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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3

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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3
【カナン復興】東カナンへ行こう! 3 【カナン復興】東カナンへ行こう! 3

リアクション

 ヒュッと風を切る音がしたと思った次の瞬間。
 だん! とブーツの厚底が床を打つ音を立て、竜造が中2階の高さにある窓から室内へと飛び込んできた。
「きさまは!」
 ここはアガデの心臓、領主の居城だ。全く予想だにしていなかった襲撃にだれもが度肝を抜かれ動けないでいる中、真っ先に反応したのはシャノン・マレフィキウム(しゃのん・まれふぃきうむ)だった。竜造の視界から隠すように、ロノウェとの間に割って立つ。
 かつてロンウェルで、彼女とそのパートナーたちはヨミの命を狙う竜造たちと死闘を繰り広げた。竜造は魔鎧と剣で武装している。今度もまたロノウェとヨミの殺害が目的かと疑うのは当然。
「大胆なやつだ。単身乗り込んでくるとは」
 それともこれは陽動か。
 どこかに隠れ身でくだんの暗殺者が潜んでいるのではないかと油断なく周囲へ視線を巡らせるシャノンの姿に、竜造は眉をしかめた。
「いや、俺は――」
 と、魄喰 迫(はくはみの・はく)によって安全な後方へ避難させられるヨミの影から、ぴょんっとマッシュ・ザ・ペトリファイアー(まっしゅ・ざぺとりふぁいあー)が飛び出した。
 アガデを訪問する今回の役割は万一のための護衛で、戦闘が起きる可能性はかなり薄くて退屈するだろうと考えていただけに、竜造の登場は思わぬ零幸だった。騎士と違い、彼なら石化してもだれにとがめられることもない。
「石になっちゃえ〜♪」
 満面の笑顔でペトリファイを放った。
「ちッ、問答無用かよ」
 竜造は横っとびに飛び退いて床を転がって避けた。それを追うようにマッシュがさらにペトリファイを放つ。
 こうなってはやつらをねじ伏せた上で、強引に話に持っていくしかないか――そう考え、低く構えをとったときだった。
「待て、マッシュ」
「……ふにゃああぁあぁぁ〜」
 脱力系の声を発して、マッシュがふらふらと揺れた。恍惚の笑みを浮かべたまま、その場に手足をつく。
「シャノンさん……それ、ちょっと…」
 見れば、シャノンが彼のしっぽを握っている。
「いいから待て。どうやらやつには何か言いたいことがあるようだ。殺すのはそれを聞いてからでも遅くはないだろう」
「助かるぜ」
 竜造は戦闘態勢を解き、立ち上がった。
 だが当然、その場にいるだれもが――ブラックコートと光学モザイクで気配を殺し、騎士たちの背後にまぎれ込んでいる松岡 徹雄(まつおか・てつお)を除いて――すぐさま武器を抜けるよう、身構えている。
 二重三重と周囲を取り囲んだ騎士、コントラクターを見てもどこ吹く風。竜造はロノウェへと歩み寄った。
「今さら事を荒立てる気はねーよ。ただ、てめェに訊きてぇことが1つ2つある。それだけだ」
 距離約2メートルと迫ったところでシャノンがそれとなく威嚇の動きを見せた。それ以上近寄るなということだ。応じるように、竜造は踏み出した足を床につける前に引き戻した。
 そして言う。
「てめぇ同じ魔神の中で一番あの女と親しかったんだろ」
 ぴくりとロノウェのほおが反応した。一拍の間を置き、ロノウェの緑の目が暗く沈み始めたのを見て、彼女が魔神 バルバトス(まじん・ばるばとす)のことを思い出しているのを確信する。
「聞かせてくれねーか? バルバトスはどんな女だったか」
「――なぜ」
「見た目、戦闘能力。どいつもずば抜けててイイ女だったが、あいにくと内面はサッパリだ。そこまで近づく前に、逝っちまったからな」
「…………」
「話したくねぇならかまわねぇ。ベルゼビュートのパイモンを訪ねるまでのことだ。育ての親だっていうしな」
 竜造が知りたいのは子の目から見た親の姿ではなかったが、この際それで妥協するしかないだろう。ガキのナベリウスやアムドゥスキアスは論外だ。
 ロノウェはいかにも気がすすまないといった表情で重い口を開いた。
「だれに訊いたところで無駄よ。10人に訊けば10人が全く違うバルバトス像を話すでしょう。それでも私の知るバルバトス様を知りたい?
