校長室
自然公園に行きませんか?
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17 『Sweet Illusion』にて。 「お待たせいたしました〜」 笑顔で、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)はケーキセットを届けた。嬉しそうに楽しそうにケーキを見るお客さんへと、 「これはご来店感謝の気持ちです♪」 小鉢に入った花を渡す。釣鐘型の、オレンジ色の花。 「可愛いですね。なんていう花なんですか?」 「サンダーソニア♪ 花言葉は『祝福』よ。あなたに幸せが訪れますように」 それではごゆっくりどうぞ。礼をして、裏へ戻る。 裏では、カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)がテーブルの移動などの力仕事に精を出していた。長い髪の編み込みと結い上げを済ませた夏侯 淵(かこう・えん)が、ルカルカと入れ違いに店へと出て行った。 さて、ここでひとつ疑問符。 店に、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)の姿はなかった。そして裏にもいない。 どこに行ったと辺りを見回すと、見つけた。木陰でノートパソコンを開いて、なにやら打ち込んでいる。 「こらーっ、サボるなダリル!」 揶揄交じりに声をかけると、 「仕事だ!」 睨まれた。肩をすくめる。この反応は、修羅場中か。締切間近か。パソコンを使っているから、論文か何かだろうと判断する。 「もしかして、誘わないほうが良かった?」 家で作業していたほうが、断然進みは早いだろう。知らなかったとはいえ悪いことをした。しゅんとうなだれ「ごめんね」と謝る。ダリルが顔を上げた。 「俺こそ、カフェの手伝いができなくてすまん」 「……え」 表情こそは変わらなかったけれど。 口調も、淡々としたものだったけれど。 ――ダリルが、謝った? 驚いていると、ダリルは脇に置かれていたバスケットを指差す。 「代わりにケーキを作ってきた。手伝いが一段落したらみんなで食べてくれ」 中を見ると、保冷剤に守られたロールケーキが入っていた。しまい、ルカルカはまたダリルを見る。 ――変わったなぁ……。 少し前のダリルだったら、忙しいとき他人に時間を割いたりはしなかった。優先するものを決めて、まずそれをきっちり終わらせる。アフターケアなんて知らぬ存じぬだったのに。 まあ、話す間もキーを叩く手が止まらないのは仕様だけれど。別にそこは気にするほどのことではない。 「頑張ってね」 声をかけて、カフェに戻った。 さあ、もう少し頑張ろう。 「やあ」 昼時をだいぶ回って、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)たちがやってきた。今日は午後からエースたちとピクニックの予定だったのだ。 フィルに挨拶して手伝いを抜け、見晴らしのいいところを探そうと歩く。 芝桜が綺麗に見える場所が空いていたのでそこに陣取り、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)の作ってきたお弁当を広げた。宝石箱のような、色とりどりのお弁当。 「相変わらず美味しそう……!」 思わず両手を合わせていた。カフェは想像以上に盛況で、手伝いも大変だったから空腹だった。時間も時間だし。 「どうぞ、召し上がれ」 エオリアの促しをきっかけに、みんなばらばらに「いただきます」と手を伸ばす。 ベーグルサンドに手を伸ばし、食む。美味しい。 お茶がほしいな、と思ったタイミングで、エオリアが差し出してきてくれた。 「ありがとう、ちょうどほしいと思ってたの〜」 お礼にも、柔和な笑みで一礼するだけ。気取った様子なんて微塵もない。こういう一面を見ると、やはりすごいなぁと思う。しかも、淹れてくれたものはルカルカの好みのものだ。ダリルや淵に出したお茶もそうなのだろう。きっと、全員の嗜好をきっちり把握している。 「カルキさんは――」 「俺はこれがあるから」 「ですよね」 カルキノスがケーキをつまみに酒を呑むことも想定内のようだ。 「昼間からお酒?」 「細けぇ事だ」 ぐびり。一升瓶を片手に飲む姿を見て、少し苦笑。 ふと気付くと、リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)がダリルの傍にいた。にこにこと微笑んでいる。 「ほら」 ダリルが渡したのは、先ほどのロールケーキ。 「やっぱりあった」 「半ば習慣だな」 「そうね。いつも持ってきてくれているものね」 いつも。へえ、そう。内心でにまにま笑っていると、悟られたのかダリルがルカルカを見た。あらあら余所見は禁物ですよ。笑うと、ダリルはふいと目を逸らす。 「ブルーベリーのロールケーキ、好きよ。ありがとう」 リリアが満面の笑みを浮かべた。ダリルも、優しく笑う。「ああ」と頷いき、賛辞に照れたのか横を向いた。 当たり前の風景。 だけど、今までにはなかった風景。 ――やっぱり、変わってる。 それがどうしようもなく、嬉しい。 人への共感。思いやり。ダリルに欠けていたもの。 「満ちていくのねー」 ――感情が動くのが見えるよ。 