまっている人や悪いことを考えてしまった人も…。この世界はいいこと悪いことが半々でできています。人のどちらか片方だけを見て育つのではなくて、いろいろな面を見て、それでも真っ直ぐに考えることができる子になってほしいから…」
「そうか」
 彼女の思いに同意するように、彼女を見るセテカの目があたたかみを帯びる。そうしてセテカはクコから手の中の深優に視線を落とした。
「……うー…っ」
 深優はまだきらきら光るロケットをあきらめきれないようで、セテカの手の中のそれを掴もうと必死に開いた指を伸ばしている。
「悪いな。これはあげられないんだ」
 ロケットを服の下に落とし込んで、セテカは不満そうな深優をなだめるようにあごの下を掻いた。
「ところでセテカさん。そうしていると、本当の親子のようですね」
「えっ?」
 予想もしていなかった霜月からの言葉に気をとられた、その一瞬の隙を突いて深優が黒狐に変化した。
「うわ!」
 驚きのあまり硬直してしまったセテカの腕の中からポーンと弧を描いて黒狐は飛び出す。そのまま全速力で走っていく口元には、しっかりロケットの銀鎖がくわえられていたのだった。