 あの方はとても愛情深い方だったわ。一途で、思いやり深く、寛容だった」
 そして……不器用だった。
「ほら、もうあなたの描くバルバトス様とは違っているでしょう」
 竜造が眉を寄せたのを見て、ロノウェは素っ気なく肩をすくめて見せる。
「そんな天女のような女だったとはとても思えねーんだが」
「なぜ彼女があれほどザナドゥ顕現に執着したと思うの? 自分1人であればいくらでも地上で生きていける才気を持った方だったわ。なのに数千年の間、何度も地上に戦いを仕掛け、そのたび敗北し、地下へ追いやられた…。口で何と言おうと、本当に利己的な方であればとっくに見限っていたでしょう。
 あの方はザナドゥを愛していたの。ただザナドゥだけをね」
 ルシファーに対する愛情は過ぎる歳月の中で変質した。けれど、ザナドゥに対する愛情だけは決して変わらなかった。でなければなぜあんなにも地上人を憎むだろう? 何千年も天を望みながら暗き地底に身を置いていたのか。
「一途に愛しすぎたのよ。私やほかの者たちのように「それ以外」など考えられなかった。私の裏切りを許せても、私のようには生きられなかった」
 ふっとロノウェの口元に自嘲のような笑みが浮かぶ。
「……いいえ、もしかすると今も許してもらえてないのかもしれないわね。あれもまた、あの方らしい、私への罰だったのかも。100年後に会おうという約束を自ら破ることで…」
 バルバトスの最期をロノウェは聞いていた。まるで自ら殺されるため、その身を貫かんとする剣の軌道へ身を置いたようだったと。
 そうかもしれない。バルバトスなら十分考えられる行動だった。己の死すらも皮肉に変える。そのためなら命も簡単に投げ出してしまう。あとに残される者のことなど微塵も考えずに。

『しかたないじゃない? だって私は魔なんですもの〜』

 したり顔で笑う姿が目に見えるようだ。
 ロノウェは嘆息し、再びバルバトスを胸中深く押し込めた。もう二度と浮かび上がってくることのないよう、深く、深く、彼女だけの場所へ。
 そして竜造を見つめる。
「私からの忠告よ。あの方について知ろうとするのはやめなさい。でないと、魔に憑りつかれてしまうわよ。あの方はとても……魅力的な魔だから」
「――そうか。邪魔したな」
 竜造は跳び、窓枠に乗り上げた。そのまま外へ飛び下りようとして「ああそうだ」と、思い出したように振り返る。
「もう1つ。あいつは今、ナラカにいるのか?」
「だれもが例外なく、死ねばナラカへ落ちるのよ。だから……ええ、私も彼女はあそこにいると思っているわ」
 その返答に、竜造の目が何か決意の光を浮かべたように見えた。気のせいかもしれない。逆光で、彼の面はほとんど影になっていて、よく見えなかったから。
 竜造が窓の向こうへ消えたのを見届けて、カグラがきびすを返した。
「カグラ?」
「行きましょう。もうここに用はないわ」
「あ、ああ…」
 カグラの中で、一体何がどう動いているのか? よく分からないまま、雲雀はカグラについてこの場から立ち去った。彼女たちと、そして徹雄が消えたことに気付く者はだれもいなかった。



 竜造が消え、しんと静まり返ったホールで。おもむろにネイトがロノウェに歩み寄り、頭を下げた。
「申し訳ありません、ロノウェ殿。あのような者の侵入を許してしまったのはこちらの不手際でした。今一度引き締め直し、警備を厳重にしたいと思います」
「ネイト殿、これはしかたがない」
 応えたのはシャノンだった。
「あれはコントラクターだ。しかも相当腕の立つ。侵入を防ぐのはただの人である貴殿たちでは荷が勝ちすぎる。いくら厳重にしたとて、警備に立つ者すべて殺し、壁を破壊してでも現れただろう」
「……ロノウェ様ぁ〜〜」
 危機が去ったことに緩んだ迫の腕から抜け、ヨミが両手を突き出してぱたぱたと駆け寄る。受け止めようと広げられたロノウェの腕の中に飛び込んだのはしかし、白夜・アルカナロード(びゃくや・あるかなろーど)だった。