和気藹々と会話を楽しみ、景色を楽しみ。 だけどその最中も、エースは別のことを気にしていた。 風に乗って、ここまで届く花の薫りだ。なんの花だろうか。思考を巡らせる。 心ここにあらず、となりかけたとき、 「花が気になるのなら散歩に行ってみては?」 エオリアがエースに言った。 見透かされていた? と少しばかり焦る。焦る様子まで解されたのか、くす、と笑われてしまった。 それならば言葉に甘えようか。エースは立ち上がり、リリアの傍に立って手を差し伸べる。 「お姫様、ご一緒にいかがですか?」 誘いにリリアがくすりと笑った。 「そうね、たまにはいいわね」 手を繋ぎ、ピクニックの輪から抜ける。まずは、芝桜を観に行こう。 咲き誇る桜を満喫して、コースを変えて薔薇を観て。 他にも見頃であろう、皐月や藤やライラックを探す。 「美人の代名詞も咲いているかな」 「芍薬?」 そう。と頷き、歩く。さほど時間をかけずに、季節の花々は見つかった。 綺麗だよ、素敵だよ。 花にそっと囁きかけ、褒める。褒めれば褒めただけ美しくなる素直な花たち。これだけ綺麗に咲いたここの花は、いったいどれくらいの人に褒められたのだろう。 自然に触れ合い、微笑んでいたリリアがそっと口を開いた。 「樹木は長生きさんが多いから、ここでずっと何年も人々の姿を見てきているのね、って思うの」 「うん? うん」 「毎年花木を楽しみに来る人も多そうね。花はその時期しか逢えないけど、でも何度でも咲くものよ。 小さな頃に頃見た花を自分の子供と見に来る人もいるかしら。そういうのって何だか素敵よね」 「そうだねー……」 来年、再来年、ずっと先の未来。 観に来ることが、できるだろうか? あまり先のことまでは、確約できないけれど。 「来月になったら、今度は大輪の百合とかグラジオラスとかの庭花が咲くね。リリアの仲間が元気な季節だ」 「そう。だから、楽しみなの」 「なら、また観に来よう」 近いところで、約束を。 「そうね、皆で来たいわ」 リリアの答えは、笑顔だった。 リリアがエースと連れ立って出かけてから、少し経つ。 「リリアばかり見ていたのは何故だ?」 「は?」 ダリルからの突然の問いに、メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は怪訝そうな顔をした。 誰が? 誰を? 私が? リリアを? しばし黙り、記憶を巻き戻す。 ああ、確かに、見ていた。というか、リリアしか見ていなかった。弁当の中身が何だったかさえ覚えていない。 自覚したのを察したのか、ダリルがため息を吐いた。 「あれだけ釘付けになっておいて気付いていなかったのか」 「……ああ」 気がつくと、追っていた。 リリアはリージャと違うのに。別人なのに。 頭では、わかっているのに。 「彼女はリージャじゃない」 「わかっているさ」 「代替品にするのは失礼だ」 「わかっている」 そう、わかっているんだ。 ただ、それでも。 ――やはり重ねて見てしまうのか。 少なからず、あるのだろう。 「リージャはリリアのように頑固我侭で甘えん坊なところがあったぞ」 「…………」 「猫被ってたんだよ。俺はよく我侭を言われた」 ダリルは何が言いたいのか。黙って耳を傾ける。 「リージャとの記憶は鮮明に想起可能だ。その時の気持ちがわからないの画もどかしいが、多分、ああだったのだと、今は、『推測』できる」 「…………」 「リリアを独立した存在と認めることだな。過保護すぎる」 過保護に関しては、最近自重しているつもりだった。つもりだけだったのかもしれない。何せ、外から言われるくらいなのだから。 「お前はリリアに踏み込むのを恐れているんだよ」 そりゃ、恐れもするさ。内心で答える。 正確には、恐れとは違う。躊躇いというか、懊悩というか。 ――リリアと私は同じ時間で生きていけない。 あと百年もすれば、リリアはいなくなってしまうだろう。 それを思うと、彼女に好意を寄せることはどうなのだろう、と。 「そうやって、人を好きになる気持ちに外付けの理屈をつけるのは正しいことか?」 「……おかしいな。私は今、思考を口にだしていたかい?」 「お前の考えていることくらいわかる。 ともかく、彼女の幸せを願うなら、なおさら自分の心や彼女と向き合え。好きになるかはその後だ」 言うだけ言うと、ダリルはふいと顔を背けてしまった。 メシエは受け取った言葉を飲み込んで考える。 彼女の幸せ。もちろん、最優先にしたい事柄だ。 そして最優先にするのなら、どうするべきなのか。どうするのが一番良いのか。 まだ、答えは出なかった。 顔を背けたのは、言いたいことを言い終えたからと、視線を感じたから。 「ダリルから『こういう話』が聞けるようになるとはな」 カルキノスだった。にやにや笑って酒を呷っている。 「俺が心を語るのがそんなに可笑しいか」 「いや……いいんじゃね?」 「ならなぜ笑う」 「楽しいからだよ。可笑しいとは違うぜ?」 「ふん。大して変わらないだろう、バカルキ」 「変わるっつうの」 どうだか、と鼻を鳴らした。カルキノスのことだ、からかうと楽しい、と同義なのだろう。 けれど今まではそう茶化されることもなかった。第一茶化されてもなんとも思わなかった。 ――変わってきたのか。 うっすらと自覚していたことを、改めて認めてやる。 多分、良いことなのだろう。 だって、悪い気分じゃない。