「なっ!? お、おまえ、なんですか!? 離れるのですっ!」
 血相を変えて腕をぶんぶん振り回すヨミのことなど一切無視して、白夜は面食らったまままのロノウェを見上げてきゃっきゃと笑う。
「そこはヨミの場所なのです〜〜〜〜っ!」
 ヨミは怒りのあまり、半泣きになって叫んでいる。
「ヨミ…」
 とはいえ、赤子では放り出すわけにもいかない。周りを見たが、唐突な赤ん坊の出現に驚いているのはロノウェだけではなさそうだ。何の動物を模しているのか不明だが、ふわふわの黄色い耳のついたおくるみ姿の赤子を、どうしたものかと抱いていると、くすくす笑う女性の声がした。
「すみません。ちょっと通していただけるかしら」
 人の間を縫うようにして前に出てきた、彼女はたしか――……
「コトノハ」
「ごめんなさい、ロノウェさん。うちの白夜が粗相をしてしまって」
 申し訳なさそうに口にしながらも笑顔でコトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)が受け取ろうと手を伸ばすが、白夜はロノウェの胸元をしっかり掴んで放そうとしない。
「う〜〜〜っ」
 いやいやと首を振って離れることを拒否する白夜。
「まあ。この子ったら」
「あなたのお子さんなの?」
「ええ。うちの末っ子です。すっかりロノウェさんの腕の中が気に入ったみたい。困った子」
 ほうっとため息をつく。
 ロノウェは腕の中の赤子をあらためて見下ろした。小さなぷよぷよの手が、必死に服を握り込んでいる。ロノウェが自分を見ていることに気付くと、金の瞳を輝かせてにっこり笑った。
(ヨミも……こんなだったのかしら…)
 当時、まだ1歳にもなっていなかったヨミをロンウェルへ連れ帰ったものの、ロノウェは自分を裏切った親友ヨミの息子であり、人間の母を持つ彼に何の関心も持てず、召使いに任せっきりだった。触れることも抱くこともせず、問題なく生きているという報告をときおり聞くだけの存在だった。
「ロノウェさん、赤ちゃんを抱くのがお上手ですね」
「そ、そう?」
 白夜にヨミを重ねて、ロノウェはそっとほおを寄せる。赤子特有のなめらかな肌ざわりと、甘ったるいにおいが鼻孔をくすぐった。
「あーーーーーっ」
 下で裾を引っ張っていたヨミが声をあげる。
 そんなヨミの頭を、後ろからつんつん指でつっつく者が現れた。
「ヨミはもう大きいんだから、赤ん坊に嫉妬したりしないの」
 蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)だ。
 悦に入った表情でヨミを見下ろし、べそをかいている彼にプククと含み笑う。それを見て、みるみるうちにヨミの顔が赤く染まった。
「だ、だだ、だって…」
「あたしはしないよ! お姉ちゃんだもん」
「ヨ、ヨミだってしないのですっ!」
「ほんとかなぁ?」
 むう、とあごを引いたヨミは、ロノウェの服のすそを握りしめていたことに気付いてあわてて手を開く。でも夜魅に気付かれないよう、目端でちらちらとロノウェと白夜の様子を伺っていた。
 もちろん、夜魅はごまかされない。後ろ手に組んで、ふーんふーんと思わせぶりにうつむいたヨミの顔を横から覗き込む。
「ヨミもさぁ、ロノウェと会ったころはちょうど白夜みたいな歳のころだったんだよね?」
「……知らないのです。覚えてないのです」
 それはまあそうだろう。
「じゃあさ」
 にやり。いじけたふうなヨミを見て、夜魅はいじめっ子のような笑みを浮かべる。
「ヨミのおしめ、ロノウェが替えてたんだ」
「なっ!?」
 ヨミの顔がさらに真っ赤になった。頭頂部から湯気でも噴き出さんばかりだ。
「な、ななななななないのですっ! そんなことっ」
「どうして? あたしはときどきするよ」
 もっとも、上手にできたためしがなくて、コトノハかルオシンがあとでこそっとやり直してたりするのだが。それはこの際省略する。
「絶対、絶対、ロノウェ様はないのですっ!」
 必死に叫ぶヨミにも、もちろん確証はない。ただ、初めてロノウェと会った時のことは覚えていた。
『これからロノウェ様とお会いするのですから、お行儀よくして、決して粗相のないようにいたしましょうね。そうすればこれからもお城に置いていただけるでしょう』
 乳母がそう言って、服を整えてくれた。当時は意味が分からなかったが、今思えばあれは試験だったのだ。城を追い出されるか、それともロノウェの関心を引かないまま城の片隅でひっそり暮らしていくことを許されるかの。
 結果的に、関心を引くどころか愛情をそそがれて生きていくことになったわけだが、面会を果たしてからも数年間ロノウェからはほとんど無視されて生きてきた。だからロノウェがヨミのおしめを替えたりといった行為をするはずがない。
「じゃあ、ここにいるうちに白夜のおしめ、替えてみる?」
「えっ?」
 夜魅の提案に、ちょっと心惹かれるものがあったらしい。
「あたしがお願いしたら、ママもパパもさせてくれるよ! あたしが替え方教えてあげる!」
 夜魅はふんぞり返った。
「まったく、夜魅のやつめ」
 少し離れた所からロノウェと談笑する妻や子どもたちの様子を伺っていたルオシン・アルカナロード(るおしん・あるかなろーど)が、こっそりため息をついた。が、手で隠した口元で、こられ切れない笑いが漏れている。
「いい子たちだな。一気に場がなごんだ。おかげでロノウェ殿もくよくよせずにすんだようだ」
 いつの間に横にきていたのか。セテカもまた、笑みまじりに言う。
「ああ。それでいてなかなか弁が立つ。言い負かされないようにするのが大変だ。――おまえもいつか子どもができて、それが女の子だったら苦労するぞ」
 くつくつ笑いを増したセテカに、最後付け足す。
「覚えておこう。
 だが、今はこちらが先だ」
 セテカはおもむろに脇に挟んでいた書類をめくり始めた。そこに書かれていることを確認し、ふっと息を吐く。
「おまえが言っていた魔族との合同慰霊祭についてだが。ちょっと調べてみたが、難しいな」
「やはり遺恨か?」
「それもなくはないが……第一は、慣習の違いだ。慰霊という概念がザナドゥにはないようだ。共同して、儀式として行うことは可能だろうが、それはおまえの意図するものとは違うだろう」
 失われた命、魂を悼む思いの共有にはならない。戦いの痛ましさ、二度と繰り返してはならないという思いの共有もまた。魔族は人間の反応を不思議に思い、人間は魔族の反応を冷酷と見るだろう。それの持つ意味を理解することもできない者たちと、ただ形ばかりに行ったところで何の益もない。
「そうか」
 人と魔族、戦いをやめたとはいえ、その意識のへだたりはまだこんなにも大きい。
 ルオシンの耳に、途切れ途切れに外の人々の声が風に乗って届いた。デモはまだ続いている。崩壊したアガデ、けがも癒えない人々。魔族の残した爪あとが生々しい今の状況では、合同慰霊祭を強硬したところで魔族の見せる態度は彼らの神経をさかなでするだけだ。
「……コトノハの願いは、かなわぬのだろうな」
 彼女は魔族兵がこの復興に尽力することで、少しでも遺恨を取り除きたがっていた。両者が分かり合う一助になるのではないか、そのためなら何でもすると、燃えていた。ルオシンとて愛する女性の望むことはそれがどんな難しいことであれ、かなえてやりたいという思いは強かったが、現状それが不可能に近いこともまた、悟れていた。
「ロノウェ殿がおっしゃっていたように魔族兵は外部で、当面は魔法技師のみの受け入れにとどまることになるだろう。――残念だ」
 セテカはなぐさめるように肩をたたき、去って行く。
 やがて、部屋の用意ができたとロノウェたちが案内され、ホールが閑散としたあとも、ルオシンは窓に身を寄せ、デモ隊の声に耳をすませていた。